地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第百三章

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第百三章

 ミアレ姫、ユーグ、カラゲル、そして、クランの四人は旅立ちの時を迎えた。
 和解の日から二十日ほどが経っていた。この間に一行は旅の準備を整えた。
 二人の族長たちからあれこれと贈り物があったが、旅に持っていくことはできないと、ほとんど断り、代わりに王都から逃れてきた者たちに施してもらうよう頼んだ。
 ただし保存用の食料だけは干し肉、穀物などもらっておいた。
 次の目的地と定めたスナ族の土地は王国でも遠い辺境にある。街道と宿駅も届かぬ地だった。ユーグの導きがあるとはいえ、食料だけは十分に用意するべきだった。
 一行はこの間、クレオンの岩山に滞在していた。
 ユーグはクレオンの教えを請い、その片鱗ばかりだが学ぶことができた。
 王家の師傅であるユーグが一介の野の修行者に師弟の礼を取ったと聞いたら、町の絹物を着た祭司たちはどう思っただろうか。いずれにせよ、ユーグは彼らに会うつもりはなかった。
 ユーグはスナ族が聖杖をシュメル王の手に渡してしまったことについてクレオンに尋ねた。なぜそんなことをしてしまったのか。
 クレオンはそれに答えることはできなかった。スナ族について知るところがほとんどなかったからだ。
 スナ族は王国の民のほとんどにとって神秘的で不可思議な部族だった。そもそも部族の民の数が少なく、その島から出ていく者もほとんどいないので、スナ族の出だという者に会う機会はまずなかった。
 逆にクレオンがユーグの生まれ故郷について尋ねた。
「ユーグよ、私がスナ族について知っているのは、七年に一度、王家へ献上される貴重なオレンジのこと、それに、高価な絹織物のことだけだ」
「オレンジは我が部族の島では決して珍しい物ではありません。また、絹織物に高い値をつけているのはごく一部の行商人だけです。オレンジにせよ、絹織物にせよ、そもそも売るためでなく、部族の民の暮らしのために作っているのですから」
 ユーグが部族の島を出たのはまだ十代の子供の頃のことだった。それ以来、故郷には帰っていない。
「クレオンよ、草原の賢者よ。我がスナ族の信ずるところはこうです。この世の全てはおのずから成る。草も木も、魚も獣も、また人も、おのずから生まれて、そこに人のはからいなどは風のそよぎほどの意味もありません」
 クレオンは深くうなずいた。
「うむ、それは王国の極めて古い信仰のありようと言っていいだろう。もとより、ナビ教とは違うが、ナビ教の底にも地下水のように流れているものだ」
「もっとも、スナ族の民の誰もがそのように悟った者ではありません。島もまた人の世ですから」
「それはそうだろうな。お前の父と母はまだ生きておるのか」
 ユーグは戸惑うような遠い目になった。故郷を出てから手紙一つやり取りしていなかった。
「さて、どうでしょう。我が部族の民は並外れて長寿ですが」
「お前の家は族長か長老の家か」
「いいえ、ただの漁師です」
「そうか。島に着いたら、まず父母を、もしいるなら兄弟を訪ねるといいだろう。聖杖についてはきっと何か仔細があるに違いない」
 一方、ミアレ姫はクランと一緒に、アルテから薬草の知識を学んでいた。
 アルテはシャーマンとしてクランよりもはるかに薬草に通じていた。アルテは民の暮らしに寄り添うシャーマンだった。その出自には苦悩があったが、それだからこそ民の思いを察することができるのだろう。
 アルテはイーグル・アイであるクランを畏敬の念とともに見ていた。
 クランも薬草の知識のお返しというのでもないが、いにしえの言葉の朗唱をいくつか授けた。どれもクランが新しく作ったものだった。
