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第百二十三章
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第百二十三章
次の日の午後、宮殿の族長の間ではジルコンとリンチが額を突き合わせて話し込んでいた。昨日までは、いや、龍を目にするまでは冷めた態度だったメル族長老リンチが今は一変して目をギラつかせていた。
龍には絶大な利用価値がありそうだ。その力を我が物と出来たなら。
ジルコンが戸惑うほどにリンチは熱を込めて話していた。すでに王国簒奪、王国転覆の野心は二人があからさまに共有するものとなりつつあった。
ただし二人の心が一つかと言えばそうではなかった。野心家は手を結ぶことはあっても心までは一つにすることはない。彼らは孤独を好むのだ。
「しかし、リンチ殿がおっしゃる龍を操る技術。これは容易に手に入るものではありますまい。それなくしては、あの龍が闇の王のように災厄と化すこともありましょう」
カナ族長老の言葉にリンチはうなずいた。
「いかにも。されど、ご承知のように我がメル族は帝国との繋がりも多く、特に軍事に関わる方々との関係は深いのでございます。その筋は私にお任せくださいませ」
「帝国がそんな重大な技術を簡単に与えてくれるものでしょうか。大きな代償を支払わねばならぬことになりませぬか」
「もしそうだとしても、それだけの値打ちはございましょう。そうではありませぬか」
ジルコンはまだ危ぶむような顔つきでいた。
メル族の隊商を操るリンチにとってウラレンシス帝国は取引可能な相手という認識だろうが、ジルコンにはそうは思えなかった。
複数の部族が王国の名の下に集うのはなぜか。英雄ダファネアの名、そして、ナビ教の名こそ王国の王国たる所以だが、現実的なことを言えば帝国の侵略に対抗するためということがある。
それなのに一部の部族が帝国と手を結んでしまえばどうなるか。
ダファネア王国はそれを端緒に帝国に呑み込まれてしまうのではないか。それでは元も子もない。王権への野望どころか王国を失うこととなり、カナ族の名は永遠に裏切り者の汚名を背負うこととなるだろう。
しかし、ここは決断の時でもある。ジルコンはリンチの言い分の方へ傾いていきつつあった。
その時、侍従がジルコンへ来客を告げた。
「ジルコン様、軍師バレル様がお目通り願いたいと。なにやら、むさい者どもを引き連れていらっしゃいますが」
顔をしかめたジルコンは無言のまま手を振って通せと合図した。
いったん扉を閉じていた侍従は扉の向こうをのぞき込み、バレルに向かって、お通りをと手で合図した。その態度にはどことなくバレルを侮る風があった。
「ジルコン様、シャーマンを連れて参りました」
バレルはシャーマンとブンド族の一行を連れていた。武装したバレルの部下三人が彼らを取り囲んでいる。
ジルコンはシャーマンとブンド族たちを見下しきった横目で見た。
「ずいぶんかかったな。お前はすぐにでも連れて来れるような口ぶりであったが。ああ、そこから中へは入れるな」
ジルコンは扉の敷居際にシャーマンたちを立たせたままにさせた。バレルだけが広間へ入ってきて、二人の長老へうやうやしく頭を下げた。
「我が手の者を差し向けましたところ馬屋の主人がこの者たちを追い払った後でして、おかげで町中くまなく探す羽目になり……申し訳ございません……」
「我が部族の土地でこの者たちは何をしていたのだ。この地にシャーマンを必要とする者などおらぬはず」
「目的は定かではありませんが、見つけた時には難民鉱山の宿舎の軒下に宿っておりました」
「なに、難民鉱山だと……」
