地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第三十六章

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第三十六章

 洞窟を出たクランたちは踊り場に咲くミアレの花を見渡した。花はよりいっそう生気をみなぎらせ、青い空に向かって咲き誇っているようだった。
 クランは迷える長老ジャルガの姿を思い返していた。
「カラゲルよ。ジャルガのためにもう一度、勇者の弔いを求めてやれ。骨なり、形見の品なりあるだろう」
 カラゲルはうなずいた。
「我が部族が勇者の弔いを求め直したことはないが、お前がそう言うならそうしよう」
「私はジャルガとコルウスの姿をここで見た。ジャルガはまぎれもない勇者だ。ジャルガは死霊となって迷っているが、帰ってきた土地の精霊が導いてくれるだろう」
「分かった、村に帰ったらバレルと相談しよう」
 カラゲルはクランの胸にかかったシャーマンの鏡を見た。そこに一瞬、鷲の翼がひらめくのが目に入った。
「クランよ。もしかして、そこに我が親父の魂が入っているのか」
「そうだ。族長の魂はいにしえの勇者たちの魂とともに憩いの時を持っている」
 目を上げたカラゲルは、また見知らぬ人を見るような目でクランを見た。
「そうか。それならば一刻も早く家へ連れて帰ろう」
 三人は岩山を降り、村への道にさしかかった。坂道の途中に眼下遥かに草原を見渡すことのできる場所があった。
 乾いた冬の風が吹きつけてきた。その冷たい感触がむしろ心地よい。
 地平線まで広がる草原の彼方遠くにごつごつした岩山の連なりが見えた。
 そのさらに向こうに天に向かって手を伸ばすような形の大樹の枝が影絵のようにおぼろに見えていた。
「私はあの近くへ行っていたのだ」
 クランは大樹を指さして言った。カラゲルは遠くを望む目になった。
「シャーマンの樹か。めったにあそこへ行くこともないだろうが」
「私はいつか、もう一度、あそこへ行くことになりそうな気がする」
 クランは低く朗唱を始めた。左目に傷を負ったクランが天幕の中で介抱されていた時、シャーマンが唱えていたのと同じものだった。
 朗唱が終わるのを待って、ユーグが尋ねた。
「クラン、お前はいにしえの言葉が分かるのか。ブンド族のシャーマンたちすら失ってしまった知識だ」
 ユーグは洞窟で見た蟻の群れに強く印象づけられていた。
 洞窟の壁に描き出された言葉の群れは、おぼろげに発光しながら揺らいでいた。地下の暗闇に微かな生命を保つ茸や、生き物かどうかもはっきりしない微小な発光体に似ていた。
 クランは遠くを眺めていた目を足元へ向けた。石ころの間を蟻が這っていた。
「蟻たちはいにしえの言葉を担う者たちだ。彼らは蜜袋の中に『言葉』を宿している。それを我らに伝えるやり方はさまざまだ。ある時は岩を削り、ある時は光を放つ。風に乗る者たちもいる。しかし、それはみな同じ『言葉』だ」
 ユーグはクランの横顔に目を当てていた。
「それはシャーマンの教えか」
「いや、ここへ来る旅の間に見たことだ。草原や荒れ野、岩山や川の流れには無数の『言葉』が舞っていた。朗唱は『言葉』の道をたどる技だ」
 ユーグの目つきは熱を帯びていた。
「クランよ、それを私にも教えてくれないか。王宮にはたくさんのいにしえの言葉の書物があった。今はみな瓦礫の下だがな。しかし、王都を取り戻した時には……」
 カラゲルが口にくわえていた草の茎をプッと吐き出した。この草の汁にはほのかな甘みがあった。部族の子供たちはよく口にくわえて遊んでいたが、大人がそうしているのはあまり見かけなかった。
「ユーグよ、書物など何の役に立つのだ。ましてや大昔の書物など」
「それは違う。我らはもっと過去に学んでおくべきだった。ダファネアがどうやって闇の王と戦ったのか。カラゲルだって知りたいだろう」
「なるほど、それはそうだ。勇者の戦いぶりか、これは面白そうだ」
 クランは振り返り、村への道へ足を踏み出しながら言った。
「知らない方がいいこともあるぞ」
 ユーグとカラゲルは顔を見合わせた。クランは二人をじろりと右目で見た。青い瞳にからかうような色が浮かんだ。
