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第百八章

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第百八章

 坂を登って森へ分け入るにつれ、あたりはいよいよ暖かく、空気は柔らかに一行を包み込んだ。
 鬱蒼と茂る樹木、草花は濃厚な緑の芳香を放っていた。そこかしこに実る果実が黄、赤、オレンジなど鮮やかな色彩を誇らしげに輝かせている。
 鳥の鳴き声もどこか穏やかで優雅に聞こえる。斜めに射す木漏れ日の中を蝶の群れがきらめきながら飛んで過ぎた。
 一行は長旅の末にたどり着いたこの森の楽園めいた様子に夢見心地になっていた。この島はナビ教発祥の地だというが、さもありなんと思えた。森の中にいるだけで胸のうちが瞑想的な静寂に浸されていく。
 やがて、開けたところへ出た一行は一軒の木造の小屋を見出した。
 がっちりとした造りの古い丸太小屋で、ところどころ緑に苔むし、屋根には草まで生えて、小屋も森の一部かと見えた。
 馬に乗った一行が前庭に乗り入れるとすぐに扉が開いて一人の女が姿を現した。女は両手を広げて一行を迎えた。
「ユーグよ、我が息子よ。きっと帰って来ると思っていた。思っていたより歳を取ったように見えるね。島の外では歳を取るのが早いんだろう」
 この女こそユーグの母、ルノーだった。母というには若々しく見える。ルノーも漁師たちと同じ白い粗布の長衣を着ていた。八十近くになるはずだが、姿勢もしゃんとして顔色はつややかだ。髪に白髪の一筋もない。
 馬を降りたユーグはルノーに抱き取られた。
「私が老けて見えるっていうのかい。母さんの口が悪いのは変わらないらしいね」
 ルノーはまじまじと我が息子の顔を眺めた。
「いろいろと苦労をしたんだろう。ナビ教も王国も苦難の時だからね」
 ユーグは万感こもった笑みを浮かべた。
「島を出ない方が良かったかも知れないね」
「そんなことはない。お前にはお前の運命があるんだから。お前は島で起こったことを聞いたかい」
 ユーグの笑みは消え、目元に深く皺が刻まれた。
「渡し守にも聞いたし、村の漁師にも」
「村の漁師たち……あの意気地なしどもめ。シャールに続こうという者は一人もいなかった……それなら鷲の目の杖がどうなったかも知っているね」
「王都から来た者たちに奪われたと……」
 ルノーはうなずき、強い目になった。
「お前の父のことも聞いたかい」
「……斬られたと」
「ならば言うことはない。この島はもうおしまいだよ」
 吐き出すように言うルノーにユーグが何か言い返そうとした時、脇からカラゲルが口をはさんだ。
「この島がおしまいだって。こんなにいいところなのにか。とてもそうは見えないがな。ここへ来る道すがら、まるでおとぎ話の楽園のようだと思ったが」
 ルノーはカラゲルの顔をまじまじと見つめた。
「あんたの顔には稲妻の刺青があるね。ブルクット族、それも族長の息子だ。あんたの部族には何が起こったんだい」
「聖剣は奪われ、杖とともに闇の王の手にある。俺の父である族長は病んだが、このシャーマンの力で魂を取り戻した」
 カラゲルの傍らに立つクランへ、ルノーは敬意に満ちた目を向けた。
「シャーマンかい。来るのが少し遅かったね。我が部族の族長は杖を奪われてからすぐに死に、その跡継ぎの息子も死んだ。もう族長の親族一同に跡を継ごうという者もなくなって、まだ十四の坊やが族長になっているよ。マラヤの息子さ」
 マラヤの名前を聞くとユーグはハッとなったが、相次ぐ族長の死のことは初耳だった。ユーグは険しい表情になった。
「それはやはり杖を失ったからなのか。島は聖なる杖の加護を失ったのか。もしそうなら……」
 ルノーはなんとなくそわそわとした目で一行を眺め、ユーグに耳打ちした。
「ユーグよ、いい加減にしないか。いつまで王の血脈をこんなところへ立たせておく気なんだい。私なんぞがじかに話しかけるのは失礼だと思うから黙っていたけど、ひと目見れば尊いお方と分かるご様子……」
