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第百二章

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第百二章

「ブルーノ、これを見てごらんよ。金貨だよ」
 ココの声がオルテン河の水面に響いた。
 船の舵を取るのに苦労しているブルーノは金貨と聞いても鼻先で笑うだけだった。
「また、お前のお得意の偽金貨かよ。どこからそんなもの出てやがったんだ」
「偽物なもんか。これは本物さ。カナ族の刻印があるじゃないか、そら、ここだよ」
 鼻先へ金貨を差し出して見せようとするココの手をブルーノはうるさそうに横へ払った。
「おい、ここらは浅瀬や中洲が多いんだ。舵取りの邪魔するんじゃねえよ」
 船にはカナ族の武器が満載されていた。小型の帆掛け船は、その重量のせいで船べりすれすれまで水に沈んでいる。座礁せぬよう注意が必要だ。
 ブルーノは船の操作に慣れていなかった。それでも、ココと二人だけでこれだけのものを運ぶのには船しかなかったのだ。
 ココはカナ族の調達係から貴重な武器がグインの穀物倉にあると聞き出した。二人は、その日から計略を練っていた。
 密かに水路から入り込んで水浸しになりながら穀物倉を偵察し、壁に穴を開ける場所の見当をつけた。船を探しておいて濠に繋いでおき、運び出す時、駆り集められるように町の物乞いどもに声をかけておいた。
 機会は草原で戦が始まり、町が人少なになった時だ。
 折よく二人のシャーマンと一緒にグインの屋敷に乗り込む段取りになった。ひと通り荒っぽい役どころをつとめた後、二人はシャーマンたちと別行動をとり、誰にも気付かれないように計画を実行に移したのだ。
 ブルーノはヤンゴやコウモリの巣の仲間にもこの計略を知らせようと思ったが、ココは二人だけで山分けにしようと主張した。世話になったヤンゴを裏切るようで気は進まなかったが、ブルーノはココにすっかりたらし込まれてしまっていた。
 それにこうした武器を売る相手もブルーノには心当たりがなかったが、ココにはあてがあるらしかった。
 結局、ココの言うことを聞くことにして、今、オルテン河を南へと流れ下っているところなのだ。
「どうして武器の山の中に金貨なんぞ。おい、よく見せてみろ」
 ブルーノは舵を握りながら、ココが差し出した金貨を調べてみた。ココが示したところにどうやら本物らしい刻印があった。
「なんかボロ布みたいなものがあるからさ、何だろうと思って開けてみたんだよ。中にはこんなのが二十枚は入っているよ」
 武器を売りさばくことができれば、それ以上になるが、やはり目の当たりきらめく金貨の魅力はココの欲深い心を痺れさせた。
 川面の反射光を受けてココの顔はまだらに光っていた。金貨を見るうちに目の端は吊り上がり、唇にはナメクジのように濡れた舌が這った。
 ココはブルーノに渡した金貨をひったくって言った。
「ブルーノ、この金貨は私のものにさせてもらうよ。ボロ布から出てきた金貨は一枚残らずね」
 ブルーノは顔色を変えて怒鳴った。
「なんだと、山分けだって言ったのはてめえだぞ。独り占めとはどういうつもりだ」
「それは武器を売ったカネの話だよ。これは私が見つけんたんじゃないか」
「ふざけるな。それはあの物乞いどもが何でもかんでも船に放り込んだ中に入っていただけだろうが」
 ココは聞き分けのない坊やだとでも言った顔でブルーノの肩にしなだれかかった。
「そう堅いこと言いっこなしだよ。いつかも言っただろ。女ってものは……それも、私みたいないい女はさ……カネがかかるんだよ。いつか部屋へ来た時、分かったろ」
 いつもなら腰の後ろで魔法の印を結ぶところだが、ココはそれをしなかった。どうも、このところ魔法の力が強くなってきて、思っても見ないことが起きそうな気がしていた。
 ブルーノはココの顔を横目でにらんだ。
「てめえ、俺をハメようとしているんじゃねえのか。俺は仲間を裏切ってまでこうしてやって来たんだぜ。お前みたいな風来坊でも、ちょっとは見どころがあるかと思ってよ」
 ココはブルーノの肩をトンと突いて身を離した。
「なんだいそりゃあ。風来坊だって。見どころがあるだって。生意気ぬかすんじゃないよ。あんたなんぞ、あのハゲ親父の飼い犬じゃないか。この武器のことだって、元はと言えば私が聞き込んで来た話じゃないか。あんたはそれにタダ乗りしてるだけだよ」
「何だと、タダ乗りって抜かしやがったか。お前みたいな女一匹でこれだけの仕事ができるってのかよ。どこまで俺をコケにしようと……うああっ!」
 その時、船が大きく揺れて、ココとブルーノはつんのめって甲板に倒れた。船底が獣の叫びのようなきしみ音を上げたかと思うと、帆がバタバタと鳴って、帆柱が傾いた。