「それに、いにしえの言葉を知るには龍に食われねばならないのだ。ひどい目にあった。私は二度とごめんだな」
 族長の家へ帰り着いた三人はすぐにウルが寝かされている部屋へ入った。
 枕元にはミウナとミアレ姫が座り、老シャーマンは部屋の隅に座っていた。
「首尾よくいったようじゃな」
 シャーマンがクランに声をかけた。クランはうなずき、ウルの寝台の横へひざまずいた。
 クランは片手をシャーマンの鏡に、もう片手をウルの胸に置いた。ウルの呼吸は浅くかすかなものになっていた。
 朗唱を始めたクランに合わせて隣の部屋から太鼓の音がしはじめた。家の外にいる病者たちの祈りの声が奇妙なほど近く聞こえ、部屋の中を満たした。
 ミアレ姫は頭を垂れ、膝の上に両手を握り合わせて祈っていた。ミウナも同じ姿勢で祈っている。
 カラゲルとユーグは部屋の入口に立って成り行きを見守っていた。二人ともこれは女の仕事だと感じていた。生と死のはざまにあって粘り強く生の側に立ち続けようとする者、それはいつも女だ。
 ふとクランの朗唱が途絶えた。次の瞬間、ウルの鼻から大きく息を吸い込む音がして胸がふくらんだ。
 クランの鏡からウルの肉体へ、この世を去りかけていた魂が帰ったのだった。
 長い間、目を覚まさなかったウルが目を開いた。のぞき込むクランの顔へウルの目が動いた。
「クラン……お前か……」
 夫の声を聞いたミウナが枕元へ駆け寄った。ウルは妻の顔を見ると黙ってうなずいた。ミウナは夫の手を取ると泣きだした。
 ウルはクランの顔を見上げた。
「クランよ、私はお前と夢の中で会った。私は聖地に行った。しかし迷っていた。道を失って……」
 妻の手を取って一緒に泣きだしたウルにクランは静かな口調で言った。
「もういい、族長よ。お前は家に帰って来た。帰る家のある者は幸いだ」
 ミウナのすすり泣きがいっそう高まった。カラゲルは涙がこぼれるのをこらえているようだった。
 クランは言った。
「私は聖地を見た。聖地には精霊が帰って来た。いにしえの勇者たちが私たちに加護を与えてくれたのだ」
 カラゲルは明るい声を出そうとしてかえって涙声になった。
「親父、クランが闇の王をやっつけたんだぞ。クランはブルクット族きっての勇者だぞ」
 クランは静かにかぶりを振った。
「私は闇の王をやっつけてなどいない。闇の王は一時、退いただけだ。ただ、部族の聖地は浄められた。セレチェンの剣に亡きミアレ王妃の祝福を授かったからだ」
 ミアレ姫は思いがけないところで祖母の名を聞いて驚く顔になった。
 ウルはしだいに気持ちを落ち着かせてきたようだった。涙を拭うと稲妻の刺青もいくらか生気を取り戻したようだった。
「そうか。クランよ、お前は我が部族を救った。ありがとう。ほんとうは私も一緒に戦うべきだったが……」
 その時、部屋の隅からシャーマンが声をかけてきた。
「族長よ。お前はお前の戦いを戦った。そして勝った。この勝ちを無にせぬことじゃ。戦士の族長に言うことでもあるまいがな」
 皆はシャーマンの姿を振り返った。部屋の隅は薄暗く、その姿はおぼろげに見えた。
「イーグル・アイよ、私も帰る時が来た」
 クランは怪訝な顔になった。部屋はいやに静かで太鼓も祈りの声も聞こえなかった。
「帰るとは……どこへ帰ろうと言うのだ……」
 シャーマンは口元に薄く笑みを浮かべた。
「お前がいなかったら我らは永久に荒れ野を彷徨っていたに違いない。礼を言おう」
 シャーマンの姿が蝋燭の炎のように揺れた。薄暗がりに溶け込むように、その姿は薄らいでいった。
「クランよ、永遠のシャーマンよ。お前の戦いはこれからじゃ。運命の旅路をたどれ、イーグル・アイよ。神々はお前を選んだ」
 シャーマンの姿は消えた。
 同時に隣の部屋のブンド族たちも消え、家の外の病者たちも消えた。
 村の広場でブルクット族の子供たちと遊んでいたタマラのところには母が迎えに来た。タマラは村の子供たちに手を振って別れると、母子揃って姿を消した。
 ブルクット族の民は知った。救いの神と思っていたブンド族たちが実は死者の霊であったことを。
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