上 下
88 / 206

第八十八章

しおりを挟む
第八十八章

 クランとアルテに同行して来たブンド族のかしらはちょうどユーグと同じくらいの歳でオルテン河流域に長く暮らしていた。
「あの男は族長ホワソンが幽閉されていると言っていたな。屋敷の門も閉ざされていると。ナホ族族長の家の門はいつでも誰にでも開かれていた。この町へ来るとまず族長の家の中庭で芸を披露するのが決まりだ。これは昨日今日のことじゃない。我らの母の母の、その何代も前の母の頃からのことだ」」
 アルテはうなずいた。
「しかし、長老が族長を幽閉するなどとは聞いたこともない。我らも中庭へ入ることはできないだろうな」
 クランは尋ねた。
「さっきの男が言っていた、深き泉とは何だ。水が穢され、騒動になったと言っていたな」
「族長の屋敷の中庭にあって部族の民がことあるごとに汲んで使う清水だ。泉のほとりにはミアレの花がいつも咲いている」
「ミアレの花が……アルテよ、その泉、いにしえの言葉には答えるのか」
 これはシャーマン同士ならではの会話だった。精霊の気配を感じるとシャーマンたちは朗唱で呼びかける。ミアレの花の黄色は、シャーマンの口におのずから、いにしえの言葉をほとばしらせるのだった。
「答えるとも。一時、泉は吹き出す水のかさを増すほどだ」
 クランは考え込む顔で青い目を伏せていた。
「この地の聖地は」
「言うまでもなく神殿だ。聖地の上に神殿を建てたのだから」
 青い目を上げたクランは呟くように言った。
「そこへ行ってみなくては」
 クランの言葉にかしらが首を振った。
「神殿の広場には軍勢が天幕を張っていると言っていたぞ。うっかり近づくのは危ない。戦争が近づいて気が立っているだろうし」
 クランは言った。
「聖地を確かめたい。神殿の中へ入る方法はないか」
 今度はかしらが考え込む番だった。シャーマンの奇妙な望みには慣れっこだ。
 ブンド族の民は、そうした奇妙な望みには何かしら理由があるのだと知っていた。もっとも、シャーマン自身、最後までその理由を悟ることができないこともある。それでもかまわない。シャーマンの望みはかなえられるべきなのだ。
 かしらの後ろから女が声をかけた。女は長く連れ添ったかしらの女房だった。
「あんた、久しぶりに影絵芝居はどうだい」
「おい、今は出し物の話なんぞしちゃいないぜ」
「そうじゃないよ。神殿の前には大きな階段があったじゃないか。あそこで影絵芝居をやれば幕で神殿の扉が隠れるだろ。その陰からシャーマンを中に入れてやればいいよ」
 かしらは、なるほどとうなずいた。
「そりゃあいい考えだ。道具なんかは持って来ているんだろうな」
「人形はあるんだけどね、幕にする布がないんだよ」
「何で持って来なかったんだ。影絵芝居なんぞ、ちょくちょくやっていることじゃねえか」
「ほら、あの難民たちが怪我をしているからって包帯代わりにみんな引き裂いてあげちゃったんだよ」
「そうか、扉が隠れるような大きい白い布……町のどこかにありそうだが。よし、俺はこれからコウモリの巣の連中のところへ行くから相談してみよう」
 かしらはヤンゴから仲間たちへの言伝てを頼まれていた。ヤンゴはクレオンのところに留まって数日経っていた。無事であることを知らせておかなくてはならない。
 かしらは身軽に立って外へ出て行った。
 仮に言伝てがなくても、神殿前の広場で芸を披露しようというなら連中に一言挨拶しておかなくてはならないのだ。こういう決め事は戦争にも闇の王にも関わりなく、やっておかなくてはならないことだった。
 夕方近くになって、かしらは酒場へ戻ってきた。かしらは一人ではなかった。
「何だ、こんなところへ這いずり込んでいやがったのか。俺たちのところへ来たらいいじゃねえか」
 これはブルーノだった。ブルーノはブンド族を出奔した男だが、いまだに部族の民には親近感を覚えていた。
「おい、ココ。お前、この中に知った顔はねえか」
 ココはブルーノにくっついて来ていた。大きな白布を神殿前広場の仕立て屋から調達してやったのはココだった。
「いるわけがないだろう。私が生まれたところはあの山のずっと向こう、シャーマンの樹に近いところなんだからね」
 床の敷布に座り込んでいるブンド族たちを眺めまわしたココは二人のシャーマンに目をつけた。特に、片目を髪で隠し、もう片目を青く澄ませたシャーマンに。
「かしら、あんたたちは二人のシャーマンと旅をしているのかい。珍しいじゃないか」
 かしらはブルーノはもちろん、この怪しげな女も元はブンド族だということを知っていた。
「事情があってな。イーグル・アイは王の血脈と旅をしているが、町の様子を見に来たのだ」
「へえ、何でもお見通しの青い目でも町の様子は分からないっていうの。イーグル・アイはその名のとおり鷲の目を持っているはずだよ。空高く舞い上がり、舞い降りる、精霊の目さ」
 クランは座ったままココを見上げた。
「目はそのとおりでも身体を運ばなくてはならないことがある。女よ、お前は魔法を使うようだな」
 ココは心を読まれたような気がして顔をしかめた。
 青い目をまばたきしたクランは、その一瞬、ココのまわりから死霊が飛び退るのを見た。
「その魔法は使わぬ方がいい。お前は呼びかける者を間違えている」
 ココは目を怒らせて言った。
「へっ、余計なお世話だよ。シャーマンの一番嫌なのはそういうおせっかいなところさ……ちょっと、あんたたち。どこへ行くんだい」
 ブンド族たちが立ち上がって道具を取り出したり装束を変え始めていた。かしらは肩に提げた大きな太鼓をばちで一つ二つ鳴らして見せた。
「まずは客寄せに町を練り歩くのだ。見物は多ければ多いほどいいからな」
 女たちは腰の高さほどの大きさがある操り人形を取り出した。女たちは人形を使い、男たちは太鼓や鳴り物を使うらしかった。子供たちは顔にすすで黒く線を描いていた。これは土地の精霊の真似をしているのだった。
