上 下
101 / 105

第百一章

しおりを挟む
第百一章

 部族和解が成った、その同じ日。
 戦場から逃亡した軍師バレルはカナ族の軍勢が宿営地としていた宿駅にやっとの思いでたどり着いた。
 そこには部族戦争が火蓋を切ったという伝令を受けて、カナ族長老ジルコンが駆けつけていた。しかし、ことはジルコンが期待していたようには進んでいなかった。
「……それで、お前は戦場を放棄してきたと言うのか。呆れた軍師があったものよ」
 バレルは冬だというのに首筋に汗をかき、目を血走らせていた。
「いや、ジルコン様。私は援軍を頼もうと、一時、戦線を離脱したまでのこと。町には武器も蓄えてありましたし……」
「黙れ、口ばかり達者な奴め。その無駄口を叩いているうちに部族戦争の好機は過ぎ去ったようだぞ。お前はその鷲の刺青に恥じるところはないのか。お前の父、ジャルガは確かに口の達者な男だったが、それにふさわしい行いが伴っていたがな」
 ジルコンはバレルに軍師をやらせ、あの闇の王の手下コルウスに肩入れしたことを後悔していた。
 ジルコンは心のうちで密かにブルクット族を高く買っていたのだ。
 遠く王国の神話にまで根を下ろす戦士の部族。顔に古来からの部族の刺青を持つ、どこか神秘的な民。
 王国を我が部族の手に入れようという壮図を前に、ジルコンは自分も王国の伝説の一部になることができるのではという幻影に酔っていたのだ。それによって目が曇らされた。
 ジルコンはバレルの鷲の刺青を横目で見た。宿舎の外の街道には畑地を突っ切ったせいで車輪が泥まみれの一人乗り馬車があった。金属の車軸までひん曲がって御者台は傾いていた。
 いっそ斬ってしまうか。ジルコンは幻影を振り払った心のうちで思った。
 この手の男は人を恨む心が強く、叱責して放逐しようものなら裏切りかねない。ジャルガの息子だと。ジャルガのような男はそうは斬れぬが、この者ならどうにでも。
 そこへ腕の傷に包帯を巻いた遠征隊長が姿を見せた。遠征隊長は背中を丸めてうなだれているバレルの後頭部をいまいましげににらんだ。
 遠征隊長はいったんはカラゲルの作戦にかかって捕虜に取られた、その後、戦場が混乱状態になったすきに部下を引き連れ、ここまで逃げのびたのだった。
 町の群衆に泥玉を食らったりと災難だったが、部下を放り出して逃げなかっただけ、今では兵士たちから一定の信頼を得るまでになっていた。
「ジルコン様、町に残してきた武器を引き上げようと思いますが」
 ジルコンは、また馬鹿者が現れたという顔で深くため息を吐いた。
「いまさら何を言っているのか。我らの軍勢はナホ族を先導すると称して敵前逃亡したのだぞ。武器を引き渡すと思うのか」
「敵前逃亡などしておりません。我らはテン族の部隊を追跡し、戦い、そのうえで武装解除されて捕虜にされたのです。同盟軍のナホ族を見捨てなどしておりません。そこにいる軍師殿をのぞいては」
 バレルは飛び上がるような仕草で顔を上げ、遠征隊長を見た。
「遠征隊長、私は……私はそんなつもりじゃなかったんだ、その……」
 ジルコンは目の前の卓を拳で叩いた。
「いい加減にしないか。遠征隊長、武器は相当な量、残っておるのだろう」
「ナホ族の者たちへ我が軍の威勢を示す意味もありまして貴重な武器が大量に」
「その武器もまったく役に立たずか」
 遠征隊長は得たりとばかりに弁舌を振るった。
「むやみやたらに攻め込むのでなく、定石通りに陣を整えたうえで我らの進んだ武器と敵を大きく上回る兵数で勢いを示してやればよかったのです。これは街道のならず者の棲み家を包囲して攻めるのと似た戦術です。それなら、我らにだって経験があります。現に今年の春にはメル族隊商の護衛隊と共同作戦で……」
「街道のならず者だって。そんなものと一緒になるものか」
 話の腰を折ってバレルが叫んだ。
「羊飼いたちにはカラゲルがついていたんだ。お前はカラゲルを知らないだろう。我が部族きっての勇者と言われていたのだぞ、あいつは」
 遠征隊長は鼻先に薄く笑みを浮かべてうなずいた。
「ええ、敵の軍師の見事な陽動作戦は私も身をもって経験しましたからね。しかし、軍師殿、今さらながら申し上げると、私は止めましたよ。深追いは危険だと」
 バレルはもう何も言い返すことができずに息をあえがせて口をパクパクさせているばかりだった。
 長老ジルコンは疲れ切ったような顔でいらいらと卓の端を指で叩いていた。
