地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第二十二章

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第二十二章

 王宮でまたも門前払いをくらったセレチェンとカラゲルは広場へ戻っていた。
 『死者の日』の行列は最高潮に達していた。広場を埋め尽くす行列の人々と観客は一体となって混沌とした群衆と化した。
 各部族のあらゆる衣装が入り混じって色彩の濁流を成し、あらゆる音楽が混沌としてうねるようなリズムを産んでいた。
 人々は石畳の上で足踏みし、神像は揺れた。秋の空気を揺るがす振動は桟敷席にまで伝わってきていた。
 雑踏をかき分けてようやく桟敷席にたどり着いたセレチェンはユーグの耳元で怒鳴るような声を出さなければならなかった。
「コルウスが王宮に入ったらしい。シュメル王に謁見しているかもしれぬが、入れてもらえぬのだ。お前の力を借りたい」
「王のもとへコルウスが。もしや聖剣のことで何か。よし、急ごう」
 ユーグがミアレ姫に声をかけると、それならば自分も帰ろうということになった。
「私はクランと帰りましょう。ユーグは急いで王宮へ」
 軽く会釈したユーグはクランに目配せすると席を立った。
 その時、広場の群衆がたてる大音響を遥かに超えて雷鳴のような轟音が天地を揺るがした。
 天を仰いだ群衆は澄み切った青空を背景に王宮の尖塔が崩れ落ちていくのを見た。濃紺の彩色タイルが空中にきらめき、砂埃にまみれながら、天を指す形を失っていく。
 広場の群衆は死神が通ったように一斉に沈黙した。次の瞬間、戦慄が疾風のように広がり、悲鳴が怒涛のように沸騰した。
 天地を揺るがす轟音はしだいに高く、こちらへ迫ってくるようだった。今にも自分の足元が崩れそうな感覚に襲われた人々は、あらゆる方向へ勝手に走り出した。
 仮設の桟敷も大きく揺れ始めた。
「まずい、崩れるぞ!」
 カラゲルが逃げろと叫んだ。どこかで木の柱がきしむ大きな音がした。
 皆、慌てて斜面になっている桟敷を駆け下りた。宿屋の主人がくれた籠がひっくり返って踏み段をリンゴやオレンジが転がっていく。
 広場に降りて振り返った時、桟敷は端からひしゃげて崩れていった。逃げ遅れた者が柱の下敷きになって悲鳴を上げた。
 その間にも王都の中心からこちらへ向かってくる雪崩のような轟音が聞こえていた。群衆は広場から出ようと狭い街路へ殺到した。
 行列の楽器や太鼓は放り出されて壊れ、神像は雑踏の足元に踏みにじられた。怒号と悲鳴の中に子供の泣き声が混じっていた。
 ユーグがセレチェンたちに大聖堂を指さした。
「ひとまず、あの中へ逃げよう。礼拝堂の奥に王宮への隠し通路があるのだ」
 一行は広場の端にある大聖堂に向かって人混みをかき分けていった。
 ユーグはクランとともにミアレ姫を守り、セレチェンとカラゲルは怯え切っているミケルの上着の襟をつかんで引っ張っていた。
「いったい、何が起こっているんですか」
 王宮の尖塔を模したミケルの帽子は壊れて台座だけが残されていた。
「そんなことが俺に分かると思うか。きっとこの世の終わりが来たんだろうよ」
 カラゲルが怒鳴るように言うとミケルは、ひいっと悲鳴を上げて首をすくめた。
「いやに地面が揺れるじゃありませんか。あっ、あれを!」
 見ると、雑踏のまっただなかに地面からすさまじい勢いで土煙が噴き上がるところだった。石畳が砕けて舞い上がり、荒野で砂嵐に会ったように人々は顔を覆って後ずさった。
 地下から漆黒の奔流がどっと噴き出してきた。
 怒涛をなす闇の蛇が王宮の地下墓地を突き抜け、地底に充満して、とうとう爆発するように地上にあふれ出たのだった。
