地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

文字の大きさ
上 下
90 / 206

第九十章

しおりを挟む
第九十章

 クランは族長ホワソンに深き泉の水を汲み、神殿へ持っていくつもりだと告げた。
「イーグル・アイよ、神殿へ水を運ぶのなら気をつけることだ」
 ホワソンはこの間の騒動のことを話した。
「道のどこかで知らぬ間に水を穢されてしまったのだ。町の者には気の毒なことをした。私が油断していたのがいけなかった。今はあなたたちシャーマンがいるから安心だろうが……そうだ、この器を使うといい」
 ホワソンは家の中から青銅製の蓋付きの水差しを持ってきた。
「これには魔除けの図案が施されている。穢れを避けることができるかも知れない」
 さして大きなものでなく儀礼用かもしくは装飾用のものだろう。由緒ありげな古いものだ。その側面には蛙の像が浮き彫りにされていた。
 水差しを抱くようにして蛙が両手両足を広げている。それを背中側から描写したものだ。これと同じものは町を囲む木柵の上にもある。また、テン族の冬営地にも似たものがあったのをクランは覚えていた。
 クランは蛙の背中のうねうねと波打つ縞模様を見て言った。
「族長よ、それはなかなか面白いものだな。部族の伝来の物だろう。しかし、私は決して穢されることのない器を持っている」
 しばらくして、クランとアルテ、そしてブンド族の一行は広場に向かっていった。月はすでに中天にかかっていた。新月へ向かわんとする下弦の月だ。急がねばならない。
 一行は黙々と広場へ歩いていた。あたりは奇妙なほど静まり返っている。
 ふと立ち止まったクランは深く頭に被っていた羊の生皮の端から夜空を見上げた。
 月の光を受けて、黒い薄衣のようなものがゆらめくのが見えた。虫だ。
 黒い虫はざあっと豪雨のような音とともに頭上から襲いかかってきた。ブンド族たちは慌てふためき、まとわりついてくる虫を手で追い払った。
 クランは一行の真ん中に立ち、無言のまま毛皮を振りながら、手で、下がれと合図した。
 クランはセレチェンの剣を抜いた。月の光よりも青白く刀身がきらめき、あたりは一瞬で凍てつく冷気に包まれた。
 ブンド族たちは肌を裂かれるような冷気から身を守ろうと道の上にうずくまった。太鼓を持っていた者は皮を守るために上着の懐に太鼓を抱きかかえた。
 宙を飛び交っていた虫は凍りつき、かさかさと乾いた音をさせて、まるで灰が降るように地面に落ちた。月の光の中で黒い虫は地に吸われて消えた。
 クランは静かに剣を納めると、うずくまっていたアルテの背中を叩いて、また歩き出した。一行は立ち上がり、その後をついていった。太鼓は無事だった。
 広場にはたくさんの人が集まって群衆を成していた。戦争が始まりそうだというのに人々は陽気な声を上げていた。いや、むしろ戦争のせいで興奮状態だったのかもしれない。あたりにいくつもの篝火が焚かれ、冷たい夜風を受けて轟々と唸りを上げている。
 かしらが合図してブンド族たちは一斉に太鼓を鳴らし始めた。行列を作って広場へ入っていくと群衆は波が引くように二つに分かれて旅芸人たちを迎えた。
 太鼓は人々の熱気を受けて高鳴った。町を流していた時とは気合の入れようが違う。
 先頭に立っているのは顔に煤で精霊のしるしを描いている子供たちで、トンボを切って立ち並ぶ群衆をかき分けていく。人形使いたちはみずからも踊りながら、いずれ影絵になる人形を踊らせている。
 太鼓を叩く者たちは二人のシャーマンを守るように取り囲んでいた。
 ブンド族たちは神殿前の階段のすぐ下までやって来た。そのまま群衆の歓声に背を押されながら大階段を上がっていく。
 クランは羊の生皮を目の上にかかげて神殿を見上げた。これが聖地だろうか。
 まぶたを閉じると半月の光と影の中をおぼろげな死霊の姿が飛び交っているのが感じられた。
 それでも、かろうじて神殿の中には厳かな何者かが宿っているようだ。扉は壊され、神殿は真っ暗な口を開いていた。その闇の奥に。
 目を開けて見上げると屋根の棟先にオローが止まっていた。ずっと前からそこにいたようにじっとして、まるで彫像のようだ。いたずら者め。