「もうよい。武器を引き上げたければそうするがいい。なぜすぐに行かないのだ」
 遠征隊長はうやうやしく頭を下げた。
「それについてジルコン様からナホ族のグイン長老あてに書簡をいただきたいのです。このたびのことについては顔に鷲の刺青のある者たちの策略にかかったので、我がカナ族は騙されていたのだと」
「な、なんだと、我が部族を詐欺師よばわりしようと言うのか!」
 バレルは声をうわずらせ、遠征隊長につかみかからんばかりになった。
 遠征隊長はなおも薄笑いを浮かべていた。
「詐欺師などとは申しておりません。策士とは申せましょうが」
 ジルコンはバレルの言葉など聞きもせず、うんざりした様子で書簡をしたためると、それらしく封をして卓の上に投げ出した。
「これを持って行くがよい。かつて王宮が健在だった頃は我がカナ族がナホ族に詫び状を書くなどということはありえなかったのだぞ。長老グインなど、物の数ではなかったのだ」
「ジルコン様、闇の王の騒動により王国の状況は一変しております。後に禍根を残さぬためにはこれもいたしかたのないことかと」
 ジルコンは癇癪を爆発させそうにこめかみのあたりを引きつらせたが、やがて、うなだれているバレルの肩へ目を向けてニヤリと笑った。
「遠征隊長、この者を連れて行け」
「と申しますと……」
「我らが策士をナホ族に引き渡すのだ。すべてをこの者に背負わせよう。敵前逃亡はそれくらいの重罪だ。そうではないか、遠征隊長」
 バレルは立ち上がり、慌てて逃げ出そうとしたが、不自由な足がもつれて床に倒れた。
 遠征隊長は部下を呼び、バレルを縛り上げさせた。
「さすがは、ジルコン様。これは武器引き渡し交渉の良い手土産になります」
「勘違いするでないぞ。長老グインはすでに部族の中で立場を失っているであろう。この者は族長アーメルに引き渡すのだ。お前のその流暢な弁舌を大いに使うがよい」
 遠征隊長は十数人の部下を率いてナホ族の町へ向かった。バレルは縛られ、荷物のように馬の背に乗せられていた。
 遠征隊長は早速、族長アーメルのもとへジルコンの書簡を手渡し、武器の引き渡しについて承諾を得た。アーメルはジルコンの書簡の内容をすべて納得したわけではなかった。どう見ても言い逃れに過ぎない。
 とはいえ、バレルを引き取らないわけにもいかない。もし、引き取らなかったら斬られてしまうかもしれないからだ。政略めいた交渉事などを好まないアーメルでも、そのくらいは察しがついた。もうこれ以上、人の命が失われるのは避けたい。
 バレルを引き取るからには武器も渡してやらねばなるまい。バレルに騙されたという相手の言い分を聞いてやるということなのだから。
 アーメルの許可を得た遠征隊長以下、カナ族の一隊は武器を預けてあるグインの屋敷へ向かった。そこにある穀物倉が仮の武器庫となっていた。
「調達係、武器の目録は作ってあるだろうな。ちゃんと調べて長老グインに受け取りをもらって帰るのだ」
 カナ族にとって最新の武器を所有していることは他の部族に対して優位に立てる条件の一つだった。となれば、最新の武器は他部族へ流出させるべきではない。調達係が作った目録にある武器はすべて持ち帰らなくてはならない。
 グインの屋敷に到着した遠征隊長は長老へ面会を求めたが、家の者を通じて病気で伏せっていると断りの言葉が帰ってきた。穀物倉に預かったものは一刻も早く持ち去ってもらいたいとのことだ。
 かえって都合がいいと遠征隊長は家の裏手にある穀物倉へ向かった。鍵は調達係が保管して、グインといえどもその扉を開けることはできないようにしてあった。
 調達係が扉を開けて中に入った。続いて穀物倉へ踏み込んだ一行は意外な光景にたちすくんだ。
「おい、これはどういうことだ。武器はどこにある。からっぽではないか」
 遠征隊長に言われた調達係は砂ぼこりにまみれた床の上を右往左往するばかりだった。
「どういうことと言われましても、この間、点検したときはちゃんとすべて揃っていたのですが……あっ、あれを見てください。壁に穴が開けられています」
 調達係は壁に四角く切り取られたような穴があるのへ駆け寄った。見ると、壁の外は町の外濠に通じる水路になっていた。
「ここから盗み出されてしまったのです。きっとそうです」
 遠征隊長は思わず調達係の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「いい加減なことを言うと承知せんぞ。お前、誰かとグルになって武器を盗ませたのではないのか」