ジルコンは改めてシャーマンに目を向けた。
シャーマンは老いていた。いくつくらいと年齢の見当をつけることもできぬほどに。
全身を覆うビーズの飾り。長い髪にも獣骨や牙をつけている。その髪の間から黒い瞳がじっと、カナ族長老ジルコンを見つめていた。
ジルコンは知らなかった。
この者こそかつて荒れ野を彷徨うミアレ王妃とシュメル王子の居場所を探り当てた者。そして、セレチェンの死せる魂を呼び寄せてクランの剣へ導き入れた者であった。
だが、それと知らぬジルコンも無駄に老いてはいなかった。このシャーマンが並々ならぬものを持っているらしいことは、ある種の恐れとともに感じ取れた。ビーズの飾り房の隙間からのぞくシャーマンの鏡の輝きにもただならぬものがあった。
ジルコンは敷居際に立っているシャーマンに声をかけた。
「シャーマンよ、お前に見てもらいたいものがある。一緒に来てもらおう」
シャーマンは静かに尋ねた。
「私に何を見せようというのだ。人か、それとも人ならぬものか」
「一緒に来れば分かる。ひと目見れば説明はいらぬはず」
「見ろと言うて、肉の目でか、霊の目でか」
ジルコンは辛抱強く無表情を保っていた。
「どの目で見ようとお前の好きにするがいい。いいか、お前たちはこの地からは追い払われて当然なのだ。我が部族はとうに古びた迷信を脱している。迷信を広めるお前たちのような存在は目障りなのだ。しかし、お前ならば何か分かると、この男が言うのでな」
ジルコンはバレルを横目で見た。シャーマンはバレルを見もせずに言った。
「この者は目はいいが、何も見えてはおらぬ」
「それについては私も同意見だ。お前についてもとんだ見当違いでないといいが」
二人の長老はシャーマンを馬車に乗せ、龍の大空洞へ向かった。むろん、シャーマンと同乗したわけではない。かつて囚人を運ぶのに使った窓なし黒塗りの馬車にシャーマンとブンド族を押し込め、バレルとその部下をつけておいた。
難民鉱山に到着すると大空洞へ下る坑道はすでに閉鎖され、限られた者しか出入りできないようになっていた。警備兵が坑道口をかため、技師や鉱夫たちは別の切羽へ配置換えされていた。一時は大勢群がっていた野次馬の姿もすでに消えていた。
坑道の奥、大空洞への入り口は大きく広げられてあった。篝火を絶やさぬように何人かの鉱夫が選ばれて薪と油を運び込んでいた。
大空洞へ足を踏み入れたとたんブンド族たちが騒ぎ出した。龍を見上げ、そのうねりくねる巨体を指差しながら口々に怯えた声を上げている。
シャーマンは龍のすぐ下まで歩いていき、異様に目を光らせてそれを見つめた。
シャーマンはいにしえの言葉の朗唱を始めた。低く、極めて低く。
朗唱はごく小さい声でしかなかったが、その声が岩壁に木霊して倍音を呼び、方鉛鉱と水晶の結晶が共鳴して頭の芯をつんざくような高音を発した。
大空洞に響き渡る朗唱に二人の長老は両手で耳を塞ぎ、杖を突いているバレルは後ずさる拍子に地面に倒れた。篝火へ薪をくべていた鉱夫たちは大慌てで外へ飛び出していった。
ブンド族たちはその音には平気なようで、ただ不安げな顔で龍を見上げているばかりだ。
龍の身体がほのかに光を発した。その光は身体の芯から来るようで、少しずつ強くなり、脈打つように、疼くように明滅した。
ジルコンとリンチは目を見張り、顔を見合わせた。
しかし、シャーマンは朗唱をやめた。龍の光は急速に弱まって消えた。
「龍が答えぬ。これ以上は無駄だ。しょせん人の手には負えぬ。埋め戻すがいい」
シャーマンの声はしわがれていた。シャーマンはこれで驕れる長老に警告したつもりだった。
ジルコンは不満げな顔になった。
「しかし、光ったではないか。どうしてやめたのだ」
「あれは肉の身体が共鳴を起こしただけのこと。霊は答えぬ」
