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未来を生きる夢なんて見たくないものまで見えてしまう

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 翌朝、目を覚ました僕は、混乱の中にいた。取り敢えず自分の頬をおもっきり叩き、今が現実であることを確かめる。

 ――なんだこの夢は?

 それは、あまりにも現実的で鮮明な夢だった。大学の風景、就活と一人暮らしの様子、高木との会話、全てが明瞭に昨日の出来事として思い出せる。それに、彼女が自殺? 信じられない。しかも、大学生の僕は、昨日の出来事を夢だと考えているらしい。ベッドから起き上がり、床を見る。開きっぱなしになった卒業アルバム。どうやら、昨日の出来事は夢ではない。

 いや、『昨日』とはいつのことだ?

「早く起きなさい。遅刻するわよ」

 一階から母さんの声。スマホを見る。六時三十分。いつもより三十分も早い。僕は階段を駆け降りた。リビングのドアを開ける。毎日見ているはずのリビングはいつもより新鮮に見えた。

「あら、いつもより早いのね。お母さんたちもう仕事行くから。適当にパンでも焼いて食べといて」
「ああ、分かった。なぁ、母さん」
「なに?」
「大学生になれるかも」
「はあ、何言ってるの、あんた」

 首を傾げながら母さんはリビングを出て行った。

 バターを塗りたくった食パンを腹に入れ、いつもより早く家を出た。高校から少し遠回りになるが見ておきたいものがあった。二分程自転車を漕いだ先に、彼女の家があった。『中里』と書かれた表札。同じ地区だが学校の方向が違えば通ることはない。家の前に来るのは十年振りだった。

 既に自転車は見当たらない。もう高校に向かっているのだろう。僕は息を少し吐き、そのまま高校へと向かった。

 皆が登校する前の校内は静かで、朝練の活気のある声が響く。そういえば、彼女は何部だったのだろうか。あまりにも知らないことが多い。教室のドアを開ける。窓際の席、自習している女子学生と目があう。驚きに満ちた、目をしていた。

 ――それは、そうだろ。

 忘れていた訳ではない。僕は教室のドアを開けたままその場に突っ立っていた。なんて言えば良いか。いや、ここで言うべき言葉は「おはよう」なのだが、その先は? 先に言われるのは駄目だ。昨日決めた小さなプライドだった。

「おはよう、中里さん」

 中里さんは少し目を細めた。その顔は笑っているような、悲しんでいるような、どっちつかずな表情だった。

「おはよう、丹野くん」

 僕はようやく体を動かした。教室に入り、自分の席にカバンを置いて座る。横二列、縦一列を挟んだ隔たりが僕たちの距離だった。沈黙。閉じられた教室の中でペンを動かす音が聞こえる。僕はひとつ深呼吸をして言った。

「……初めてじゃないか?」

 ペンの音が止まる。僕は振り返って中里さんの反応を見た。言葉の意味を理解したらしく、頷いて答えた。

「そうね。十二年もいっしょだったのにね」

 十二年。言葉の重みに少しショックを受けた。人生の半分以上は一緒だったのか。

「そうか、そんなになるか。いつも、こんな時間に来ているのか?」
「最近はね。朝の方が静かに勉強できるし」
「部活とかはしてなかったか?」
「半年でやめちゃった。丹野くんはテニス部だっけ? 朝練とか良いの?」
「もう引退したよ。レギュラーはまだ団体戦があるから、今も練習してるんじゃないか」

「そうなの? ごめんね」と、中里さんは少し目を伏せて言った。

「いや、いいよ。もともとレギュラーになれる程上手くなかったし、個人戦出れただけで満足だ」
「中学の頃とはやっぱり違うんだね」

 僕は驚いた。中里さんは僕が思っている以上に僕をよく知っていた。男女の違いか、それとも彼女自身の性格なのだろうか。
 廊下のあたりが騒がしくなる。そろそろ他の同級生も登校してくる頃だった。僕は逃げるように、席を立ち、トイレに向かった。いつものリュックを背負った高木がいた。まさに登校してきたばかりの様子だった。