 ルノーはミアレ姫へ笑顔を向けると明るい声を出した。
「さあ、姫さま、むさ苦しいところですが小屋の中へどうぞ。シャーマンもご一緒に」
 女たちを小屋の入り口に導きながらルノーはユーグとカラゲルを振り返り、森の奥の高いあたりを指差した。
「そっちの男たちはレオを探しに行っておくれ。そこらの森の中をふわふわ飛び回っているに違いないから」
 言われたとおり、男二人は森へ続く小道を登っていった。やがて道も尽きると森はいよいよ鬱蒼と生い茂り、木々の間の斜面をよじ登ることになった。
 カラゲルは慣れない森歩きに額の汗を拭った。
「森の中はいちだんと暖かいな。いや、暑いくらいだ。レオはこんな森の奥で何をしているのだ。狩人か」
 ユーグは島の生まれではあるが、子供の頃は漁師の村で育ち、森に慣れているというわけではなかった。急斜面に難儀し、長衣の裾を下生えの羊歯の露に濡らして足元をふらつかせていた。
「いや、伯父に狩りなどできるものか。弓矢はもちろん、槍の持ち方すら知らぬだろう」
「じゃあ、果物を集めているのか。しかし、こんな奥まで来なくても道の端にいくらでも実がなっていたが」
「カラゲルよ、お前には我が伯父レオのことはとうてい分からんだろうな。あの森の狩人が言ったように相変わらずだとすると、レオは生まれてからこのかた、何の仕事もしたことがないはずだ」
 カラゲルは、えっと意外そうな声を上げた。
「しかし、病気というわけでもないのだろう。こんなところまで分け入ってくるとすると」
「私の記憶では病気どころか誰よりも元気だったな。もっとも、頭の中まではうかがい知ることができないが」
 汗だくになりながら森を這い登っていった二人だが、なかなかレオを見つけ出すことはできなかった。
 もう下を見ても小屋の屋根も見えなかった。木々は茂ってきらめく湖面も見えない。
 ユーグは小首をかしげ、周囲を見回した。どうやら道に迷いかけているらしい。
 あたりは樹齢何年とも知れぬ古樹がそびえていた。荒々しくひび割れた樹の幹に手を置いて身体を支えていると、その手の甲を蟻が通り過ぎていった。
「カラゲルよ、このままでは森に迷ってしまいそうだ。いったん引き返そう」
「うむ、俺もなんだか頭がクラクラしてきた。もっと見晴らしのいいところへ出て方角を見定めよう。あの崖を登ってみたらどうだ」
 カラゲルはのたくるように蔓草に覆われた急斜面を指差した。その頂上には明るく日が射しているようだった。
 二人は乾いた蔓にしがみついて斜面を登り始めた。思ったより急な斜面にさらに汗は噴き出し、息が切れた。
 ユーグは少し離れた横の方に最近崩れたらしい黒土の露出したところがあるのを見つけた。そこには蟻の巣が曲がりくねった巣穴をむきだしにしていた。
「カラゲル、あれを見てみろ。蟻が巣を作っているのが見えるだろう。あの白い綿のようなのが蟻の茸らしいぞ」
 巣穴のところどころに細い繊維がからみ合ったような塊が見えた。木漏れ日に白くきらめいて、蟻の黒い身体がその上を行き来していた。蟻は大きく、長く節のある脚で凹凸のある茸の上を器用に歩き回っているのがよく分かった。
「へえ、あれを食って生きているのか。まるで、霧かかすみのようじゃないか。あまり美味そうには見えないがな」
「シャーマンなどは薬草の一種として珍重するらしいぞ。クランに土産に持っていってやったらどうだ」
「冗談じゃない。ここを這い上がるだけで精一杯だ。おお、やっと頂上が見えてきた」
 崖の上に這い上がった二人はそこに広がる光景に目を見張った。
 奥には、やはり鬱蒼とした木立が見えたが、手前には広々と開けて緩やかに起伏する野原が広がっていた。背の低い草が一面を覆っていて、甘い緑の香りがしてくる。そこかしこに見える黄色い色彩の群れはミアレの花らしかった。
 抜けるような青空から明るい日射しが降り注いで、野原の面には陽炎が立っていた。その揺らめく視界の中を奇妙な白いものがふわふわと舞っていた。
 それは人の姿だった。軽く飛び上がりながら両手を高く上げ、空に何かをつかもうとしているらしい。白絹の長衣が揺れるたび、微かな鈴の音がした。
