地の果ての国 イーグル・アイ・サーガ

オノゴロ

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第十三章

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第十三章

 今から三十年前のこと。
 王都の衛兵隊長であったセレチェンは二十五歳。鷲の刺青はまだ顔の左側だけにあった。
 ユーグは王都の大聖堂に奉仕するナビ教の神官で、十歳のシュメル王子とその妹姫の師傅兼護衛役。歳はまだ二十歳になったばかりだった。
 当時の王宮には陰謀が目に見えぬ蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。
 各部族の絆によって保たれているはずの王国の秩序は百年ほど前の継承戦争以来、醜悪な権力争いによって揺るがされていた。
 継承戦争は王の血脈を継ぐ姫が二人あり、どちらが王妃となるかで争われたものだ。
 王国は二つの勢力に分かれた。鉱山と鍛冶技術に長けたカナ族を主とした勢力と、多くの隊商を抱え、その護衛として武力を強大化してきたメル族の勢力だ。二つの部族は終戦後和解し、今では協力し合いながら莫大な富を蓄積している。
 戦争は終わったが、権力を巡る闘争はより隠微な形で王国に影を落としてきた。
 先王ブラムの時代、王宮は各部族からなる宮廷貴族たちの巣窟となっていた。彼らはあらゆることに王の庇護を求め、王の名を笠に着て私欲を追求した。
 そんな時、王は気前よく庇護を与え、名を貸すことを求められた。つまり、王は彼らの操り人形と化していなくてはならなかった。これを王権の堕落と言わずして何と言おうか。
 先王ブラムはそれでも時に気骨のあるところを示した。ブラムはカナ族の出身だったが、不必要に自分の部族を利することなどなかった。貴族や役人の言いなりにならず、不正を見逃すことはなかった。
 王国に正義を実現するため、ブラムは王という地位にもっと具体的な権力が必要だと考えるようになった。王の血脈を継ぐミアレ王妃とともに王権の改革を考えていたその矢先、ブラムは三十歳の若さで暗殺された。
 喪に服した王都の民の哀しみも癒えぬある日の真昼。まだ十歳だったシュメル王子は王宮内のミアレの花園で倒れている妹姫を発見した。妹はまだ五歳。首をかき切られ、小さな手に握った黄色い花にまで血が飛び散っていた。
 シュメル王子は半狂乱になり、駆け付けたユーグの腕の中で細い身体をのけぞらして卒倒した。この卒倒の発作はその後、シュメルの宿痾となった。父と妹の相次ぐ死が少年シュメルの心に血を流してやまぬ傷となって残ったのだ。
 ユーグとセレチェンは暗殺者の侵入を許したことに責任を感じ、辞任を願い出ようと考えたが、王妃はそれを押しとどめた。
「今はそのような時ではありません。誰とも知れぬ敵が闇からこちらを狙っているのです。それも、狙いは王の血脈にあります。敵は王の血脈を廃し、王国を我が物としようと謀っているのです」
 ミアレ王妃は王権の指輪をはめた手をきつく握りしめた。ブラム王の喪に服して漆黒の長衣をまとっていた。
「敵は蛇のように陰湿で巧妙です。その手から逃れるには、ユーグ、セレチェン。あなたたちの助けが要るのです」
 次の日の真夜中過ぎ、南の城門から逃れ出る馬と駱駝の一行があった。
 王妃の居室に残された手紙には、王と姫の喪に服するため、しばし王宮を離れるとあった。
 王都は前代未聞の騒ぎとなった。王国の中心である王都、その中心である王宮から王の血脈が忽然と姿を消したのだ。
 王妃の考えはこうだった。暗殺者の手の届かぬところへ身を隠し、今、十歳のシュメル王子が十五歳で成人するまで待つ。そのうえで王都へ帰還し、シュメルを王位に就かせる。
 これは異例なことであったが、そうすれば王国の民の心も一新されるであろうというのだった。
 そして、もし即位したばかりの少年王が暗殺されるようなことがあれば、民の怒りは爆発する。いかなる理由があろうと民は王家の側につくであろう。
