地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第百四十八章

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第百四十八章

 ミアレ姫をはじめとした旅の一行は難民鉱山で夜明けを待つつもりでいた。コルウスと龍の行方は気になるが、難民たちをゲッティの商館へ連れて行かねばならない。
 しかし、夜はいっこうに明ける気配を見せなかった。巨大な満月は中天高くにかかっていて動きもしない。これはおかしいと一行が不審に思いはじめた時、遠く町の方角から龍の絶叫と恐らくは破壊が始まったらしい轟音が響いてきた。
「あれは優民街の方角か。コルウスはいったい何をやっているのだ。何のつもりでこんなことを」
 ユーグが言うと、カラゲルは吐き捨てるように答えた。
「あいつに目的などありはしない。ただひたすらこの世をめちゃくちゃにしようとしているだけのことだ」
「あの龍を使ってこの地を破壊しようというのか。カナ族の町を滅亡させようと。許せぬ!」
 鉱山は崩壊していたが、その周囲の岩山はまだ視界をさえぎっていた。ただ、夜空に響き渡る轟音だけが雷鳴のように聞こえて、鉱夫たちを怯えさせていた。
「おい、もうこの町を出た方がいいんじゃねえのか」
「といって、どこへ逃げたらいいんだい。闇の王のお次は龍だなんて」
「優民街をやられたらカナ族はおしまいさ」
「ナホ族の町でも歓迎はされないだろうな。畑仕事なんかできやしない」
「となると、あとは荒れ野で野垂れ死にするだけか……」
 旅の一行は優民街へ向かう決心をした。そこには、セレンとレニもいるはずだ。
 ゲッティが自分の馬車を使うように申し出た。
「もし、優民街の様子を見てどうしようもなかったら、その時は商館へ直行してください。できれば、族長とレニにも連絡を取っていただきたい。この期に及んでも、長老ジルコン、それにリンチは何をたくらんでいるか分かりませんから」
 カラゲルが御者になって手綱を握り、一行は全速力で馬車を飛ばした。
 優民街はすでに破壊と狂乱で恐慌状態に陥っていた。
 常民街はまだ無事だと聞いた群衆は二つの町を区切る城壁の門に殺到した。普段、門番を置いて人の行き来を制限している門の間口は狭い。そこへ人が押し寄せたせいで怪我をしたり、圧死する者まで出ていた。
 一行は門の傍らで馬車を捨て、人の流れに逆らって門をくぐった。
 そこからは宮殿の尖塔が見えた。一行は尖塔の頂上が溶けた蝋燭のようになっている異様な光景に目を見張った。
 コルウスと龍がそこに陣取って町を見下ろしていた。さながらそこに龍の巣が出来たかのようだ。尖塔の頭上高くには巨大な満月がかかっていた。
 この月はいったいどの方角に出ているのか、いよいよ見当がつかなくなってきた。巨大な満月の円はいつも龍の背後にかかっているように見えた。龍が月を追っているのか、それとも、月が龍を追っているのか。
 その時、番方交代の鐘の音が聞こえてきた。これはおそらく朝から始まる一番方だろう。すでに夜は明けていなくてはならないが、空はいまだ夜闇に沈んでいた。
 時計が決めた時間は意味を成さず、精霊の王たる龍の時間が町を支配していた。
 カラゲルが尖塔の頂上を指差して叫んだ。
「あの上だ。あそこへ向かおう」
 カラゲルを先頭に、ミアレ姫、ユーグ、そして、クランも走り出した。
 宮殿にたどり着いた一行は尖塔を取り巻く中庭でセレンとレニに出会った。
 中庭にはちらほらとだが黄色いミアレの花が咲いていた。ちょうど、王宮の中庭のように。この宮殿が王宮を模して作られていることは明らかだった。
