地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第六十三章

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第六十三章

 洞窟を去り、山道をたどって来た一行は峠にさしかかった。ここを下れば目指すテン族の土地はすぐそこだ。
 ティトの馬に乗っていたアルテは手綱を握るブンド族の少年に声をかけた。
「ティトよ、お前はここまででよい。お前は十分に働いた。領分を越えるのもほどほどにせねば。あとは私が皆をテン族の民のところへ案内しよう」
 アルテはユーグの馬に乗り換えることになった。
 ティトはいま来た道へ馬首を返した。
「じゃあ、僕は帰るね。イーグル・アイよ、これあげる」
 ティトは上着のふところから石ころを出してクランに渡した。これはティトが洞窟で拾ったものだった。表面にいにしえの言葉の白い筋が残っていた。
「せっかくの珍しい物語がもったいなかったね」
 洞窟の壁面を覆い尽くしていたいにしえの言葉は帰り道にはすべて見えなくなってしまっていた。古代の部族の知識はわずかにクランが読んで、その頭に記憶したもの以外は失われてしまったのだ。
「残念だがしかたない。あの白い筋はすべて生き物なのだ」
「えっ、じゃあ、あの白いの、つまり、いにしえの言葉は死んじゃったってこと」
 クランは石ころを眺めながら困ったような顔になった。
「いや、死んではない。しかし、生きてもいない。生きていて死んでいる、死んでいて生きている、とでも言おうか……」
 ティトは小首をかしげてクランの顔をのぞき込んだ。
「ねえ、イーグル・アイまで頭がおかしくなっちゃったんじゃないの、大丈夫かい」
 クランは苦笑いした。
「私の頭がおかしいのは今日始まったことではない。心配無用だ」
 その時、ティトはクランの胸でシャーマンの鏡に光がひらめくのを見た。
「イーグル・アイはあの洞窟で何かの加護を得たみたいだね。じゃ、いつかまたどこかで。ああそうだ、オローによろしく言っておいてね。山の向こうじゃ、オローの導きがあったんだ」
 アルテの居場所を探すティトにオローは手を貸していたらしい。オローはどこへ行ったのか姿が見えなかった。
 じゃあまたな、ハルよ、とティトはハルの首を撫でた。ハルは別れを惜しむようにいなないた。
 一行はめいめいティトに別れを告げた。ブンド族の民の持つ導きの力の不思議さに一行は思いを深めた。
 最後にクランは言った。
「ティトよ、お前には良き精霊がついている。芸に精進することだ。さらばだ、友よ」
 ティトは笑顔で手を振りながら峠の向こうへ去った。
 一行はアルテの案内で山を下っていった。
 一部、雪の深いところもあって難渋したが、一行もそれなりに旅慣れてきていた。
 ミアレ姫の手綱さばきも危なげなところは見えない。カラゲルとクランは草原育ちで険しい山道は不慣れだが、どうということもなかった。
 ただ、ユーグだけは時々、膝をさすっては顔をしかめていた。道の問題でなく寒さがこたえるのだろう。
 アルテは一行に頼みがあるらしかった。テン族と南のナホ族との間に争いがあるという。
「偶然とはいえ王の血脈に出会うとは幸いなこと。姫さまにどうか部族の民の争いをおさめていただきたい」
 詳しいことはテン族の冬営地に着いてから話そうとアルテは言った。
 道中、一行は休憩し、焚き火で暖を取った。木立に囲まれた場所で積雪は薄く、ところどころ黒い土が見えていた。
 一行は雪を溶かして湯を沸かし、鞍袋に残っていた干し肉を分け合って食べた。サンペ族に持たせてもらった食糧はまだ十分にあった。
 遠くにあの洞窟のあるオルテン山の峰が見えた。抜けるような青空を背景に山並みが連なっていたが、その中でも峰は際立って見えた。
 カラゲルは焚き火の炎に木切れを投げ込みながら言った。
「ユーグよ。ノガレはあのまま置いてきたが、どうなるのだろう。あいつは何もかも失ってすっからかんだ。自業自得と言ったらそれまでだが」
 洞窟の中では容赦なかったユーグも、いくらかはかつての同僚へ同情する気持ちを取り戻したらしかった。
「あれでいいのだ。ノガレの修行はこれからだ」
「これからだって。あんな老人のようななりをして」
「真の悟りをつかむのに年齢は関係ない。まあ、腰はいたわった方がいいだろうがな。歳を取るとあちこちにガタが来るものだ」
 ユーグは膝が痛むらしく白い粗布の長衣の上から脚をさすっていた。
「ユーグも気をつけろよ。旅は長くなりそうだ」
 ユーグは心外なことを言われた顔で言い返した。
