兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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百一 敗者復活戦ー前編

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 中では、執務机の向こう側に、真ん中にハンベエ、右にドルバス、左にロキが腰掛けて待ち受けていた。執務机の前にはぽつんと椅子が一つ置かれていた。どこかの面接会場のような配置である。
「先ずは座られよ。」
 ハンベエは立ち上がると取って付けたような言い回しで言い、机の前の椅子を指し示した。
 モルフィネスはハンベエの眼をじっと見詰めながら、無言で椅子に腰掛けた。
「さて、本日は何用あって参られた。」
 ハンベエ、お仕着せの使い慣れない言葉遣いで尋ねる。
 馬鹿に堅苦しいハンベエの物の言いように、極々この男の平素を知るほどの者なれば、或いは失笑を免れなかったかも知れないが、モルフィネスは笑いはしなかった。こちらは真剣極まりない眼差しでハンベエ達を見詰めている。
「助けに・・・・・・力を貸してやりに来たのさ。」
「力を貸しに? 俺とお前は倶に天を戴かない間柄のはずだが?」
 ハンベエは穏やかに言い返した。モルフィネスの発言に驚いた様子は無い。又、言葉こそ激しいが、皮肉めいた口調でも無く、敵意の籠ったものでも無かった。かつては肉を喰らい、八つ裂きにせんとまで、憎しみを向けたモルフィネスを前に、拍子抜けするほどにハンベエは落ち着いた静かな佇まいを見せていた。
「それは今でも変わらない。いずれ、貴公は私が倒すつもりだ。だが、それはそれとして、一時休戦して手を組まないか。」
 モルフィネスはいつもの冷徹氷の如き雰囲気でハンベエに語りかけた。
 ハンベエは何も言わず、じっとモルフィネスを見詰めている。小首を捻り、腕組みをし、無愛想な面を向けたままだ。
「力を貸すだってえ? そんな事言ったってえ、お前みたいな血も涙も無いような奴は信用できないよお。」
 ハンベエが考え込んだまま何も言わないので、ロキが業を煮やしたようにモルフィネスに喰ってかかった。
「事は戦だ。血も涙も無ければこそ、役に立つ事も有るだろう。」
 ロキの悪罵にモルフィネスは鷹揚に答える。表情一つ変えない。
「今さら手を組みたいと言われても、第五連隊の生き残りは貴様の肉を喰らっても飽き足らぬほどに憎んでいるぞ。かく言うこの俺もその一人だ。」
 と、これはドルバス。
「なるほど、憎まれても仕方の無い策を私は立てた。だから、この私の命を付け狙おうと別に文句を言うつもりは無い。」
 これに対しても、モルフィネスは鉄仮面のように表情を変える事無く応じ、更に付け加える。
「だが、今は非常の時、取り敢えず私を生かしておいて役立ててみないか。」
「お前なんかの力を借りなくたってハンベエやオイラ達は何も困りやしないよお。」
「ハンベエ、貴公も同じ考えか?」
 モルフィネスは再びじっとハンベエを見詰めた。
 ロキもドルバスもさっきから、だんまり続けのハンベエに視線を向けた。ハンベエの無口は珍しい事では無いが、かつての仇敵を前に水の如く静かなハンベエの面持ちが二人も気になっている。

