地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第八十三章

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第八十三章

「なかなか見えて来ねえな。おい、宿駅を出たってのは確かなんだろうな」
 街道脇の小丘を覆う藪の中から西の方角をうかがっているのは、コウモリの巣のかしら、ヤンゴだった。
 藪にはブルーノほか数人の手下、そして、ココの姿があった。ココは膝をついたブルーノにべったり寄りかかっていた。
 手下の一人が斜面を駆け下り、道へ出ると、目の上に片手をかざして様子をうかがった。傾きかけた太陽の光が真っ向から射していた。
「もう来る頃なんだが……あっ」
 来ましたよと道の向こうを指差すと手下は小走りに藪へ戻った。
 先日のブルーノとココの偵察によってヤンゴは西の宿駅にカナ族の軍勢が伏せてあることを知った。ヤンゴはすぐに手下をやって宿駅近くに張り込ませた。
 その手下が軍勢に動きがあると知らせてきたのは今日の昼過ぎのことだった。町へ向かって来るらしいと聞いて、状況を知ろうとここまでやって来たのだった。
 藪の中で身を屈め、声を潜めていると、やがて街道の上に軍勢が見え始めた。
 鎧兜で身を固めた騎馬の兵五十人ほどが西日を背にやって来る。頑丈な金属製の鎧兜、腰には重そうな長剣、馬までもがきらめく馬具で飾られていた。
「へっ、なんだい、ピカピカ、ギラギラさせやがって。かしら、奴らは本気で戦争をおっぱじめるつもりなのか」
 ブルーノがヤンゴに言った。
「そのようだな。まあ、族長は許さねえだろうが。コルウスの野郎、あんな連中を後ろ盾にしてやがって。闇の王にカナ族か。面倒な黒幕だ」
 ブルーノの横でココが鼻で笑っていた。
「なにさ、百姓と羊飼いの戦争なんて冴えないねえ。戦争したけりゃ、させとけばいいじゃないか。その間においしいことがあるかも知れないよ。あんたらみたいなワルにはさ」
 ヤンゴは横目でココをにらんだが、すぐに街道へ目を戻した。
「馬鹿いえ。戦争になって畑も町もめちゃくちゃになっちまったら、オルテン河流域の部族の民は暮らしが立たなくなっちまう。そうしたら、うまい思いなんかできるもんか」
 ブルーノはこちらへ向かってくる騎馬兵の群れにじっと目を当てていた。
「いったい、あの連中は何をたくらんでいるんだ。戦争を仕掛けるなんてよ」
 ヤンゴは言った。
「混乱に乗じて、この土地を乗っ取るつもりなんだろう。カナ族も危ねえ橋を渡りやがる」
「冗談じゃねえ。かしら、あんな奴ら、追っ払っちまおうぜ」
 ココはまた、フンと鼻で笑った。
「追っ払うだって。あのご立派な武器やなんかを見てごらんよ。あんたらみたいなのは真っ先に掃除されちまう口だろ。その次にはまっとうな部族の民も奴隷並にされちまうんだ。闇の王だの、虫だのってのも、あの連中には土地と部族を乗っ取るいい口実ってことさ」
「何だと。そんなもの、この土地の精霊が許すもんか」
 女の手を肩から振り払いながらブルーノは吐き捨てるように言った。
 ココはおかしそうにブルーノの横顔をのぞき込んだ。
「あら、あんたが精霊なんかあてにしているとは思わなかった。あんたの頭の上を見てごらんよ。お日さまが目をショボつかせてるじゃないか」
 顔を上に向けると空を区切る細枝の向こうに黒い虫が飛び交っているのが見えた。西日をよぎってきらめく羽が空に小波を立たせているようだった。チキチキという耳慣れた音もしてくる。
 空には虫、地には軍勢。あたりの空気は不安と恐怖におののいていた。
 ブルーノは落ち着かなげに鼻息を荒らげた。
「かしら、俺たちであいつらやっつけちまおうぜ。今のうちに伝令を飛ばして町の入り口で迎え撃つんだ」
 軍勢は刻々とこちらへ近づいて来た。兜の下は暗くてよく見えないが、華美な拵えの長剣が揺れる様子、銀や青銅の馬具などが細かく見て取れるようになった。
 ヤンゴは軍勢から目を離さなかった。
「おい、ブルーノよ。俺たちにあいつらの相手ができると思うか。てめえの腰に提げているものを見てみろ」