ジルコンは改めてシャーマンの顔に見入った。シャーマンは黙って長老の顔を見返していた。
「お前の言うことはどうも分からぬ。シャーマンよ、まず聞こう。この龍は一体、何なのだ」
シャーマンは長老の眼のうちに傲慢不遜なものを見て取った。この男はその脳髄に天を衝く塔を築いている。その尖塔は無限の高みに達しようとしているが、すべては夢まぼろしだ。それを打ち砕くには、この男が信じているものとは違う現実を教えてやらねばなるまい。
「知りたくば教えてやろう。この龍は『黒水晶の龍』」
「龍の身体が黒水晶でできていることなど、すでに知っておる。この地には、あらゆる鉱石に精通した技師が何人もいるのだ」
シャーマンはしわがれた声で怒鳴るように言った。
「違う。この龍は恐るべきもの。滅びの龍。今ならまだ間に合う。手を引き、埋め戻せ。それより先は……」
シャーマンは顔をそむけ、歯の間からシュッと音をさせた。禁忌のしるしだ。
ジルコンは口の端をゆがめて笑った。
「お前たちの禁忌など恐れる私だと思うか。お前はそのような神話をどこで学び知ったのだ。まさか、お前のこしらえごとではあるまいな」
「これらのことはすべてシャーマンの言葉。シャーマンの魂の内に蓄えられ、保たれてきたもの」
「代々のシャーマンたちの言い伝えということだな」
シャーマンはジルコンの言葉を手で払い除けるような仕草をした。ビーズの飾りが乾いた音をさせた。
「違う。シャーマンは一人だ。一人にして多数なのだ。シャーマンの樹の木末でささめきかわす木の葉のように多数だが一つだ」
苦り切った顔になったジルコンは言った。
「戯言はいい加減にしろ。他の土地ならばお前の戯言に付き合う者もいるかも知れぬが、この地ではそうはいかぬ。お前に聞こう。この龍を蘇らせることはできるか」
シャーマンは思いがけぬことを聞いたという顔になった。
「蘇らせる。一体、何のために」
「言わずと知れたこと。闇の王を王国から追い払うとなれば、この龍こそ力となるであろう。兵器としてこれほどのものはあるまい」
「龍を兵器として使おうというのか。人がそれをしようと……それこそ戯言よ」
ジルコンはシャーマンへ詰め寄ったが、その言葉は冷静そのものだった。
「私の問いに答えよ。龍を蘇らせることはできるか」
「できぬ。人の手には負えぬと言ったであろう」
「龍は永遠の命を持つというではないか。それならば蘇らせることもできるはず」
「断じてできぬ。お前ごときが龍を使って闇の王と戦わせようなどと、身のほどを知るがいい!」
シャーマンがジルコンの顔へ突きつけた指は怒りに震えていた。
一方、ジルコンは皺だらけの顔を蒼白にして濁った瞳でシャーマンを見返していた。その顔色は土気色を通り越して灰色に沈んでいきつつあった。
「よかろう、私の力のほどを見せてやろう。軍師よ、そこにいるブンド族の首、一つ落とせ」
ジルコンの命令を受けたバレルは鷲の刺青をひきつらせ、後ずさった。
「ブンド族の首を斬れとおっしゃるのですか。ジルコン様、それはいけません。ブンド族は最も精霊に近い部族。その一人でも殺したとなれば……」
「できぬなら下がれ、役たたずめ。そこにいる者、お前だ。お前が首を斬れ!」
ジルコンはバレルの部下の一人を指差した。
その者は慌て、うろたえたが、下っ端の警備兵あがりが長老ジルコンに命じられて従わぬわけにはいかない。従わねば自分の身が危ない。
その者は手近なブンド族の男の腕をつかんだ。前へ引き出そうとした時、男は逃げた。すぐに他のバレルの部下二人が男を捕らえ、左右から肩を押さえてひざまずかせた。
直後、ブンド族の首は大空洞の床に落ちた。あふれる鮮血が乾いた岩盤のひび割れに流れ込み、あたりは血なまぐさい臭気に満たされた。
