地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第三十三章

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第三十三章

 クランは寝台の上で目覚めた。頭上にはどこまでも青い空が広がっていた。
 身を起こしてみると枕元の止まり木にオローがいた。あたりの地面に白く灰が円を描いていた。その向こうでタマラがハルに水を飲ませていた。
「目が覚めたか……」
 シャーマンが寝台のそばへやって来て腰かけた。明るいところで見るせいか、シャーマンの顔色はやや青ざめているようだった。
 クランは戸惑うような目を上げ、尋ねた。
「闇の獣が襲撃してきたと思ったが……あれは夢か……」
「いや、夢ではない。見よ、お前はこの天幕を精霊の強い光によって焼き尽くした。あの灰はその跡じゃ」
 ややあって、クランはまた尋ねた。
「シャーマンよ、お前の部族の民はどうした」
 シャーマンはどこか遠くから聞こえるような声で答えた。
「みな、ここにおる」
「部族の民は誰も傷ついてはいないというのか」
 クランの耳には、あの夜の怒号、悲鳴、泣き声が残っていた。
「お前が追い払っただろう、あの闇の者たちを。イーグル・アイよ」
 クランは左目に手をやった。もう包帯は巻かれていなかった。前髪が垂れて失われた目を隠している。
 クランはコルウスの逃げていく後ろ姿を思い出した。
「そうだ、コルウスを追わねば。あれはセレチェンの仇だ」
 寝台から身体を起こそうとするクランにシャーマンは言った。
「灰色の馬に乗っていた男か。逃げ足の早そうな者だった。今からでは追いつくまい」
「あの夜からどれだけ経っているのだ」
「七日と七夜、経っておる」
 クランは落胆して寝台に身体を戻した。
 それにしてもおかしなことだった。こんな開け放たれた外に寝ていたら夜露に濡れてしまいそうだ。
 そのことを言うと、シャーマンはうなずいた。ビーズの房が乾いた音をたてた。
「お前の身体は鍛え直された。ちょうど、その剣のように」
 シャーマンは寝台に立てかけられていたセレチェンの剣を指さした。
「お前の身体は鋼のように強くなった。夢を見たじゃろう」
 クランはしばらく黙っていた。これは夢か、それとも、と思った。クランは冗談めかして言った。
「しかし、夜露に濡れたら風邪くらいはひくだろう。筋金が入ったとはいえ、私も人間なのだから」
「風邪をひきたければひくがいい」
 これはシャーマンも冗談で返したのだった。
「そう自由自在に風邪をひくことができるものか」
「風邪一つ自由にならぬ。そのくせ人間は自分が神々に並ぶ者のような口を利く。哀れなものじゃ」
 夜になる頃にはクランは起き上がることができるようになった。
 野営地の中を歩くと、ブンド族たちはクランに向かって黙ってうなずいて見せた。クランは洞窟の者たちも見た。彼らも何も言わず、クランにうなずいて見せた。
 クランはシャーマンと焚火を中にして座った。腹が減っていたクランはハルの鞍から干し肉の包みを出して食べた。
 部族の民にもやってくれとシャーマンに渡すと、シャーマンは押し頂くようにして受け取った。
「シャーマンよ。私はずいぶん世話になったようだ。明日は狩りに出て、もっと獲物を取って来よう」
「我らの部族なら心配無用じゃ。ただ、ここから身動きできぬのが困る」
 クランはうなずいて言った。
「ここは危険だ。どこか別のところへ行った方がいい」
 シャーマンは遠い目で焚火の炎を見つめた。
「知る限りの朗唱を試してみたが精霊の声が聞こえぬ。これは私の力の限界でもある。だがお前なら、いにしえの言葉で精霊に呼びかけられるじゃろう」
「ならば、どこへ向かうべきだろうか」
 シャーマンは顔を上げた。胸元にあるシャーマンの鏡が炎を反射して光った。
「お前の運命の旅路をたどるのだ。それに私たちも同行しよう」
「運命の旅路とはなんだ。どうしたら、そこへ行き着ける」
「お前の運命が始まった最初の場所へ戻ることだ。そこから道をたどり直すのだ」
 クランは遠くベルーフ峰の麓を思った。ブルクット族の村はずれの土地。オローと獲物を追った岩山。セレチェン、そして、カラゲル。
 クランはそこに暮らした日々が遠い昔のように思えた。
「そこへ帰るとして、それでは同じことの繰り返しにならないか。たどり直すべき何があるというのだ」
