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第五十八章
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第五十八章
「アルテ、帰って来てくれたのか。私のアルテ!」
寝台から起き上がったノガレはそう叫ぶと、枕元についていたミアレ姫に抱きついた。
ノガレの目は焦点が定まらず、錯乱している様子がありありと見えた。ミアレ姫は困惑するばかりだ。
すぐそばにいたティトがミアレ姫からノガレを引き離そうと肩に手をかけた。
「おい、爺さん、何をするんだ。姫さまから離れろ」
ノガレはティトの顔を見るなり怒りの表情を浮かべた。蒼白だった顔がみるみるうちに赤く、さらにはどす黒いまでになった。
「お前か、私のアルテを奪ったのは。そうだろう。アルテを連れ去ったのは、お前だろう!」
怒り狂った様子のノガレはミアレ姫を抱き寄せたまま、魔法印を結ぼうと指先を蠢かせた。
「もうその手は食うか。姫さまを離せ」
ティトは勇敢にもノガレの手に噛み付いた。ノガレは悲鳴を上げたが、ミアレ姫を手放そうとはしなかった。
「隠者さま、おやめください。私はアルテではありません」
ミアレ姫の声も耳に入らないらしいノガレに、ユーグが駆け寄った。
ユーグはノガレの額に手を当て、心を鎮静させる印を結んだ。
ノガレの身体から力が抜け、また寝台の上に横たわった。ミアレ姫は身を引くでもなく、心配そうに隠者の顔に見入った。
「どうしたのでしょう。私をアルテという人と間違えたようですね」
カラゲルもそばに来て、ノガレの顔をのぞき込んだ。
「頭がいかれてしまっているのさ。こんな山の中で一人で怪物の相手をしていたら、そうなってもおかしくない。ティトのことも誰かと勘違いしていたようだ」
ティトは汚らわしいという顔で床にペッペッと唾を吐いていた。
「冗談じゃないよ。むやみやたらと魔法を使おうとしやがってさ。さっきみたいな火の玉が出たら小屋ごと吹っ飛んじゃうよ」
クランが小屋の隅のかまどの前から薬湯を持ってきた。
「姫さま、これをそいつに飲ませてくれ。飲ませたら、少し離れていた方がいいぞ」
茶碗を受け取ったミアレ姫はその臭いに顔をしかめたが、寝台でぐったりしているノガレの頭を起こして飲ませてやった。その唇は乾いてささくれ立ち、口のまわりの髭に薬湯がこぼれた。
ノガレはまだ呆然とした顔つきだったが、薬湯を飲み、寝台に頭をつけるやいなや、ガバリと上体を起こした。うめき声とともに両手で口を押さえると、ノガレは慌てて小屋の外へ飛び出していった。
開け放ってあった扉の外でノガレは激しく嘔吐しはじめた。四つん這いになって肩をあえがせている。
「おい、クラン。調合を間違えたのではないのか」
カラゲルの言葉にクランはかぶりを振った。
「いや、あれでいいのだ。空きっ腹のせいか効き目が強すぎたようだがな」
ユーグはかまどの横の小卓を調べていたが、そこから乾いた草の根を持ってきた。
「ノガレめ、こんなものまで使っていたのか。見てみろ、ミアレの根だ。これを煎じ薬にして飲んでいたのだ。どうも、小屋の中に妙な臭いがすると思ったが」
クランは小屋の外にうずくまっているノガレを眺めながら言った。
「ミアレの花や葉を噛むと精霊かさもなければ死霊が見えるという者が時々いるが、根を煎じて飲むとは。ユーグよ、これはナビ教の処方か」
「そんな処方があるものか。ナビ教にもシャーマンと違った独特の薬草の処方はあるが、ミアレを根こそぎにするなどありえぬ」
ミアレの花は王国各地に繁茂している。花を摘み、葉をむしっても、数日すれば、また元通りになっている再生力を特徴とする。しかし、根を抜いてしまったらおしまいだ。
「おそらく法力を増強するためにしていることだろうが、邪道というしかない」
カラゲルはミアレの根の臭いに顔をしかめた。
「ミアレの花の匂いというと胸がすうっとするようだが、根はこんなひどい臭いだとは知らなかった。ううっ、俺まで吐きそうだ」
「地面から引き抜いてしばらく外気に触れさせておくと、そんな腐臭を放つようになるのだ。川が増水してあふれた後など、お前もこの臭いを嗅いだことがあるはずだ」