あまりのことにバレルは悲鳴を上げて逃げ去った。
ものに動じぬシャーマンも顔面蒼白となって二、三歩よろけたほどだった。
ジルコンはシャーマンの腕をつかみ、その枯れ木のように痩せた身体を揺さぶった。
「どうだ、私の力を見たか。シャーマンの力など鋼の剣の力に比べたら夢まぼろしのようなものだぞ。分からねば、もう一つ首を落とそうか」
「分かった。もうよせ。しかし、私の言ったことに嘘はない。この龍はいにしえの言葉に答えぬ。なぜなら……」
シャーマンは口の中に禁忌を破る血の味を感じた。
「……『耳の根舌の根』を抜かれているからだ」
ジルコンは考え込むような顔になったが、やがて尋ねた。
「ならば、その耳の根舌の根があれば龍を蘇らせることができるのだな。そのありかは」
「わからぬ。それはシャーマンの言葉に含まれておらぬ。それを知っている者は……誰もおらぬ……」
シャーマンが一瞬、言い淀んだことをジルコンは聞き逃さなかった。きっと知っているか、あるいは知っている者がいると分かっているのだが、それを隠しているのだ。
「私はそのありかを知らねばならぬ。シャーマンよ、これは王国を救うためだと言ったら、どうだ」
シャーマンはジルコンへ嘲りに満ちた目を向けた。
「王国を救うだと。お前の野心は見え透いておる。口先ばかりの言葉など私には聞こえぬ。この土地は精霊が希薄だ。旱魃に襲われた畑のように精霊の気が枯れきっている。こんな土地で龍が放たれたら手がつけられなくなることは必定。だから、人の手には負えぬと言っている」
ジルコンは目をギラつかせて、シャーマンに尋ねた。
「もう一度聞く。耳の根舌の根のありかは」
「知らぬ。知っていても教えぬ。首を斬りたければ、この首を斬るがよいぞ。お前がこれまで斬らせてきた、いくつもの首のようにな」
シャーマンの言葉に打たれたようになって、さすがのジルコンもたじろいだ。
「さあ、斬ってみよ。どうした、臆病者め。手下に斬らせることはできても、自分では斬れぬか。禁忌を犯したシャーマンの首、落としてみよ!」
ジルコンはバレルの部下から血に塗れた剣を取り上げると、シャーマンの肩をつかんでひざまずかせ、その首に剣を突きつけた。
「シャーマンよ、私は迷信など恐れぬ。この世はただ力あるのみだ!」
ジルコンが剣を振り上げた時、それまで黙って見守るのみだったリンチが割って入った。
「ジルコン殿、早まってはなりませぬ。そのシャーマンはまだ使い道がありそうな気がいたします。殺してしまっては、これ以上、何も分からなくなってしまいます」
「シャーマンはこの者一人ではない。他の者をあたることもできましょう」
「しかし、それには時間がかかります。広大な草原や深い森を放浪しているブンド族をどうやって見つけるのでございますか。宿駅に姿を現す者たちもおりますが、それとて、数日せぬうちに風のように姿を消すのです。もとより、彼らを呼び寄せることもできませぬ。ここはひとまず、そのシャーマンを捕らえておいて、おいおい聞き出す手がよいのではございませぬか。どうも私の見たところ、このシャーマン、なにやら由ありげに見えます」
ジルコンも大空洞に共鳴した、いにしえの言葉の朗唱のすさまじさは心に残っていた。ただ者ではないと分かっている。生かしておくべきか、それとも。
「なるほど、リンチ殿がそうおっしゃるなら、これ以上、剣を汚すのはやめておきましょう」
ジルコンは剣を投げ捨て、バレルの部下たちに命じた。
「この者を宮殿に連れて行け。見張りをつけて逃さぬようにせよ」
シャーマンとブンド族は大空洞から連れ去られた。あとに残った二人の長老は誰が聞いているわけでもないのに、ひそひそと低声で龍とその古い伝承のことを話し合っていた。