 その時、頭上から怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい、待て待て、上がってきちゃいかん!」
 階段を上がるブンド族たちへ声をかけたのは、鎧兜を身に着けた兵士二人だった。階段の上にいる兵士たちはことさら威圧的に見えた。
「今、神殿は立入禁止だ。本当なら広場に人が集まるのも禁止だぞ。芸ならよそへ行ってやれ」
 兵士たちは月の光に鈍く光る手甲を振って一行を追い払おうとした。
 カナ族の兵士たちは夜に入ってしだいに集まってきた群衆を追い払おうとしていたが、人数が多くなり手に負えなくなっていたのだった。
 すぐにかしらが前に出て、おどけた仕草でお辞儀をして見せた。
「これは異なことをおっしゃいます。この大階段は誰が何をしようと自由な舞台。言いたいことを言い、やりたいことをやり、それを喝采するも引きずり下ろすも、ご見物衆の、これまた自由」
 大見得を切るかしらに群衆は大きな歓声を送った。
「よくお聞きあれ。神殿の神々に、また土地の精霊に芸の捧げものをしようという我ら旅芸人を止めようというのですか。そんなことをすれば神殿の加護は得られますまい。その腰につけた剣の刃はこぼれ、槍は折れ、兜は砕けることでしょう」
 兵士たちは、何をという顔つきでいきり立った。
「こいつめ、言わせておけば不吉なことを!」
「乞食芸人の分際でごたいそうなことを抜かすな!」
 かしらは、一歩も引かぬという様子で兵士たちへまっすぐな目を向けた。
 見物の者たちはしびれを切らして騒ぎ出した。
「おい、兵隊、見れば分かるだろう。そいつらはブンド族だぞ。何もしやしないぜ」
「そうだそうだ。俺たちは影絵芝居を楽しみに来たんだ。邪魔するな」
「ブンド族と草原の風は追い払うことができないという言葉を知らないのか。それでも王国の民か」
 兵士たちはかしらにはにらまれ、群衆からは野次を浴びせられ、うろたえた顔つきになった。思わず腰の剣に手をやった時、階段の下から声がかかった。
「お前たち、もういい。好きにやらせてやれ」
 声の主は兵士たちの上官であるカナ族の遠征隊長だった。
 神殿のすぐ脇にはカナ族の天幕がしつらえられていた。遠征隊長は天幕で休息しているところだったが、騒ぎを聞きつけて外へ出てきたのだった。
 隊長は鎧兜でなく上等そうな金の縁取りのある長衣を着込み、腰には豪華な拵えの剣を提げていた。いかにも面倒そうに兵士たちへ、下りてこいと手招きしている。
 見物の者たちに野次を浴びせられながら兵士二人は階段を下りてきた。入れ替わりにブンド族たちは階段の最上部に陣取り、影絵芝居の準備にかかった。
 しだいに群衆の熱気は高まってきた。酔っている者も多く、広場は何やら殺伐とした空気になってきた。半月は空高く静かにかかっていたが、どこかで冬の風がごおっと唸りを上げるのが聞こえた。
 兵士たちは遠征隊長のそばへ駆け寄った。
「なにやら不穏な空気になって来ましたな。軍師様にお知らせしましょうか」
 天幕の前には篝火が焚かれ、脇にはずらりと馬が繋がれていた。バレルの一人乗り馬車は見えない。バレルは天幕で寝起きするのを嫌って、長老グインの屋敷に泊まり込んでいた。
「なあに、こんなことであのお方をわずらわせることはない。なにせ、軍師バレルさまはお偉いお方でいらっしゃるのだからな」
 隊長は代々、囚人鉱山の警備兵指揮官を務めてきたカナ族名家の跡取り息子で、本来なら自分が勤めるべき役目をバレルに横取りされたことを不愉快に思っていた。
 長老ジルコン様のご命令だから自称軍師に従っているだけのこと。もし、奴がしくじるようなことがあったら逐一報告してやろう。そういうつもりだった。
 隊長の皮肉な口調に兵士二人は顔を見合わせ、密かに目くばせし合って薄笑いを浮かべた。
「しかし、隊長。神殿に人を近づけるなとの軍師バレル様のご命令ですからな」
「そうですとも。あの野次馬どもを見てください。ひと騒動やらかしそうな様子ですよ。何かあったら軍師様にお叱りを受けることになりますよ」
 騒ぎ立てる群衆を横目で眺めた隊長は、フンと鼻を鳴らして笑った。
