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第百六十一章

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第百六十一章

 ダファネア王国は南の果てで荒れ野に変わる。荒れ野のさらに南は目路も遥かな砂漠が広がり、その砂漠の果てにウラレンシス帝国があった。
 いわば砂漠はダファネア王国とウラレンシス帝国を隔てる大海のようなものだった。ここを越えてゆくのは並大抵の業ではなかった。
 王国では帝国との交易は禁じられていたが、密かな行き来はあった。メル族の隊商はこの砂の大海を乗り越えていくことができた。禁断の南へ向かう隊商は月のない闇夜を選んで根拠地を出発し帰還もまた同じ闇夜に限った。
 拉致された王の血脈もそのようにして商館のリンチの屋敷から連れ出された。計画は闇夜の日から逆算して立案されていた。
 ミアレ姫を乗せた馬車は砂漠に溶け込む灰白色の幌を揺らしながら荒れ野を横切っていった。方角は南方にとっていた。
 幌の下には鉄格子の檻が隠されていた。ミアレ姫の姿はまさに籠の鳥といったところで噛まされていた猿轡は荒れ野のまっただなかに出てから外された。
 監禁されたミアレ姫には一言も口を利かぬ二人の侍女が世話役としてつけられていた。口を利かぬだけでなく、姫を直視もしない。それでいて目の白目のところで姫を凝視しているようだ。これは帝国における貴人の侍女の作法だった。
 すでにミアレ姫は、この策略がメル族長老リンチと帝国の貴公子ヴァロの手になるものであることを知っていた。
 二人はリンチの屋敷で姫の前に姿を現し、悪びれもせずに素性を明かしたうえで不埒な計画を口にした。
「姫さまを帝国へお連れいたしたいと存じまして。手荒な真似はどうかご容赦を……」
 かつての王宮の作法そのままにひざまずいて見せながら、薄笑いを浮かべた長老の上目遣いは不敬千万だった。
「リンチよ、帝国に名だたる部族の長老よ。私を帝国へ連れ去ってどうしようというのです。奴隷に売ろうとでも。あなたはあらゆるものを売り物に変えてしまうのですね」
 ミアレ姫はこの屋敷に連れて来られるとすぐ袋から出され、鉄格子の檻に入れられていた。手には手錠ならぬ指錠がはめられている。
 これはヴァロが工夫して作らせたもので十指を拘束する青銅の輪からできていたが、辛うじて物をつかむことぐらいはできた。ただ、複雑な魔法印を結ぶことなどはできない。リンチとヴァロは姫の魔法についても十二分に調べ上げていたのだ。
 姫の問いに答えたのはヴァロだった。
「とんでもない。姫さまがどうして売り買いの対象になりましょうか。この高貴な血筋の前には貨幣など意味を成さぬ」
 リンチはその答えに反発を覚えたらしく、ひざまずいた姿勢のままヴァロをじろりと横目で見上げた。
「お言葉ながら、いかなる珍奇な宝でも、時が来れば売り買いされ、しかるべき値がつくものでございます。私などはそんな光景を幾度もこの目で見ておりますが」
 ヴァロは蔑むような目で長老の皺の深い額のあたりを見下ろした。
「愚かな。お前はその物を宝だと、どう認識するのだ。他のものよりも大きい、あるいは小さい。他のものよりも量が多い、あるいは少ない。きっとそんなところだろう」
 ヴァロの目がミアレ姫に向けられた。その目はいつもの物憂げな色から燃えるような色に変わっていた。
「そうやって比較することで値打ちが決まるのが、お前の言う『宝』だ。しかし、高貴な血筋はそんなものではない。天上天下に代わる者なく唯一無二の存在は比較衡量などという下賤な心を寄せ付けぬのだ」
 帝国の貴公子の燃えるような目は、ほとんど陶酔するような色を帯びた。
 ヴァロはミアレ姫の美しさに魅せられていたのだ。皇帝陛下への献上品としてはあまりにも美し過ぎるではないか。この美しさは単なる政争の具にはふさわしくない。
 ミアレ姫は我が身に注がれる熱い視線をはねつけるように冷たい目でヴァロを見返した。
