兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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百二十六 笛吹王女

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 明くる日の朝、王女エレナの前に集まって情報交換を行う『御前会議』は滞りなく、その七回目を迎えていた。
 『御前会議』──帝の位はいともカシコし、竹のソノウの末葉まで人間の種ならぬぞヤンゴト無しとは吉田兼好の言い回しであるが──貴族のモルフィネスを除けば、ドルバスにしろ、ヘルデンにしろ、下々の身の上、それが雲上人の王女エレナと同席するだに恐懼恐縮、ましてや食事を共にして語り合う等、実際窮屈窮まりない迷惑顔である。
 その一方で同じ下々の身ながら、ハンベエやロキは平気な様子。まあ、エレナとの付き合いが少々古い事もあるし、何よりふてぶてしいのと図々しいのの名コンビ。さこそありなん。
 最初の報告は、ハンベエであった。
 昨日のテッフネールの来襲と撤退を手短かに説明した。
「今回も引き分けか。」
 ハンベエの説明が終わると、モルフィネスが言った。特に他意はなく、何と無く相槌のように言っただけのようである。
「そうだな。引き分けだ。ま、次には決着が着くだろう。」
「勝てるのか?」
「勝つとも、テッフネールの事はこのハンベエに任せておいて貰おう。」
「ふむ、元より任せる他ないが。」
「無礼を承知で聞くが、本当に大丈夫なのか。」
 モルフィネスとハンベエのやり取りにドルバスが割り込んで言った。ハンベエに顔を正面向けている。真剣な面持ちである。
「大丈夫だ。」
 ハンベエは曖昧さのカケラもない断固たる口調で答えた。その割には少しの気負いも感じさせなかった。
 ドルバスは頷き、スープを口に運んだ。
 エレナは何も言わず、そのやり取りを聞いている。穏やかな表情に努めている様子だ。
「戦備の方は私の弓隊一万、ドルバス将軍の槍隊二万、既に訓練も十分、何時でも戦える。倍の人数の敵でも大丈夫だ。」
 モルフィネスは自信を窺わせる平静さで言った後、ロキの方を見た。
 この時、ロキは例によって本当に幸せそうな、この世でこれ以上幸せな一時はないんだよお、と言わんばかりの顔でパンを口に捩込んでいたが、不意に向けられたモルフィネスの視線に、慌てて咀嚼物を飲み下した。
「オイラの方も順調って言うかあ、兵隊さん三万人分の食糧の三ヶ月分揃えたよお。後、パーレルと共同でやってる地図作成作業もほぼ完成だよお。」
「地図ができたのか。」
 ロキの言葉にハンベエが反応した。
「うん、多分今日辺り見せられるよお。」
「姫君、かくの如く我が方の態勢は万全、ステルポイジャン達が軍を派遣しても必ず撃ち破ります。先ずはご安心を。」
 モルフィネスがエレナに恭しく一礼して言った。
「はい、安心して皆さんにお任せしておりますわ。・・・・・・でも、フィルハンドラ王子の軍は何故攻めて来ないのでしょう?」
「東方のボルマンスクとの間で小競り合いを繰り返しているようです。」
 モルフィネス──群狼隊ゲッソリナ支部からの情報のようだ。

 そう言って一区切り間をおいてから、エレナの問いに答えようと続けた。
「テッフネールによるハンベエ暗殺に期待を寄せているのでしょう。逆にテッフネールを寄越した為、下手に軍を動かせなくなっていると思われます。過去の話を調べた結果、あの人物かなりのヘンコツ者で、機嫌を損じたら逆にステルポイジャンの方に牙を向く事も有りそうな気もしますからな。」
 モルフィネスの話にエレナは肯いた。
 肯いた後、少し考えてから言った。
「あの・・・・・・。浅はかな考えかも知れませんが、テッフネールという人、味方にはできないものでしょうか?」