次の日の午後、宮殿の族長の間ではジルコンとリンチが額を突き合わせて話し込んでいた。昨日までは、いや、龍を目にするまでは冷めた態度だったメル族長老リンチが今は一変して目をギラつかせていた。
龍には絶大な利用価値がありそうだ。その力を我が物と出来たなら。
ジルコンが戸惑うほどにリンチは熱を込めて話していた。すでに王国簒奪、王国転覆の野心は二人があからさまに共有するものとなりつつあった。
ただし二人の心が一つかと言えばそうではなかった。野心家は手を結ぶことはあっても心までは一つにすることはない。彼らは孤独を好むのだ。
「しかし、リンチ殿がおっしゃる龍を操る技術。これは容易に手に入るものではありますまい。それなくしては、あの龍が闇の王のように災厄と化すこともありましょう」
カナ族長老の言葉にリンチはうなずいた。
「いかにも。されど、ご承知のように我がメル族は帝国との繋がりも多く、特に軍事に関わる方々との関係は深いのでございます。その筋は私にお任せくださいませ」
「帝国がそんな重大な技術を簡単に与えてくれるものでしょうか。大きな代償を支払わねばならぬことになりませぬか」
「もしそうだとしても、それだけの値打ちはございましょう。そうではありませぬか」
ジルコンはまだ危ぶむような顔つきでいた。
メル族の隊商を操るリンチにとってウラレンシス帝国は取引可能な相手という認識だろうが、ジルコンにはそうは思えなかった。
複数の部族が王国の名の下に集うのはなぜか。英雄ダファネアの名、そして、ナビ教の名こそ王国の王国たる所以だが、現実的なことを言えば帝国の侵略に対抗するためということがある。
それなのに一部の部族が帝国と手を結んでしまえばどうなるか。
ダファネア王国はそれを端緒に帝国に呑み込まれてしまうのではないか。それでは元も子もない。王権への野望どころか王国を失うこととなり、カナ族の名は永遠に裏切り者の汚名を背負うこととなるだろう。
しかし、ここは決断の時でもある。ジルコンはリンチの言い分の方へ傾いていきつつあった。
その時、侍従がジルコンへ来客を告げた。
「ジルコン様、軍師バレル様がお目通り願いたいと。なにやら、むさい者どもを引き連れていらっしゃいますが」
顔をしかめたジルコンは無言のまま手を振って通せと合図した。
いったん扉を閉じていた侍従は扉の向こうをのぞき込み、バレルに向かって、お通りをと手で合図した。その態度にはどことなくバレルを侮る風があった。
「ジルコン様、シャーマンを連れて参りました」
バレルはシャーマンとブンド族の一行を連れていた。武装したバレルの部下三人が彼らを取り囲んでいる。
ジルコンはシャーマンとブンド族たちを見下しきった横目で見た。
「ずいぶんかかったな。お前はすぐにでも連れて来れるような口ぶりであったが。ああ、そこから中へは入れるな」
ジルコンは扉の敷居際にシャーマンたちを立たせたままにさせた。バレルだけが広間へ入ってきて、二人の長老へうやうやしく頭を下げた。
「我が手の者を差し向けましたところ馬屋の主人がこの者たちを追い払った後でして、おかげで町中くまなく探す羽目になり……申し訳ございません……」
「我が部族の土地でこの者たちは何をしていたのだ。この地にシャーマンを必要とする者などおらぬはず」
「目的は定かではありませんが、見つけた時には難民鉱山の宿舎の軒下に宿っておりました」
「なに、難民鉱山だと……」
ジルコンは改めてシャーマンに目を向けた。
シャーマンは老いていた。いくつくらいと年齢の見当をつけることもできぬほどに。
全身を覆うビーズの飾り。長い髪にも獣骨や牙をつけている。その髪の間から黒い瞳がじっと、カナ族長老ジルコンを見つめていた。