「あなたが言うような無二の存在のことは王家の師傅ユーグも同じことを言っていました。ただし、それは人に対して言ったのでなく、精霊と神々のことを言ったのです」
 ミアレ姫はヴァロの高慢な心を見透かしていた。ヴァロは姫の身に流れる王の血脈を称えながら我が身の高貴さをみずから称え陶酔している。
「おお、ミアレ姫よ。私の言ったのも、それと同じことです。我ら高貴な血筋の者は人といっても神々に限りなく近く、神々に等しいと言ってもいい。いや、ある時には神々を凌駕することさえあるでしょう」
「うわべばかり貴人を装っても、我がダファネア王国に対する帝国の野心は明らかです。闇の王の災厄につけ込み、我ら王国の民をことごとく奴隷化して帝国に奉仕させようという下劣かつ汚らわしい欲望。そのどこが高貴なのですか」
 ヴァロは檻の中の可憐な獲物に見入りながら口元に薄笑いを浮かべた。
「高貴な者には高貴な者の幸福が、奴隷には奴隷の幸福というものがあります。ダファネア王国は帝国に膝を屈する運命なのです。それは決して不幸ではないでしょう」
 あまりの怒りに言葉を失ったミアレ姫は頬を紅潮させ唇を震わせた。しかし、ヴァロにはそんな姫の様子すら胸底に沁み入ってくる魅惑と見えたのだった。
 今、囚われの身のミアレ姫を乗せた馬車は緩やかな速度で荒れ野を横断していた。その馬車の周囲は黒装束の騎馬の者たちで固められていたが、その中にはヴァロの姿もあった。
 ヴァロは皇帝の親族であると同時に帝国の軍人だった。凛々しく胸を張った馬上の姿は手綱を握る指先も優雅で、草と石ころばかりの荒んだ風景には似つかわしくなかった。
 長老リンチは先行する馬車の座席に老体を預けていた。齢九十を超えてなお鬱勃たる野心に身を灼いてはいるが、みずから手綱を握って遠く砂漠を越えて行くのはさすがに無理だ。
 目指す先は王国の領土の果て、荒れ野が砂漠へと変わるあたり。
 そこには、かつて帝国の侵攻へ目を光らせていたブルクット族の砦が半ば廃墟と化しつつ、切り立った岩山の上に巨大な落魄の姿をさらしている。
 一行はひとまずそこで砂漠を超える旅の支度を整えてから帝国へとミアレ姫を運ぶ段取りになっていた。夜明けまでにはたどり着けるだろう。計画は万全に整えられていた。
 地平線がわずかに明るみを帯び、夜闇が暁の濃い紫に変わる頃、馬車の一行は砦の城壁の内部へ入った。
 荒れ果てた砦には帝国の兵士たちが指揮官である貴公子の帰りを待っていた。その数は四十人ほど。ヴァロが近衛兵として引き連れてきた者たちだ。
 他に砦を守るのは例の黒の騎士、つまり姫を拉致したならず者たちだが、これが二十名ほど。あとはリンチの下で働く者たちが二十名。
 城壁を入ってすぐの前庭では砂漠を越えるための準備が進められていた。
 この前庭には石畳が敷きつめられていたが、そこかしこの隙間から草が生え、石畳そのものが割れたり砕けたりしているところもあった。砦が放置されていたのは、さして長い年月ではないが、人が寄り付かなくなると時は無情さを増すものだ。
 姫を運ぶための輿が用意され、駱駝が多く繋がれていた。井戸から汲み上げた水は大瓶から革袋へ移し替えられている。部下にこれらの指図をしたのは長老リンチだった。
 ミアレ姫を拉致し帝国へ連れ去るという、あまりにも大胆で野心に満ちた計略はヴァロとリンチ二人の間だけで立案されたものだった。
 ウラレンシス帝国は長きに渡ってダファネア王国への侵略の意図を抱いていた。
 帝国はその支配地の広さだけでもダファネア王国の数百倍はあった。また、帝国の支配する民の数は千倍以上であっただろう。
 地の果ての一小国に過ぎぬダファネア王国が帝国の版図に飲み込まれずに済んでいたのは両国の間に広がる砂漠のせいが大きかったが、王国の民はまた別のことを考えていた。
 王国が独立を保っているのは、この地が精霊の繁き場所であり、王の血脈が精霊の、そして神々の加護を得ているからだというのだ。それが王国の民の信仰というものだった。