「今のお前は以前のお前と違う。イーグル・アイよ。お前は目覚めかけている。巣から飛び立とうとする雛鷲、芽生えようとする種だ」
 数日後、クランとブンド族たちは旅立った。
 後ろから洞窟の者たちもついてきた。彼らは静かに滑るようにして歩いていた。
 クランは皆に歩調を合わせるため、ハルには乗らず徒歩で進んでいた。時々、後ろを振り返ると洞窟の者たちは地面から立ち昇るかげろうのように見えた。
 クランはシャーマンとタマラとともに一行の先頭に立っていた。シャーマンはクランに知る限りの朗唱を教えた。また、シャーマンとして知るべき全てのことを授けた。
 クランは琥珀の玉の力で得たいにしえの言葉の知識でシャーマンにその意味を教えてやった。試しにシャーマンに琥珀の玉を持たせてやったが何も起こらなかった。
「これは、お前が持ってこそのものじゃろう、イーグル・アイよ」
「そうか。私は琥珀の龍がいにしえの言葉の知識を広めよと授けてくれたのかと思った」
「その時はまだ来ていない……」
 シャーマンの朗唱には答えなかった精霊たちもクランには答えることがあった。道はしだいに開けていくようだった。
 やがて一行はある岩山にさしかかった。低い峰からは広大な草原が見渡せた。
 そこからはシャーマンの樹も見えた。落葉して裸になった枝が空に突き立っていた。
「お前たちはあそこへ行くのではなかったのか」
 クランは尋ねた。シャーマンは細かな皺の寄った目を細めた。
「今はその時でない。シャーマンの樹は決して落葉しない。それが今はあの姿じゃ」
「シャーマンの樹は枯れてしまったのか」
 シャーマンはかぶりを振った。
「いいや、シャーマンの樹は死なぬ。ただ、眠っているだけじゃ」
 シャーマンは言った。王国にとって王都は肉の身体の中心、しかし、霊の身体の中心は、シャーマンの樹だと。
「王国は剣によってだけ作られたのではない。祈りによっても作られた。イーグル・アイよ、お前はそれを知っているはずじゃ」
 クランは琥珀の龍の洞窟で知った王国の真の神話を心に反芻した。
「お前は重い荷を背負わされた。しかし、神々は背負えぬような荷を人に与えたりはせぬ」
 遠い目をしてシャーマンは言った。
「いつか、お前もあそこへ行くことになるはずじゃ。イーグル・アイよ」
「なぜだ。私はシャーマンでも、ブンド族でもないが」
「お前はシャーマンになるべく生まれてきた者じゃ。お前の運命の旅路をたどるには、その力がきっと役に立つ」
 クランは一行とともに旅を続けた。
 クランはいにしえの言葉で精霊に呼びかけた。すでにシャーマンから教えられた朗唱の知識によって、その修辞の技は身に着けていた。
 耳慣れぬ朗唱に精霊たちは驚いているようだったが、彼らは道の行方を示した。それは人の作った街道とはまったく別の王国の道筋を現していた。
 クランはすでにシャーマンからもらった長衣に着替えていた。
 クランはタマラがくれたビーズをそこへつけていった。タマラは道端や草の間から古い獣の骨や牙、化石や結晶を探してきた。あの琥珀の玉もそれに加えた。
 狩りをして得た獣の皮もクランの身を覆っていった。
 クランは自分の身が大地に近づくのを感じていた。
 揺れるビーズの房飾りの間を精霊が走り、獣が走った。
 結晶の中を鳥が飛び、化石の中で魚が泳いだ。
 ちょうど、琥珀の玉の中でいにしえの言葉が舞い踊っていたように。
 シャーマンはクランにシャーマンの鏡も授けた。クランはその時、不思議に思った。
 シャーマンは自分の首から提げた鏡をくれたのだが、まるでそれが二つあるように見えた。シャーマンは鏡をこちらへ寄越したが、シャーマンの首には鏡が残っていた。
 不思議なことはまだあった。クランには彼らの姿が見えなくなる瞬間があった。
 ふと気が付くと草原のまっただなかで一人になってしまっている。おや、と思うとまた一行は元通りの姿でクランのそばにいた。タマラがこちらを見上げて笑っている。
 やがて地平線の彼方にベルーフ峰が見え始めた。あと二日ほど進めば、その麓へたどり着くだろう。
 夕暮れ時、草原は赤光に燃え上がるようだった。地平線に沈む夕日の中を一行は影法師となって進んでいった。
 クランは絶え間なく朗唱しつつ歩いていった。かすかな風の流れがクランの日焼けした頬を撫で、乾いた髪を揺らした。
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