ジルコンは知らなかった。
この者こそかつて荒れ野を彷徨うミアレ王妃とシュメル王子の居場所を探り当てた者。そして、セレチェンの死せる魂を呼び寄せてクランの剣へ導き入れた者であった。
だが、それと知らぬジルコンも無駄に老いてはいなかった。このシャーマンが並々ならぬものを持っているらしいことは、ある種の恐れとともに感じ取れた。ビーズの飾り房の隙間からのぞくシャーマンの鏡の輝きにもただならぬものがあった。
ジルコンは敷居際に立っているシャーマンに声をかけた。
「シャーマンよ、お前に見てもらいたいものがある。一緒に来てもらおう」
シャーマンは静かに尋ねた。
「私に何を見せようというのだ。人か、それとも人ならぬものか」
「一緒に来れば分かる。ひと目見れば説明はいらぬはず」
「見ろと言うて、肉の目でか、霊の目でか」
ジルコンは辛抱強く無表情を保っていた。
「どの目で見ようとお前の好きにするがいい。いいか、お前たちはこの地からは追い払われて当然なのだ。我が部族はとうに古びた迷信を脱している。迷信を広めるお前たちのような存在は目障りなのだ。しかし、お前ならば何か分かると、この男が言うのでな」
ジルコンはバレルを横目で見た。シャーマンはバレルを見もせずに言った。
「この者は目はいいが、何も見えてはおらぬ」
「それについては私も同意見だ。お前についてもとんだ見当違いでないといいが」
二人の長老はシャーマンを馬車に乗せ、龍の大空洞へ向かった。むろん、シャーマンと同乗したわけではない。かつて囚人を運ぶのに使った窓なし黒塗りの馬車にシャーマンとブンド族を押し込め、バレルとその部下をつけておいた。
難民鉱山に到着すると大空洞へ下る坑道はすでに閉鎖され、限られた者しか出入りできないようになっていた。警備兵が坑道口をかため、技師や鉱夫たちは別の切羽へ配置換えされていた。一時は大勢群がっていた野次馬の姿もすでに消えていた。
坑道の奥、大空洞への入り口は大きく広げられてあった。篝火を絶やさぬように何人かの鉱夫が選ばれて薪と油を運び込んでいた。
大空洞へ足を踏み入れたとたんブンド族たちが騒ぎ出した。龍を見上げ、そのうねりくねる巨体を指差しながら口々に怯えた声を上げている。
シャーマンは龍のすぐ下まで歩いていき、異様に目を光らせてそれを見つめた。
シャーマンはいにしえの言葉の朗唱を始めた。低く、極めて低く。
朗唱はごく小さい声でしかなかったが、その声が岩壁に木霊して倍音を呼び、方鉛鉱と水晶の結晶が共鳴して頭の芯をつんざくような高音を発した。
大空洞に響き渡る朗唱に二人の長老は両手で耳を塞ぎ、杖を突いているバレルは後ずさる拍子に地面に倒れた。篝火へ薪をくべていた鉱夫たちは大慌てで外へ飛び出していった。
ブンド族たちはその音には平気なようで、ただ不安げな顔で龍を見上げているばかりだ。
龍の身体がほのかに光を発した。その光は身体の芯から来るようで、少しずつ強くなり、脈打つように、疼くように明滅した。
ジルコンとリンチは目を見張り、顔を見合わせた。
しかし、シャーマンは朗唱をやめた。龍の光は急速に弱まって消えた。
「龍が答えぬ。これ以上は無駄だ。しょせん人の手には負えぬ。埋め戻すがいい」
シャーマンの声はしわがれていた。シャーマンはこれで驕れる長老に警告したつもりだった。
ジルコンは不満げな顔になった。
「しかし、光ったではないか。どうしてやめたのだ」
「あれは肉の身体が共鳴を起こしただけのこと。霊は答えぬ」
ジルコンは改めてシャーマンの顔に見入った。シャーマンは黙って長老の顔を見返していた。
「お前の言うことはどうも分からぬ。シャーマンよ、まず聞こう。この龍は一体、何なのだ」
