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第百一章
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第百一章
部族和解が成った、その同じ日。
戦場から逃亡した軍師バレルはカナ族の軍勢が宿営地としていた宿駅にやっとの思いでたどり着いた。
そこには部族戦争が火蓋を切ったという伝令を受けて、カナ族長老ジルコンが駆けつけていた。しかし、ことはジルコンが期待していたようには進んでいなかった。
「……それで、お前は戦場を放棄してきたと言うのか。呆れた軍師があったものよ」
バレルは冬だというのに首筋に汗をかき、目を血走らせていた。
「いや、ジルコン様。私は援軍を頼もうと、一時、戦線を離脱したまでのこと。町には武器も蓄えてありましたし……」
「黙れ、口ばかり達者な奴め。その無駄口を叩いているうちに部族戦争の好機は過ぎ去ったようだぞ。お前はその鷲の刺青に恥じるところはないのか。お前の父、ジャルガは確かに口の達者な男だったが、それにふさわしい行いが伴っていたがな」
ジルコンはバレルに軍師をやらせ、あの闇の王の手下コルウスに肩入れしたことを後悔していた。
ジルコンは心のうちで密かにブルクット族を高く買っていたのだ。
遠く王国の神話にまで根を下ろす戦士の部族。顔に古来からの部族の刺青を持つ、どこか神秘的な民。
王国を我が部族の手に入れようという壮図を前に、ジルコンは自分も王国の伝説の一部になることができるのではという幻影に酔っていたのだ。それによって目が曇らされた。
ジルコンはバレルの鷲の刺青を横目で見た。宿舎の外の街道には畑地を突っ切ったせいで車輪が泥まみれの一人乗り馬車があった。金属の車軸までひん曲がって御者台は傾いていた。
いっそ斬ってしまうか。ジルコンは幻影を振り払った心のうちで思った。
この手の男は人を恨む心が強く、叱責して放逐しようものなら裏切りかねない。ジャルガの息子だと。ジャルガのような男はそうは斬れぬが、この者ならどうにでも。
そこへ腕の傷に包帯を巻いた遠征隊長が姿を見せた。遠征隊長は背中を丸めてうなだれているバレルの後頭部をいまいましげににらんだ。
遠征隊長はいったんはカラゲルの作戦にかかって捕虜に取られた、その後、戦場が混乱状態になったすきに部下を引き連れ、ここまで逃げのびたのだった。
町の群衆に泥玉を食らったりと災難だったが、部下を放り出して逃げなかっただけ、今では兵士たちから一定の信頼を得るまでになっていた。
「ジルコン様、町に残してきた武器を引き上げようと思いますが」
ジルコンは、また馬鹿者が現れたという顔で深くため息を吐いた。
「いまさら何を言っているのか。我らの軍勢はナホ族を先導すると称して敵前逃亡したのだぞ。武器を引き渡すと思うのか」
「敵前逃亡などしておりません。我らはテン族の部隊を追跡し、戦い、そのうえで武装解除されて捕虜にされたのです。同盟軍のナホ族を見捨てなどしておりません。そこにいる軍師殿をのぞいては」
バレルは飛び上がるような仕草で顔を上げ、遠征隊長を見た。
「遠征隊長、私は……私はそんなつもりじゃなかったんだ、その……」
ジルコンは目の前の卓を拳で叩いた。
「いい加減にしないか。遠征隊長、武器は相当な量、残っておるのだろう」
「ナホ族の者たちへ我が軍の威勢を示す意味もありまして貴重な武器が大量に」
「その武器もまったく役に立たずか」
遠征隊長は得たりとばかりに弁舌を振るった。
「むやみやたらに攻め込むのでなく、定石通りに陣を整えたうえで我らの進んだ武器と敵を大きく上回る兵数で勢いを示してやればよかったのです。これは街道のならず者の棲み家を包囲して攻めるのと似た戦術です。それなら、我らにだって経験があります。現に今年の春にはメル族隊商の護衛隊と共同作戦で……」
「街道のならず者だって。そんなものと一緒になるものか」
話の腰を折ってバレルが叫んだ。
「羊飼いたちにはカラゲルがついていたんだ。お前はカラゲルを知らないだろう。我が部族きっての勇者と言われていたのだぞ、あいつは」
遠征隊長は鼻先に薄く笑みを浮かべてうなずいた。
「ええ、敵の軍師の見事な陽動作戦は私も身をもって経験しましたからね。しかし、軍師殿、今さらながら申し上げると、私は止めましたよ。深追いは危険だと」
