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第六十一章

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第六十一章

 洞窟はさらに深く続いていた。池を迂回した一行はじめついた横穴を歩いていった。松明を手に先頭を行くノガレの背中はすっかり曲って足どりも重くひきずるように見えた。
 やがて天井が高く開けた場所へ着くと、ノガレはまた篝火台に火を移していった。まるで準備が整うのを待っていたかのように新たな魔物が現れた。
 岩陰から身をくねらせながら蛇の群れが這い出してきた。
 カラゲルが剣に手をやって叫んだ。
「蛇だ、いつものやつではないのか!」
 すわ闇の蛇かと、一行は思わず身構えた。しかし姿を現したのはまったく別の魔物だった。
 地を這っていた蛇の群れの中に女の顔が現れたと見ると、女は身をよじりながら立ち上がった。
 その蛇は女の髪になった。女の頭の上でひとつひとつの蛇の頭が勝手な方を向いて、うねうねと気味悪く揺れていた。女の体は蛇の鱗に覆われ、松明の火にねっとり濡れた光沢をたたえている。
 こちらを威嚇するように両手を上げ、目を怒らせ、赤い唇から蛇の舌をチロチロとのぞかせている。
 またも、ノガレが勇ましく魔物の前に躍り出た。
「蛇女め、いつ見ても罪深く卑猥な姿をしておる。我が嵐によって千々に砕け散るがいい!」
 ノガレは嵐の印を結んで、つむじ風を巻き起こした。地面から砂と小石が吹き上がり、天井には轟々と風音が反響して洞窟ごと揺れるようだった。
 カラゲルたちは飛んでくる砂塵を避けて後ずさった。
 ノガレは両手を高くかかげてつむじ風を操り、魔物へ叩きつけた。
 魔物は身体をくねらせたかと思うと素早く移動して、ノガレのすぐ目の前に女の顔をつきつけた。
 おぞましい叫び声とともに女は牙をむき出し、ノガレの首筋に食いつこうとした。
 ノガレはあぶなっかしい足取りで身をひるがえし、つむじ風で蛇女を遠ざけた。
「そばへ寄るでない、お前の生臭い息は吐き気がする」
 蛇の髪の女は怯みもせず、高笑いを上げてノガレへ迫った。ひとしきり逃げ惑っていたノガレは疲れてきたのか、ユーグとカラゲルへ助けを求めた。
 二人はノガレに駆け寄り魔物に立ち向かったが、どう戦ったらいいのか戸惑うばかりだった。
 男たちが三人がかりになって悪戦苦闘しているのを見ながら、ミアレ姫は首をかしげていた。
「クラン、さっきから気になっていたのですが、この洞窟の魔物たちはまるで……」
「火を吐く蜥蜴、人の顔を持つ鷲、水の精、蛇女。カラゲルも言っていたな。おとぎ話の怪物のようだと」
「王国に不思議なことがいろいろあるのはわかります。でも、これはあまりにも作り物めいていて、魔物といえど命あるものとは見えません。それに、女の顔がどれも同じように見えます」
 クランは口元に薄く皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「ここは男どもに任せておくことにしよう。自分で作ったおとぎ話を熱心に語り、それを頭から信じ込むのはたいてい男なのだ」
 洞窟の天井にはノガレの魔法による嵐が吹き荒れていた。
 クランは目を閉じた。明暗反転した視野の中に吹き荒ぶ突風に翻弄される古代の部族の姿が見えた。彼らは帰るべき家を失い、足元の地面さえも見ることができなかった。
 ノガレを始め、男たちは汗だくになって戦っていたが、ついにカラゲルの剣が鱗に覆われた身体を貫いた。空を引き裂く叫び声が上がったかと思うと、その姿はフッと目の前から消えてしまった。
 驚いた男たちはふと見た足元に一匹の小蛇が死んでいるのを見つけた。胴体が上下二つに切られていた。カラゲルが剣で斬ったのはこの小蛇だったらしい。
「なんだこりゃ、俺たちはこんなもののために必死になっていたのか」
 カラゲルはユーグと顔を見合わせた。剣を見ると、刀身に蛇の血が少しだけついていた。
 ノガレは小蛇の脇にひざまずき、その二つに分かれた死体に見入っていた。
「倒した……ついに魔物を倒したのだ……私が何年もかけて戦ってきた魔物を」
 ノガレの髭だらけの顔に喜びと希望の色が浮かんだ。
「これならば、他の魔物だって倒せるかもしれんぞ」
 そこへクランがやって来て、蛇の死骸を長靴の先で邪険に蹴り飛ばした。
「あっ、何をする」
 顔を上げたノガレへ、クランは言った。
「お前は何も倒してなどいない。最後の一つを倒すまでは。さあ、案内しろ」