 『帝国』とは、世界をある一色に染め上げようとする者のことだ。そこには強大な力の支配がある。それもまた、ひとつの『信仰』と呼んでもいい。
 強大な力は世界をことごとく我が足下にひれ伏させようとする性質を持つ。そこでは精霊のような弱く小さな力は否定され、あるいは無視される。
 しかし、いかに強大な力をもってしても精霊とその信仰を否定し去ることはできない。帝国の強大な『力』と王国へ加護を与える精霊の弱小な『力』とは、言葉の上では同じでも性質の違う力だった。
 帝国の力はいかに強大といえど、数百倍、千倍、などと数えることのできるものに過ぎない。王国が浴する精霊の加護の力は数えることはできない。精霊を数えることなどできないのだ。ましてや神々を数えることなど無理というものだ。
 王の血脈は無理無数の精霊と王国の民とを繋ぐ存在だった。ナビ教はそれを民の目に見える形で、神殿とし、礼拝として表現しようとしたものだ。
 ならば、シャーマンとは。
 シャーマンは王国が懐に抱く部族の民を土地の精霊と聖地とに結びつけてきた。しかし、シャーマンは『弱く小さな王』ではない。シャーマンには、シャーマンの『王国』があるのだ。それは目には見えないが、時に影絵のように浮かび上がる。
「王の血脈よ、美しくも麗しい血脈の姫よ。帝国へ行ったからといって姫が皇帝陛下の配下の者になるわけではありません。王の血脈の名にふさわしい最上の扱いが行われるはずです」
 砦の中の石造りの一室でヴァロはミアレ姫に話しかけていた。壁の高いところにあるあかり取りの窓からはすでに朝日が差し込んで斜めの光線の中には細かな砂塵が舞っている。
 ヴァロは少し後ろに下がって控えているリンチへ、ほんの一瞬、目をくれてから言った。
「この部族の長老などはいずれ皇帝陛下の下僕たるべき者ですが、姫には決してそのようなことはありえません。姫のように高貴なる血脈はみずからそうしようとせぬ限り誰の下にもなることはないのです」
 ミアレ姫はいまだ檻の中に囚われていた。物言わぬ二人の侍女が壁際の暗がりに控えている。
「この檻を見ると、あなたの言葉など信じられません。このような檻はあなたが言ったような貴人への扱いにはふさわしからぬものでしょう」
 ヴァロは軽く会釈をすると、いたって真面目くさった顔で言った。
「ミアレ姫よ、あなたは高貴なる猛獣だ。檻に入れ、手指を縛めておかねばなりません。私はあなたの力を恐れているのですよ」
 鉄格子の間から姫の瞳が蔑むような色を浮かべた。
「あなたは私の力を勘違いしているようですね。私の力はそのようなものではありません。あなたは本当の高貴ということを知らないのです」
 そこへ足をひきずる音とともに入ってきた者がいた。バレルだ。
 バレルは籠に入れた食物と飲み物を持っていた。ミアレ姫のためのものだった。
 当然ながら、こんなことは二人の侍女の役目だったが、バレルは自分が手を貸した陰謀について姫に許しを請う機会を探していたのだ。
 バレルは長老リンチからミアレ姫の側近く見張りをするように命じられていた。
 姫は頑丈な檻に入れられているのだから見張りなどは一兵卒にでもできるが、いまやバレルにはこんなことしか役割がなかった。ヴァロとリンチの計略の中でバレルの出る幕はもうなかったのだ。
 バレルはなんとか帝国へ同行させてもらえることにはなっていた。王の血脈を連れ去る計略に一役買わされてしまった以上、王国に留まっていることなどできはしない。
 それでも、情け深い姫にだけは事情を察してもらい、許してもらいたかった。つくづく身勝手な男というべきだったろう。この自称軍師は。
 姫のところにヴァロとリンチが来ているのを知らなかったバレルはまるで召使いか何かのように二人をはばかって、鷲の刺青の顔をうつむけ、こそこそと壁際の暗がりに身を寄せた。そこには二人の侍女が冷たい目で横を向いていた。
 リンチがバレルを振り向いていらだたしげに言った。
「軍師よ、何をしておるのだ。それは姫さまに召し上がっていただくものだろう。早く、こちらへお持ちせい」