「ユーグよ。もしかして、あれがレオか。ルノーが言ったようにふわふわ飛び回っているようだが」
「いかにも、私の伯父だ。驚いたな。私の子供の頃とそれほど変わっていないように見える」
 ユーグはまるで時間が巻き戻されたような思いになった。そういえばとあたりを見回すと、この野原も子供の頃にレオに連れて来てもらった覚えがあった。
 ユーグとカラゲルはふわふわと飛び回るレオに見入っていた。やがてレオは何かをつかんだらしく手の中を見ていたが、こちらの存在に気付くと小走りにやって来た。
「これを見てみろ、女王蟻だ」
 二人がレオの手の中をのぞき込むと、そこには背中に羽のあるひときわ大きな蟻がいた。その腹のあたりにへばりついている小さな羽蟻が牡蟻だとレオは言った。
「この頃は蟻の交尾が少なすぎる。もしや、島から蟻が去ろうとしているのではないかと……おや、お前は……ユーグじゃないか!」
 レオはやっと自分の甥に気付いたらしかった。交尾している蟻を放してやると、髭面に満面の笑みを浮かべてユーグを抱きしめた。レオもルノーと同じく黒い髭に白髪の一筋も見えなかった。
「やっぱり帰ってきたか。近いうちに会えるような気がしていたんだ」
 ユーグは尋ねた。
「レオよ。もしかして、ブンド族の森の狩人に案内をするように言ったのはレオかい」
「いや、私はそんなことは何も。だいいち、そんな案内なぞいらないだろう。お前は子供の頃から勘のいい子だった。鼻が利くというのか……」
 昔を思い出すような遠い目になったレオにユーグは思った。そうか、島を離れて何十年と経つうちにすっかり『勘』が鈍っていたのだ。かつて島の民だった子供の頃には森で迷うことなどなかった。
 レオは我が甥っ子のすぐ横に立っているカラゲルに目を移した。
「おや、この若者は……もしや、ブルクット族の者か。これは珍しい……」
 まるで見慣れぬ虫を発見した時のようにレオはカラゲルを観察し始めた。
「うむ、この稲妻の刺青は族長の血筋を現すのだ……そして、おお、この剣の凝った拵え……この腰帯につけた革紐もブルクット族特有のものだぞ……おや、この木の枝が髪に突っ込んであるのは、やはり部族の習慣かな……」
 頭に手をやったカラゲルは手に触れた木の枝を取って捨てた。おそらくさっきの崖登りの時に頭の上に落ちてきたものだろう。
 カラゲルはレオにじろじろ観察されるきまり悪さに顔をしかめた。
「おい、ユーグよ。お前の伯父さん、なんとかしてくれ」
 ユーグは笑いながらも何も言わず、レオに好きなようにさせていた。何を言っても聞きはしないと分かっていた。
 やがてレオはブルクット族の外観の観察に満足したのか、カラゲルの顔を下からのぞき込んで尋ねた。
「ブルクット族の者よ。王国の守護者よ。お前の名は何という」
「カラゲル。族長ウルの息子カラゲルだ」
「カラゲルよ、知っておくがいい。お前はこの島の土を踏んだ最初のブルクット族だ」
「それは本当か。もし本当なら光栄なことだ」
 レオは一歩下がってカラゲルを見つめた。白絹の長衣の裾につけた鈴がチリンと鳴った。
「本当だとも。この島に戦士が必要なことなど一度もなかったのだからな。よく斬れる剣もいらず、捕虜を縛るための丈夫な革紐もいらなかった」
 レオの髭面は真面目くさった、何か考え込むような表情になった。
 脇からユーグが口をはさんだ。
「レオよ、我が敬愛する伯父よ。私とカラゲルは王の血脈をお守りして旅をしているのだ。イーグル・アイたるシャーマンも同行している」
「なに、王の血脈に、イーグル・アイだと。闇の王の出現は話に聞いたが、王国はそれほどまでに……」
 レオは野原を振り返り両手を高くかかげて、これを見ろと嘆きの声を上げた。
「この島は、神々の花園と呼ばれている。本当ならこの野原いっぱいにミアレの花が咲き誇っていなくてはならないのだ。それがどうだ、花はちょっぴりじゃないか」
 レオはさっきも言った蟻の交尾が少ないということ、漁師たちの魚や貝の漁獲が目に見えて減っていること、さらには森の果実の実りが勢いを失っているらしいことを言った。