バレルはもう何も言い返すことができずに息をあえがせて口をパクパクさせているばかりだった。
長老ジルコンは疲れ切ったような顔でいらいらと卓の端を指で叩いていた。
「もうよい。武器を引き上げたければそうするがいい。なぜすぐに行かないのだ」
遠征隊長はうやうやしく頭を下げた。
「それについてジルコン様からナホ族のグイン長老あてに書簡をいただきたいのです。このたびのことについては顔に鷲の刺青のある者たちの策略にかかったので、我がカナ族は騙されていたのだと」
「な、なんだと、我が部族を詐欺師よばわりしようと言うのか!」
バレルは声をうわずらせ、遠征隊長につかみかからんばかりになった。
遠征隊長はなおも薄笑いを浮かべていた。
「詐欺師などとは申しておりません。策士とは申せましょうが」
ジルコンはバレルの言葉など聞きもせず、うんざりした様子で書簡をしたためると、それらしく封をして卓の上に投げ出した。
「これを持って行くがよい。かつて王宮が健在だった頃は我がカナ族がナホ族に詫び状を書くなどということはありえなかったのだぞ。長老グインなど、物の数ではなかったのだ」
「ジルコン様、闇の王の騒動により王国の状況は一変しております。後に禍根を残さぬためにはこれもいたしかたのないことかと」
ジルコンは癇癪を爆発させそうにこめかみのあたりを引きつらせたが、やがて、うなだれているバレルの肩へ目を向けてニヤリと笑った。
「遠征隊長、この者を連れて行け」
「と申しますと……」
「我らが策士をナホ族に引き渡すのだ。すべてをこの者に背負わせよう。敵前逃亡はそれくらいの重罪だ。そうではないか、遠征隊長」
バレルは立ち上がり、慌てて逃げ出そうとしたが、不自由な足がもつれて床に倒れた。
遠征隊長は部下を呼び、バレルを縛り上げさせた。
「さすがは、ジルコン様。これは武器引き渡し交渉の良い手土産になります」
「勘違いするでないぞ。長老グインはすでに部族の中で立場を失っているであろう。この者は族長アーメルに引き渡すのだ。お前のその流暢な弁舌を大いに使うがよい」
遠征隊長は十数人の部下を率いてナホ族の町へ向かった。バレルは縛られ、荷物のように馬の背に乗せられていた。
遠征隊長は早速、族長アーメルのもとへジルコンの書簡を手渡し、武器の引き渡しについて承諾を得た。アーメルはジルコンの書簡の内容をすべて納得したわけではなかった。どう見ても言い逃れに過ぎない。
とはいえ、バレルを引き取らないわけにもいかない。もし、引き取らなかったら斬られてしまうかもしれないからだ。政略めいた交渉事などを好まないアーメルでも、そのくらいは察しがついた。もうこれ以上、人の命が失われるのは避けたい。
バレルを引き取るからには武器も渡してやらねばなるまい。バレルに騙されたという相手の言い分を聞いてやるということなのだから。
アーメルの許可を得た遠征隊長以下、カナ族の一隊は武器を預けてあるグインの屋敷へ向かった。そこにある穀物倉が仮の武器庫となっていた。
「調達係、武器の目録は作ってあるだろうな。ちゃんと調べて長老グインに受け取りをもらって帰るのだ」
カナ族にとって最新の武器を所有していることは他の部族に対して優位に立てる条件の一つだった。となれば、最新の武器は他部族へ流出させるべきではない。調達係が作った目録にある武器はすべて持ち帰らなくてはならない。
グインの屋敷に到着した遠征隊長は長老へ面会を求めたが、家の者を通じて病気で伏せっていると断りの言葉が帰ってきた。穀物倉に預かったものは一刻も早く持ち去ってもらいたいとのことだ。
かえって都合がいいと遠征隊長は家の裏手にある穀物倉へ向かった。鍵は調達係が保管して、グインといえどもその扉を開けることはできないようにしてあった。
調達係が扉を開けて中に入った。続いて穀物倉へ踏み込んだ一行は意外な光景にたちすくんだ。
「おい、これはどういうことだ。武器はどこにある。からっぽではないか」
遠征隊長に言われた調達係は砂ぼこりにまみれた床の上を右往左往するばかりだった。
「どういうことと言われましても、この間、点検したときはちゃんとすべて揃っていたのですが……あっ、あれを見てください。壁に穴が開けられています」
調達係は壁に四角く切り取られたような穴があるのへ駆け寄った。見ると、壁の外は町の外濠に通じる水路になっていた。
「ここから盗み出されてしまったのです。きっとそうです」