 杖を突いたリンチは床のそこかしこに転がった瓦礫を避けながら檻に近づいてきた。鉄格子のすぐ前に来ると、リンチは杖を脇にたばさみ、籠の中のオレンジを手に取った。
 それを鉄格子の隙間から姫に渡そうとした時、リンチが邪険な態度でバレルの肩をぐいと引いた。
 バレルは、あっと叫んで、その場に倒れた。なんとか籠の中身をぶちまけずに済んだが、バレルは糸の切れた操り人形のように石床の上にうずくまってしまった。
「無礼者め。王の血脈の前では王宮の礼儀に従うのだ。姫さまに物をお捧げする時は片膝ついてひざまずけ。軍師を自称して、それほどのことも知らぬか」
 バレルはしきりに頭を下げながら、言われたとおりのひざまずく姿勢になった。さっきのオレンジは床の上に転がっていたが、籠からもうひとつオレンジを取り出すと、精一杯、うやうやしい態度を作ってミアレ姫へ差し出した。
 鉄格子の隙間から突き出された腕にミアレ姫は目もくれなかった。
「たとえ、どのような礼儀作法に従おうと、私はその者の手からは何も受け取りはしません」
 きっぱりと言い放った姫に、バレルは涙声で、姫さまどうかお許しをと哀れっぽい声を出したが、姫は裏切り者へ蔑みの横目すら与えなかった。
 リンチはバレルの肩を小突いて檻から下がらせた。
「姫さま、仰せの筋もっともにございます。私の配慮が足らず、申し訳ございませぬ」
 ヴァロがバレルから籠を取り上げ、オレンジを取って姫へ差し出した。
「姫さま、私の手からならば受け取っていただけるでしょうね」
 ミアレ姫は目の端に疑いの色をにじませていた。
「そのオレンジ、半分はあなたが食べ、残りの半分は私がいただきましょう」
「なんですって。半分ずつにするのですか。まるで兄妹のような、いや、恋人同士とでも言おうか……いや、なるほどそうか……姫さま、まさか暗殺をお疑いなのですか」
「あなたたちならやりかねません。王国を手に入れるのであれば、王の血脈を亡き者にするのが一番の近道でしょうから」
 四方を囲む石壁にヴァロの笑い声が響き渡った。
「まさか、そのようなことを。私も低く見られたものだ。姫さま、私は醜いものは、ためらいなく殺します。しかし、美しいものは私には心の友だ。それを殺そうと思ったら、ひどい苦痛を覚えるのです」
 ヴァロは腰帯に差した短刀を気取った手つきで取り出すと、器用にオレンジの皮をむき始めた。
「この美しい王国と姫さま。私は二つながら我がものとしたい。いけませんか、この私の野心は」
 ヴァロの言葉にリンチは耳を疑った。ミアレ姫は皇帝への献上品ではなかったのか。これはよく注意をしておかねばならないところだ。
 帝国の貴公子はオレンジの半分を口に運び、若々しい紅色の唇を濡らして果汁を吸った。残りの半分を鉄格子の中へ差し出すと、ミアレ姫はそれを指錠をかけられた手でぎこちなく受け取って食べた。
「姫さまは何も恐れる必要はありません。帝国はいずれ姫さまを歓呼の声をもってお迎えするでしょう。その時には、王国はおろか帝国すら姫さまのものになるかも知れません。そうとなれば何を恐れるのです」
 ミアレ姫は乾ききった荒れ野のただなかで口にするオレンジの味に非現実的なものを感じていた。
「あなたは闇の王を恐れないのですか」
 ふたたび、ヴァロの笑い声が四壁に響き渡った。
「闇の王のことは、そこにいる長老にさんざん聞かされましたよ。私はまだ、占領されたと聞く王都を訪ねてはいませんが、恐れるに足らぬものです。疫病などは」
「疫病ですって。あなたは何か勘違いをされているようですね。王都を奪ったのは疫病などでなく、みずから闇の王と名乗る、ある種の悪霊です」
「姫さまはその悪霊をご覧になったのですか。その可憐な瞳でもって」
「もちろんです。それは巨大な蛇の群れで、我が父であった王の亡骸とその王冠を頭につけているのです」
 ヴァロはリンチを振り返って尋ねた。
「長老も見たと言ったな。巨大な蛇の群れを」
「いかにも。王の血脈の仰せの通りの恐ろしく醜い姿をしておりました」
「お前も見たか、軍師よ」
 バレルは杖を握り、壁際にうずくまっていた。