 いつの日か、クランがこの世を去る時が来ても、それらの朗唱はこの地を受け継ぐシャーマンに伝えられていくことだろう。
 ミアレ姫とクランはブンド族の一行から踊りを習った。王国においてシャーマンは踊りが上手なものと相場が決まっていた。クランは例外らしかったが。
 場所はいつもオルテン河の川岸だった。ミアレ姫は相当な踊り手だった。ブンド族のかしらは姫を褒めちぎった。
「姫さま、どうです、俺たちの仲間になっちゃ。どこへ行っても拍手喝采間違いなしだ」
 ミアレ姫は笑って答えた。
「面白そうだけど、それは無理でしょうね。でも、この旅が無事に終わったら、その時は、また一緒に踊りましょう」
 脇からそのやりとりを聞いていたかしらの女房は旦那の背中をひっぱたいて、あんた何を言ってるんだいと叱った。
「王の血脈が旅芸人の仲間になるんじゃ、王国はひっくり返っちまう。天が地に、地が天に、山は登るほど麓に近づき、河は下るほど水源に近づくってんじゃ、どうにもならない。姫さまの踊りが上手なのは当然さ。踊りってのは精霊と戯れるってことなんだからね。精霊の繁き者がいい踊り手なのは分かりきったことだよ」
 かしらの女房は立って踊りだした。部族の民の太鼓やかけ声がすぐに湧き上がった。
 女房の踊りは地を踏み鳴らし、長衣の腰のあたりまで砂塵が舞い上がった。
 女房の立てる砂塵はあの巨人戦士が舞い上がらせた砂塵と変わらない。そこにはいにしえの部族の息吹があった。
 吹き矢の傷もすっかり治ったカラゲルは、よく狩りに出ていた。相棒はいつも、あの旗手の少年だった。
「おい、お前は部族の土地へ帰らなくていいのか」
 狩りの帰り、馬上の少年に尋ねると、大丈夫さと笑って答えた。
「冬営地じゃ、それほど仕事もないんだ。何なら春までいてもいいんだよ。アーメルはカラゲルからいろいろ教えてもらえってさ」
「何を教えるのだ。勢子声の出し方は教えたな」
 カラゲルは少年に狩りの時の掛け声を教えていた。少年は代わりに羊飼いの呼び声を教えてくれたが、これが何かの役に立つとは思えなかった。
「カラゲル、鷲狩りを教えてよ。ブルクット族と言えば鷲使いの部族だろ」
 目を輝かせて言う少年にカラゲルは困った顔になった。
「鷲か。ううむ……それは、その……俺は苦手なんだ……」
「えっ、カラゲルは族長の息子だろ。鷲使いができなくてどうするんだよ。クレオン様から聞いたよ。王国に新しい王が即位する時は鷲の儀式っていうのがあるんだって。ブルクット族の鷲使いが鷲を空に放って、新しい王の玉座に止まればよし。もし、止まらなかったら、王国の精霊が王と認めていないってことになってしまうんだって」
「ああ、それは俺も聞いたことがある。シュメル王の時はやらなかったらしいが、まあ、それは昔の風習ではないのか」
 少年は呆れた顔で稲妻の刺青を見た。
「王国から闇の王を追い払って王都を取り戻した時には新しい王が即位するはずだって、クレオン様は言っていたよ。ブルクット族で一番の鷲使いが儀式に出るんだけど、たいていは族長が自分の息子を出すんだ。それって、カラゲルのことじゃないの」
「お前、やけに詳しいな。それはな、俺も親父にさんざん言われていたのだ。部族の伝統だからといってな。だが、どうしても言うことを聞かないのだ、鷲の野郎が」
「鷲を悪く言ってどうするんだよ。儀式の時に鷲がとんでもないところに止まってしまったらどうするの。カラゲルのその頭の上とかさ」
 カラゲルは苦笑いして、自分の頭をぽんと叩いた。
「ここへ止まることだけはない。俺は鷲に嫌われているからな。まあ、オローなら別だが、あれはクランの鷲だ。儀式に出たりはしないだろう」
 もし少年が言っているような新王即位の時が来たら、自分はどこにいるのだろう。それに、クランは。
