地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第九十一章

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第九十一章

 次の日の夜明け頃、クランとアルテ、そしてブンド族の一行は裏通りの酒場を出た。
 いまや二人のシャーマンは、いしにえの道をたどるべきことを悟っていた。
 アルテの父であるノガレが我が身が生んだ怪物と戦っていたオルテン山中のあの洞窟。精霊が指した北は、あの洞窟を示している。二人はそう見てとった。
 そうとなれば一刻も早くミアレ姫たちが待つクレオンの天幕へ帰るべきだ。
 裏通りは夜中に降ったみぞれでぬかるんでいた。足の下で氷が割れる音がした。
 どことなく町には不穏な空気が漂っているようだった。一行は町を出る橋への道を急いだ。
 嫌な予感は当たっていた。町の出口はカナ族の軍勢で封鎖されていた。町の者たちには何の知らせもなく戦争は準備されていたのだ。
「近いうちにテン族との戦が始まる。何人たりとも町から出さぬようにと、長老グイン様からのご命令だ」
「帰れ、帰れ、誰も出すことはできんぞ!」
 きらめく鎧兜で固めた軍勢が槍を横にして、外へ出ようとする者たちを押し返していた。不満げな声がそこかしこから上がった。
「俺たちは畑仕事に行かなくちゃならない。通してくれ」
「そうとも、いくらグイン様のお達しとは言え、道を塞ぐとは横暴だぞ」
「戦など知ったことか。また黒い虫や狼に土地を荒らされたらどうしてくれる」
 騒ぎ立つ部族の民の前にカナ族の遠征隊長が姿を見せた。群衆に呼びかけるため一段高い台を持って来させてその上に立ち、そっくり返った姿勢で大声を張り上げた。
「諸君、聞いてくれたまえ。このたびの戦いはただ二つの部族の争いというだけでなく王国の未来を決するものだ。それゆえにこそ我らも軍勢を率いて馳せ参じた。一大決戦が始まろうというこの時、畑仕事など何だと言うのだ。我らは……」
 群衆は足元の泥をつかむと罵声とともに隊長めがけて投げつけた。
 金の縁取りのある長衣はたちまち泥にまみれ、隊長の顔や髪にまで泥の塊が降り注いだ。よろけた拍子に台の上から転げ落ちた隊長は兵隊に助けられながら逃げ去った。
 それでも軍勢は命令どおり橋を固めて動こうとしなかった。急を聞いて駆けつけた自警団が槍を振り回して同族の民を追い払った。
 クランたち一行は群衆に押されて後ずさり、かしらの指示で近くの建物の隙間へ入った。裏道へ抜けて何とか難を逃れた一行だが、この事態には戸惑うばかりだ。
「シャーマンよ、いよいよ戦争が始まるようだ。これじゃ、クレオンの天幕へなんぞ行けそうもないぞ」
 かしらの言葉に二人のシャーマンも困り顔だった。神殿の精霊もこんなことになるとは教えてくれなかった。
 その時、頭上にオローが来て、甲高い鳴き声を響かせた。それを見上げたアルテが言った。
「イーグル・アイよ。オローに託してみたらどうだ」
「まさか、オローをあの山へか」
「いいや、そうではない。オローに手紙とあの白い筋の石をつけて送ってやったら」
 クランも空を見上げた。その青い瞳に天高く円を描く鷲の姿が映った。
「うむ、それも手だ。戦が始まる前に間に合うといいが……」
「手紙の宛先はユーグ様か。精霊の声を聞こうというのだからな。それとも、いっそのことクレオンに。あの人は頼りがいのある人だから」
 クランは首を横に振った。口元に薄く笑みが浮かんでいる。
「いや、もっとふさわしい者がいる。あいつにもひとつ試練を与えてやらねば」

