地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第百二十九章

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第百二十九章

 荷馬車隊は町の周囲に点在する貧民窟を横目に常民街の側からカナ族の町へ入った。夕暮れ時、立ち並ぶ石造りの建物は赤光と濃い影とにくっきり塗り分けられていた。
 隊商が集う商館は常民街の外れにあった。ここでは街道の商館同様に多くの者が働いていて、そのほとんどがゲッティに雇われていた。
 幌を切り裂かれた荷馬車隊が入っていくと、荷役の者たちが心配げな顔で駆け寄って来た。荷はあらかた無事だったが、一台は車輪が傾いてしまったのを応急処置でなんとか走らせてきた。
 荷役の長らしき男が御者台のゲッティへ声をかけた。ゲッティは額の傷に包帯を巻いていた。
「どうしたんです、ゲッティさん。その怪我は」
「私は大丈夫だ。街道のならず者の襲撃を受けたのだ。御者と騎士をやられた。荷台に死体を積んで来たから家族に伝えてやってくれないか。それに斬りつけられて大怪我をしているのが一人……いや二人か。手当をしてやらねば」
 荷台をのぞき込んだ男は見慣れぬ二人の便乗者が怪我人を介抱しているのを見た。怪我人二人のうち一人はよく知った御者だが、もう一人はならず者の仲間のようだ。
「ゲッティさん、ならず者を拾ってきたんですか。そんな野郎、道端にでも捨ててくればよかったんだ」
 ならず者は肩口からの血で上着をびっしょり濡らしていた。顔は泥まみれで泡を噴いた口元で何か言おうとしたが、声を出す気力もないらしい。
 ゲッティは荷役の長へ言った。
「たとえ、闇の王が跋扈するような世の中であっても、この土地は荒れ野ではない。街道が通う王国の一部なのだ。まだ息のあるものをむざむざと獣に食わせるわけにいかないだろう」
「そりゃあ、そうですがね。こんな輩は親切にしてやったからって恩に着るわけでもない。元気になったら、また街道のならず者に戻るだけです。そして、また荷馬車を襲うんです」
 荷役の長はならず者をにらみつけてから振り向き、早く医者を呼べと怒鳴った。
 ゲッティの屋敷は商館に隣接した場所にあった。屋敷と言っても一階は事業を取り仕切る作業場になっていて、そこには多くの使用人が働いていた。
 ゲッティはこの常民街の屋敷と別に優民街にも一軒ずつ屋敷を構えていた。
 そもそもゲッティは常民街の貧民から身を起こして、カナ族きっての豪商にまで成り上がった男だ。
 その出自のせいで生まれながらの優民には軽んじられることが多くあった。優民街に見た目ばかりは豪勢な屋敷を構えたのは優民街の住人として対等に扱ってもらうため、また、いまや彼らを上回る富を手にしていることを誇示するためでもあった。
 いずれにせよ、ゲッティはほとんどの時間をこの商館に隣接する常民街の屋敷で過ごしていた。
 石段を上がったところにある玄関の扉は大きく左右に開かれていた。事務所で働いている者たちが騒ぎを聞きつけて出てきていた。
「お帰りなさいませ、旦那さま。災難でございましたな」
 迎えて出た屋敷の番頭は街道の砂と泥にまみれ、衣服にも破れが目立つ主人の姿に顔をしかめた。
 白髪交じりの番頭は長くゲッティに仕えてきて経験豊富な男だった。屋敷のあれこれはもちろんのこと、商売のこともゲッティの良き助言者だった。
「うむ、ただのならず者ではなかったのでな。何人かやられてしまった」
「ただのならず者ではないと申しますと」
「いや、そのことは後で話そう。客人をお連れした。二階へご案内してくれ」
 番頭は風変わりな客人たちに愛想よく会釈した。豪商の屋敷を取り仕切っているわりには堅苦しいところもなく、至って気のいい男と見えた。
 番頭は白の騎士の装束をした二人へ声をかけた。
「だいぶ返り血を浴びましたな。お怪我はありませんか」
 カラゲルは泥まみれの顔を左右に振った。
「大丈夫だ。ただ、少しばかり暴れたから腹が減った」
「すぐにお食事の用意をいたしましょう。シャーマンもご無事でしょうな」
 なにげない番頭の言葉にクランはもちろん、旅の一行はみな驚きの顔になった。
「どうして、私をシャーマンと分かった」
 番頭はクランへ穏やかな笑みを見せた。
「その襟元にのぞいているビーズのついた紐。そんなのはそんじょそこらにある品じゃありませんよ」