シャーマンは長老の眼のうちに傲慢不遜なものを見て取った。この男はその脳髄に天を衝く塔を築いている。その尖塔は無限の高みに達しようとしているが、すべては夢まぼろしだ。それを打ち砕くには、この男が信じているものとは違う現実を教えてやらねばなるまい。
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「龍の身体が黒水晶でできていることなど、すでに知っておる。この地には、あらゆる鉱石に精通した技師が何人もいるのだ」
シャーマンはしわがれた声で怒鳴るように言った。
「違う。この龍は恐るべきもの。滅びの龍。今ならまだ間に合う。手を引き、埋め戻せ。それより先は……」
シャーマンは顔をそむけ、歯の間からシュッと音をさせた。禁忌のしるしだ。
ジルコンは口の端をゆがめて笑った。
「お前たちの禁忌など恐れる私だと思うか。お前はそのような神話をどこで学び知ったのだ。まさか、お前のこしらえごとではあるまいな」
「これらのことはすべてシャーマンの言葉。シャーマンの魂の内に蓄えられ、保たれてきたもの」
「代々のシャーマンたちの言い伝えということだな」
シャーマンはジルコンの言葉を手で払い除けるような仕草をした。ビーズの飾りが乾いた音をさせた。
「違う。シャーマンは一人だ。一人にして多数なのだ。シャーマンの樹の木末でささめきかわす木の葉のように多数だが一つだ」
苦り切った顔になったジルコンは言った。
「戯言はいい加減にしろ。他の土地ならばお前の戯言に付き合う者もいるかも知れぬが、この地ではそうはいかぬ。お前に聞こう。この龍を蘇らせることはできるか」
シャーマンは思いがけぬことを聞いたという顔になった。
「蘇らせる。一体、何のために」
「言わずと知れたこと。闇の王を王国から追い払うとなれば、この龍こそ力となるであろう。兵器としてこれほどのものはあるまい」
「龍を兵器として使おうというのか。人がそれをしようと……それこそ戯言よ」
ジルコンはシャーマンへ詰め寄ったが、その言葉は冷静そのものだった。
「私の問いに答えよ。龍を蘇らせることはできるか」
「できぬ。人の手には負えぬと言ったであろう」
「龍は永遠の命を持つというではないか。それならば蘇らせることもできるはず」
「断じてできぬ。お前ごときが龍を使って闇の王と戦わせようなどと、身のほどを知るがいい!」
シャーマンがジルコンの顔へ突きつけた指は怒りに震えていた。
一方、ジルコンは皺だらけの顔を蒼白にして濁った瞳でシャーマンを見返していた。その顔色は土気色を通り越して灰色に沈んでいきつつあった。
「よかろう、私の力のほどを見せてやろう。軍師よ、そこにいるブンド族の首、一つ落とせ」
ジルコンの命令を受けたバレルは鷲の刺青をひきつらせ、後ずさった。
「ブンド族の首を斬れとおっしゃるのですか。ジルコン様、それはいけません。ブンド族は最も精霊に近い部族。その一人でも殺したとなれば……」
「できぬなら下がれ、役たたずめ。そこにいる者、お前だ。お前が首を斬れ!」
ジルコンはバレルの部下の一人を指差した。
その者は慌て、うろたえたが、下っ端の警備兵あがりが長老ジルコンに命じられて従わぬわけにはいかない。従わねば自分の身が危ない。
その者は手近なブンド族の男の腕をつかんだ。前へ引き出そうとした時、男は逃げた。すぐに他のバレルの部下二人が男を捕らえ、左右から肩を押さえてひざまずかせた。
直後、ブンド族の首は大空洞の床に落ちた。あふれる鮮血が乾いた岩盤のひび割れに流れ込み、あたりは血なまぐさい臭気に満たされた。
あまりのことにバレルは悲鳴を上げて逃げ去った。
ものに動じぬシャーマンも顔面蒼白となって二、三歩よろけたほどだった。
