兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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九十八 勇は余っているけれど

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「なるほど、危ないところだったわけじゃ。しかし、あんまり無鉄砲な真似ばかりされては困るぞ。留守を任される者の身にもなってもらいたいもんじゃ。」
 此処はタゴロローム守備軍司令部の一室。声の主はドルバスである。
 タゴロロームに戻ったハンベエが別れてからの顛末を漸く語り終わったところであった。ドルバスやヘルデンに迎えられ、司令部に有る、かつてバンケルクが使用していた執務室にロキと入ったハンベエは、部屋にロキを残し、別の部屋でドルバスと話をしているのだ。
 ロキを外したのに深い理由はない。ドルバスとロキは初対面だったので、ドルバスが話し難い事が有るかも知れないと思っただけである。ヘルデンは別の用が有るらしく、一礼して去って行った。
「ああ、悪かったな。兵士達はどんな具合だ?」
「特にこれと言った事は有りはせんが。」
「ふむ。ところで、成り行きで王女を守らなければならなくなりそうだ。つまり、ステルポイジャン達と敵対する事になりそうなんだが・・・・・・。」
 ハンベエはちょっと気まずそうに語尾を濁した。
「成り行きじゃから、何処までもハンベエに付いて行くぞ。」
 ドルバスはあっさりと答えた。
 その一言にハンベエはホッと胸を撫で下ろす思いだった。ドルバスと顔を合わせる迄は、どうやって説得しようかとアレコレ思案を重ねて来たハンベエであったが、ドルバスの呆気ない同心でそれらは全て無駄になってしまった。
 逆にあんまりあっさりドルバスが協力を申し出たので、返って不安がもたげて来るほどだ。
「そんなに簡単に決めていいのか? 敵は半端無く強大だぜ。」
 ハンベエの口から、逆にドルバスへの反問が出てしまった。
「じゃあ、俺がステルポイジャンの側に奔っていいんかい?」
「え?・・・・・・。」
「どの道、この俺はハンベエに付いて行くと決めとるんぞ。今更、考える事は無い。今までだって、楽な相手はいなかったぞ。今回も同じってだけじゃろう。好きでハンベエに付いて行くんじゃ、死んでも別に文句言わんから安心しろ。」
「すまん。」
 ハンベエは静かに言った。全く、ドルバスって奴はトコトン頼りになる奴だ。
「じゃが、この後どうするつもりじゃ。直ぐにも、ステルポイジャン達との決戦準備を進めるのか?」
「うーん、王女がどう言うか分からん。しかし、手を拱いているわけにもいかんしな。と言って、旗頭がやって来ないには兵士達も付いて来ないだろう。」
「ハンベエも色々と心労じゃのう。それはそうと、兵士達に今月の給料払ってないんじゃが・・・・・・。」
「給料?・・・・・・払う?」
「ああ、ハンベエは知らんよなあ。実はタゴロローム守備軍の給料はタゴロロームにある王国金庫の国庫金から金を引き出さなければ払えんのじゃが、守備軍司令官が誰だか分からんような状況では金は渡せんと言うんじゃ。」
「王国金庫?・・・・・・。」
 ハンベエはドルバスの言葉にしばらく考え込んでいたが、やがてポツリと言った。
「現在守備軍が所持している金は幾ら有る?」
「ん?・・・・・・俺がこっちに来てから確かめたところでは、守備軍の金庫には金貨一万枚ほどしかない。」
「給料って云うのは払わないと・・・・・・やっぱりマズイよな。」
「流石にまずいだろう。」
「・・・・・・どうにも仕組みが分からなくて頭が痛いな。・・・・・・が、ハナハナ山から持ってきた金貨がまだ五万枚近くそのままだ。取り敢えず、それで何とかしておいてくれ。」
 はてさて、説明が必要であろう。この時代、軍隊は普通は徴税機能も併せ持っており、ゴロデリア王国においてもゴルゾーラのボルマンスク守備軍やフィルハンドラの南方守備軍は税金の管理を自前で行っていた。
 管轄として支配を任された地域から集めた税金から軍隊に必要な金を差し引き、残りをゲッソリナ行政府に上納していたのである。