「さて・・・・・・。」
 注目を浴びたハンベエは、しかしながら首を捻り、鈍い表情のまま口を開いた。
「先ず、モルフィネスに聞きたい事が有るが、いいか?」
 ハンベエがこう言い出しので、ロキとドルバスは口をつぐみ、モルフィネスは大きく頷いた。
「何故、フィルハンドラやゴルゾーラの所ではなしにこっちへ来たんだ。タゴロロームへ、俺達の前に姿を現したら、命が幾つ有っても足りぬ事は百も承知だろうに。」
「・・・・・・。ステルポイジャン達の仲間にはなれぬのだ。」
「?・・・・・・何が有った?」
「現在、ゲッソリナには貴族達の兵士五万人、ステルポイジャンの掌握する兵士十二万人、併せて十七万人の兵が集結している。フィルハンドラ王子はこの力を背景に王位を称し、バブル七世を名乗った。」
 モルフィネスはゆるゆると話し始めた。『何の話してるんだよお。本題は何だよお。』と言いたげなロキをハンベエが目で制した。
「ステルポイジャンは、バブル六世の死去の後、王妃であるモスカ夫人を通じて、ゲッソリナに貴族達の非常召集をかけた。王妃にそして、フィルハンドラ王子に忠誠を誓う者は兵士を引き連れて馳せ参ぜよと云うわけだ。」
 モルフィネスは順を追って喋る為に、話が肝心な所にやって来ない。だが、ハンベエは黙って話を聞き続けている。この男の癖で相槌すら打たない。ハンベエが黙って聞いているので、仕方ないのか、ロキもドルバスも無言である。
「ところで、私の父ルノーはバトリスク一門の当主であり、近衛兵団の長であったが、この召集に応じなかった。その為、ステルポイジャン達に攻められ、一族郎党皆殺しにされた。」
「皆殺しだと?・・・・・・」
 ハンベエは少し驚いた。同時に、パーレルもバトリスク一門のはずだったな、と云う事は、パーレルの家族も皆殺されてしまったのか、とふと思った。
「ステルポイジャン大将軍は思い切った事に、南方からやって来た兵士十二万全てを投入し、バスバス平原にいる我が一門を襲った。我が一門は殺し尽くされ、領地は焼き尽くされた。私はステルポイジャンに遺恨を持つ身となったわけだ。」
「いつの話だ?」
「丁度、六日前だ。」
 何故お前は生きている? と普通なら尋ねる処であるが、ハンベエはモルフィネスの勘当を既にエレナから聞いていた。
「なるほど、一族皆殺しにされたのでその復讐の為にステルポイジャン達と戦いたいと言うのだな。」
「それは理由の一つだが、全部ではない。」
「・・・・・・と言うと?」
「あの連中、ステルポイジャンの旗下にある連中が好きになれぬのだ。奴等は、今回バトリスク一族を攻めた際に、略奪、凌辱を欲しいままにし、兵士でない者まで殺し尽くした。勿論、戦争とはそういうもので、勝った者は敗れた者から全てを奪う、誇りさえもな。それは解っているが・・・・・・好きになれぬのだ。ああいう奴等を上に戴いて暮らす気にならない。」
 モルフィネスは吐き気を催したかのように顔を歪めて言った。
「ふん、立派そうな事言ったって、騙されたりなんかするもんかあ。アルハインドと戦った時はお前だって非道な事したじゃないかあ。しかも、味方に対してえ。」
 ハンベエがじっとモルフィネスの言い分を聞いているので黙っていたが、モルフィネスの話が一仕切りついたみると、我慢しきれなくなったロキが言った。痛い所を突いている。
 だが、モルフィネスは少しもたじろぐ事無く、秀麗な面をロキに向け、
「アルハインドとの戦いで私が取った策については私にも言い分はある。私も好き好んで、あのような策を立てたわけではない。当時、敵は騎兵五万、我が方は歩兵一万六千、圧倒的不利な立場に有った。その状況で私はタゴロロームを守る策を立てなければならなかった。しかも、私の立てた策は民を救う為の窮余の一策、力に任せ暴虐を欲しいままにしたステルポイジャン達の戦振りと同一視されては甚だ不愉快だ。」
 と言った。モルフィネスの堂々とした態度にロキの方が少したじろいだ様子で、悔しそうに唇を曲げた。
「出来れば解ってもらいたいのは、当時私の職責は参謀であった事だ。」
 モルフィネスは視線をハンベエに戻し、話を続けた。
「与えられた条件の中で、希望的観測を排し、冷酷非情に勝利の計算をして、可能性を示す。それが参謀の仕事である。私の策は幸か不幸か、バンケルク閣下に受け入れられ、採用された。冷酷な策を立てたとしても、それを採用するかしないかは主将次第だ。」
「自分の責任を転嫁するつもりなんだあ。」
 又しても、ロキが喰って掛かった。
「私は自分の責任を誤魔化すつもりはない。役割の話をしただけだ。私が非道な策を立てようと、今回はハンベエが採用するか否か決めればいいだけではないか。参謀とは策を立て、その利害を説明し、後は指揮官の判断に委ねるのがその職責である。基本的には実施の責任は指揮官に負ってもらわねばならない。そうでなければ参謀と云う職責は果たせない。」
 終始一貫、氷のように感情の籠らない口調で話すモルフィネス。ロキは更に何か言おうとしたが、ハンベエがさり気なく左の手の平をロキに向けたので、口を閉じた。
「ステルポイジャンと遺恨が有って、奴等と戦おうと云うのは分かった。だが、それなら何故ゴルゾーラの所へ行かない?」
「そちらには、何せ宰相のラシャレーという大策士が居て、私の出番など無さそうなのでな。それに、兵術の理想は『柔能ク剛ヲ制シ、弱能ク強ニ勝ツ』事に有る。されば、最弱勢力に身を投じて腕を振るってみたくなったのだ。」
「どうやらまあ、ステルポイジャン側の回し者じゃあなさそうだな。が、お前を吊し首にするか、斬首して晒すか、車裂きにするか・・・・・・それとも、万に一つ仲間に受け入れるかするとしても、この件は王女の意向を聞かねばなるまい。協議するから、別室で待ってもらおうか。」
 ハンベエは努めて穏やかに喋っているようだ。だが、この男の口から王女の意向等と云う言葉が出ようとは・・・・・・雨でも降らねば良いが。と云っても、既にゴロデアリア王国には嵐が吹き荒れているのだった。
「待とう。逃げも隠れもしない。」
 モルフィネスはそう言うと、言うべき事は言い尽くしたと云う風に立ち上がった。
「二人はこの部屋で待っていてくれ。俺はモルフィネスを別室に案内して、ついでに王女を呼んで来る。」
 とハンベエが言って立ち上がったので、ロキもドルバスも少し驚いた様子だ。わざわざハンベエ自身が案内しなくても、それこそイシキンにでも命ずるべき事だからだ。
 ハンベエの静かな対応にそれで無くとも不審を抱いている様子のロキの厳しい視線を敢えて無視して、ハンベエはモルフィネスを部屋の外に誘った。

 しばらく廊下を歩き、ハンベエはモルフィネスに耳打ちするように言った。
「王女の意向を聞く事にはしたが、もしパーレルがお前を許さないようなら、俺はお前を斬るぜ。」
「パーレル?」
 モルフィネスは、怪訝な表情で問い返した。
「覚えていないらしいな。人に酷い事をする奴は得てしてそう云うもんだ。おっと、俺も人の事は言えねえか。・・・・・・昔、お前の家に招かれ、お前の手で大火傷を負わされたバトリスク一門の分家の少年がいた。今は俺の仲間だ。」
 ボソボソとした口調でハンベエが言うと、モルフィネスは少し考えていた様子であったが、思い当たったと見えて肯いた。しかし、動揺した様子は無く、冷酷の仮面のままである。

 従者代わりに付いて来た群狼隊兵士とモルフィネスを待機の部屋に案内すると、そのままエレナのいる部屋にハンベエは向かった。
 『見張りも立てないのか』と呆れるモルフィネスにハンベエは、
「わざわざ命を曝しにやって来たお前だ。この切所で逃げ出して恥を晒す腰抜けでも有るまい。」
 とにべも無かった。
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