 見ると、船は舳先を中洲に乗り上げて座礁していた。
 身体を起こしたブルーノは怒り狂って叫んだ。
「てめえのせいでこんなことになっちまった。どうする気だ!」
「そんなこと、私が知るもんか。あんたの舵取りが間抜けだからじゃないか」
「何だと、女だと思って言わせときゃあ、こいつ」
 ブルーノはココに殴りかかりそうになったが、ぐっとこらえた。
 頭の中にヤンゴの顔がよぎった。いつか女を殴った仲間がいて、その男はヤンゴにぶっ倒れるまで殴られ、コウモリの巣の仲間から追放された。理由はどうあれ、女を殴るような奴は気に入らねえというのがヤンゴの言葉だった。
「何だい、どうしたんだよ。殴りたけりゃ殴ってごらんよ。だらしない男だねえ」
 ココの挑発にもブルーノは乗らなかった。今さらのように、ヤンゴを裏切ったことが悔やまれた。
 ブルーノは甲板の端に投げ出されていたボロ布の包みへ手を伸ばした。開けてみると確かに金貨がくるまれていた。これだけあれば、かしらも許してくれるかも知れない。ブルーノは包みを懐へ入れて言った。
「ココよ、もうお前なんかと付き合うのはうんざりだぜ。俺はここから町へ帰る。お前は武器を好きなようにしな。俺は金貨をもらって行くぜ。さらばだ、メス豚め」
 ブルーノは船べりに足をかけるとオルテン河へ飛び込んで泳ぎだした。下流へと流されながらも抜き手を切って岸へと向かって行く。
 止める間もなかったココは、しまったという顔でブルーノへ叫んだ。
「ちょっとあんた、待ちなよ……おーい、帰っておいでってば……おーい、おーい、ブルーノ、私が悪かったよ、謝るから……おーい、おーい……この馬鹿野郎っ……ちぇっ、なんだい。ちょっといい顔見せたら調子に乗って」
 しかたなくココは船から飛び降り、足元をずぶ濡れにしながら中洲の岸へ上がった。
 あいにくとココは泳げなかった。船は大きく傾いて、押しても引いても動かせそうもない。この中洲でどこかの船が通りかかるのを待つしかなさそうだ。
 岸辺の濡れていないところに座り込むとココはそれまで握っていた右手を開いた。そこには一枚だけ金貨が握り込まれていた。喧嘩の間も、これだけはと離さなかったのだ。
「ちぇっ、こんなところじゃ金貨も役に立たないねえ」
 あたりは丈の高い草が生い茂り、その隙間にヒョロヒョロと曲がりくねった灌木の枝が見えるばかりだった。
 しだいに日は暮れてくる。川風が肌寒く、ココを震え上がらせた。それでも、ココは慌ててはいなかった。オルテン河は船の行き来も結構あるものと知っていた。今日は無理でも、明日にはどこかの船が通りかかるだろう。
 ココは火を起こそうと枯れ枝や枯れ草を集めた。例の火を生じさせる魔法印を結んでみたが、何も起こらない。
「どうしたっていうんだろう。町にいた時は火吹き芸人にでもなろうかってくらいだったのに……」
 ふと顔を上げたココは暮れていくオルテン河の川面に川霧が立ち昇るのを見た。蒸気の粒子が微細なきらめきを見せながら揺らいでいる。
 その向こうにはオルテン山の山並みが霞んでいた。赤い夕日が山の頂上辺りを燃えるような色に染めていた。
 ココはあのイーグル・アイのことを思い出した。あの裏通りの酒場で青い目のシャーマンは、その魔法は使うなと言った。どうしてだろう。
 ぞっとする思いでココは上着の襟元をかき合わせた。
 その時、ココは世にも恐ろしい声を聞いた。うなじの毛がゾクリと立って、ココは砂の上にへたり込んだ。
 ココの前に現れたのは一匹の蛙だった。
「こ、こっち来るんじゃないよ……ああっ、もうっ、来るな、来るなってば……」
 蛙は手のひらに載るほどの大きさで無邪気な目をギョロつかせていた。
 あいにくとココは蛙が大の苦手だった。
 蛙はオルテン河流域の民には精霊の化身であり、古き信仰の象徴でもあった。気が付くとあたりには蛙の鳴き声が大合唱となって響いていた。
 この中洲は普段、人が近づくこともなく、蛙の楽園のようになっていたのだった。
 草むらから蛙たちがヒョコヒョコと飛び出してきた。ココは濡れた足元をよろけさせながら、しだいに水べりへと追い込まれていった。
「ああそうかい……そういうことかい……この土地の精霊どもは私が嫌いなものを知っているらしいね。それで、こんなのを差し向けて懲らしめてやろうって……」
 気休めの冗談のつもりでそうつぶやいた時、ココは自分の魔法が何に呼びかけていたのかを悟った。
 ココの魔法は死霊に呼びかける魔法だったのだ。この中洲には、あの町のように穢れた死霊はいなかった。ココの魔法が使い物にならないのも当然だ。
 この中洲はオルテン河の川水に洗われ、浄められた精霊たちの巣だったのだ。
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