 一行を迎えたセレンは尖塔の頂上を見上げて言った。
「この塔のてっぺんに龍がいる。ジルコンはその龍に殺されたらしいよ」
 セレンの目に月の光が映っていた。無念そうに唇を引き締めている。
 レニが瞳をうるませて一行を見た。
「リンチが教えてくれたわ。あの人、パパを置いて逃げて来たのよ。そして言ったわ。族長よ、これからはあなたの天下です。老人はこの世を去りましたからって」
 レニの目から涙がこぼれた。胸元には黒水晶の首飾りが光っていた。
「パパはいろいろと悪いことをしていたかも知れないけれど、私には優しかったわ。私はパパが静かに身を引いてくれたらいいと思っていたのよ」
 泣き崩れるレニの肩をセレンが抱いた。
 ユーグがセレンに向かって言った。
「族長よ。ひとまずここからお逃げください。私たちはあの龍を操る男と以前にも剣を交えたことがあります。ここは私たちにお任せください」
 ミアレ姫もレニの肩に手を置いてうなずいた。
「あなたたちは部族の民を町から逃すのです。ゲッティが力になってくれるでしょう」
 鷲の刺青のある目で尖塔を見上げて、カラゲルが言った。
「あいつとは因縁があるのだ。ブルクット族長老セレチェンを殺した男だ」
 セレンも尖塔を見上げて目を険しくした。
「それなら、私たちに共通の仇というわけだ」
 顔を上げたレニがクランの手を握った。
「イーグル・アイよ、私たちの仇を取ってください」
 クランは静かに答えた。
「あの男はそう簡単に殺せる相手ではない。いまや闇の王の分身となっているのだ。それより先に龍をこの町の空から取り除かねばならない。さもなければ龍はこの地が荒れ野に戻るまで暴れ続けるだろう」
 その時、漆黒の夜空をつんざいて龍の絶叫が轟いた。
 見上げると、龍とその背に乗るコルウスとが宙に舞い上がるところだった。満月の円光を背景に龍は黒い胴体をうねりくねらせ、もう一度、絶叫すると黒い炎を吐いた。
 尖塔は黒い炎に包まれ、その天辺から崩壊しはじめた。月光に粉塵はきらめき、一行の頭上に降り注いできた。
 あたりは濃い霧に包まれたようになって、鼻と口を袖で覆った一行は視野をさえぎられ、龍の姿を見失った。
「気をつけろ、どこから来るか分からないぞ!」
 カラゲルは剣を抜き、セレンとレニを守るように立った。ユーグは片手で口元を覆いながら、もう片方の手でミアレ姫をかばうようにしていた。
 クランは濃霧のような粉塵の中を見透かそうと青い目を閉じ、いにしえの言葉を朗唱しつつ、イーグル・アイを働かせていた。
「そこだ!」
 指差した頭上、思いもよらない近くから、ヌッと龍の一つ目が現れた。さながら、満月がすぐ目の当たりまで降下して来たかとのけぞるほどの巨大さだった。
 その首の上には闇の剣を握るコルウスの姿があった。
 慌てて飛び退る一行の脇を龍の胴体が突っ切っていった。黒水晶の鱗は漆黒の闇をたたえていたが、その奥にはいにしえの言葉の欠片が文字となって目まぐるしく明滅していた。
 巨大な龍の低空飛行にあたりの空気は重苦しく震えた。龍は巨体に似合わぬ機敏さで身をひるがえし、急上昇に転じた。
 空中の粉塵はしだいに薄く静まって、再び月光が射し始めた。
 龍は満月に向かってまっすぐに舞い上がったかと思うと、たちまち身を反転させ、鉱山の坑道口を思わせる大顎を開いて黒い炎を吐いた。
 とっさにユーグが展開した魔法障壁はその邪悪なほとばしりを跳ね返したが、すさまじいばかりの法力の重圧にユーグもたじたじとなった。
 大顎が閉じて黒い炎も途切れた。いくら伝説の巨龍とはいえ、無限に力を放つことはできなかろう。
