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第百四十二章

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第百四十二章

 ひとり坑道から逃げ出したコルウスは、いったん常民街へ向かい、その片隅に身を潜めた。
 龍の力に引き寄せられるように王の血脈も、イーグル・アイも、それに長老ジルコンまで集まってきた。ここで、ぼんやりと見物を決め込んでいるわけにはいかない。
「うっかり聖地を掘り出しちまったってわけか。せっかく地の底で忘れられていたってのによ。しかし、これはいずれそうなる運命だったに違いねえ。なあ、闇の旦那よ、あんたも薄々察しがついていたんだろう。黒水晶の龍が掘り出された時からよ……」
 コルウスが潜んでいたのは薄汚い宿屋の屋根裏部屋だった。天窓の向こうに瞬きもせぬ星が光っていた。
「しかし、俺はそんな運命になんぞ従いはしねえぜ。流れのままに身を任せていたら道端のドブ川で朽ち果てるのがオチだ。徹底的にひっかき回してやろう。運命って奴に一矢報いてやるのさ」
 コルウスは天井に吹き矢を向け、フッと息を吹き込んだ。毒矢は煤けた梁に突き刺さり、そこに巣を張っていた蜘蛛が毒気を浴びて床に落ちた。
「闇の旦那よ、俺を見損なっちゃいけねえぜ。ちっぽけな傷が大怪我になるってこともあるさ……」
 二、三日してコルウスは暗い巣から這い出し密かに囚人鉱山へ戻った。
 真夜中過ぎ、三番方が始まって少し経った頃だ。
 他の警備兵に顔を見られぬように坑道の暗がりをたどっていく。コルウスは坑道のあらゆる分岐はもちろん、警備兵の配置や歩く道筋など、当然のように知り尽くしていた。
 コルウスはめったに警備兵の巡回がない踊り場を知っていた。傾斜が急になるので梯子で下りるようになっていて、かなりの広さがあった。坑道の上へは滑車ともっこを使って鉱石を上げる仕掛けだ。
 コルウスはあたりで作業をしている鉱夫たちをそこへ集めた。仕事をサボる口実があれば大歓迎の者たちだ。
 手始めに集めたのは五十人ほどだった。この連中を扇動し、それをきっかけに暴動へ持っていこうというつもりだ。ツボさえ心得ていれば一突きで鉱山は大崩れを起こす。日頃の難民鉱夫たちの状況からコルウスはそう確信していた。
 このあたりは難民鉱山でも小規模な落盤がしょっちゅうあって危険極まりなかった。警備兵も近寄るのを怖がるような場所だ。
 こういうところへ送り込まれているのはよその坑道で問題を起こしたりして警備兵ににらまれている連中だ。難民には違いないが街道のならず者やかつての囚人鉱夫にも近いわけで、つまるところコルウスにはなじみのある人種だ。
 コルウスは梯子の上から身軽に飛んで滑車から下がった鎖に飛び移った。手首と足先に鎖を巻き付け、こうして高いところから鉱夫たちを扇動してやろうというつもりだ。
「おい、お前たち。長老ジルコンが何をやらかそうとしているか知っているか。あの爺さんはお前ら鉱夫が掘り出した黒水晶の龍を目覚めさせ、それを使って王国を自分のものにしようとしているぞ」
 上から見ると鉱夫の群れは泥水の泡立つ沼のようだった。着ている服はもちろん、顔も手も足も汚れて、男と女の区別も若いのと年寄りの見分けもつかなかった。
 鉱夫たちは龍の話を聞いても、ざわざわと坑道を吹き過ぎる風のような音をさせるばかりで怒りも喜びもしなかった。
 コルウスは大声を張り上げた。
「もし、そんなことになったらどうする。お前たちの古巣の王都だってあいつらの好きなようにされちまうんだぜ。そうなりゃ、お前たちは永久に奴隷としてこき使われることになるんだ」
 鎖を握っていない方の手を突き上げてコルウスはもう一吠えしてみせた。
「お前たち、そんなことを許していいのか。下手するとジルコンは闇の旦那……いや闇の王よりタチが悪いんじゃねえのか。王国をいいようにされて黙っているつもりか」
 やっと鉱夫の一人が声を出した。
「だからって俺たちに何ができるって言うんだ。この間、騒ぎを起こした連中はどこかへ連れて行かれて帰って来ない。噂じゃ、みんな殺されてしまったと聞くぞ」
 別の一人も疲れたような声で言った。
「俺たちは飯さえ十分に食わしてもらえりゃ、王国がどうなろうと構わんさ。もう王都はなくなっちまったんだ」
「王都がなくっちゃ、姫さま一人だけ生き残っていたって、王の血脈も危ないもんだ。そうとなれば王国もなくなっちまう。あとは我が身一人で生きていくだけのこと、荒れ野の獣と同じさ」