ノガレはようやく嘔吐がおさまって、ミアレ姫に背中をさすってもらっていた。その表情には落胆したような、疲れたような色が浮かんでいた。
ティトがその横で油断なく様子をうかがっていた。腕組みしてノガレをにらんでいる。また姫さまに手を出したら承知しないぞという顔つきだ。
カラゲルが言った。
「あの爺さん、煎じ薬のせいで幻覚を見ていたのかな」
ユーグが苦笑いした。
「おい、爺さんというのはやめてくれ。あれで私と歳は変わらんのだから」
カラゲルとクランは意外そうな顔になった。ノガレはどう見てもユーグより十歳かそれ以上は年上に見えた。
「ノガレにも、いろいろなことがあったのだろう。どうやら落ち着いてきたようだ。話を聞くとしよう」
ユーグがノガレを助け起こして小屋の中へ戻した。寝台の端に腰かけたノガレは夢から覚めたような顔つきで一行の顔を見まわした。
ミアレ姫が茶碗に水を汲んできて、ノガレに差し出した。
「隠者さま、お水をどうぞ。気持ちが晴れましょう」
ノガレは茶碗を受け取ると、まじまじと姫の顔に見入った。
「あなたは……」
ユーグが言った。
「このお方はシュメル王のご息女、ミアレ姫さまだ。お前は王都であった災厄について聞いていないのか。姫さまは闇の王に奪われた王都を取り返すための旅の途中だ」
「ミアレ姫さま……王の血脈……」
「そうだ、お前は王の血脈が分からないのか。ナビ教の徒ならば、王の血脈に慕い寄る精霊を感じ取れるはずだ」
ノガレの青ざめた顔に苦悩の皺が深く刻まれた。手にした茶碗を取り落としたノガレは両手でその顔を覆って泣きだした。
「私には……私にはもう精霊が見えない……見えないのだ……」
絞り出すような声には絶望の色さえ感じられた。
ミアレ姫は哀れな隠者の肩に手を置いて同情するような表情になった。ティトすら疲れ果てた様子の老人を憐れむようだった。
しかし、ユーグはいつになく険しい目つきでかつての同僚を見おろしていた。
「ノガレよ、洞窟に魔物が住み着いていると聞いたが本当か」
ノガレは涙に濡れた顔を上げた。その目は異様に底光りして見えた。
「本当だとも。私は魔物と戦った。何年も、何年も……そして、いつの間にか精霊を見失ってしまったのだ……」
「お前の法力でも倒せない魔物か。いったいどんな相手だ。闇の王の力に連なる者ではないのか」
ノガレは枯れた羊歯の葉を振るように白髪交じりの頭を振った。
「分からぬ。倒しても倒しても、また蘇るのだ。いや、倒せば倒すほど力を増しているようなのだ」
ユーグはじっとノガレへ視線を当てていた。
「ノガレよ、アルテとは誰のことだ」
ノガレは顔を伏せ、かすれた声で言った。
「私の……娘だ……」
「あの宿の女に産ませた子か」
「そうだ、ここで一緒に暮らしていたのだが、誰かに連れ去られてしまったのだ」
「なぜ、連れ去られたと分かる。娘が自分から出て行ったのかも知れない」
チラと顔を上げてユーグを見たノガレは、またすぐに顔を伏せた。
「あの子には……魔法をかけてあった……」
「魔法をだと。我が子に魔法を……そうか、お前は王都から無理やり娘を連れ出したのだろう。そして魔法で我が子をつなぎとめていた。そうではないのか」
詰問する口調のユーグにノガレは涙をこぼし、すがりつくような表情になった。
「そうでもしなければ連れて来れなかったのだ。シュメル王子が王になられたと聞いて私は王都へ舞い戻った。お前も覚えているだろう。私は王宮で取り立ててもらえないものかと思っていたのだ。しかし、ユーグよ、お前の口出しで……」
「ノガレよ、お前は自分で分からないのか。お前の魔法は、いや、お前の信仰は邪道だと。その成れの果てが今のこのありさまだ。精霊が見えないだと。そうではなかろう。精霊がお前を見放したのだ」
ノガレはまた顔を覆って苦悩のうめき声をもらした。ミアレ姫が見かねて口をはさんだ。
「ユーグよ、そう頭ごなしに人を責めるものではありません。誰にも止むに止まれぬ事情というものがあるでしょう。隠者さまは長年に渡って、この地で魔物の番をしてきたのです。人々を災厄から守ってきたのではありませんか」