 ノガレは怯えたような目でイーグル・アイを見上げた。やがて立ち上がると、ノガレはよろめく足取りで歩き出した。
 その後について一行はさらに洞窟の奥へと進んでいった。
 岩壁にも空気にも湿気が多くなってきた。微かな空気の流れが頬を撫でるのが、何やら巨大な獣の口の中へ進むような思いを一行に抱かせた。
 カラゲルがクランを振り返った。
「どうも気味が悪くなってきた。奥の方から腐った臭いがしてくる。クランよ、ここは聖地ではなかったのか」
「私は聖地として使われていたのではないかと言っただけだ。壁に残るいにしえの言葉を少し読んでみたが、この部族の民は長いあいだ戦争を繰り返していたらしい。大勢の部族の民が犠牲になって死んだということが繰り返し書かれている」
 クランはイーグル・アイで見た古代の部族の面影を心に浮かべた。
 巻き上がる砂塵の中にかすむおぼろげな戦士たちの姿。抜けるような青空に突き上げられる剣。そして、死にゆく者の目にもまた同じ青空が映っている。
 カラゲルは戦争と聞いて興味をそそられたようだった。
「古代の戦争か。我らの部族の名は出てこないか。ブルクット族の名は」
「ここに書かれているのは王国が今のような姿になる以前のことだ。ブルクット族がダファネアとともに戦い、王国の守護者となるずっと前の古王国時代のことだ」
「そんな大昔のことか。いったい敵はどんな連中なんだ。もしそれが闇の王なら、何か俺たちにとって役に立つことがあるかもしれない」
 クランは首を横に振った。
「いや、相手はやはり部族の民らしい。森の民、山の民という言葉が出て来る。サンペ族の祖先かも知れないが、今、ここに刻まれたすべてを読むのは無理だ」
 二人の会話へユーグが口をはさんだ。
「我らは英雄ダファネアによってもたらされた平和な王国に生まれて幸福だったということだ。ダファネアと闇の王の闘争によって対立しあっていた部族は王の血脈のもとに統一された。ダファネアに感謝すべきなのだ」
 カラゲルはユーグの言葉にひっかかるものを感じた。
「ユーグよ、ナビ教の徒よ。お前の理屈によると闇の王がこの世に現れたおかげでダファネア王国の平和が生まれたということになるぞ。もし、そうなら、我らは英雄ダファネアだけではなく闇の王にも感謝しなくてはならなくなる」
「カラゲルよ、稲妻の刺青の者よ。すべては神々のはからいの下にある。神々の計画は我らには計り知れないものなのだ。闇の王の出現は人間に試練を与えた。人間はそれに打ち勝ち、新たに生まれ変わった。それが我らの王国だ」
 とても承服できないというようにカラゲルは首を横に振った。
「それなら俺たちも、今、神々の試練を受けているというのか。そのせいで王都は滅び、たくさんの死者が出たのだぞ。そんな残酷な神々ならば、闇の王を倒す前に俺がこの剣で片っ端からぶった斬ってやろう」
 ユーグは足を止め、カラゲルへ言った。
「なんだと、カラゲル。お前は神々を、そして、ナビ教を冒涜するつもりか」
「ナビ教が何だというんだ。大事なのは部族の民、つまり人間だ。それともなにか、人間は神々のためにあるというのか。俺たちは神々の弄ぶ玩具か。ティトの曲芸のボールのようなものだというのか」
 ユーグとカラゲルがにらみ合っているところへ、ノガレが薄笑いを浮かべた顔を突っ込んだ。
「どうした、ユーグよ。そんな若者に言い負かされるとは。かつての大聖堂の秀才も形無しじゃないか。言ってやるがいい、昔、そうしていたように。この不信心者めと怒鳴りつけてやるがいい」
 ユーグはノガレの顔へ険しい目を向けた。こんな目はカラゲルやクランはもちろんミアレ姫も見たことがなかった。
 ノガレは嘲るような口ぶりで言った。
「かつてのナビ教は王家の庇護と神殿の権威を背負っていた。その頃ならばこんな若造の屁理屈など一喝してかえりみることもなかったはずだぞ。しかし、王都を追放されたナビ教など何の力があるのだ。無意味だ、なんでもない。ナビ教だと。神々だと。そんなものが何だというのだ」
 ユーグは面に怒りを露わにした。
「ノガレよ、それならばお前は何をもって、あの魔物と戦っているのだ。精霊と神々の力こそ法力の源泉のはず」
 とたんにノガレは顔を蒼白にし、髭の生えた口元を蠢かした。
「今はそんなことを議論している場合ではない。ここは信仰を論じておれば足る王都の大聖堂ではないのだ。さあ、この先だ。この先で洞窟は尽きている」
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