 ところが、タゴロローム守備軍についてはゲッソリナ行政府の直接管轄地域として、徴税管理は王国金庫と呼ばれる出先機関が行い、守備軍の必要経費はそこから支給されていたのである。
 ハンベエは師フデンの薫陶の中で、個人的武技として剣術、槍術、馬術、そしてその延長線上で陣立て、集団戦についてまで何と無く教えを受け、ある程度の知識を持っていた。
 しかし、こと金の話になるとスッポリと頭から抜け落ちていた。確かに、山を降りて来てロキに出会い、その後タゴロローム守備軍での軍隊生活を経て、戦争における金の重要性を認識し、前回はバンケルクの隠匿資金を奪ってまで戦費を整えようとまでした。
 だが、元来金銭に無頓着な若者なのである。バンケルクを滅ぼした後は、金の事などすっかり忘れていた節がある。その上、戦費調達の手立てなど元より全く知らないハンベエなのである。
 ロキが『オイラが軍師になる。』と言い出したのは、ハンベエのその辺りが心配になったのかも知れない。特に、今回想定される戦争は単なる地方軍司令官として、ゴロデリア王国の一軍団を率いるのではない。ゴロデリア王国の一軍団として、外敵と戦うような場合(例えば、対アルハインド族との戦い)であれば、戦費の事は行政府に任せておけば問題無かったわけである。しかし、今回の内乱においては、ハンベエは完全な一独立勢力として戦わなければならなくなるのである。当然、戦費獲得の手段も自前で用意しなければならない事になる。
 残念ながら一介の剣術使いに過ぎなかったハンベエにはそのような事は思いの至らない事だった。更に、戦費調達の具体的手段などハンベエには完全に専門外の事だった。そうは言っても、同時にハンベエは勘の鋭い一面も持っている若者でもあった。ドルバスから兵士の給料問題を言われて俄かに事の重大性に気が付いたのである。ハンベエが頭が痛いと言ったのは、ドルバスの言う現時点での給料支払いの問題では無く、戦争を行う為の基盤としての金の問題を全く把握していない自分に気付いたからであった。
(早速、ロキに相談しよう。金の事なら、やっぱりロキだ。)
 ロキの事をうっかり『まだ十二じゃないか』と言ってしまった事など、都合良く忘れてハンベエは相棒の事を思い出した。

「いいのか、あの金を給料の方に回して。」
 念を押すようにドルバスが言った。
「金に変わり有るまい。王国金庫の連中の支払い拒否の件は良く相談して対応する事としよう。給料の支払い遅滞などで兵士達の支持を無くしたくはない。えーと、パーレルかボルミスに話を通せば金は直ぐにも動かせるはずだ。」
「では、直ぐにもそうさせてもらうぞ。」
 話が決まると、ドルバスは慌ただしく飛び出して行った。何気なく話したように見えて、かなり切羽詰まっていたらしい。
 ハンベエは、その有様を見ながら、ドルバスにはいつも苦労させてる俺だよなあ、とちょっと後ろめたさを感じた。その一方、王女を押し立てて、内乱に旗を揚げる件に諸手を挙げて賛同してくれたのには大きな荷物を肩から降ろした思いだった。ドルバスは信頼の置ける、頼りになる人物だとハンベエは思っている。そして、そう感じているのは自分だけでなく、兵士達の多くもきっとそうに違いない、とハンベエは思っていた。そのドルバスが自分を支援してくれるなら、きっと兵士達も支援してくれるに違いない、とハンベエは前途に光明が見えて来たように感じた。

 執務室まで来ると、ハンベエはふと足を止めた。ロキ以外に誰かいるようだ。この気配は・・・・・・ボーンだな、ボーンが何しに・・・・・・とハンベエは小首を傾げながら、中に入った。
 案の定、ボーンがいた。本来部屋の主になったハンベエが座るべき椅子に腰掛け、行儀の悪い事に机に足を乗っけて組んでいる。その横にはボーンの方を向いて椅子に座ったロキがいた。
「よっ、久しぶり。」
 ドアを開けて入って来たハンベエにニヤッと笑ってボーンが手を振った。
「ああ、しばらくだな。何かボーン、ほんの少しだが、以前より殺気じみてる感じがするぞ。」
 ハンベエはボーンの行儀の悪さなど少しも頓着せずに、しかし、持ち前のぶっきらぼうな様子で言った。
「おっと、鋭いな。実はついこの間、久しぶりに人を多めに殺しちまってよ。しかし、それを感じ取るとは、やっぱり怖い男だよ。ハンベエは。」