ジルコンはシャーマンの腕をつかみ、その枯れ木のように痩せた身体を揺さぶった。
「どうだ、私の力を見たか。シャーマンの力など鋼の剣の力に比べたら夢まぼろしのようなものだぞ。分からねば、もう一つ首を落とそうか」
「分かった。もうよせ。しかし、私の言ったことに嘘はない。この龍はいにしえの言葉に答えぬ。なぜなら……」
シャーマンは口の中に禁忌を破る血の味を感じた。
「……『耳の根舌の根』を抜かれているからだ」
ジルコンは考え込むような顔になったが、やがて尋ねた。
「ならば、その耳の根舌の根があれば龍を蘇らせることができるのだな。そのありかは」
「わからぬ。それはシャーマンの言葉に含まれておらぬ。それを知っている者は……誰もおらぬ……」
シャーマンが一瞬、言い淀んだことをジルコンは聞き逃さなかった。きっと知っているか、あるいは知っている者がいると分かっているのだが、それを隠しているのだ。
「私はそのありかを知らねばならぬ。シャーマンよ、これは王国を救うためだと言ったら、どうだ」
シャーマンはジルコンへ嘲りに満ちた目を向けた。
「王国を救うだと。お前の野心は見え透いておる。口先ばかりの言葉など私には聞こえぬ。この土地は精霊が希薄だ。旱魃に襲われた畑のように精霊の気が枯れきっている。こんな土地で龍が放たれたら手がつけられなくなることは必定。だから、人の手には負えぬと言っている」
ジルコンは目をギラつかせて、シャーマンに尋ねた。
「もう一度聞く。耳の根舌の根のありかは」
「知らぬ。知っていても教えぬ。首を斬りたければ、この首を斬るがよいぞ。お前がこれまで斬らせてきた、いくつもの首のようにな」
シャーマンの言葉に打たれたようになって、さすがのジルコンもたじろいだ。
「さあ、斬ってみよ。どうした、臆病者め。手下に斬らせることはできても、自分では斬れぬか。禁忌を犯したシャーマンの首、落としてみよ!」
ジルコンはバレルの部下から血に塗れた剣を取り上げると、シャーマンの肩をつかんでひざまずかせ、その首に剣を突きつけた。
「シャーマンよ、私は迷信など恐れぬ。この世はただ力あるのみだ!」
ジルコンが剣を振り上げた時、それまで黙って見守るのみだったリンチが割って入った。
「ジルコン殿、早まってはなりませぬ。そのシャーマンはまだ使い道がありそうな気がいたします。殺してしまっては、これ以上、何も分からなくなってしまいます」
「シャーマンはこの者一人ではない。他の者をあたることもできましょう」
「しかし、それには時間がかかります。広大な草原や深い森を放浪しているブンド族をどうやって見つけるのでございますか。宿駅に姿を現す者たちもおりますが、それとて、数日せぬうちに風のように姿を消すのです。もとより、彼らを呼び寄せることもできませぬ。ここはひとまず、そのシャーマンを捕らえておいて、おいおい聞き出す手がよいのではございませぬか。どうも私の見たところ、このシャーマン、なにやら由ありげに見えます」
ジルコンも大空洞に共鳴した、いにしえの言葉の朗唱のすさまじさは心に残っていた。ただ者ではないと分かっている。生かしておくべきか、それとも。
「なるほど、リンチ殿がそうおっしゃるなら、これ以上、剣を汚すのはやめておきましょう」
ジルコンは剣を投げ捨て、バレルの部下たちに命じた。
「この者を宮殿に連れて行け。見張りをつけて逃さぬようにせよ」
シャーマンとブンド族は大空洞から連れ去られた。あとに残った二人の長老は誰が聞いているわけでもないのに、ひそひそと低声で龍とその古い伝承のことを話し合っていた。
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