「あんな連中に何ができるというのだ。草原の風だと。もっともらしいことを。見ろ、この愚か者どもを。こいつらこそ草原の草のようになびいているじゃないか。こいつらは風向きしだいどちらへもなびくのだ。いや、草ですらない。連中は大地に根を張ってすらいないのだから」
 隊長は今度は二人の兵士を横目で見た。
「あの連中は穀物相場と死への怖れだけで生きている虫けらのようなものだ。こんな者たちとともに戦場へ赴こうというのか。なんと嘆かわしいことだ」
 隊長の言葉を聞いた兵士たちは顔を見合わせ、口元をゆがめて笑った。
 兵士たちはもともと囚人鉱山の警備兵だったが、高い特別手当に惹かれて遠征に加わっていた。部族の元に妻や子供もいた。
 それに比べ、名家の御曹司の隊長はずっと若く、独身で、横顔にも品があった。まるで子供向けのおとぎ話に出てくる英雄のように。
 兵士は隊長の横顔へ言った。
「しかし、隊長。誰でも金は欲しい。でも死ぬのは怖い。そんなもんです。隊長は違いますか」
 隊長はやや気色ばんで兵士たちを怒鳴った。
「馬鹿者め、今度の遠征を何と心得ているのだ。これは王国の行く末とカナ族の栄光のための戦いだぞ」
「はあ、そりゃあ分かりますがね。じゃあ、あの闇の王ってのはどうなさるんです。あんなのが我が物顔に王国をうろついていちゃあ、戦に勝っても安心できませんな」
 もう一人の兵士も薄ら笑いを浮かべて言った。
「闇の王を追い払った英雄ダファネア様みたいなのがいればなあ。どうです、今度はあなたがダファネア様の役をなさっちゃ。あのインチキ臭い、自称『闇の王』をバッサリやっちまうんです」
「そりゃあいいや。そしたら取って返して我ら部隊で王都を奪還。そうすりゃあ、隊長もその日からダファネア王国の国王ってわけですな」
 隊長は兵士たちの言葉に、ぎょっとした顔になった。
「お前たちは反逆をくわだてようとしているのか。聞き捨てならんぞ」
 兵士たちは顔から笑いを消して隊長へ食ってかかった。
「反逆ですって。いったい何に対する反逆ですかな」
「そうですとも。隊長、お尋ねしますが、いったい我ら部隊は何に対して戦おうって言うんです。敵はどいつで、味方はどいつです。それが分からなくちゃ、反逆も何もありゃしない」
 言い込められた隊長は憤然として顔を背け、そそくさと天幕へ戻ってしまった。
 その後ろ姿を見送った兵士たちは、馬鹿者めと隊長の口調を真似して笑った。
「あんな野郎に手柄を立てさせるために大事な命を張れるかってんだ」
「そうとも。遠路はるばるやって来てこんな百姓どものために戦うのも、ただただ手当が欲しいから。それだけさ。おい、影絵芝居が始まるようだぜ」
 神殿の大階段の上に松明がかかげられた。白い幕はすでに暗い入り口をふさぐように張り渡されている。見物客から歓声が上がった。
「毎度おなじみの演目だろうよ。それでも、あのインチキ『闇の王』の演説よりはましかな」
「俺たちも見物しようぜ。影絵芝居なんか子供の頃から久しぶりだ」
 兵士たちも群衆の端に加わって階段の上へ目をやった。松明の揺れる炎が人々の顔を照らし出した。
 この火は神殿に捧げられる灯明から取った。夜になると古い油燈を灯して神殿に夜通し火が絶えないようにする風習があった。神殿は荒らされていても、町の誰かがこの火だけは灯していたらしい。
 松明を持つのは顔に煤で線を描いた子供たちの役目だった。左右から二本の松明が幕の後ろへ入ると、揺れておぼろげな影が浮かび上がった。
 太鼓が低く小刻みに連打された。これは見物衆に静粛を求めるためだった。
 やがて神殿の前は静まり返った。下弦の月とオローがそれを見下ろしていた。
 かしらが階段の中ほどへ下りて口上を述べ始めた。
「古今東西の部族の民よ、古き新しき土地の精霊よ、おおそれながら神々よ。我ら地を這う者どもの密やかな言葉に耳を澄まされよ。王国の大地の軸をしっかと据えられた英雄ダファネアの物語を、ここに今一度たどり直しましょう。月は弦月、時は満ちた。そら、太鼓を鳴らせ!」
 男たちが幕の左右と階段に居並んで、大小の太鼓を叩き始めた。女たちは幕の後ろで人形の糸を手繰った。
 かしらが階段の上の白幕を手で示した。