 カラゲルは久しぶりにブルクット族の村のことを思った。セレチェンやクランと一緒に鷲狩りに行ったあの頃はもう戻って来ない。いや、故郷の村に帰り着くことすらできるかどうか分からないのだ。
「どうしたの、カラゲル」
 急に黙り込んだカラゲルに少年は尋ねた。
「いや、何でもない。よし、岩山まで競争するか」
「まだ僕に勝てると思ってるの。今のところ僕の全勝だよ」
「俺の馬もここいらの街道に慣れて来た頃だ。そら、行くぞ!」
 カラゲルと少年は馬を飛ばした。旅立ちの日は近づいていた。
 
 いよいよ、旅の一行がこの地を離れる日がやって来た。
 クレオンやアルテはもちろんのこと、族長アーメルとホワソン、その妻たち、それに双子のような赤ん坊たちまでが別れを惜しみに集まった。
 二人の族長は我らが部族の民は王国と運命を共にすると誓った。それこそ、ミアレ姫とユーグが聞きたかった言葉だった。
 旗手の少年はカラゲルに一緒に連れて行ってくれとねだっていた。もちろん、カラゲルは許すつもりはない。
 少年は高く旗をかかげて見せた。
「ほら、見てよ。この旗をかかげて行くのさ」
 カラゲルは馬の上から手を伸ばし、旗を広げて見た。
「こんなものをかかげて旅をしようというのか、馬鹿を言え。いいか、今はお前の族長アーメルを助けろ。そして、いつの日か……近いうちにだ……闇の王と決戦の時が来るだろう。そうしたら、俺はお前に使いを出そう。その時はその旗を持って王都へ駆けつけるのだ。いいか、我が旗手よ」
 少年は旗手と呼ばれて輝かせた目に、子供とも思えぬ雄々しい色を浮かべてうなずいた。
 クランはハルの鞍の上からアルテと別れの言葉を交わしていた。
「シャーマンよ。お前にはいろいろと世話になった。感謝しよう」
「こちらこそ感謝せねばならない、イーグル・アイよ。私は部族の民と土地とが思っていた以上に強く結ばれていることを知った。二つの部族のように見えても、源をたどれば一つであることも知った。みな、イーグル・アイの力によるものだ」
「いや、私の力などはない。私には加護がある。王国の精霊たちの加護が」
 クランの胸元でシャーマンの鏡に光がひらめいた。今は、はっきりと七人の族長たちの姿が見えた。
 アルテは深くうなずいた。
「心強い加護を得たものだ。ただ、闇の王はまだ滅びてはいない」
「うむ。しかし、ひとまず追い払うことはできた。この地の聖地は浄化され、部族の民の信仰も新たになったことだろう」
 その時、カラゲルから声がかかった。ミアレ姫もユーグも馬にまたがって旅支度は万全だ。
 クランは声を潜めて言った。
「シャーマンよ。お前にだけ言うが、私はお産の手伝いはもうごめんだ。あれはまったく……すごい眺めだったぞ」
 口元に笑みをたたえたアルテはたしなめるような顔でかぶりを振った。
「イーグル・アイよ。運命の子よ。お前にはもっと大きなお産が待っているはずだ。みなしごたちを大地の子宮に連れ戻し、王国の産婆となるのがイーグル・アイの使命のはず」
 そこへグインの孫娘がやって来てアルテの手をつかんだ。馬上のクランを見つめる孫娘はすでにシャーマンの装束に身を包んでいた。
 アルテは微笑み、孫娘の髪を撫でてやった。姉のように、また母のように。
 クランはアルテに言った。
「シャーマンよ、お前は人を心強くするすべを知っているらしい。クレオンとともに部族の民を助けるがいい。お前は私などよりずっと良いシャーマンだ。さらばだ、友よ」
 旅の一行は岩山を下った。
 街道に出た一行が振り返ると、青空にくっきりと浮かぶ岩山の頂上に、鷲を描いた王国の旗を振る少年の姿が見えた。
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