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第百三十六章

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第百三十六章

 カナ族の族長夫婦は王の血脈の一行に対面した。ミアレ姫には王宮における最上の作法をもって挨拶し、師傅のユーグにもそれに準ずる作法をもってした。王家の二人はそれに対して正しく作法をもって返した。
 長老ジルコンがいかに権勢をほしいままにしていようと、部族の主は族長セレンとその妻レニであると正式な作法で示したのだ。たとえ立ち会う者が限られているこのような場所であろうと、王の血脈の振る舞いには意味があった。
 世はその習いとして、刻々混沌へ堕ちていく。そこへかりそめとは言え、ある秩序を生み出す。それが王の振る舞いというものだった。ユーグが師傅として姫に教えたことで最も大事なのはこのことだった。いや、このことさえ身につけてもらえばあとは枝葉末節でしかないのだ。
 セレンとレニは稲妻の刺青のあるブルクット族族長の息子へもしかるべき敬意を払った。カラゲルはまだ子供の頃に母から教わった作法でそれに返した。ずいぶん昔に覚えたきりの身振りが自然に出たのは不思議だった。
 思えば、このような仰々しい礼法を交わしたのは旅の一行にとって初めてのことだった。この地には彼らをそうさせる不穏な何かがあったのだろう。
 セレンとレニはイーグル・アイに接する作法を知らなかった。もとよりそんなものは存在していなかった。二人はクランが差し出した手を握っただけだった。ただし、レニは手を握るとともに床に膝をついた。そうせずにいられない何かを感じたからだった。
 ゲッティは旅の一行が滞在している屋敷の一番奥の間に夕食の卓をしつらえた。配膳も番頭とその女房だけが当たることにした。
 セレンとレニは町や鉱山はもちろん街道にまで密偵を配置していたが、逆にジルコン、またはバレルの密偵もどこに潜んでいるか分からなかった。
 ユーグは族長夫婦の話を聞いて、かつての王宮での陰謀術数渦巻く様子を思い出し苦い顔になった。
「族長を差し置いて長老が専横な振る舞いに及ぶのはままあることですが、それにしても度が過ぎている」
 カラゲルは龍の舌をちびちび舐めながら顔を赤くしていた。
「部族戦争を仕掛けてみたり鉱山で難民を搾り上げたり、他にもあれこれと陰謀をめぐらして、しまいには龍を我が物にしようだと。年寄りのくせに血の気の多い男だ。闇の王の騒ぎもジルコンの野望には好都合というわけだろう」
 ミアレ姫はカラゲルのあけすけな口ぶりにかぶりを振った。
「カラゲル、言葉に気をつけてください。レニは長老ジルコン様の娘でいらっしゃるんですから」
「別に気にしなくていいわ。私も父がどうしてあんなに力や富を持ちたがるのか分からないんだもの。もう十分過ぎるくらい持っているはずでしょ」
 レニはカラゲルの半ば空いた杯へ酒を注いでやった。手で、グッとやれという仕草をして見せる。龍の舌はちびちびやるものではない。一息にあおるのがこの地の流儀というものだった。
 カラゲルは強がって見せながら席を立ち、肘を張った手つきで酒杯を一気に傾けた。
 とたんに盛大にむせて咳き込むカラゲルに卓を囲む者たちから笑い声が上がった。
 姫はカラゲルの背中をさすってやりながら、レニに言った。
「この人にあまり飲ませないでください。弱いくせにカッコばっかりつけたがるんだから」
 姫の言葉にセレンは笑った。
「喧嘩は強いが、酒は弱いってことか。鉱山では鉱夫を助けて大立ち回りを演じたらしいね」
 そのことはすでに警備隊長から話を聞いていた。セレンは自分と同じ族長の息子でありながら、正反対の生き方をしているカラゲルに感心していた。
 クランは姫と反対側のカラゲルの隣に座っていた。むせているカラゲルを横目で眺めながら木椀の発酵酒を口に運び、その肩をドンと力いっぱい叩いた。
「さっきまで顔を赤くしていたが、今は青い顔をしているではないか。お前はそのくらいでいい。なにせ、お前の血の気が多すぎて龍を見損なったのだからな」
 セレンがクランに言った。
「イーグル・アイよ。難民鉱山の龍、どうしても見たいですか」
 クランは深くうなずいた。
「見たい。いや、見るだけでなく、その場へ行ってみる必要がありそうだ」
 いつになく前のめりな態度のクランにユーグは驚いた。
「クラン、何か差し迫ったことが起こっているのか」
「そうではない。そうではないが……」
 青い瞳にじわりとにじむ翳りが見えた。
 族長セレンはうなずいた。
「私とレニでイーグル・アイを龍の大空洞へお連れしましょう」
 ユーグは危ぶむ様子だった。
「ジルコンに見つかるとまずいのでは」
 セレンは快活に笑った。
「大丈夫、みんなで賑やかに乗り込みましょう」
 族長の言葉に卓のまわりの者たちは唖然となった。ただひとり、レニだけは手を叩いて小鳥のような笑い声を上げていた。
 