 全員の注目がエレナに集まった。
 ハンベエは無言でエレナの方を見ていた。
「それができれば、それに越した事は有りませんが、千に一つの目も無いでしょう。」
 遠慮がちにモルフィネスが言った。
 エレナはハンベエの方を見た。
 ハンベエは一度目を閉じ、困惑の表情で口を開いた。
「滅多にない王女の提案で、やってみるだけの値打ちのある策だとも思いはするが、そればかりは・・・・・・」
 歯切れの悪いハンベエの物言いであった。
「ハンベエさんも、やはり無理だと? 私の見るところ、全く話の分からない人とも思えませんでしたが。」
「王女は、俺の身を案じてそういう事を考えてくれたんだろうが、・・・・・・奴は我が師フデンの名を聞いた途端、狂ったように斬り付けて来た。どうも、ステルポイジャンの部下としてとかと言うより、我が師フデンそしてその弟子の俺の事を生かして置けないと思っている節がある。説得はまず無理だと考えてもらいたい。」
「そうですか。」
 ハンベエの言葉にエレナは悄然と肩を落とした。
「待て、ハンベエ。今フデンと言ったな。フデンとは、あの伝説の武将フデンか?」
 意外な反応をしたのは、エレナとロキを除く三人であった。
 モルフィネス、ドルバス、ヘルデンは驚きの目をもってハンベエを見た。日頃、冷然たる表情を崩さないモルフィネスでさえハンベエを見る目が違っていた。
 ハンベエがフデンの弟子であるという話は、テッフネールとの闘いの中、二人の会話にも出ていたのだが、その場にいたはずのドルバスまで初めて知った顔であった。勝負の帰趨に心を奪われるあまり、聞き落としていたようである。
「それにしても、姫もロキもフデン将軍の弟子と聞いて驚かないとは。」
「いや、知ってたから。」
 とロキ。
「ひでえや、大将。そんな事は教えといて下さいや。」
「何か違うところがある奴とは思っとったが、フデン将軍の弟子であったとはのう。」
 今度はハンベエが驚く番だった。師のフデンの名を出しただけで皆がこれ程騒ごうとは、改めて師の評判の高さを知った思いだった。
「しかし、ステルポイジャンの配下のガストランタという男もフデン将軍の弟子を名乗り、将軍愛用の『ヘイアンジョウ・マサトラ』を帯佩していたはずだが。」
「ガストランタという奴は騙りだ。『ヘイアンジョウ・マサトラ』は盗まれたものさ。」
 ハンベエはウンザリした顔で言った。それから、続けて言った。
「師のフデンが世評に名高い人物という事は知っているが、師は師、俺はただのハンベエだ。」
「確かに、しかし、ただのハンベエも中々の男だ。」
 『ハンベエの敵』と称して憚らないモルフィネスが何故かハンベエを持ち上げるような事を言い、その一方でエレナに向かって次のように述べた。
「姫、ハンベエが言ったようにフデン将軍に絡んでの話であるなら、テッフネールの説得は無理と言う事になります。考えてみれば、フデン将軍が戦場を去ったのが十年の昔、テッフネールが突然消息を絶ったのがその直後、丁度平仄が合います。」
「どういう意味ですか?」
「恐らく、テッフネールは己こそ天下一の武人と考えているはず、ハンベエを倒してそれを証明する事は考えても、味方になろうとは思わないでしょう。」
「あー、そうなんだあ・・・・・・でも、それなら何故フデン将軍の弟子を詐称するガストランタはテッフネールの標的にならなかったのかなあ? 奴は大分前からそう言ってるのにい? ハンベエばっかり付け狙ってえ? それにハンベエがフデン将軍の弟子と知って皆驚いたのにい、ガストランタがフデン将軍の弟子と称してる事は忘れてたのお?」
 ロキが不満げに言った。テッフネールは不公平だとでも言いたそうである。
 ロキのセリフに、ハンベエ苦笑。
「さて何故かな。世の中えてしてそういうものらしい。」