ユーグはやや気持ちを鎮めて尋ねた。
「それで、ノガレよ。王宮から去ったお前はどうした」
「私はひそかにあの宿の女に会いに行った。大聖堂から追放された後、そのままになっていたからだ。女はもう死んでいた。病気だったらしい……」
ノガレの娘アルテは女の年老いた両親と一緒に暮らし、まだ子供の身で宿屋を手伝っていた。
「あの子は……アルテは、私が分からなかった。私が父親だと知らなかったのだ」
ユーグは不快げに口の端をゆがめた。
「それで魔法で我が娘を縛りつけ、ここへ連れて来たというのか」
「しかし、それがあの子のためだと思ったのだ。あの子はまだ小さかったのに朝から晩まで働かされていたのだ」
「そこが自分の家ならば、そうしてもおかしくはない。私だって子供の頃は母とともにオレンジの収穫をしたり、父とともに漁の網を引く手伝いをした」
「いや、あの女の両親はそんな連中ではない。あいつらは、私の娘を、アルテを私生児と呼んでこき使っていた。大聖堂に怒鳴り込んで金をせびり、近所の者には、祭司に娘をもてあそばれたがかえって得をしたと言い触らしていたのだ。私の女はその心労が祟って死んだのだ」
ノガレの目はしだいに狂気をにじませてきた。ノガレの話がどこまで本当なのか、誰にも分からなかった。おそらくノガレ自身にも。
ユーグは強いて胸を静めながら言った。
「たとえそうでも魔法で人の心を縛りつけることなど許されない。お前は言ったな。アルテを連れ去った者がいると。それが本当なら、その者はお前のかけた魔法を解くことができたわけだ。その者はナビ教の放浪僧か何かだろう。アルテにとって幸運だったというべきだな」
「あれは私の子だ。私には、もうあの子しか残っていなかったのだ!」
ノガレは振り絞るような声で叫んだが、ユーグは冷たい表情で邪道に堕ちた者を見返しただけだった。
「アルテのことはもういい。私たちがこの山頂まで来たのは魔物のことを聞いたからだ。ノガレよ、お前のその様子を見ていると、いずれ魔物を封じ込めておくことができなくなるはずだ。洞窟へ私たちを案内しろ。調べてみよう」
「アルテ、帰って来てくれたのか。私のアルテ!」
寝台から起き上がったノガレはそう叫ぶと、枕元についていたミアレ姫に抱きついた。
ノガレの目は焦点が定まらず、錯乱している様子がありありと見えた。ミアレ姫は困惑するばかりだ。
すぐそばにいたティトがミアレ姫からノガレを引き離そうと肩に手をかけた。
「おい、爺さん、何をするんだ。姫さまから離れろ」
ノガレはティトの顔を見るなり怒りの表情を浮かべた。蒼白だった顔がみるみるうちに赤く、さらにはどす黒いまでになった。
「お前か、私のアルテを奪ったのは。そうだろう。アルテを連れ去ったのは、お前だろう!」
怒り狂った様子のノガレはミアレ姫を抱き寄せたまま、魔法印を結ぼうと指先を蠢かせた。
「もうその手は食うか。姫さまを離せ」
ティトは勇敢にもノガレの手に噛み付いた。ノガレは悲鳴を上げたが、ミアレ姫を手放そうとはしなかった。
「隠者さま、おやめください。私はアルテではありません」
ミアレ姫の声も耳に入らないらしいノガレに、ユーグが駆け寄った。
ユーグはノガレの額に手を当て、心を鎮静させる印を結んだ。
ノガレの身体から力が抜け、また寝台の上に横たわった。ミアレ姫は身を引くでもなく、心配そうに隠者の顔に見入った。
「どうしたのでしょう。私をアルテという人と間違えたようですね」
カラゲルもそばに来て、ノガレの顔をのぞき込んだ。
「頭がいかれてしまっているのさ。こんな山の中で一人で怪物の相手をしていたら、そうなってもおかしくない。ティトのことも誰かと勘違いしていたようだ」
ティトは汚らわしいという顔で床にペッペッと唾を吐いていた。
「冗談じゃないよ。むやみやたらと魔法を使おうとしやがってさ。さっきみたいな火の玉が出たら小屋ごと吹っ飛んじゃうよ」
クランが小屋の隅のかまどの前から薬湯を持ってきた。
「姫さま、これをそいつに飲ませてくれ。飲ませたら、少し離れていた方がいいぞ」