 無数の小蛇から成る群れがヌメ光る鱗をひしめき合わせて巨大な一匹の蛇体と化している。その巨大な蛇は見上げるほど高く胴体をもたげたかと思うと、石畳を砕いて地下へ潜り、ふたたび予想もつかない場所から飛び出してきた。
 群衆は叫び、泣きわめきながら逃げ惑った。蛇は不定形に巨体をのたうたせながら逃げ遅れた者へ襲いかかっていった。
 開いた大顎が神の鉄槌のごとく頭上から下ってくる。瀧水が落ちかかるような轟音とともに迫りくる大顎に呑まれた者は、その蛇体の奥から断末魔の叫びを上げた。
 耳を聾する轟音の中に無数の小さな顎が立てる噛み音が混じっていた。全身を蛇に呑まれた者はそのカサカサとこすれるような音の中に存在を消されてしまうのだ。
 暴れまわる闇の蛇は広場の中央になるダファネアの石像に胴体をからみつかせた。
「あっ、私のダファネア像が!」
 ミケルが悲痛な叫び声を上げた。石像はあっという間に砕け散り、台座の上に馬の脚だけが残った。
「私の作品が! 私の命が!」
 半狂乱になったミケルは逃げ惑う群衆の中へ飛び込んで行ってしまった。
「おい、ミケル、だめだ。戻って来い!」
 カラゲルは叫んだが、すぐ目の前の地面から飛び出してきた闇の蛇を避けるうち、その姿を見失ってしまった。
 思わずカラゲルは腰の剣を抜いたが、こう人が多くてはどうすることもできない。広場から出る道は細く、群衆は方向を見失っていた。
 大聖堂の前の石段に屈強な数人が姿を現した。死刑執行人たちだった。すでに大聖堂の中には逃げ込んだ者たちがぎっしりと集まっていた。
 死刑執行人たちは蛇を中に入れさせまいと武器を手に扉の前に陣取った。
 漆黒の巨蛇が地面を突き抜けて姿を現した。手に大剣を持った死刑執行人の一人が両手で柄を握り、力いっぱい横殴りにその胴体へ斬り込んだ。
 ヌメ光る胴体から血ではない黒い砂塵のようなものが飛び散った。もう一撃と頭の上に刃を振りかざした時、大剣は胴体から飛んだ蛇の群れに取りつかれた。
 蛇はたちまち死刑執行人の身体を包み込み、巨蛇の胴体に引きずり込んでいった。別の一人が大斧を叩きつけていったが、無数の蛇の群れからできている胴体はグニャリとひしゃげただけで、その者も蛇に捕らえられてしまった。
 死刑執行人たちは次々に殺されていき、最後の一人はうろたえて逃げ出そうとしたが、これも頭から蛇に呑まれていった。
 そのうちにセレチェンたちも大聖堂の前にたどり着いた。蛇が少し離れた時、一行は石段を駆け上がり、その扉の前まで行った。
 扉はかたく閉ざされていた。ユーグが分厚い木の扉に拳を叩きつけた。
「おい、開けてくれ。ここにはミアレ姫がいる。中に入れてくれ」
 扉の向こうから怯えた男の声がかえってきた。
「だめだ、ここを開けることはできない。もう中は満員だ。他へ行け」
 別の声が聞こえた。
「扉を開けたら蛇が入ってくるぞ。開けちゃいかん」
 女の狂ったような金切り声がした。
「私の赤ちゃんが食われちまう。みんな、みんな、食われちまうよ!」
 セレチェンが剣の柄で扉を叩いた。
「開けろ、開けるんだ。ミアレ姫を守らねばならん。王の血脈を守らねば」
 大聖堂の中から異様な声がわきあがった。うめき、叫び、すすり泣く声が聞こえた。
 それは歌だった。
 扉の中は礼拝堂になっていて奥には金塗りのダファネア像が安置されてあった。彼らは聖歌で声を振り絞り、虚しく神像に救いを求めていたのだった。
「おい、聞いているのか。姫だけでも中へお入れしてくれ。王の血脈が絶えれば王国は滅びる!」
 セレチェンは剣を叩きつけたが、扉の向こうの者たちは聞く耳を持たないらしかった。
 その時、また闇の蛇が石段の下に姿を現した。
 カラゲルとクランはミアレ姫を守るべくその前に立った。二人とも剣を抜いているが、これが役に立つとは思えなかった。