「このままでは五十年から百年のうちに島は荒れ果て、蟻塚の蟻とともに部族の民も消え失せることだろう。なんたることだ」
 レオの嘆く声が野原に響いた。両手を揺さぶり上げるたび、長衣の裾の鈴がリンリンと鳴った。
 しかし、カラゲルの目にはこれまで見た島の様子にせよ、この野原にせよ、美しく、また生き生きとして見えた。
「レオよ、島を愛する者よ。お前の言うことは分からないでもない。しかし、五十年だ、百年だと、ずいぶん気の長い話ではないか。王国の他の土地では部族の民にひどい争いや災難がふりかかっている。蟻のこと、オレンジや漁師の獲物も、もちろん大事だろうが、そのくらいで済んでいるならひとまず結構なことだ。この島は十分過ぎるくらい豊かに見える」
 カラゲルは野原を眺め、改めてその美しさ清らかさに感心した。
「我が部族にも、神々の花園という呼び名は知られていた。まさにその呼び名にふさわしい眺めではないか。俺はこの島のことをおとぎ話のようなものと思っていたのだ」
 レオはカラゲルの横顔へじっと目をやった。
「神々の豊かな実りで暮らし、争い事もない。島の民は誰もみな知り合いで家族のようなものだ。見るもの全てが美しく心を楽しませてくれる。カラゲルよ、戦士の子よ。この島で暮らしたいと思うかね」
 カラゲルはうなずいた。
「すべてが片付いたら、こんなところで暮らすのもいいだろうな」
「しかし、お前には稲妻の刺青がある。部族の民のもとへ帰らねばならないだろう」
「そうとも。俺には俺の部族がある」
「いっそ、どうだろう。お前の部族の土地をこの島のようにしてみたら」
 レオの言葉にカラゲルは首を横に振った。
「我が部族の土地はここよりずっと北にある。草原が広がり、狩りの獲物は豊かだが、この土地のようにはいかないな」
「しかし、この島のようであったらいいと、そうは思わんか」
「それはその通りだが、それこそ、おとぎ話というものだ」
 カラゲルの腕に手をやって、レオは言った。
「カラゲルよ、部族の民のおさとなる者よ。我々には『おとぎ話』が必要なのだ。できるならそうでありたいと思うような美しい『おとぎ話』がな。もしそれがなくて、目の前のことを右に左にやり取りしているだけなら、どうして我らのような人の群れがこの世に置かれているのだろう。我ら人の群れはこの世を少しでも良いものにするために、こうして王国の大地の上に置かれているのではないのか。『おとぎ話』を本当のことにするために、こうして人の群れはあるのじゃないだろうか」
 カラゲルはレオの手を取り、その手の甲を軽く叩いた。
「レオよ、森の賢者よ。お前の言う、おとぎ話の値打ちについては、俺はもうひとつ分からない。しかし、俺たちに何ができるか言ってくれ。力になれるかも知れない」
「うむ、それだが……そこのところは、まだ私にも分からないのだ。しかし、お前たち、そして、王の血脈とイーグル・アイがこの島に来たのはきっと何かの導きがあったからだろう。きっと何か重大なことが……むむっ、これは」
 レオは目をむき、クンクンと鼻を鳴らした。
「どうした、レオ。何かあったのか」
 カラゲルは腰の剣に手をやり、あたりに目を配った。ユーグはじっと伯父の仕草に見入っていた。
 レオはさらに二三度、鼻を鳴らして言った。
「飯の時間だ。早く帰らねば」
「飯だと。俺はてっきり何か起こるのかと……」
 拍子抜けしたカラゲルにレオは満面の笑みを見せた。
「ルノーの作るシチューの匂いがするじゃないか。これは……うむ、貝のシチューだな……さあ帰ろう!」
 カラゲルはもちろん、ユーグにもその匂いは感じられなかった。顔を見合わせた二人だが、レオが急ぎ足で崖へ向かっていくのを慌てて追って行った。
 崖の下に降りると、レオは急ぎ足で森を進んで行った。歳に似合わぬ健脚でカラゲルたちもついていくのがやっとだった。
 レオはまっすぐ前を見ながらユーグに話しかけた。