 しばらくして夜もすっかり明けた頃、クレオンの天幕の前では男たち四人とミアレ姫が額を突き合わせていた。
「しかし、なぜ、カラゲルなのだ。ことは古代の精霊に関わることだぞ。むしろ、私の方が適任のはずだ」
 ユーグの手には少し前にオローが届けた手紙があった。クレオンはかぶりを振って言った。
「イーグル・アイはことを戦にまつわることと見ているのだろう。とすれば稲妻の刺青の者こそふさわしい。その血脈こそ」
 ユーグは言った。
「おい、カラゲル。お前、行けるのか。精霊の言葉を聞くのだぞ。クランはそこに我らが取るべき道があるというのだが」
 ユーグはカラゲルに手紙を渡した。カラゲルは手紙にさっと目を通すと横にいるミアレ姫に渡した。
 カラゲルは何か考え込む顔つきで白い筋のついた石を手の中でもてあそんでいた。
「さあな、俺にも分からないが、クランのご指名となれば逃げるわけにはいかない」
 カラゲルは北の山並みへ目をやった。昨夜の雪のせいで峰はひときわ白く輝いていた。
「なあに、連中もいきなり攻め寄せては来ないだろう。ひとっ走り行ってくるさ。なあ、アーメルよ。お前も一緒に行くか」
 アーメルはいまだに野営して行き場のない難民たちの様子を見に来たところだった。我がテン族の戦もさることながら、難民たちのことも大いに気になる。
 アーメルは食糧に加え、テン族が春から秋の遊牧の時期に使っている予備の天幕を運んできた。難民たちの多くは王都の民だ。野に天幕を張るのに慣れていないが、声をかけ合いながら作業している姿はどこか楽しげにすら見えた。
 アーメルは手を目の上にかざしてオルテン山を眺めた。
「あの山の中に何があるって言うんです」
 カラゲルもまぶしげに目を細めていた。
「お前たちの聖地かも知れんぞ。クレオンから聞いたが、テン族の聖地は本来オルテン山のどこかにあるという話だ」
「ええ、長老たちもそう言っていますが、私はそこへは行ったことがありませんね。我が部族の聖地といえば草原の道しるべと決まっています。部族の民の魂はそこから天へ昇るってわけで、お供え物をしたり酒を注いだりしてね」
 カラゲルはアルテの父ノガレのことを話した。ナビ教の隠者であったが、ノガレはみずからの幻影が産んだ洞窟の怪物と戦い続けていた。
「洞窟の怪物はクランと姫さまの力で消え失せたが、その洞窟の深いところで俺たちは泉を見つけた。何やらいわくありげな泉だったな」
 アーメルはカラゲルの横顔へ目をやり、考え込むような顔になった。
「そこが我が部族の真の聖地だと言うんですか。そこにナビ教の隠者が住み着いて化け物を産んだと。なんだかナホ族の神殿と似ているな。あそこもナビ教の祭司が勝手に神像を運び込んだと聞きましたよ」
 カラゲルは稲妻の刺青をゆがめて、ユーグとクレオンを振り返った。
「こうなると闇の力もさることながら、ナビ教の祭司がこの土地の信仰をひん曲げているように思えてくる。おい、アーメルよ、古き部族の血を継ぐ族長よ、見てみろ、あの面を。ここにはお偉いナビ教祭司が二人も顔を揃えているが、ことはこじれる一方だ」
 ユーグはからかうようなカラゲルの言葉に顔色を変えた。
「ひん曲げるだと、馬鹿を言うな。ノガレはもちろんだが、ナホ族の町にいる祭司も堕落しているのだ。ナビ教の真の教えに従いさえすれば……」
 ユーグの言葉をクレオンが手で制した。
「いや、稲妻の刺青の者が言うのは本当だ。私はこの地にはびこる堕落した教えを嫌い、できるならそれを正そうとしてきた。しかし、それも無駄であったようだ」
 アーメルはクレオンを慕っていたのでカラゲルのように辛辣な口を利く気はなかった。
「クレオン様、無駄なんてことはありませんよ。土地の信仰と言ったってシャーマンの言うことをみんな聞くのは我々には厳しすぎる」
 カラゲルが、それはそうだという顔でうなずいた。
「ナビ教くらいがちょうどいいと言うのか。分からんでもない」
 ミアレ姫の手にあるクランからの手紙に目をやって、カラゲルは言った。
「クランはシャーマンになってからすっかり変わってしまった。妙にクソ真面目になって……まあいい、今のところはクランがよこしたこの石と一緒にシャーマンの道をたどるとしよう。たとえ厳しくてもな。どうする、アーメル、行くのか。まだ戦争が始まるには少し時間がありそうだぞ」
「行きましょう。だって、そこが我が部族の真の聖地かも知れないんでしょう。一度はこの目で見ておかなくちゃ」
 その時、ずっと無言だったミアレ姫が手紙から顔を上げた。
「私も一緒に行きます」
 カラゲルとアーメルは怪訝そうに顔を見合わせた。
 ユーグは止めに入った。
「姫さま、おやめください。何が起こるか分からないのですから」
 ミアレ姫はもう一度、手紙に目を向けて言った。
「この手紙には少しの言葉しか書かれていませんが、クランは精霊の道を見極めようとしている様子。でも、あの洞窟からは部族の民の信仰は失われているはずです。ならば精霊の繁き者がそこへ行って力を添えることが必要でしょう。違うかしら、センセイ」
 ミアレ姫は口元に笑みを浮かべて言った。
 草原と森を越えてきた旅のせいでミアレ姫の顔はいくらか日焼けして頬のあたりに草花の種のようなそばかすが見えていた。
 ユーグは戸惑いながらも姫の言うことにうなずいた。
「仰せには一理あります。ならば私も姫とともに参りましょう」
 ユーグの言葉にクレオンまで、よし私もと言い出した。
 カラゲルは呆れた顔でそれを止めた。
「よせやい、そう何人もぞろぞろと。時間があると言っても、せっぱつまっていることに変わりないんだ。そっちの年寄り二人は御免だ。姫さまは来るがいい。ただし、覚悟決めて頼むぜ。夜通しすっ飛ばすからも知れないからな」
「そんなことは承知の上です」
 ミアレ姫はカラゲルの顔をムッとしてにらんだ。
 アーメルが言った。
「道中、我らの冬営地で馬を換えて乗り継げば明日の夜明け前には帰って来れるでしょう。向こうで何が起こるかによりますがね」
 その時、オローの鋭い鳴き声が聞こえてきた。
 アーメルは天幕の前のとまり木に目をやった。
「あの鷲も一緒に行きますかね」
 カラゲルはうなずいた。
「その気らしいな。矢のように、稲妻のように飛ぶ鷲だ。あいつが俺たちを導いてくれるだろう」
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