 クランは装束は変えても、シャーマンの鏡だけは上着の内側に隠して首から提げていた。何があっても、これだけは肌身離さずにおくのがシャーマンの習いだった。
 番頭は言った。
「私は若い頃、隊商に加わって王国くまなく旅をしました。草原で野営をしていると、どこからともなく風のようにブンド族とシャーマンが現れて夜通し歌ったり踊ったり、あの頃はほんとうに……」
 ゲッティが咳払いをして番頭の言葉をさえぎった。
「早く、客人をご案内しないか。話が長いのはお前の悪い癖だ」
 あたりにいた使用人たちが笑い声を上げた。苦笑いした番頭は、さあどうぞと旅の一行を階上へ導いた。
 ゲッティは二階へ向かう一行へ、後でお部屋へうかがいますと声をかけて自分の執務室へ入った。死んだ者の家族への世話など、片付けなくてはならないことがゲッティには多くあった。
 番頭は二階の廊下の奥、客用の一番いい部屋へ一行を案内した。そこは続き部屋になっていて、奥は姫とクランのための別室にすることができた。
 四人は街道の砂ぼこりを落とすと揃いの絹の装束に着替えた。一行の荷物は手まわしよく馬車からこの部屋へ運び込まれていた。
 これはスナ族の島で工人ミケルから贈られたもので、歩けば優雅に裾がなびく長衣にゆったりしたズボンの組み合わせだった。足元には番頭の配慮で底の薄いサンダルが用意された。
「長靴はこちらでお預かりして修理をしておきましょう。革加工の技術は我が部族の自慢ですからな。もし、馬具の手入れが必要なら、それもお申し付けください」
 至れり尽くせりの番頭に加え、その女房まで女たちの用をするためにやって来た。
 口に出しては言わないが、番頭にはこの四人がただ者でないと分かっていた。
 ゲッティの屋敷には普段からありとあらゆる者たちが出入りしていた。風変わりな客人を連れ帰るのはしょっちゅうのことだ。どこに商売のネタが転がっているか分からないからというのだが、この一行はそんな類の人たちではないだろう。
 一行は屋敷の一階にある食堂へ降りていった。
 そこはゲッティが使用人たちと一緒に食事をするための大食堂だった。ざっと五十人ほどの男女が集まって一行が降りてくるのを待っていた。ちょうど晩飯の時間になっていた。
 ゲッティは宿駅の酒場にあるような長い卓に一行を迎えて言った。
「騒々しいのがお嫌なら、別の場所へご案内しますが」
「いや、ここがいい。部族の民が俺たちを歓迎してくれるのなら」
 カラゲルが言うと、あたりの者たちが一斉に木椀を卓に叩きつけて歓迎の意を示した。彼らは一行の素性を知らされていなかったが、仕事柄、客を迎えるのに慣れていた。余計な詮索もせぬように心得ていた。
 逞しい腕をした荷役の男が立ってきて、カラゲルへ木椀を取らせ酒を注いだ。
 カラゲルは久し振りの酒だと一息にあおって、たちまちむせた。
「何だこれは、えらく強いな。腹の底に火がついたようだ」
 あたりから笑い声が起こった。ゲッティはカラゲルの背中をさすってやりながら言った。
「これは王国の南にだけ生えるアガベから作る蒸留酒です。我々は『龍の舌』と呼んでいます」
「龍の舌だと。旅をしていると蠍だの龍だのと物騒でしょうがないな。羊の乳の酒が懐かしい」
 近くの卓から女が木椀をかかげて見せた。
「それならあるよ。ほらこれさ。発酵酒だろ。だけど、このあたりじゃ、発酵酒は女の飲むもんだよ」
 女がミアレ姫へ木椀を差し出すと、姫は顔を左右に振った。
「いいえ、私は龍の舌をいただきましょう」
 ワッと歓声が上がった。荷役の男が木椀へなみなみと蒸留酒を注いで渡すと、姫はそれを一息に飲み干し、木椀を逆さにして卓に叩きつけた。
 また、ドッとばかりに歓声が上がり、歌が始まった。
 その歌は男と女のことを歌うきわどい歌詞のものだった。どうやら、みんなはカラゲルと姫を恋人同士か何かだと思ったらしい。
 歌がやや卑猥なところへさしかかると、ユーグはハラハラした顔になって姫を見ていた。姫の方は口に手を当てて大笑いしている。
 クランもカラゲルの背中を叩いて笑った。同族の二人は慣れた発酵酒を思う存分にあおり、カナ族は思ったより陽気な連中らしいと知った。
 陰鬱な街道筋を旅してきた一行は、ゲッティのはからいでようやく晴れやかな気持ちになったのだった。
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