「それを思えば敵も手を出せぬはずです。少なくとも正常な判断のできる敵であれば」
 王妃の言葉は冷酷にも聞こえたが、建国の英雄ダファネア以来の王の血脈の威光を信ずればこその考えだった。
 王国の南に広がるラサ荒野は無人の地でその全貌を把握している者は誰もいなかった。ただ荒々しく乾いた平原と怖いほど深い空の青だけが広がっている。
 荒れ野の先は広大な砂漠と化していて、地平線の彼方にはウラレンシス帝国があった。帝国は王国の領土へ野心を抱いていたが、砂漠を越えて侵攻してくるのは容易なことではなかった。
 王妃とシュメル王子を中心とする一行が向かったのはそのラサ荒野だった。
 彼らには頼れる者はなかった。
 街道を進むだけならメル族の隊商を頼るのが一番だったが、彼らは道に迷わず進むことはできても、道から逸れて身を隠すことなど知らなかった。
 ブルクット族の砦は帝国の侵攻を食い止めるため、砂漠に臨むラサ荒野の南端をかためていたが、彼らはそこで生き延びるためでなく、そこで死ぬために砦を築いていた。したがって、砦に王家の者を隠したと知れたら、敵方がいかなる勢力であるにせよ、そこは血みどろの戦場と化す恐れがあった。
 ミアレ王妃、シュメル王子、ユーグ、そしてセレチェンは荒れ野の奥深く分け入った。
 放浪は長く続いた。始めは九人連れていたお付きの兵たちも、一人、二人と逃げ出して、最後はブルクット族の衛兵三人だけになってしまった。
 逃亡した兵は各部族の民からなる王宮の儀仗兵などで、こんな切迫した事態を想定していなかった。故郷の村へ帰ったのだろうと思えば責める気にもなれない。食事なども乏しい狩りの獲物ばかりで王都住まいが長い者には耐え難いものだったろう。
 荒野を放浪して三年が経ったある夏の夜、一行は正体不明の一隊に襲撃された。
 ほんの二日前、最も信頼できるはずのブルクット族衛兵三人のうちの一人が逃亡していた。その者から居場所がもれたのだった。
 月もない真夜中、全身を黒衣に包んだ騎馬の男たちが七人、天幕に忍び寄った。
 天幕は三つあり、一つはミアレ王妃用。残りの二つはシュメル王子とユーグ、セレチェン、二人の衛兵が使うことになっていた。王妃と王子を別々の天幕に入れたのは王妃の考えで当然ながら最悪の事態を思ってのことだった。
 襲撃のあった夜、見張りについていたのは、ユーグとブルクット族衛兵の二人だった。
 衛兵は声を上げる間もなく背後から首をかき切られた。しかし、ユーグはすぐその気配を感じ取った。
 セレチェンのいる天幕に駆け寄り、鋭く声をかけたユーグは目の端に黒い人影を捉えた。暗く光をたたえた刃がこちらへ降ってくる。
「何者だ、さがれ!」
 素早く印を結んで放った魔法は目に見えぬ障壁となって賊を弾き返した。後ずさりながらよろめいた黒衣へ向かって腰の短刀で突きを入れる。急所を突いた手ごたえがあって賊は倒れた。
 すぐにセレチェンと衛兵一人が天幕を飛び出して剣を振るいだした。二合も打ち合わぬうちに敵の二人が絶叫とともに倒れた。
「ユーグ、王子を」
 セレチェンの声にユーグは天幕へ走った。その時、シュメル王子が天幕の合わせ目から駆け出してきた。母王妃の寝所へ向かって行く。
「王子、お戻りください!」
 暗闇から賊が現れてシュメル王子の襟首をつかんだ。
 剣が高く振りかざされた時、その腕がありえない方向へよじれ、賊は悲鳴を上げてのけぞった。ユーグが魔法を放ったのだ。
 普段、めったに使わぬ印の暴力的な法力にユーグの首筋には冷たい汗が流れた。賊がそのまま絶命したのが分かった。
 ユーグが王子に駆け寄ると、少年の身体はのけぞり、硬直状態に陥った。
「……母上!」
 一声叫んで、王子は卒倒した。ユーグはその小刻みに震える細い胴を抱え、天幕の陰へ横たえた。
 その時、王子の叫びに答えるかのように王妃の悲鳴が聞こえてきた。
「シュメル! ああっ、シュメル!」
 見ると、ブルクット族の衛兵が脳天に剣を食らって倒れるところだった。その向こうで賊に腕をつかまれてもがくミアレ王妃の姿が見えた。賊はすでに馬を引いて逃げ支度にかかっている。