 エレナの心労をよそに、本日の『御前会議』は話が横道に逸れて終わった。

 散会して皆が持ち場に戻る中、エレナがハンベエを呼び止めた。
「あの、ハンベエさん。」
「うん?」
「皆が私の為に、厳しい調練を繰り返して戦に備えてくれているのに、私何もできなくて。」
「・・・・・・。」
「それで私、色々考えたんです。・・・・・・私、横笛が少し吹けるんです。兵士達の無聊を慰める為に、それをお聞かせしたいと思うのですが、どうでしょう。喜んで貰えると思いますか。」
「・・・・・・。」
 ハンベエは少し首を捻った。ハンベエには楽曲の心得がない。エレナのこの相談には『はて?』と詰まった。
「やはり、役には立ちませんか?」
「・・・・・・。分からない。・・・・・・パーレルに相談してみようか。」
 何故かハンベエはそう言い、エレナの笛をまずパーレルに聞いてもらう事にした。
(イザベラが居れば、こういうのには強い気がするんだが・・・・・・そういや、ボルミスも一応遊び人だったな奴も呼ぶか。)
 こうして、パーレルとボルミスを呼び出し、四人して町外れの誰もいそうにない野っ原まで、こっそり出かけた。
 そこで、ハンベエはパーレル、ボルミスと共にエレナの笛の音を聞いた。
 エレナの笛の音を聞いたハンベエの感想は懐かしい感じがすると言うものだった。ハンベエは音楽などまるで興味の無い若者だった。笛など聞いた事もない。何故、懐かしい感じがする等と感じたのか己でも不思議であった。
「どう思う。」
 自分が感じた事などおくびにも出さず、いかにも関心無さそうに、ハンベエはまずボルミスに尋ねた。
「いいもん、聞かせてもらいやしたよ。大将、何にも感じないんですかい。」
 少ししんみりした様子でボルミスは言った。
「パーレルはどう思う。」
 次にハンベエはパーレルに尋ねた。
「大丈夫ですよ。皆きっと聞き惚れると思いますね。」
 パーレルはハンベエの心中を読んでいるかのように答えた。

 ハンベエが心配したのは、王女の志は尊いが下手なものを聞かせては、兵士が失望するのではないかという事であった。しかも、自分は門外漢である。王女には失礼と思ったが、試験官代わりに二人に聞かせたのであった。
 その後、ハンベエは陣地に戻るとモルフィネスとドルバスに耳打ちをした。
 この日も兵士達の訓練は続いていたが、途中ハンベエが司令部の屋上に登って大きな旗を振った。旗は何故か第五連隊の旗であったのだが・・・・・・。
 それを見たドルバスとモルフィネスは兵士達に小休止を命じた。
 しばらくすると、澄んだ笛の音が聞こえて来た。兵士達は調練の疲れで地べたに腰を降ろしたまま、音のする方に目をやった。司令部の屋上に王女が立って笛を吹いていた。十分ほどであったであろうか。皆、何も言わず、私語する者もなく、ほうけたように笛の音に耳を傾けていた。
 吹き終えて一礼する王女に肯くように兵士達は敬礼をした。目に涙をたたえている者までいた。
 この日から、この十分間が兵士達の新たな楽しみの一つになったらしい。拍手や歓声は無かったが、兵士達は行儀良く、エレナの笛を聞き、その終りにはしんみりと敬礼した。
 この兵士達の反応が何を意味するのかハンベエには理解できなかったが、モルフィネスやドルバスに言わせると、兵士達の王女エレナに対する敬慕の情は明かに深まったという。
(笛でね・・・・・・。)
 腑に落ちない顔をして首を捻るハンベエの下に、ロキがテッフネールからの果たし状を持って来た。
 何処で出会ったのやら、危険極まりない男とやり取りした割に平気な顔のロキである。
 笛の音のが何になるのかは今一つ知らぬ顔のハンベエであったが、果たし合いは本業、避けて通れぬところであった。
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