遠征隊長は思わず調達係の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「いい加減なことを言うと承知せんぞ。お前、誰かとグルになって武器を盗ませたのではないのか」
「何をおっしゃいます、鍵は私が持っているんですよ。もしそうなら鍵を開けてやればいいだけのことじゃありませんか」
少し冷静になった遠征隊長は胸倉の手を突き離した。
壁の穴を調べていた部下が言った。
「これはこの町の者の仕業ですよ。穀物倉の構造をよく知っていなくちゃ、こううまく壁を切り取ることなんかできません」
遠征隊長は長靴の先で砂ぼこりの他は何もない床を蹴りながら思案している様子だったが、しかたない帰るぞと部下たちに命じた。
「我が部族はこれ以上この町に長居はできない。武器は諦めるしかあるまい」
ジルコンへ少しでもいいところを見せて、後々の出世の助けにと思ったが、とんだ藪蛇だった。
去り際に振り返ると、調達係はまだ何か気になることがあるらしく壁に立てかけてある農具の裏などを調べていた。
「おい、何をしている。ぐずぐずするな」
遠征隊長の怒鳴り声に調達係は小走りで穀物倉を出た。
馬で町を出た頃になって調達係は思い出したことがあった。
町にいた間に一日だけ休暇があったが、その時、裏通りの酒場でおかしな女に出会った。調達係はその女に博打で金貨を巻き上げられていた。
「もしかして、あの女が……」
調達係は武器庫の管理をしていただけでなく、兵士たちのための食料を仕入れる役目も担当していた。
この男はそのための金貨を少しずつごまかし、穀物を入れる袋の切れ端にくるんで、あの穀物倉の片隅に隠しておいたのだった。武器と一緒に金貨はなくなっていた。
さっきの未練たらしい様子はそのせいだったのだ。
「あの時はえらく酔っていたからな。もしかして、知らないうちに武器庫のことを話しちまったんじゃ……」
独り言をつぶやきながら調達係は町を振り返った。蛙の木彫りのある木柵に囲まれた町がしだいに遠ざかっていく。
「なあに、あんな女に何ができるもんか。俺のせいじゃねえ。このいくさはみんな間抜けなお偉方のせいだ」
カナ族の一隊は砂ぼこりにまみれつつ街道に馬を走らせていった。この町に乗り込んで来た時の威勢は見る影もなかった。
部族和解が成った、その同じ日。
戦場から逃亡した軍師バレルはカナ族の軍勢が宿営地としていた宿駅にやっとの思いでたどり着いた。
そこには部族戦争が火蓋を切ったという伝令を受けて、カナ族長老ジルコンが駆けつけていた。しかし、ことはジルコンが期待していたようには進んでいなかった。
「……それで、お前は戦場を放棄してきたと言うのか。呆れた軍師があったものよ」
バレルは冬だというのに首筋に汗をかき、目を血走らせていた。
「いや、ジルコン様。私は援軍を頼もうと、一時、戦線を離脱したまでのこと。町には武器も蓄えてありましたし……」
「黙れ、口ばかり達者な奴め。その無駄口を叩いているうちに部族戦争の好機は過ぎ去ったようだぞ。お前はその鷲の刺青に恥じるところはないのか。お前の父、ジャルガは確かに口の達者な男だったが、それにふさわしい行いが伴っていたがな」
ジルコンはバレルに軍師をやらせ、あの闇の王の手下コルウスに肩入れしたことを後悔していた。
ジルコンは心のうちで密かにブルクット族を高く買っていたのだ。
遠く王国の神話にまで根を下ろす戦士の部族。顔に古来からの部族の刺青を持つ、どこか神秘的な民。
王国を我が部族の手に入れようという壮図を前に、ジルコンは自分も王国の伝説の一部になることができるのではという幻影に酔っていたのだ。それによって目が曇らされた。
ジルコンはバレルの鷲の刺青を横目で見た。宿舎の外の街道には畑地を突っ切ったせいで車輪が泥まみれの一人乗り馬車があった。金属の車軸までひん曲がって御者台は傾いていた。
いっそ斬ってしまうか。ジルコンは幻影を振り払った心のうちで思った。
この手の男は人を恨む心が強く、叱責して放逐しようものなら裏切りかねない。ジャルガの息子だと。ジャルガのような男はそうは斬れぬが、この者ならどうにでも。
そこへ腕の傷に包帯を巻いた遠征隊長が姿を見せた。遠征隊長は背中を丸めてうなだれているバレルの後頭部をいまいましげににらんだ。
遠征隊長はいったんはカラゲルの作戦にかかって捕虜に取られた、その後、戦場が混乱状態になったすきに部下を引き連れ、ここまで逃げのびたのだった。