「なあに、私はいたって丈夫なたちでな、心配はいらん。ただ長靴の具合が悪いせいか、たまに膝が痛くなることがある。ごくたまにだが。テン族の冬営地で革の職人か誰かに見てもらえるといいのだが」
 そんなことを言いながら、ユーグは膝をさすっては顔をしかめていた。
 脇からミアレ姫が大丈夫ですかと尋ねると、なに心配無用ですと強がって見せる。ミアレ姫、カラゲル、それにクランの若い三人は顔を見合わせて笑いをこらえていた。
 それまで黙って火に当たっていたアルテが言った。
「祭司よ、膝が痛いなら痛みの和らぐ薬草を調合してやろうか。持ち合わせのものでできるぞ」
 ユーグはなおもかぶりを振って言った。
「なに、それにはおよばない。ただ長靴の具合が悪いだけなんだから」
「そうか。長靴のせいだけでなく冷えるのがよくない。無理をせぬのが一番だぞ」
 アルテは木立の間から見える遠い峰に目を向けていた。過去を捨てたシャーマンではあるが、そこにはアルテの父がいる。
 ユーグはその横顔に見入った。髪につけたビーズの飾りがまだ若い頬のあたりに揺れていた。
「やっぱり薬草をもらおうか、シャーマンよ」
 アルテはうなずいた。
「それがよい。誰でも歳は取るものだ。なんら恥ずべきことではない」
 そうだなと答えてユーグは笑顔を見せた。アルテもあるかなきかの微かな笑みをそれに返した。
 一行はさらに山を下って行った。今日は山中で野営する予定でいた。
 クランの依頼を受けたティトはこの山道にハルを駆ってわずか一日で往復したのだが、いま一行はそこまで急ぐ必要を感じていなかった。カラゲルが言ったように旅は長く、道は遠かった。
 しだいに日は傾き、木立の影は長くなってきた。
 ある尾根を越えると、轟く水音とともに巨大な瀧が見えてきた。水音は山の斜面に反響して谷を満たし、滝壺から水煙がもうもうと上がって、西日に虹を作っていた。
 しばらく姿を見せなかったオローが空の一角から現れた。急降下して滝壺すれすれを滑空し、そこから天辺へとさかのぼるようにして飛んでいく。
 クランはハルの上から身を乗り出して滝壺をのぞき込んだ。泡立ち、渦巻く水の流れ、底知れぬ深みから湧き上がってくるうねり。
 クランは直感した。この瀧とあの洞窟の泉はどこかで繋がっているのだと。
 あの洞窟に潜っていた時からクランは感じていた。旅の初めに比べてイーグル・アイの力がしだいに集中力を増し、鮮明な心像を結び、意外な直感を与えてくれるようになったことを。
 クランは目を閉じた。
 滝壺にうねりくねり、湧き上がっては沈み込む水の流れは光の流れと化し、光の蛇となった。光の蛇は無数に集まって龍となり、天に向かって飛翔し、瀧と一つになった。瀧となった龍はしだいに年老い、鱗も透き通り、やがて、おぼろげな光の粒子と化して空中に溶け入り、消えた。
 これら遠い過去からの面影はクランの心のうちにひらめいて消えた。
 静かな朗唱がクランの口をついて出た。
 気がつくと、すぐ横でアルテがそれに和していた。
 朗唱が済むとアルテはクランに尋ねた。
「イーグル・アイよ。あなたの朗唱は他の者たちとまったく違うようだな。なぜだろう」
「私は琥珀の龍からいにしえの言葉の知識を授かった。いや、この身体に刻み込まれたというべきだろうか」
 アルテは深く感銘を受けたようだった。
 アルテはこれまでクランが出会ったシャーマンのどれとも違っているようだった。
 ノガレは道を間違えたとはいえ、強い法力を得ていた。精霊との強い感応力を持ち合わせていたからだろう。アルテはその血を受け継いでいた。幸か不幸か。
 クランは瀧とその河筋を指差して尋ねた。
「シャーマンよ、この河はどこから来て、どこへ続いているのだ」
「河はあの洞窟のある山に源流がある。流れはここで瀧となり、下流は山の麓の平原を潤している。北のテン族の土地に牧草を生やし、南のナホ族の畑に水を与えている」
 クランは言った。
「もしや洞窟の民は、そのどちらかの先祖だろうか」
 アルテもこの瀧と洞窟の泉の繋がりに思い至ったらしい。ただし、これは自らの直感でなく、クランの言葉からの連想によるものだ。
「あの泉のことを言っているのか、イーグル・アイよ。なるほど、全てはどこかで繋がっている。テン族とナホ族、そのどちらか、あるいは両方の先祖であったかも知れないな。彼らは大地から生えてきたような存在だから」
 オローがクランのもとに帰ってきた。鷲を腕に据えたクランはアルテとともに一行の後を追った。
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