「クラン、蛇に呑まれるなよ。呑まれたら最後だ」
「分かっている。小蛇一匹たりとも近くに寄せるものか」
 巨体がうねりながら石段を這い上がってきた。もたげた鎌首が大槌のように頭上へ襲いかかってくる。
 二人は姫をかばって身をかわすのがやっとだった。無数の小蛇から成る胴体は石床に叩きつけられて、その十数匹ばかりを地面に飛び散らせた。
 クランとカラゲルは村の近くで鷲狩りに出た時のことを思い出した。
 異様な風体の狼に襲われた後、草の間を蠢いていた黒い蛇。今、目にしているのはあれと同じものだった。硫黄の臭いが強く迫ってきた。
 カラゲルとユーグも扉を開けさせるのを諦めてクランたちに加勢した。
「セレチェン、これは私たちの手に負える相手ではないぞ」
 ユーグが叫んだ。蛇はいったん身をくねらせて地へ潜ったが、また姿を現すに決まっている。
「ひとまず、この広場から逃げるべきか」
 セレチェンの声にミアレ姫が悲痛な叫びを上げた。
「王宮はどうなったのです。お父さまは。お父さまを探しに行かないと」
 セレチェンの脳裏に荒野で襲撃を受けた時のことが浮かんだ。まだ王子だったシュメルもセレチェンの腕の中で母を呼んで泣き叫んでいた。
「姫さま、御心を強くお持ちください。ここは王国の将来のため逃げねばなりません」
「父上を捨てて逃げよと言うのですか。そんなことはできません」
「王の血脈が絶えた時、王国は滅びます。部族の民は支えを失って散り散りになってしまう。王国の大地とのつながりを失うことになるのです」
 でも、とミアレ姫が反論しようとした時、また蛇が地上に迫る轟音が聞こえてきた。
 カラゲルが怒鳴るような声でセレチェンに言った。
「議論している場合か。長老が決断しろ。もうここは戦場だ。ブルクット族の領分だぞ」
 蛇が胴体で石段を突き崩して姿を現し、奔流となって鎌首をもたげた。濃い硫黄の臭気がたちこめ、息もできない。巨大な顎が開いて漆黒の満月のようだ。
 陽光みなぎる青空を背景に蛇はそこに真の闇を現出させていた。魂を持たぬ肉の体が欲望のままに際限のない奔流を作っている。
 その時、クランは青い目の片隅に針のような光が射してくるのを感じた。クランの喉をついて空へ呼び声が響いた。
「フーウィーッ!」
 空の一画からまっしぐらにオローが急降下してきた。
 蛇は怯んだ。群れの密度が薄くなるのが、はっきり見て取れた。
 翼を畳んで突進してきたオローは闇の蛇の胴体を切り裂くと、再び舞い上がって巨大な翼を真昼の太陽の下に広げた。
 蛇はのたうちながら地下へ潜った。穿たれた穴の中へ石段の角石が転げ落ちていく。
 クランたちはしばらく身構えていたが、蛇はいったん鎮まったようだった。
「オローの奴、いいところへ。もうだめかと思ったぜ」
 カラゲルは額の汗を手の甲で拭いながら空を見上げた。オローは天高く円を描いて飛んでいた。
 ユーグも目を空に向け、鷲へ祈りの印を結んだ。ダファネアは我らと共にあるという意味の祈りの印だった。
「まだ終わったわけではない。あんな化け物を滅ぼすのは我々の手に余ることだ。姫さま、お怪我はありませんか」
 ユーグはミアレ姫の無事を確かめようと、その顔を見た。
 姫は顔をうつむけ、足元をじっと見ていた。石の床を一面に鮮血が覆っていた。
「これは!」
 驚くユーグの声を聞いたセレチェンたちも床の血に見入った。
 血は扉の下から流れ出ていた。さっきまで聖歌が聞こえていた大聖堂の中は静まり返っている。
 姫が扉に手をかけて押すと、かたく閉ざされていたものが、まるで力尽きたもののようにあっけなく開いた。
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