茶碗を受け取ったミアレ姫はその臭いに顔をしかめたが、寝台でぐったりしているノガレの頭を起こして飲ませてやった。その唇は乾いてささくれ立ち、口のまわりの髭に薬湯がこぼれた。
ノガレはまだ呆然とした顔つきだったが、薬湯を飲み、寝台に頭をつけるやいなや、ガバリと上体を起こした。うめき声とともに両手で口を押さえると、ノガレは慌てて小屋の外へ飛び出していった。
開け放ってあった扉の外でノガレは激しく嘔吐しはじめた。四つん這いになって肩をあえがせている。
「おい、クラン。調合を間違えたのではないのか」
カラゲルの言葉にクランはかぶりを振った。
「いや、あれでいいのだ。空きっ腹のせいか効き目が強すぎたようだがな」
ユーグはかまどの横の小卓を調べていたが、そこから乾いた草の根を持ってきた。
「ノガレめ、こんなものまで使っていたのか。見てみろ、ミアレの根だ。これを煎じ薬にして飲んでいたのだ。どうも、小屋の中に妙な臭いがすると思ったが」
クランは小屋の外にうずくまっているノガレを眺めながら言った。
「ミアレの花や葉を噛むと精霊かさもなければ死霊が見えるという者が時々いるが、根を煎じて飲むとは。ユーグよ、これはナビ教の処方か」
「そんな処方があるものか。ナビ教にもシャーマンと違った独特の薬草の処方はあるが、ミアレを根こそぎにするなどありえぬ」
ミアレの花は王国各地に繁茂している。花を摘み、葉をむしっても、数日すれば、また元通りになっている再生力を特徴とする。しかし、根を抜いてしまったらおしまいだ。
「おそらく法力を増強するためにしていることだろうが、邪道というしかない」
カラゲルはミアレの根の臭いに顔をしかめた。
「ミアレの花の匂いというと胸がすうっとするようだが、根はこんなひどい臭いだとは知らなかった。ううっ、俺まで吐きそうだ」
「地面から引き抜いてしばらく外気に触れさせておくと、そんな腐臭を放つようになるのだ。川が増水してあふれた後など、お前もこの臭いを嗅いだことがあるはずだ」
ノガレはようやく嘔吐がおさまって、ミアレ姫に背中をさすってもらっていた。その表情には落胆したような、疲れたような色が浮かんでいた。
ティトがその横で油断なく様子をうかがっていた。腕組みしてノガレをにらんでいる。また姫さまに手を出したら承知しないぞという顔つきだ。
カラゲルが言った。
「あの爺さん、煎じ薬のせいで幻覚を見ていたのかな」
ユーグが苦笑いした。
「おい、爺さんというのはやめてくれ。あれで私と歳は変わらんのだから」
カラゲルとクランは意外そうな顔になった。ノガレはどう見てもユーグより十歳かそれ以上は年上に見えた。
「ノガレにも、いろいろなことがあったのだろう。どうやら落ち着いてきたようだ。話を聞くとしよう」
ユーグがノガレを助け起こして小屋の中へ戻した。寝台の端に腰かけたノガレは夢から覚めたような顔つきで一行の顔を見まわした。
ミアレ姫が茶碗に水を汲んできて、ノガレに差し出した。
「隠者さま、お水をどうぞ。気持ちが晴れましょう」
ノガレは茶碗を受け取ると、まじまじと姫の顔に見入った。
「あなたは……」
ユーグが言った。
「このお方はシュメル王のご息女、ミアレ姫さまだ。お前は王都であった災厄について聞いていないのか。姫さまは闇の王に奪われた王都を取り返すための旅の途中だ」
「ミアレ姫さま……王の血脈……」
「そうだ、お前は王の血脈が分からないのか。ナビ教の徒ならば、王の血脈に慕い寄る精霊を感じ取れるはずだ」
ノガレの青ざめた顔に苦悩の皺が深く刻まれた。手にした茶碗を取り落としたノガレは両手でその顔を覆って泣きだした。
「私には……私にはもう精霊が見えない……見えないのだ……」
絞り出すような声には絶望の色さえ感じられた。
ミアレ姫は哀れな隠者の肩に手を置いて同情するような表情になった。ティトすら疲れ果てた様子の老人を憐れむようだった。
しかし、ユーグはいつになく険しい目つきでかつての同僚を見おろしていた。
「ノガレよ、洞窟に魔物が住み着いていると聞いたが本当か」
ノガレは涙に濡れた顔を上げた。その目は異様に底光りして見えた。
「本当だとも。私は魔物と戦った。何年も、何年も……そして、いつの間にか精霊を見失ってしまったのだ……」