「かつて、この地の果てには神さびた、いにしえの王国があった。そこでは言葉はすべて歌であり、精霊がそれに息を吹き込んでいた……」
 おぼろげだった影はしだいにくっきりとして踊るように動き始めた。子供たちの歌が始まると、見物の者たちは早くも引き込まれ影の動きに夢中になった。
 白い幕の陰では二人のシャーマン、クランとアルテが神殿の入り口に向かっていた。獣の皮をかぶり、背をかがめた二人の姿は誰の目にもとまらなかった。
 アルテは灯明に捧げられていた油燈を手に取って中をのぞき込んだ。神像はことごとく破壊されて床一面にその破片が散らばっていた。カナ族兵士の仕業だろう。
「ひどいものだ。野蛮人どもめ」
 クランは無言のまま暗い内部に目を向けていた。何か探すような目つきだ。
 背後から松明の光が差していた。二人のシャーマンの長く伸びた影が神殿の奥まったところで闇に溶け込んでいた。
 中へ踏み込むと油燈の光であたりがぼんやりと照らし出された。外から見ると大きな神殿だが中は意外に狭く、天井も低い。
 太い丸太の柱が何本も立っていて、狭く感じられるのはそのせいかも知れない。これらの柱はよほどの大樹から切り出したものと見えた。おそらくはオルテン山中から運んだものだろう。
「イーグル・アイよ。何を探しているのだ」
 柱の陰をのぞき込んでいるクランにアルテは尋ねた。クランは口をつぐんだままだった。
「何だか言ってくれ。心当たりがあるのだろう。そうだ、泉の水はどうした。器があると言っていたな」
 アルテの問いにクランは無言のままだった。
 クランはふと入り口の方へ目をやった。松明の光が揺れ、白い幕に映る影がこちらからも見えた。
 芝居はすでに闇の王の出現の場にかかっていた。見るからに醜悪な角や尻尾の生えた化け物が光と影の中に躍っている。太鼓は低くうねるような拍子を叩いていた。
 クランは青い目をまばたきするたびに屋根の上に這い寄る死霊の気配を感じていた。死霊どもは中へは入って来れないらしい。灯明のせいか、あるいは棟を守るオローのおかげか。
 そうではない。ここには何かがあるはずだ。それは仰々しい神像や神聖めかした祭具ではない。きっと、小さく、つまらないものだ。小さくつまらないものこそ、浅はかな者たちの破壊をまぬがれ、聖なるものを護り続けることができるのだ。
 クランは奥まった柱の根元に転がっている木像に気付いた。他の神像の瓦礫に半ば埋もれたその木像にクランは見覚えがあった。
 蛙の背中を浮き彫りにした荒削りなものだ。これと同じものをアーメルの天幕で見た。オルテン山の麓、テン族の冬営地にあったのと同じものが、ここでは神殿に祀られていた。
 きっと立派な神像が運び込まれるとともに神殿の隅へ追いやられたのだろう。アルテが差し出す油燈の光の中で木像は壊されもせず、欠けるところのない姿を保っていた。
 クランは木像を床に据えると、あたりに転がされていた豪華な金属製の碗をその前に置いた。
 これは明らかにこの木像のための物ではなかった。おそらく絹物をまとったナビ教祭司たちが大枚はたいて作らせたものだろう。
「どうしたのだ、イーグル・アイよ。いまさら、そんなものに頼ろうというのか。木像よりも捧げものの碗の方が大きいではないか」
 不思議がるアルテの前でクランはずっと口に含んでいた穢れなき深き泉の水を碗へ吐き出した。クランが族長ホワソンに言った、『決して穢されることのない器』とはシャーマンの肉体にほかならかった。
 ようやくアルテも何かを感じたのか、木像の前にひざまずき油燈の灯明を捧げた。
 二人のシャーマンは木像の前にうずくまった。背中には羊の生皮を背負ったままだ。死霊はまだ油断がならない。
 神殿の外で太鼓の音がしだいに高まってきた。影絵芝居はイーグル・アイであるダファネアがこの世に生まれ出ようとするくだりにかかっていた。
 二人の子供たちが松明を振った。幕に小さく映っていた影が大きくなって闇の王を圧倒するばかりになると、群衆から歓声が上がった。
 同じ時、神殿の奥ではクランとアルテが秘めやかな調子でいにしえの言葉を朗唱していた。背中の羊の生皮の上に松明の光が揺れている。
 クランはあの白い筋の入った石を水に投げ込んだ。