「面白そうじゃないか。私も連れて行っておくれよ」
 ココが言うとブンド族たちは鼻で笑ってあしらった。かしらの女房がココを足先から頭の先まで眺めて言った。
「いくらなりが良くたって芸がなくちゃね。あんた、何かできるのかい」
 ココは懐からいつもの笛を取り出した。唇をひと舐めすると、すぐに軽やかな調子で吹き始めた。おまけに爪先では踊りめいた足踏みで拍子を取っている。
「なかなかのもんじゃないか。ねえ、あんた、この子はいけるよ」
 女房が言うと、かしらはうなずいた。
「なるほど、こりゃあいいや。笛がありゃあ賑やかになるしな」
 軽く太鼓を叩いて笛に合わせていくかしらに他の太鼓も鳴りはじめた。
 狭い酒場の中に積もっていた砂ぼこりが太鼓の振動で震えるほどになった頃、部族の民は外の通りへ繰り出していった。ブルーノもその後からぶらぶらついていった。用が済んだらココの部屋へ行く約束だったが、ココの気まぐれはいつものことだった。
 人通りの多い表通りに出ると町の者たちが寄ってきた。戦争だ何だと息苦しい思いをしていたせいか賑やかな笛と太鼓、おどけた動きの操り人形、それに子供たちの愛らしい踊りが目を楽しませた。
「今宵は神殿前の広場で影絵芝居を催しまする。皆々さま、お集まりくださりませ」
 かしらが太鼓の拍子に合わせて客寄せの声を張り上げた。
 町の様子はいつもと違っていて、どことなく荒んだ感じがあった。乾いた冬の風が吹き抜ける四つ辻には自警団の男たちが寄り集まって持ち慣れぬ槍や剣を手にしていた。
「こんな時に何だ、芸人どもめ。浮かれやがって」
「なあに、こういう時だからこそじゃないか。ちょっと行ってみようぜ」
「影絵とは面白い。きっと闇の王が出てきたりするんじゃないのか。例の黒ずくめのホンモノが飛び入りしたりしてな」
 男たちは笑い声を上げた。ナホ族はそもそも芝居や歌や踊り、楽しいことが大好きな者たちだった。もっとも自分でそれをやってみようという者は少ない。
 それは精霊に近い者たちがやるものなのだ。風にそよぐ草や舞い上がる砂ぼこり、頭上高く浮かぶ淡い月影、そんなものの息づかいを感じられる者だけが精霊とともに舞うことができる。
 ナホ族の民は富を得れば得るほどに自分たちが精霊から遠ざかることを感じていた。そして、それでよいと考えていた。自分たちは乞食芸人とは違う。恵まれる側でなく、恵んでやる側なのだから、我らの方が上じゃないか。
 ブンド族の一行にはクランとアルテも入っていた。二人はまだ羊の生皮を被ったままだった。
 町にはアルテの顔を知っている者もいた。シャーマンの薬を求めて駆け寄ってくる者にアルテは腰の革袋から薬草を与え、相手しだいで銀貨を、あるいは銅貨を、あるいは穀物の粒ひと握りを受け取った。
 クランはフードの上にまで毛皮を被り、青い瞳を夕闇に伏せていた。口には低く、極めて低く、いにしえの言葉を朗唱していた。
 頭上高くにオローが来ているのが感じられた。黒い虫は姿を消しているようだったが、いつ戻ってきてもおかしくない気がした。
 クランはかしらの後ろについて肩越しに道を示した。かしらは指示されるままに一行を導いていった。ブンド族はシャーマンが導く。今はアルテの代わりにクランがそれを務めていた。
 町は次第に夕闇に沈んでいった。ブンド族たちの太鼓はいよいよ高鳴り、ココの笛まで高ぶっているようだった。かしらの客寄せの声も熱を帯びていった。
「広場へお集まりあれ。今宵は弦月、思いもよらぬ何かが起こりまする。神殿前の大階段がその舞台。月が中天に昇る頃、その前へお集まりあれ」
 娯楽に飢えていた町の者たちは月の高さを見もせずに、いそいそと広場の方へ向かっていった。今のうちにいい場所を取っておこうというわけだった。
 一行は次第に町の中心へと向かって行った。裕福な者たちが住むあたりは道端に人も少ない。高い塀が月の光に影を作っていた。
 かしらがある角を曲がろうとした時、クランが肩越しに言った。
「かしらよ、そちらではない。道を逸れるな」
 かしらはクランが示す道の向こうを透かし見た。すでに夜が近づいていた。
「ここを行けば族長の屋敷だが、行ってどうする。門は閉ざされているだろう。別の道をゆくのがよくはないか」
「構わん。精霊が道を示している。行くのみだ」
 かしらは羊の毛皮の隙間からのぞく青い瞳に見入った。
「よかろう。実のところ、これはいつもの道だ。習わし通りならここを行くのだ。イーグル・アイは初めてなのによく知っているようだな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。 おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。 ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。 落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。 機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。 覚悟を決めてボスに挑む無二。 通販能力でからくも勝利する。 そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。 アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。 霧のモンスターには掃除機が大活躍。 異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。 カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

処理中です...