町の群衆に泥玉を食らったりと災難だったが、部下を放り出して逃げなかっただけ、今では兵士たちから一定の信頼を得るまでになっていた。
「ジルコン様、町に残してきた武器を引き上げようと思いますが」
ジルコンは、また馬鹿者が現れたという顔で深くため息を吐いた。
「いまさら何を言っているのか。我らの軍勢はナホ族を先導すると称して敵前逃亡したのだぞ。武器を引き渡すと思うのか」
「敵前逃亡などしておりません。我らはテン族の部隊を追跡し、戦い、そのうえで武装解除されて捕虜にされたのです。同盟軍のナホ族を見捨てなどしておりません。そこにいる軍師殿をのぞいては」
バレルは飛び上がるような仕草で顔を上げ、遠征隊長を見た。
「遠征隊長、私は……私はそんなつもりじゃなかったんだ、その……」
ジルコンは目の前の卓を拳で叩いた。
「いい加減にしないか。遠征隊長、武器は相当な量、残っておるのだろう」
「ナホ族の者たちへ我が軍の威勢を示す意味もありまして貴重な武器が大量に」
「その武器もまったく役に立たずか」
遠征隊長は得たりとばかりに弁舌を振るった。
「むやみやたらに攻め込むのでなく、定石通りに陣を整えたうえで我らの進んだ武器と敵を大きく上回る兵数で勢いを示してやればよかったのです。これは街道のならず者の棲み家を包囲して攻めるのと似た戦術です。それなら、我らにだって経験があります。現に今年の春にはメル族隊商の護衛隊と共同作戦で……」
「街道のならず者だって。そんなものと一緒になるものか」
話の腰を折ってバレルが叫んだ。
「羊飼いたちにはカラゲルがついていたんだ。お前はカラゲルを知らないだろう。我が部族きっての勇者と言われていたのだぞ、あいつは」
遠征隊長は鼻先に薄く笑みを浮かべてうなずいた。
「ええ、敵の軍師の見事な陽動作戦は私も身をもって経験しましたからね。しかし、軍師殿、今さらながら申し上げると、私は止めましたよ。深追いは危険だと」
バレルはもう何も言い返すことができずに息をあえがせて口をパクパクさせているばかりだった。
長老ジルコンは疲れ切ったような顔でいらいらと卓の端を指で叩いていた。
「もうよい。武器を引き上げたければそうするがいい。なぜすぐに行かないのだ」
遠征隊長はうやうやしく頭を下げた。
「それについてジルコン様からナホ族のグイン長老あてに書簡をいただきたいのです。このたびのことについては顔に鷲の刺青のある者たちの策略にかかったので、我がカナ族は騙されていたのだと」
「な、なんだと、我が部族を詐欺師よばわりしようと言うのか!」
バレルは声をうわずらせ、遠征隊長につかみかからんばかりになった。
遠征隊長はなおも薄笑いを浮かべていた。
「詐欺師などとは申しておりません。策士とは申せましょうが」
ジルコンはバレルの言葉など聞きもせず、うんざりした様子で書簡をしたためると、それらしく封をして卓の上に投げ出した。
「これを持って行くがよい。かつて王宮が健在だった頃は我がカナ族がナホ族に詫び状を書くなどということはありえなかったのだぞ。長老グインなど、物の数ではなかったのだ」
「ジルコン様、闇の王の騒動により王国の状況は一変しております。後に禍根を残さぬためにはこれもいたしかたのないことかと」
ジルコンは癇癪を爆発させそうにこめかみのあたりを引きつらせたが、やがて、うなだれているバレルの肩へ目を向けてニヤリと笑った。
「遠征隊長、この者を連れて行け」
「と申しますと……」
「我らが策士をナホ族に引き渡すのだ。すべてをこの者に背負わせよう。敵前逃亡はそれくらいの重罪だ。そうではないか、遠征隊長」
バレルは立ち上がり、慌てて逃げ出そうとしたが、不自由な足がもつれて床に倒れた。
遠征隊長は部下を呼び、バレルを縛り上げさせた。
「さすがは、ジルコン様。これは武器引き渡し交渉の良い手土産になります」
「勘違いするでないぞ。長老グインはすでに部族の中で立場を失っているであろう。この者は族長アーメルに引き渡すのだ。お前のその流暢な弁舌を大いに使うがよい」
遠征隊長は十数人の部下を率いてナホ族の町へ向かった。バレルは縛られ、荷物のように馬の背に乗せられていた。
遠征隊長は早速、族長アーメルのもとへジルコンの書簡を手渡し、武器の引き渡しについて承諾を得た。アーメルはジルコンの書簡の内容をすべて納得したわけではなかった。どう見ても言い逃れに過ぎない。