  『今は亡き古代の部族よ
  我はお前たちの運命を悼み哀しむ
  お前たちの同胞はみなしごとなって彷徨っている
  我はイーグル・アイ
  我が霊のもとへ来たりて同胞を導け』

 石の表面で白い筋が浮き上がり、ゆらめき、するすると茎のようなものを伸ばし始めた。
 これは草や木の類だろうか。それにしては、いきいきとと動き過ぎてはいないか。ならば虫か獣か。それにしては、意思を感じさせない動きだ。
 白い茎のようなものは碗からあふれ、神殿の床に広がりだした。
 それを見たアルテは驚きの目になった。しかし、いにしえの言葉の朗唱は止めなかった。クランも黙々と朗唱を続けていた。この存在は朗唱に応えていた。
 白い茎のようなものはたちまち神殿の壁を這い上がり、天井にまで達した。
 やがて内壁はくまなく白い筋で覆い尽くされた。
 二人のシャーマンはやや拍子を速めて朗唱を続けていた。二人には分かっていた。これはあのオルテン山中、ノガレの怪物が住んでいた洞窟の内壁を覆っていたものと同じものだと。
 ふと見ると、二人の前には戦士の姿をした精霊が立っていた。
 族長の家の中庭に現れたものよりも、ずっとくっきりと輪郭を描いていた。しかし、どうしても顔を見定めることはできなかった。
 精霊は古めかしい革鎧に身を固めていた。精霊の姿は光を放っていた。しかし、その光は二人のシャーマンを照らしはしなかった。この世のものならぬ光だからだ。
 代わりに精霊の光は壁を覆う白い筋を浮かび上がらせた。白い筋はいにしえの言葉を成していた。それが古代の部族の歴史を物語っていた。
 これを読むことができたのはクランだけだった。それとて、すべてを読むことはできない。ただ、これが古代部族の戦争の様子を語っていることは分かった。
 精霊の声が二人のシャーマンの胸底へ直に聞こえてきた。