 次の日の夜、豪勢に飾り立てた馬車が二十台以上も難民鉱山へ繰り込んできた。何とも場違いな馬車の行列に鉱夫たちは呆気にとられるばかりだった。
 窓から見える乗客たちも目を疑うばかりだった。色とりどりのきらびやかな衣装に身を包み顔には目元を隠す仮面をつけている。
 馬車隊は監督官宿舎の前庭に乗りつけた。先頭の馬車の屋根から数人の男女が飛び降りると、いきなり太鼓を鳴らして踊り始めた。
 監督官は荒々しいかけ声と腹に響くような太鼓の轟きを聞きつけて宿舎から飛び出してきた。
「これはいったい何の騒ぎだ。私は何も聞いていないぞ。警備兵はどうした」
 先頭の馬車から揃いの白の長衣を着た四人が降りてきた。続いて、ひときわ豪華に装った男が姿を現し、後に続く女の手を取って馬車から降ろした。もちろん、皆、仮面をつけている。
 監督官がそちらへ駆け寄ると豪華な衣装の男は優雅な手つきで、あっちへ行けという身振りをした。監督官はカッとなって大声を張り上げた。
「何のつもりだ。ここは鉱山だぞ。長老ジルコン様の鉱山だ」
 男は仮面の奥から監督官を眺めた。
「君はなんだい」
「なんだいだと。私はこの鉱山の監督官だ。ジルコン様からここを任されているのだ」
 後続の馬車からも次々に乗客が降りてきた。誰も彼も夜目にもまばゆい金糸銀糸で彩った衣装をまとっている。ざっと百人ほどもいるだろうか。
「そうかい、君も今夜の夜会に加わるといい」
「夜会だと、何を馬鹿なことを」
 いきり立つ監督官へ男は仮面を取って見せた。
 監督官は、あっと驚く顔になった。間近に見るのは初めてだが、目の前の男は確かに族長セレンだ。横にいる女も仮面を取って正体を明かした。こちらも部族の民にはおなじみのレニ。監督官が仕えるジルコンの娘だ。
 監督官は思わず後ずさり、口元にあいまいな薄笑いを浮かべて繰り返し会釈した。
「これはこれは、おみそれいたしました。それにしてもこんなところで夜会とは」
「龍をこの目で見たくてね。面白そうじゃないか」
 レニはセレンの腕にしがみついて笑った。
「黒水晶でできている龍なんてすごいわ。パパがくれた首飾りなんか目じゃないわね」
 レニが言うパパとはもちろん長老ジルコンのことだ。
 監督官はレニの胸元に揺れる黒水晶のついた首飾りに目を見張った。こんな大きな結晶のついたものは監督官の一生分の賃金を合わせても買えはしない。
 監督官は戸惑い気味に尋ねた。
「龍ですと。まさか、龍の大空洞へおいでになるおつもりでは」
「そのおつもりさ」
「しかし、ジルコン様の許可がありませんと……」
 セレンは監督官の肩を軽く叩いて笑った。
「なあに、あの老人は僕らのことについては何でも自由にやらせてくれるんだ。なにしろレニをやたら可愛がっているんでね。そうそう文句を言われることもあるまいよ。じゃ、行こうか、レニ」
 セレンとレニは手を取り合い坑道へ向かった。同じ馬車に乗ってきた四人が後に続いた。言うまでもなく、これは仮面をかぶったミアレ姫以下の旅の一行だ。
 置き去りにされた監督官は困った顔であたりをキョロキョロ見回していたが、追いすがるように大声で叫んだ。
「およしになった方がよろしいかと。きっと道に迷います。危ないですよ」
 セレンは後ろを振り返って手を振った。
「大丈夫さ。ほら、警備隊長が来た。あの男は頼りになるんだ」
 馬に乗った警備隊長が駆けつけて、きらびやかな衣装の行列を先導した。他にも何名か警備兵がやって来た。この者たちも以前からセレンの密偵を勤めていたのだった。
 呆気にとられたまま行列を見送った監督官は、最近は訳の分からない客が多いなとつぶやいて宿舎へ戻って行った。
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