とはいえ、バレルを引き取らないわけにもいかない。もし、引き取らなかったら斬られてしまうかもしれないからだ。政略めいた交渉事などを好まないアーメルでも、そのくらいは察しがついた。もうこれ以上、人の命が失われるのは避けたい。
バレルを引き取るからには武器も渡してやらねばなるまい。バレルに騙されたという相手の言い分を聞いてやるということなのだから。
アーメルの許可を得た遠征隊長以下、カナ族の一隊は武器を預けてあるグインの屋敷へ向かった。そこにある穀物倉が仮の武器庫となっていた。
「調達係、武器の目録は作ってあるだろうな。ちゃんと調べて長老グインに受け取りをもらって帰るのだ」
カナ族にとって最新の武器を所有していることは他の部族に対して優位に立てる条件の一つだった。となれば、最新の武器は他部族へ流出させるべきではない。調達係が作った目録にある武器はすべて持ち帰らなくてはならない。
グインの屋敷に到着した遠征隊長は長老へ面会を求めたが、家の者を通じて病気で伏せっていると断りの言葉が帰ってきた。穀物倉に預かったものは一刻も早く持ち去ってもらいたいとのことだ。
かえって都合がいいと遠征隊長は家の裏手にある穀物倉へ向かった。鍵は調達係が保管して、グインといえどもその扉を開けることはできないようにしてあった。
調達係が扉を開けて中に入った。続いて穀物倉へ踏み込んだ一行は意外な光景にたちすくんだ。
「おい、これはどういうことだ。武器はどこにある。からっぽではないか」
遠征隊長に言われた調達係は砂ぼこりにまみれた床の上を右往左往するばかりだった。
「どういうことと言われましても、この間、点検したときはちゃんとすべて揃っていたのですが……あっ、あれを見てください。壁に穴が開けられています」
調達係は壁に四角く切り取られたような穴があるのへ駆け寄った。見ると、壁の外は町の外濠に通じる水路になっていた。
「ここから盗み出されてしまったのです。きっとそうです」
遠征隊長は思わず調達係の胸倉をつかんで怒鳴りつけた。
「いい加減なことを言うと承知せんぞ。お前、誰かとグルになって武器を盗ませたのではないのか」
「何をおっしゃいます、鍵は私が持っているんですよ。もしそうなら鍵を開けてやればいいだけのことじゃありませんか」
少し冷静になった遠征隊長は胸倉の手を突き離した。
壁の穴を調べていた部下が言った。
「これはこの町の者の仕業ですよ。穀物倉の構造をよく知っていなくちゃ、こううまく壁を切り取ることなんかできません」
遠征隊長は長靴の先で砂ぼこりの他は何もない床を蹴りながら思案している様子だったが、しかたない帰るぞと部下たちに命じた。
「我が部族はこれ以上この町に長居はできない。武器は諦めるしかあるまい」
ジルコンへ少しでもいいところを見せて、後々の出世の助けにと思ったが、とんだ藪蛇だった。
去り際に振り返ると、調達係はまだ何か気になることがあるらしく壁に立てかけてある農具の裏などを調べていた。
「おい、何をしている。ぐずぐずするな」
遠征隊長の怒鳴り声に調達係は小走りで穀物倉を出た。
馬で町を出た頃になって調達係は思い出したことがあった。
町にいた間に一日だけ休暇があったが、その時、裏通りの酒場でおかしな女に出会った。調達係はその女に博打で金貨を巻き上げられていた。
「もしかして、あの女が……」
調達係は武器庫の管理をしていただけでなく、兵士たちのための食料を仕入れる役目も担当していた。
この男はそのための金貨を少しずつごまかし、穀物を入れる袋の切れ端にくるんで、あの穀物倉の片隅に隠しておいたのだった。武器と一緒に金貨はなくなっていた。
さっきの未練たらしい様子はそのせいだったのだ。
「あの時はえらく酔っていたからな。もしかして、知らないうちに武器庫のことを話しちまったんじゃ……」
独り言をつぶやきながら調達係は町を振り返った。蛙の木彫りのある木柵に囲まれた町がしだいに遠ざかっていく。
「なあに、あんな女に何ができるもんか。俺のせいじゃねえ。このいくさはみんな間抜けなお偉方のせいだ」
カナ族の一隊は砂ぼこりにまみれつつ街道に馬を走らせていった。この町に乗り込んで来た時の威勢は見る影もなかった。
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