 『道をたどり直せ
  全ての源へ帰るのだ
  いにしえの道をさかのぼれ
  精霊の隠された道を』

 精霊は剣を抜くと、その切先で北を指した。
 次の瞬間、二人のシャーマンは、精霊から言葉ではなく目の当たり見える像として古代部族の戦争のさまを示された。
 太陽に向け空高く射られる矢の雨。真正面から激突する騎兵と馬のいななき。剣の下に息絶える者。槍に貫かれる者。そして、その槍の穂先に高くかかげられる血まみれの首。
 これらの像は一瞬にしてシャーマンたちの胸の奥を駆け抜けた。
 しかし、その一瞬は今の我らにとっての数百年にも及ぶものだと感じられた。そして、彼らの戦いは異様な重々しさと高山の空気のような澄み切ったものとを同時に持っていた。これこそ、巨人の戦だった。
 映像は消え去った。まるで瞬きの間に見た夢のようだった。
 同時に神殿の内部を覆っていた白い茎のようなものも消え去っていた。
 外から大きな歓声が聞こえてきた。
 影絵芝居は佳境に入っていた。ブンド族たちは精霊の加護を得て勢いづいていた。
 人形は生命を得たかのように躍り、太鼓は夜気を揺すって轟いた。松明の光までが強まったようで神殿の中まで明るく照らし出していた。
 二人のシャーマンは羊の生皮を被った背中を寄せ合い、神像の前にうずくまったまま、なお一心にいにしえの言葉の朗唱を続けていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生貴族の移動領地~家族から見捨てられた三子の俺、万能な【スライド】スキルで最強領地とともに旅をする~

名無し
ファンタジー
とある男爵の三子として転生した主人公スラン。美しい海辺の辺境で暮らしていたが、海賊やモンスターを寄せ付けなかった頼りの父が倒れ、意識不明に陥ってしまう。兄姉もまた、スランの得たスキル【スライド】が外れと見るや、彼を見捨ててライバル貴族に寝返る。だが、そこから【スライド】スキルの真価を知ったスランの逆襲が始まるのであった。

【本編完結】転生したら第6皇子冷遇されながらも力をつける

そう
ファンタジー
転生したら帝国の第6皇子だったけど周りの人たちに冷遇されながらも生きて行く話です

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪

naturalsoft
恋愛
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。 「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」 まっ、いいかっ! 持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

【完結】婚約者が私以外の人と勝手に結婚したので黙って逃げてやりました〜某国の王子と珍獣ミミルキーを愛でます〜

平川
恋愛
侯爵家の莫大な借金を黒字に塗り替え事業を成功させ続ける才女コリーン。 だが愛する婚約者の為にと寝る間を惜しむほど侯爵家を支えてきたのにも関わらず知らぬ間に裏切られた彼女は一人、誰にも何も告げずに屋敷を飛び出した。 流れ流れて辿り着いたのは獣人が治めるバムダ王国。珍獣ミミルキーが生息するマサラヤマン島でこの国の第一王子ウィンダムに偶然出会い、強引に王宮に連れ去られミミルキーの生態調査に参加する事に!? 魔法使いのウィンロードである王子に溺愛され珍獣に癒されたコリーンは少しずつ自分を取り戻していく。 そして追い掛けて来た元婚約者に対して少女であった彼女が最後に出した答えとは…? 完結済全6話

処理中です...