「よう。どうした? テスト前みたいな表情してるぞ」
「テスト前の表情ってなんだよ」
「緊張してる時の顔だよ。丹野は顔に出やすいからな。ポーカーとかしない方がいいぞ」
「別にいいさ。ギャンブルをする気はない。それより、ちょっと今日、時間あるか」
「いつ、どれくらいだ? カラオケとかなら付き合えんぞ」
「遊びじゃない、相談だよ。放課後にモールのファミレス、いや、駅前の喫茶店でどうだ」

 高木は少し眉を寄せた。

「学校前のとこじゃじゃダメなのか?」
「あそこは学校から近すぎるし、同級生が多いから」

「ふーん」と鼻を鳴らして、高木は手を洗う。

「俺は構わんが、駅前だと丹野が遠くなるんじゃないか? 家は反対方向だろう」
「いいんだよ。むしろ、家から離れたところがいい」

 高木は洗っていた手を止めた。

「中里のことか? さっきまで教室にいただろう」
「なんで、わかった?」
「トイレに来たのに用を足そうとしないし、カバンも持ってないからな。後は昨日の会話と、今の丹野の表情からの推測なんだが、正解か?」

 僕は頷く。こいつに嘘はつけない。

 僕はノートに落書きをしながら、一日中、夢のことを考えていた。少なくとも、科学的根拠のない『予知夢』など信じていない。しかし、あり得ないから完全に否定するのは、科学的に正しい姿勢ではない。じゃあ、もし『予知夢』なら、そんな未来は避けなければならない。だが夢の中で彼女のクラスは八組だった。それなら、ただの夢に過ぎないのだろうか。結論は出ないまま、放課後になった。


 高木は前島先生と進路相談があるらしく、「先に行ってくれ」と言われた。駅から歩いて来ている高木に自転車の鍵を貸してやると、「すまんな」と受け取って、足早に教室を出ていった。喫茶店までは歩きでも十五分ぐらいで着いた。

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」

 店内は空いていた。隅の二人掛け席に着く。店員さんがお冷を持ってきた。

「すいません、後から連れが来ます」

 店員のお姉さんは笑顔で答えた。

「かしこまりました。注文が決まりましたら、ボタンでお呼び下さい」

 スマホをいじっていると、喫茶店の鈴が鳴る。顔を上げると高木がちょうど僕の席を見つけたところだった。

「すまんな」と、机に鍵を置く。僕は受け取ってカバンに入れた。

「いや、こっちこそ。突然だったからな。それより、先生と何の話をしていたんだ?」

「いらっしゃいませ」と、先程の店員さんがもう一つお冷を持ってきた。

「アイスコーヒー」僕は高木を見た。高木は言葉を引継ぐ。「二つで」

「かしこまりました」

 高木は席に座り、お冷を飲んでから言った。

「で、なんだっけ?」
「先生と進路相談って言ってただろう」
「ああ、『もっといい大学を目指せ』だとさ。俺は研究室で選んでんのに、なんで分かんないかな。そりゃ、良いとこ就職したいだけなら良い大学いくさ。俺にはやりたい研究があるのよ」
「お前はすごいよ。こっちは行きたい大学も決まってないのに」
「俺の話はいい。今日は丹野の相談だろう? 結局、今日も会話がなかっただろう」
「いや、話はしたよ」
「いつ? ……ああ、朝か。珍しく早く来ていたもんな。もしかして、そのためか?」
「いや、違う。それは本当にたまたまなんだ。中里さん、彼女、自殺するんだよ」
「アイスコーヒー、お持ちいたしました……」

 店員さんと目があう。気まずい。彼女から笑みが消え、そそくさと席を離れていった。高木はため息をついた。

「大丈夫か、お前。一応聞くが、何でそんな結論になる? 中里が直接言ってた訳じゃないだろう」
「いや、夢を見たんだよ」
「まさか、『予知夢を見た』とか言い出すんじゃないだろうな。あんなのは当たった夢を『予知夢だった』と後付けで言ってるに過ぎん。夢なんて毎日見るからな。下手したら一日に二、三個見ることもある。そりゃ、いつかは、一つや二つぐらい当たるさ」
「だからこそだ。予知夢じゃ無くしたいんだよ」
「言いたいことは分かるが。つまりあれか、丹野は中里が亡くなる夢を見て、正夢になるんじゃないかと心配しているのか?」
「亡くなる夢を見たというか、六年後なんだよ、その夢。大学生だったんだ。昔の話が出たら、中里さんが自殺していたことになっていた」