 セレチェンが叫んだ。
「待て、逃がすか!」
 王妃に近づこうとセレチェンは賊の二人を相手に剣を荒っぽく振りまわしていた。この二人は手練れだ。セレチェンも苦戦しているのがユーグにも分かった。
 暗い中でシルエットになっている王妃は賊の腕の中で身体をのけぞらせていた。賊は、そのみぞおちあたりにためらいもなく拳を叩き込んだ。ぐったりとなった王妃は馬に乗せられようとしている。
 ユーグはとっさに魔法を放とうとした。印を結び、精神を一点に集中させようとした瞬間、さっと血の気が引いたような気がしたかと思うと、激しい吐き気に襲われた。
 ついさっき賊を死に追いやった激しい魔法のせいで、ユーグは体力と精神力を使い果たしていたのだ。
 セレチェンがようやく一人を斬り伏せた時、王妃を乗せた馬は黒衣の賊とともに走り出した。それを見たセレチェンは渾身の力を振り絞って残る一人へ剣を叩き込んだ。
 悲鳴が上がって賊の腕は肩から斬り落とされた。闇に黒く血しぶきが上がるのが見えた。
「ユーグ、シュメル王子を頼むぞ!」
 セレチェンは大急ぎで馬を引くと鞍もつけぬ背へまたがり、真夜中の砂漠へ走りだした。
 セレチェンが帰って来たのはそれから二日後のことだった。疲れた馬が死んだので、歩いて帰って来たのだった。
 王妃の行方は知れなかった。
 ユーグはその間、倒れた王子の介抱をするとともに黒衣の男たちの身体を調べた。当然ながら、身元が分かるようなものは何も見つからなかった。部族の民であるしるしもなかったし、ウラレンシス帝国とのつながりを示すものもなかった。
 シュメル王子は青白い顔をして、ほとんど、ものも言わなくなった。それまではセレチェンに剣を教わったり、ユーグに形ばかりだが魔法印の結び方を習ったりしていたのだ。
 ついに王の血脈はシュメル王子の一身に残されるのみとなった。セレチェンとユーグはあてどもない荒れ野の放浪を続けるしかなかった。
 ある日、ユーグはセレチェンに疑問をぶつけた。
「王を暗殺し、王妃をさらったのがいかなる勢力にせよ、王の血脈を完全に絶やそうとするなどと、そんなことがありうるのか。それはダファネア王国を殺すのと等しいことだ。もしや、これはウラレンシス帝国の手になる陰謀ではないのか」
 セレチェンは静かに答えた。
「今はシュメル王子のお命を守ること、それがすべてだ。王の血脈が王都を逃れて荒れ野を彷徨っている。これは王国の大地が中心を失っているということだ」
 セレチェンは腰の剣を抜き、切っ先をラサ荒野の地平線へ向けた。
「部族においては族長が中心となり、その脇を長老が支えている。王国においては王が中心となり、ブルクット族の戦士とナビ教の神官がそれをお助けする。しかし、中心がなくなれば、その世界は崩壊する」
 セレチェンは剣を握り直すと目の前の地面にそれを突き立てた。
「我らはなんとしても王の血脈を守り、王都へ帰還せねばならない。そして、シュメル王子を王としてお立てする。陰謀の詮索はその後だ」
「しかし、セレチェン。陰謀の元を絶たねば我らは王都へ帰ることなどできないだろうが。いや、できたとしても混乱は続くのではないのか」
 セレチェンは無言のままだった。その時のセレチェンにとって王の血脈は絶対だった。完全無欠な力であり、全き光だった。そこを疑ったら剣が鈍る、そう思っていた。
 ユーグは違っていた。ユーグは王権の危うさを思っていた。
 ナビ教の祭司を志す者は十代から王国を放浪する修行僧となる。純白の衣や魔法の印は一見、世間離れして見えるが、王国の事情に通じているのは年若なユーグの方だったかも知れない。
 襲撃から一年が経ち、二年が過ぎ、もしや自分たちの選択は間違いだったのではと疑心暗鬼に責めさいなまれだした頃、ユーグとセレチェンは蜃気楼に揺らぐ遠い地平線に王家の旗印を見出した。
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