 龍は絶叫して、もう一度、中空へ舞い上がった。あたりには肌を刺す冷気が立ち籠め、濃い硫黄の臭気が鼻を突いた。
 こんな戦闘は初めてのレニはセレンにすがりついたまま気を失いかけていた。セレンも妻をかばうだけで精一杯だ。
 カラゲルにクランも加わって族長夫婦を守る体勢になった。
「クランよ、こいつは剣などでは追い払えない相手だぞ」
 クランは絶え間なくいしにえの言葉を朗唱し続けていた。黒水晶の龍に呼びかけていたのではない。胸の鏡に手を当て、加護を得ているはずの琥珀の龍、翡翠の龍、石英の龍に呼びかけていたのだ。
 老シャーマンは時を待てと言ったが、黒水晶の龍と対峙している今こそ、その時ではないのか。シャーマンの鏡には一筋の光も射す気配がなかった。
 空中で龍の大顎が開いた。その頭の陰からコルウスの笑い顔が不敵にのぞいている。
 その時、ミアレ姫の声が凛として響き渡った。
「コルウスよ、お前はどこを見ている。ダファネア王国は我が一身にあり!」
 王の血脈たるミアレ姫は腰に差した細身の剣を抜いて闇の道化へまっすぐに突きつけた。
 コルウスは口元の笑みをいっそう邪悪にひきつらせると、闇の剣を握り締め、龍の頭をミアレ姫へ向け直した。
「姫さま、お逃げください!」
 ミアレ姫へ駆け寄ろうとしたユーグは衝撃を受けて後ろ向きに弾き飛ばされた。よろめいたユーグはカラゲルとクランに抱き起こされた。そこには、うずくまっているセレンとレニもいた。
「下がっておれ! 今は王の時だ!」
 ミアレ姫は剣を握る手とは反対の手に魔法印を結んでいた。ユーグは周囲に力強い魔法障壁の存在を感じた。
 次の瞬間、龍の絶叫が轟いて黒い炎が王の血脈に向かって放たれた。
 とっさに魔法印を結び直したミアレ姫は黒いほとばしりに対抗して巨大な火球を放った。
 空中で正面衝突した二つの炎は、せめぎ合い、打ち消し合い、さながら争う二頭の獣のように、爪と爪、牙と牙とで互いの身をむさぼり食うようだった。
 これらのことは心臓が二つ鼓動するほどの間のことに過ぎない。
 龍が息を継ごうとして大顎を閉じた時、ミアレ姫はすかさず第二の火球を放った。力を溜めずに放った火球は最初のものよりも小さかったが、それでも龍の頭はすっぽりと火炎に包まれた。
 コルウスの全身が炎に包まれた。龍の絶叫とは違う、うろたえきったわめき声が火の中から聞こえてきた。
 いつもの手でコルウスは鴉に化身して飛び立った。龍に突き立てられていた闇の剣もそのまま消滅した。
 クランは一行とともに魔法障壁の中で成り行きを見つめていたが、天頂にオローの存在を感じて呼び声を上げた。
「フーウィーッ!」
 翼をすぼめてまっしぐらに降下したオローはすれ違いざま空中で鴉のコルウスに鋭いくちばしを突き立てた。コルウスは失速し、引き裂かれた羽毛を宙にまき散らしながら必死に左右の翼を振り乱した。
 オローは空中に大きな横向きの8の字を描いて飛び、もう一度、コルウスに迫って、今度は鉤爪で攻撃した。
 完全に失速状態に陥ったコルウスは鴉の化身も解けて、鳥の声とも人の声ともつかぬ絶叫とともに真っ逆さまに落下してきた。
 すでに魔法障壁から出ていたカラゲルたちは夜空を見上げ、コルウスが地面に叩きつけられるのを待ち構えていた。
 その時、足元が大きく揺れたかと思うと、地中から巨大な腕が伸びてコルウスの身体をわしづかみにした。闇の王だ。
「龍に手を出すなと言ったぞ! 眠らせておけと!」
 闇の王の怒りの声があたりの空気を震わせ、コルウスは地の底へ引きずり込まれていった。
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