「何をおっしゃいます、鍵は私が持っているんですよ。もしそうなら鍵を開けてやればいいだけのことじゃありませんか」
 少し冷静になった遠征隊長は胸倉の手を突き離した。
 壁の穴を調べていた部下が言った。
「これはこの町の者の仕業ですよ。穀物倉の構造をよく知っていなくちゃ、こううまく壁を切り取ることなんかできません」
 遠征隊長は長靴の先で砂ぼこりの他は何もない床を蹴りながら思案している様子だったが、しかたない帰るぞと部下たちに命じた。
「我が部族はこれ以上この町に長居はできない。武器は諦めるしかあるまい」
 ジルコンへ少しでもいいところを見せて、後々の出世の助けにと思ったが、とんだ藪蛇だった。
 去り際に振り返ると、調達係はまだ何か気になることがあるらしく壁に立てかけてある農具の裏などを調べていた。
「おい、何をしている。ぐずぐずするな」
 遠征隊長の怒鳴り声に調達係は小走りで穀物倉を出た。
 馬で町を出た頃になって調達係は思い出したことがあった。
 町にいた間に一日だけ休暇があったが、その時、裏通りの酒場でおかしな女に出会った。調達係はその女に博打で金貨を巻き上げられていた。
「もしかして、あの女が……」
 調達係は武器庫の管理をしていただけでなく、兵士たちのための食料を仕入れる役目も担当していた。
 この男はそのための金貨を少しずつごまかし、穀物を入れる袋の切れ端にくるんで、あの穀物倉の片隅に隠しておいたのだった。武器と一緒に金貨はなくなっていた。
 さっきの未練たらしい様子はそのせいだったのだ。
「あの時はえらく酔っていたからな。もしかして、知らないうちに武器庫のことを話しちまったんじゃ……」
 独り言をつぶやきながら調達係は町を振り返った。蛙の木彫りのある木柵に囲まれた町がしだいに遠ざかっていく。
「なあに、あんな女に何ができるもんか。俺のせいじゃねえ。このいくさはみんな間抜けなお偉方のせいだ」
 カナ族の一隊は砂ぼこりにまみれつつ街道に馬を走らせていった。この町に乗り込んで来た時の威勢は見る影もなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

〈完結〉この女を家に入れたことが父にとっての致命傷でした。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」アリサは父の後妻の言葉により、家を追い出されることとなる。 だがそれは待ち望んでいた日がやってきたでもあった。横領の罪で連座蟄居されられていた祖父の復活する日だった。 十年前、八歳の時からアリサは父と後妻により使用人として扱われてきた。 ところが自分の代わりに可愛がられてきたはずの異母妹ミュゼットまでもが、義母によって使用人に落とされてしまった。義母は自分の周囲に年頃の女が居ること自体が気に食わなかったのだ。 元々それぞれ自体は仲が悪い訳ではなかった二人は、お互い使用人の立場で二年間共に過ごすが、ミュゼットへの義母の仕打ちの酷さに、アリサは彼女を乳母のもとへ逃がす。 そして更に二年、とうとうその日が来た…… 

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する

土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。 異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。 その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。 心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。 ※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。 前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。 主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。 小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...