「はい、確かにこの目で。部族戦争のまっただなかに地中から姿を現したのです」
 ヴァロはもう笑わず、姫も含め、ダファネア王国の民である三人へ憐れむような目を向けた。
「それは、闇の王ではない。ただの蛇の群れに過ぎぬ」
 ミアレ姫は呆れたような声を出した。
「何を言うのです。その蛇の群れ、漆黒の巨大な群れ、それが闇の王ではありませんか。私は王都でその声すら耳にしたのですよ」
 落ち着いた態度でヴァロはうなずいた。
「姫さま、帝国の博学なる学者たちの見解をご紹介しましょう。ダファネア王国を恐れさせ、混乱の極みに陥れている闇の王とは、実体を持たぬ、ある種の『現象』であるというのです……」
 帝国支配者層の間では、『闇の王』とは、ある種の疫病のようなものと見解は一致していた。
 疫病の原因は悪い空気、いわゆる瘴気だ。王都は多数の人間が暮らしていて瘴気が生じやすい。王宮の地下墓地の存在も原因の一つだろう。
「王宮の地下墓地のことなど、なぜ知っているのかとご不審でしょうね。なあに、私たちはダファネア王国のことなら何でも知っていますよ」
 ヴァロは優越感に満ちた薄笑いを浮かべて説明を続けた。
 この『闇の王』と呼ばれる現象は、この瘴気が引き起こしているのだ。
 瘴気が獣に取り憑けば、その脳髄を腐らせ、黒い目の獣と化して暴れまわる。
「地中から狂ったように飛び出してくる蛇の群れも瘴気に取り憑かれたものでしょう。王国のあちこちに出没するという黒い目の野獣もそう。そして、瘴気は動物ばかりか植物にまで影響を及ぼしているようだ。農作物の不作もそのせいです」
 瘴気は動物、植物に取り憑いて感染を広め、王国中に蔓延している。
 帝国では以前から、そうした有害な瘴気に取り憑かれた動物や植物を駆除する薬物が作り出されている。したがって、『闇の王』など恐れる必要はない。
「……というわけです。瘴気を断ち、それを広める動物などを駆除すればいいだけのこと。帝国はダファネア王国を災厄から救うため、いつでも手を差し伸べる用意があるのです」
 ミアレ姫は帝国の見解と称するものに呆然となっていた。
「それは大きな誤解です。瘴気が口を利くというのですか。私はその声を聞きました。いいえ、私だけではありません。師傅のユーグを始め、闇の王の声を聞いた者は他にもいます」
 ヴァロはもっともらしく指を一本立て、ミアレ姫の前で左右に振って見せた。
「それ、それこそが瘴気の効果です。姫さまは瘴気の毒気に当てられたのです。そして、一時的に脳髄に異常をきたした。同行の者たちも同じことです。後になって、そういえば闇の王とやらは、こういうことを言っていたなと話が出ると、皆、それを本当にあったことのように信じ込んでしまう。皆が同じ妄想を抱くようになれば、それは現実と区別がつかなくなるのです」
「馬鹿なことを。現実を見ていないのはあなたの方です。王都へ行って、その目で確かめてごらんなさい。ただの瘴気で王都があれほど破壊されるものかどうか」
 ミアレ姫は拘束された指で鉄格子を握り締め、怒りに瞳を燃え上がらせた。
「それとて恐慌に陥った群衆が暴れ回った結果と推測できます。姫さまはまだ瘴気の影響から脱してはおられぬようだ。王都へ行って確かめろとおっしゃるが、まともな理性を保っている者なら疫病がはびこっていると分かっている土地へなど行くものですか。あの美しい城塞都市はまことに惜しいが、禁忌の地として永久に見捨てるのが賢明でしょう」
 ヴァロは、鉄格子をつかんで青白く変色した華奢な指先に触れようと腕を伸ばした。姫は素早く手を引っ込めた。
 ヴァロは心外だという顔で軽くかぶりを振った。
「よろしい。帝国に行けば、この王国がどれだけ遅れているか、民がどれだけ迷妄の泥沼に陥っているか、姫さまにも分かることでしょう。準備ができしだい数日中にも帝国へ出発する予定です。砂漠の旅はそれほど快適というわけではありません。どうか、それまで十分に休養をお取りください」
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