 ブルーノは腰帯につっこんである短刀を見て苦い顔になった。
 その短刀はブンド族の仲間を飛び出し、あちこち彷徨っていた時、道端に行き倒れになっていた死体から頂戴したものだった。荒野の端で骨になっていた死体はきっと街道のならず者だったに違いない。元は狩人の鉈らしかったが、先を尖らせてギラギラするほどよく研いであった。
 ブルーノの手に入ってからは健気に仕事をした道具だったが、あの神殿前広場の時のように敵が少なければともかく、本格的な軍勢を相手にはできなかろう。
 ココは横目でブルーノを見て薄笑いを浮かべた。
「そう捨てたもんじゃないよ、ブルーノ。あんたが腰に提げているのはなかなかのもんさ」
 さらに苦い顔になったブルーノに代わって、ヤンゴが返した。
「ブルーノ、気をつけろよ。鞘が腐っていると剣も腐るというからな」
 ココはブルーノの肩越しにヤンゴへ声をかけた。
「もし、戦争が始まったら、あんたはどうする気なんだい。やっぱり、ナホ族と一緒になって戦うのかい」
 今度は、ヤンゴに代わってブルーノが答えた。
「当たりめえじゃねえか、自分の住んでる町だもの。なあ、そうだろ、かしら」
 ヤンゴはきっぱりと首を振った。
「いや、俺たちは戦争には加勢しない。冗談じゃねえ、戦争なんかでよそ者どもに縄張りめちゃくちゃにされてたまるかよ」
 ヤンゴの返答にココは呆れた声を出した。
「縄張りだって。そんなのがカナ族や闇の王に通用するのかねえ。相手がコルウス一匹ならともかくさ」
 ブルーノは近づいてくる軍勢を目で追っていた。
「どっちせよ、町の連中とカナ族の軍隊が束になってかかったら羊飼いどもなんかいっぺんに蹴散らしちまうだろうな」
 ヤンゴは、少し身体を低くしろと手を振った。
「さあな。一口にそうとも言えねえぜ。テン族には馬がある」
「馬がどうしたってんだ。馬ならこっちにもあらあ」
「羊飼いどもの馬は荷馬車を引いたり、畑で犂を引いたりしているのとはわけが違うぜ。子供の頃から一人に一頭ずつあてがってあって兄弟みたいに暮らすんだ。数も違う、馬を乗りこなす技も違う」
 ココはこの土地へ来る途中、テン族の土地で倒れた馬を見捨てて来たのを思い出した。あの馬も今頃は骨になっているだろう。いや、黒い虫に食われて骨ごと消滅したか。
「私もここへ来る途中で見たけど、あの連中が羊を集める手綱さばきはちょっと見ものだったよ。オルテン山の麓に数え切れないくらいの大きな羊の群れがいてさ、それを馬と長い鞭で追っていくのさ」
 ヤンゴはうなずいた。
「テン族がその気になりゃあ、あの鎧で固めた鈍くさい奴らの鼻先を引きずり回すくらいはできるぜ。あの兵隊の馬を見ろ。ありゃあ、草原を駆け回るような馬じゃねえや」
 ヤンゴは声をひそめた。斜面のすぐ下を軍勢が通り過ぎていく。
 カナ族の馬は脚が長く、胴が細かった。踏みならされた街道を飛ばすならともかく、起伏の激しい草原では難儀するだろう。
 一方、遊牧民のテン族の馬は姿こそ鈍重でも、重心が低く、頼もしげな足取りで草の上を駆けることができた。
「馬はよくても、戦争は素人だろう。玄人の兵隊相手じゃどうかな」
 ブルーノの目は軍勢を追っていた。近くで見ると、その数にも圧倒される。
 行列の中に三台の荷馬車が見えた。荷台には束ねた矢がいくつも載せてあり、長槍も見えた。鋭利な金属の矢尻、穂先が西日にきらめいた。
 その鋭い光にブルーノは身をゾクリとさせた。コウモリの巣の仲間でやっつけてしまおうと言った自分の愚かさが思われた。
 ヤンゴはじっと軍勢の様子を観察していた。内心、ブルーノの言う通り羊飼いどもは圧倒的に不利だと思ったが、それを認めたくない気持ちがある。力づくで他人を思い通りにしようという了見が気に食わない。
 ヤンゴはブルーノを振り返って言った。
「噂によりゃあ、和解の場にはブルクット族の者がいたらしい。コルウスと違って稲妻の刺青があったというんだ。もし本当ならそいつは族長の血を引いているってことだ。そいつが羊飼いどもの指揮を取ったら違ってくるぜ。それにあっちには、なんて言っても王の血脈がいる。町の連中で王の血脈に弓を引こうって度胸のあるのはいるかな」