「ユーグよ。お前の父は惜しいことをした。まだまだ長生きもしただろうし、漁師のおさとして皆の助けになっただろうに。私は森の中にいて、その場にはいられなかった。まあ、いたからといってシャールを救うことなど私にはできなかっただろう。おさというのはいざという時には命を投げ出す覚悟がなくてはならない。シャールはそんな男だったが、知っての通り私なんぞはてんで意気地なしでな」
「人にはそれぞれ持ち前というものがある。父は父、レオはレオだ」
「そうかな。私は妹のルノーを守ることもできなさそうだ。子供の頃など、ルノーが私を守ってくれたことがあったくらいだ。まったくの役立たずさ」
 カラゲルが脇から口を出した。
「まったくの役立たずが、そんな長生きを出来るのも不思議だ。どうやって食っているんだ」
「なあに、それは簡単だ。漁師たちのところへ行ってこう言えばいい。『なんとまあ立派な貝が取れたじゃないか。お前たちには精霊の加護がついているぞ』とな。そうしたら、いくらでも持っていけと言うからな」
「いい気なもんだ。それこそ、おとぎ話のようじゃないか」
「こんな話をしていたらますます腹が減ってきた。よし、勇者よ、シチューに向かって突撃だ!」
 レオは森の木立をかき分けるようにして突き進みはじめた。カラゲルとユーグはその後を大慌てで追っていった。
「ユーグよ、お前の伯父さんは、どこかおかしいんじゃないのか。おい、レオ、俺たちを置いていくな」
 ユーグは苦笑いするばかりだった。
「昔からああいう人だ。なんというか、人というより動物に近いのだろう」
 二人は木立の間を見え隠れするレオの後ろ姿を必死に追うハメになった。どうやら、来た時と違う道をたどっているようだ。きっと、レオだけが知っている近道があるのだろう。
 あるところまで来た時、二人はレオが苔むした大樹の陰から手招きしているのを見つけた。静かにしろというように口の前に指を当てている。
 カラゲルとユーグは下生えの深いところを回り込んでレオの後ろについた。
「稲妻の刺青の者よ、あれを見ろ。これまた、おとぎ話のようだろう」
 声をひそめて言うレオの指差す先に、ごく若い男と女の姿が見えた。まだ子供のようだ。大樹の根方に腰かけている二人はお互いの手を握り、額を近づけて何か話し合っている。
 カラゲルは二人の姿に目を凝らした。白絹の衣服に木漏れ日が落ちて、二人の姿は淡いオーラを帯びて見えた。握り合う手がいかにも華奢で、もしや森の精霊を見ているのではとすら思える。
「なるほどな。森というのは便利なものだ。我が部族では密会と言っても馬屋の陰が精一杯だから。しかし、二人ともほんの子供ではないか」
 レオは、子供だから何だというのだと言った。
「恋をするのに歳は関係ないぞ。必要なのは情熱のみだ。それに、あの男の子。あれを誰だと思う」
「さあ、なかなかの美男子だが」
 レオは意味ありげに目をギョロつかせて見せた。
「驚くなよ。あれこそ、我らが族長さ」
「なんだと、あんな子供が」
 ユーグが低く咳払いして後ろから二人の服を引っ張った。
「二人ともやめないか。のぞきなどして、趣味が悪いぞ」
 レオは甥っ子を振り返って意味ありげな目つきをした。
「ユーグよ、お前だって島にいた頃はあんなことがあったじゃないか」
 カラゲルはすぐに食いついた。
「あんなこととはなんだ、レオよ。おもしろそうな話だ」
 ユーグはもう一度、二人の服の背中をグイと引いた。木漏れ日のせいかもしれないが、顔が赤くなっているようにも見える。
「何を言っているのだ。母が待っている。帰るぞ」
 ユーグは急ぎ足でその場を離れた。
 物音が聞こえたのだろう。二人の子供たちはハッとなって立ち上がり、まるで怯えた動物のように木立の向こうへ消えた。
 鈴の音がした。子供たちの服の裾につけてある鈴だ。
 レオとカラゲルは顔を見合わせ、声を出さずに笑った。
「行ってしまった。森の子鹿たちのように……レオよ。ユーグのことは後で聞かせてくれよ」
「もちろんだとも。これはな……『おとぎ話』どころじゃないぞ……」
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