 具体的に夢の話を高木に伝えた。就活スーツや下宿先、大学生活、どんなに現実的な夢であるか、必死になって説明する。高木も半信半疑なのだろうが、一応、口を挟まず聞く素振りを見せてくれる。だけど、説明すればするほど、ただの夢にしか思えなくなってくる。高木の様子を窺う。彼はコーヒーを一口飲み、もどかしそうに手を動かしていた。

「……何か、他にないのか?」
「何かって?」
「丹野の言葉を一応なりとも信じられる、あとひと押しだよ。わざわざ呼び出してまで、お前が俺をからかう人間じゃないのは知っているからな。だから、信じてやれなくもないが、 たとえば、大学名は覚えていないのか?」
「大学名か、あれ覚えていないな。いや、まてよ。高木がいた研究センターはたしか、白い新しめな建物だった。名前は、たしか、睡眠研究センターか」

 なんとか思い出そうと、頭を叩きながら答える。高木は「なるほど」とだけ呟いて、スマホを取り出すと、何やら検索しだして、画面を僕に見せる。

「丹野が見たのは『睡眠医学先端研究センター』じゃないのか?」

 高木からスマホを受け取る。画面に映る建物は、なぜかグラフィックだが、間違いない。

「そうだよ、この建物だ。やっぱり、あったんだ。めっちゃハイテクなんだ。受付も人工知能が入ってるぞ、ここ」

 高木を見ると、彼は周りの席を指差していた。僕は口をつぐんだ。

「お前が興奮しているのは良く分かった。しかも、まだ気づいてないようだから教えるが、画面を良く見てみろ」

 僕はもう一度画面を見る。グラフィックの理由。冷房も効いていないのに鳥肌が立った。施設は完成予想図だった。

「俺はな、その新しく出来る研究センターに入る研究室に行きたくて、今日先生と揉めたんだよ」
「そうだったのか」

 高木の夢を初めて知った。だとするなら、僕の夢では高木の夢は叶っている。

「そうか、これで俺も丹野の夢を信じる理由が出来た訳だ。いや、どちらかと言うと信じたい理由だな。でもな、いいか。丹野の夢が未来を見ていたとする。だが、現時点で夢の中で見た過去と今は違うだろう。中里が同じクラスなんだからな」
「そこなんだよな。完全な未来を見ている訳じゃないんだよ」
「俺自身はSFには疎いんだが、可能性のある未来を見ているだけなんじゃないか?」
「多世界解釈か。エレネットだっけ? 世界は分岐するとかいう」
「エヴェレットな。量子力学は専門外だが、丹野が夢で見ているのは、無数にあるもう一つの世界なのかもしれん。だけど、実際に起こるかは別問題だ」

 高木は「俺にとっても残念なことだが」と付け加えて、アイスコーヒーをすすった。

「じゃあ、中里さんが自殺するかどうかも分からないってことか」
「それは、そうだろう。俺や丹野も、もしかしたら事故に逢うかもしれん。それと同じだよ」
「止めるのは難しいか」

 落胆して言った僕の声を否定するように高木は首を振った。

「突発的な出来事ならな。でも、自殺は精神的な積み重ねだろう? なら、助ける余地は十分あるはずだ」
「彼女の悩みが分かればいいってことか。なんか打算的に近づくのは気が引けるな」

 僕の台詞に高木は思わずといった感じで、ふっと笑った。

「人付き合いなんてな、多かれ少なかれ打算的だろ。純粋に友達になれるなんて、小学生低学年ぐらいまでだと思うがな」
「分かってるよ、そんなこと」

 むっとした僕に高木は、「まあ」と話題を戻す。

「結末は不明だとしても、確率を上げるのは大切だ。未来の自分から中里の悩み、ようは自殺の原因を探してもらうに越したことはないし、事件の時期を知っておくことも大切だ。ただ、問題は」

 高木は言葉を切る。飲み終わったアイスコーヒーの氷がカコンと音を立てた。

「向こうの丹野が協力的なのかってことだ」
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