 その時、ココが脇から口をはさんだ。
「軍師なら、あっちにもいるようだよ。鷲の刺青のあるのがね」
 ヤンゴとブルーノはココが指差す先を見た。
 進む軍勢の脇で一人乗りの馬車を停め、こちらの藪を透かし見ている男の姿が見えた。
 これはバレルだった。バレルだけは街道から軍勢の様子をうかがっていた男が丘の上の藪へ逃げ込んだのを見ていた。お得意の遠目だ。
 ヤンゴたちは藪の陰で身を縮め、少し後ずさった。
 バレルは目を行列に向け直すと馬鞭を振り上げ、聞こえよがしの大声を上げた。
「急ぐことはないぞ、悠々とやれ。町の者たちは我らを歓迎してくれるだろう。何しろ、あのオルテン山からこっちをすべてナホ族に進呈しようというのだからな」
 軍勢から大きな笑い声が上がった。
 バレルは馬車を進め、軍勢も街道を遠ざかっていった。
 ブルーノはその後ろ姿を目で追いながら首をかしげた。
「あいつら、何で笑ったんだ」
 ヤンゴはブルーノの顔を見て言った。
「まだ分からねえのか。いいか、あの兵隊どもを町に入れて戦争を始めたら、どっちが勝つとかじゃねえ。ナホ族も、羊飼いどもも、あの連中の奴隷にされちまうんだ」
 ブルーノは落ち着かない様子で街道の左右を見た。
「おい、かしら。俺たち、高見の見物を決め込むだけでいいのかい。俺は何だかケツのあたりがむずむずしてきやがった」
 ココがブルーノの尻を叩いて笑った。
「あんたはまだ若いねえ。さっき私が言ったように馬鹿どもがやり合っているうちに横からサッと獲物をかっさらうのさ。ねえ、かしら、こんなのはどうだい」
 ココは行列の中の馬車に目をつけていた。あの武器を盗み出してやったらどうかというのだ。
「せっかくの武器がなくっちゃ、戦争って言っても張り合いがないだろう。そうすりゃ、つけ込むすきも出てくるんじゃないのかい」
 ブルーノもニヤリと笑って言った。
「そりゃあ、面白そうだ。真っ向勝負より俺たちには得意の手だぜ。どうだい、かしら」
 ヤンゴは考え込んでいるようだった。
「さあて、どうかな……連中には後詰めの勢があるかも知れねえ、もしそうなら……」
 ココはフンと鼻で笑い、ブルーノの腕を引き寄せた。
「かしら、あんた怪我をしているから気が弱ってるんじゃないのかい。ここは私とブルーノに任せてちょうだいよ」
「なんだと。これは荒仕事だぜ。てめえみたいな牝猫に何ができる」
「何言ってんだい。武器を盗むって言ったって、あの兵隊どもにいきなりかかっていくわけがないじゃないか。あの武器はいずれ町のどこかの倉庫にでも納まるはずだよ。そこからこっそり盗み出すのさ」
 ココはにやりと笑って片目をつぶって見せた。
「倉庫番はきっと男だよ。男の扱いなら任せときなっての。あとは、あんたの手下どもがうまく立ち回るだけさ」
 ヤンゴとブルーノは苦笑いして顔を見合わせた。
「どうだいかしら、この手は。私もだてに王国中うろついていないよ。時々は危ない橋も渡ったことがあるんだ」
「ちぇっ、たちの悪い牝猫め。それでいいとして、お前に何の得があるんだ」
 ココは盗んだ武器を売るなり潰すなりして儲けた分から分け前をもらいたいと言った。
「なるほど、そりゃあ分かりやすいや。信用はできねえが。で、ブルーノ。てめえはどうなんだ。この女と心中するつもりがあるのか」
 ブルーノは、冗談じゃねえというようにかぶりを振った。
「心中なんかしやしねえ。だけどよかしら、俺は思うんだが、連中も町へ入っちまえばしょせんはよそ者だ。そうなったら俺たちの方が何かと有利なんじゃねえか。裏をかく手はありそうなもんだぜ」
 ヤンゴはなおも考え込んでいた。軍勢は街道を進み、町を囲む濠沿いの道に入った。
 もういいだろうと三人は藪から這い出し、丘を下って街道へ出た。手下たちは丘の反対側に隠しておいた馬を引きに行った。
 ヤンゴは西日の当たる禿頭を撫でると苦い顔で言った。
「まったく面倒なことになりやがった。前には何もかも単純に済んでいたのによ」
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