 鉱夫の群れの間にどよめきが起こり、その中から甲高い女の声が上がった。
「そうとも、騒ぎなんか腹が減るだけじゃないの。それに、あんたはいったい何だい。鉱山の衛兵のくせにそんなこと言って。おかしいじゃないか」
 どよめきは一気に高まった。コルウスは苦い顔になり鎖を握り直した。
「たしかに俺はこんな制服着せられているけどよ、元は街道のならず者さ。お前らとたいして変わりゃしねえ。俺はお前らがカナ族の連中にこき使われているのが見ていられねえんだ」
 鉱夫の中でやや年配で顔中髭だらけの男が大声を張り上げた。
「ならず者だと。お前のような者と私たちを一緒にするな。私たちはみな王都の城壁の中でまっとうな暮らしをしていたんだ。かく言う私だって王都じゃ立派な商人だったんだぞ」
 もっともらしく顎髭をしごいて見せる男にさっきの女が肘鉄を食らわせた。
「商人だって。ごたいそうな。あんたは道端の蓆の上で小商いしていただけじゃないか。城壁のすぐ下でさ」
 男は苦笑いして頭をかき、あたりからは笑い声が上がった。
 王都の災厄は王宮、すなわち王都の中心部で始まった。したがって周辺の外郭地域や城壁付近にいた者たちが多く助かり逃げ延びたのだ。ここにいる連中もそうした類の者たちだった。
 コルウスは眼下の鉱夫たちを見回し、いくらかはおもねるような調子を添えて言った。
「いや、そりゃあ俺と違って、お前らはれっきとした王都の民だろうさ。だけど、今じゃ、みんな地の底で這いずり回っているんだ。似たりよったりじゃねえか。龍は目覚めようとしている。今、立ち上がらなくってどうするんだ。思い切って暴動を起こして龍を俺たちのものにするってのはどうだ」
 あたりからどよめきと共に嘲るような笑い声が湧き上がった。髭面の男が言った。
「龍が食えるんなら、それもいいがな」
「たしかにね。あたしは羊肉のシチューの方がいいけど」
 女の言葉に、ドッと笑い声が上がった。
 コルウスは鎖を握り締め、髪に隠れていない片目を険しくして鉱夫どもを眺めまわした。ちくしょう、俺を笑い者にしようってのか。
 コルウスはここが囚人鉱山だった頃のことを思い出していた。
 あの頃、鉱山にいたのは揃いも揃って極め付きの悪人ばかり。ロクでもない人生を送ってきて我とこの世を呪っているような輩ばかりだった。
 連中は暴動に誘うとすぐに乗ってきて、死にもの狂いで大暴れした。しかし、ここにいる奴らはそんな連中とは違う。
 こいつらはあの災厄の前までは王都の表通りで大手を振って暮らしていたんだ。こいつらは俺みたいな後ろ暗いところなんかありゃあしないんだ。
 コルウスは身内にジリジリと焼け付くような怒りを覚えた。鼻の奥あたりから血の味が喉の方へ下ってくるようだ。
 身体をひとひねりすると、コルウスはぶら下がっていた鎖ごとぐるぐると回り始めた。
「おい、お前ら、これを見ろ!」
 コルウスは髪をかき上げ暗い眼窩にたたえられた闇を難民鉱夫たちへ見せつけた。
 見上げるその目にたちまち恐怖と絶望と狂気とが影を落とした。
 頭上で回転するコルウスの姿は鉱夫たちの目にはすでに人とは見えず、垂れ下がる鎖にからみつく巨大な蛇として見えていた。
 蛇の真っ暗な口が開いたかと思うと、その牙が、さっきの髭面の男の頭へ食らいついた。
 男は悲鳴を上げる間もなく首をもぎ取られ、その首は鮮血を噴き出しながら岩壁に叩きつけられた。
 鉱夫たちはいっぺんに恐慌状態に陥り、悲鳴や叫び声を上げて右往左往し、お互いにぶつかり合ったり、つかみ合ったりしはじめた。濁った沼のようだった群れが今は沸騰する溶岩のように変わった。
 その頭上でコルウスは鉱夫どもを眺めて薄笑いを浮かべていた。
 手には血のしたたる剣を握っている。難民たちが蛇の牙だと見たのは、この闇をまとった剣だった。
「最初っからこうすりゃあよかったんだ。なまじっか同類の人間扱いしたのがいけねえや。こんな奴らは闇の道化たる俺にとっちゃあ、使い捨ての駒さ……なあ、そうじゃねえか、闇の旦那よ……」
 コルウスは誰へともなく、フフンと鼻先で笑って見せた。
「どうしたよ、闇の旦那。やけに鳴りを潜めてやがるな。あの龍ってのはよほどの訳ありらしいや。こいつは面白くなってきやがった」
 コルウスが獣じみた吠え声で狂った鉱夫の群れへ命じると、群れは右へ左へと言われるままに突進して、その思いのままとなった。
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