「お前の法力でも倒せない魔物か。いったいどんな相手だ。闇の王の力に連なる者ではないのか」
ノガレは枯れた羊歯の葉を振るように白髪交じりの頭を振った。
「分からぬ。倒しても倒しても、また蘇るのだ。いや、倒せば倒すほど力を増しているようなのだ」
ユーグはじっとノガレへ視線を当てていた。
「ノガレよ、アルテとは誰のことだ」
ノガレは顔を伏せ、かすれた声で言った。
「私の……娘だ……」
「あの宿の女に産ませた子か」
「そうだ、ここで一緒に暮らしていたのだが、誰かに連れ去られてしまったのだ」
「なぜ、連れ去られたと分かる。娘が自分から出て行ったのかも知れない」
チラと顔を上げてユーグを見たノガレは、またすぐに顔を伏せた。
「あの子には……魔法をかけてあった……」
「魔法をだと。我が子に魔法を……そうか、お前は王都から無理やり娘を連れ出したのだろう。そして魔法で我が子をつなぎとめていた。そうではないのか」
詰問する口調のユーグにノガレは涙をこぼし、すがりつくような表情になった。
「そうでもしなければ連れて来れなかったのだ。シュメル王子が王になられたと聞いて私は王都へ舞い戻った。お前も覚えているだろう。私は王宮で取り立ててもらえないものかと思っていたのだ。しかし、ユーグよ、お前の口出しで……」
「ノガレよ、お前は自分で分からないのか。お前の魔法は、いや、お前の信仰は邪道だと。その成れの果てが今のこのありさまだ。精霊が見えないだと。そうではなかろう。精霊がお前を見放したのだ」
ノガレはまた顔を覆って苦悩のうめき声をもらした。ミアレ姫が見かねて口をはさんだ。
「ユーグよ、そう頭ごなしに人を責めるものではありません。誰にも止むに止まれぬ事情というものがあるでしょう。隠者さまは長年に渡って、この地で魔物の番をしてきたのです。人々を災厄から守ってきたのではありませんか」
ユーグはやや気持ちを鎮めて尋ねた。
「それで、ノガレよ。王宮から去ったお前はどうした」
「私はひそかにあの宿の女に会いに行った。大聖堂から追放された後、そのままになっていたからだ。女はもう死んでいた。病気だったらしい……」
ノガレの娘アルテは女の年老いた両親と一緒に暮らし、まだ子供の身で宿屋を手伝っていた。
「あの子は……アルテは、私が分からなかった。私が父親だと知らなかったのだ」
ユーグは不快げに口の端をゆがめた。
「それで魔法で我が娘を縛りつけ、ここへ連れて来たというのか」
「しかし、それがあの子のためだと思ったのだ。あの子はまだ小さかったのに朝から晩まで働かされていたのだ」
「そこが自分の家ならば、そうしてもおかしくはない。私だって子供の頃は母とともにオレンジの収穫をしたり、父とともに漁の網を引く手伝いをした」
「いや、あの女の両親はそんな連中ではない。あいつらは、私の娘を、アルテを私生児と呼んでこき使っていた。大聖堂に怒鳴り込んで金をせびり、近所の者には、祭司に娘をもてあそばれたがかえって得をしたと言い触らしていたのだ。私の女はその心労が祟って死んだのだ」
ノガレの目はしだいに狂気をにじませてきた。ノガレの話がどこまで本当なのか、誰にも分からなかった。おそらくノガレ自身にも。
ユーグは強いて胸を静めながら言った。
「たとえそうでも魔法で人の心を縛りつけることなど許されない。お前は言ったな。アルテを連れ去った者がいると。それが本当なら、その者はお前のかけた魔法を解くことができたわけだ。その者はナビ教の放浪僧か何かだろう。アルテにとって幸運だったというべきだな」
「あれは私の子だ。私には、もうあの子しか残っていなかったのだ!」
ノガレは振り絞るような声で叫んだが、ユーグは冷たい表情で邪道に堕ちた者を見返しただけだった。
「アルテのことはもういい。私たちがこの山頂まで来たのは魔物のことを聞いたからだ。ノガレよ、お前のその様子を見ていると、いずれ魔物を封じ込めておくことができなくなるはずだ。洞窟へ私たちを案内しろ。調べてみよう」
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