「えーっ、ボーンさんが人を何人も殺したのお。」
 ロキが少し驚いて言った。
「仕事上、仕方のない時も有るのさ。」
「ふーん。・・・・・・そんな事より、ハンベエが来たんだから、今度こそ何しに来たか。教えてよお。ハンベエ、ボーンさん、大分前にこの部屋にやって来たんだけど、何しに来たのか、オイラに教えてくれないんだよお。ハンベエが来たら話すって。」
「ふむ。」
 ハンベエは手近の椅子を引き寄せてボーンの前に座った。ボーンは慌てて足を下ろして座り直した。
「いとも簡単に司令部の俺の部屋まで入って来られるようじゃ、警備を見直さなきゃならんかなあ。」
 ハンベエは、その気もないのに言った。
「いや、警備はこんなもんだろう。さして悪い方じゃないと思うぜ。俺も一応、腕利きの諜報員だから。」
「全く、ボーンやイザベラにかかった日には、警備なんて何の用も為さんな。」
「それは、ハンベエに対してだって同様だろ。」
「で、何しに来たんだ。」
「国王毒殺の真相その他の情報を伝えに。」
「友達のよしみでわざわざかい。」
「ああ、そうだ。・・・・・・と言いたいところだが、宰相閣下の命令だ。」
 どうやら、ロキへの金の相談は後回しにしてボーンの話を聞かなければならないようだ。ハンベエは身を乗り出し、両手で机に頬杖をついた。人の行儀の悪さを咎めない代わりに、ハンベエも行儀良くはない。
 ボーンはサイレント・キッチンが掴んだ国王毒殺の顛末を包み無くハンベエに伝えた。そしてその後、王妃を通じての要請に貴族達が応じ、その兵士で王宮が固められたので、ラシャレーがサイレント・キッチンを率いてボルマンスクに去った事も。
「それじゃあ、ルノーってトンマのせいで、ラシャレーは足を取られた事になるのか。もっとも、この俺も無関係じゃないが。」
 ボーンの話が一段落した時点で、ハンベエがぼやいた。
「そうだな。ステルポイジャン側の行動も半ば突発的なものだったから、予測できなかったとも云える。」
「ステルポイジャンが関与してなかったのは間違い無いのか。」
「掴み得た情報からはそうなるな。」
「そうか。何と無くそんな気がしていたが。」
「しかし、その後も王妃に荷担してるんだから、同罪だぜ。さてと、俺の方もハンベエに聞いて置くよう命じられている事が有る。」
「ほう。」
「質問その一、王女様の安否。」
「まだこっちには来ていないが、イザベラが護衛に付いているから、まずは無事にタゴロロームに逃げて来るはずだ。」
「イザベラ?・・・・・・どうなってるんだ?」
「何だか知らないが、王女とイザベラが仲良しになってるのさ。その事は宰相のラシャレーは知ってるはずだ。」
「聞いてねえ。まあ、いい。質問その二、ハンベエは王女をステルポイジャン達の手から守るつもりは有るのか?」
「・・・・・・ステルポイジャン達には渡しはしねえよ。」
「だとすれば、ステルポイジャン達と戦争だな。今現在奴らに従った貴族達の兵士が五万、南方守備軍が十二万だから、総勢十七万か。ま、頑張れ。」
「・・・・・・。ボルマンスクの兵隊は何人くらいいるんだ?」
「七万かな。兵を募れば、後三万くらい集められるだろう。」
「俺達の敵対がはっきりした場合、ステルポイジャン達はタゴロロームとボルマンスク、どっちを先に攻めると思う?」
「俺の見立てでは、タゴロロームだな。先ず弱い方から手早く潰そうとするだろう。ま、頑張れ。」
「・・・・・・。」
「そう言えば、貴族達がステルポイジャンに付いたと言ったが、近衛兵団を率いるルノー将軍の去就はまだ分かってないな。」
「ふん、そのルノーって奴には色々絡まれたが、こっちは我慢して生かしておいてやったんだから、ステルポイジャンに付かれたんじゃ、当て外れだぜ。」
 現時点では、南方守備軍は漸くゲッソリナに到着したところだった。『ラシャレー浴場』が破壊され、近衛兵団が消滅するのは少し後の事である。当然、ボーンもハンベエもまだ知らぬ事であった。ルノー将軍、ハンベエが深謀遠慮でわざわざ手心を加えたようであるが、この後、ステルポイジャン軍の猛攻の前に泡雪のように消えてしまう事になる。どっちにしろ、当て外れな奴だった。
「質問その三、ハンベエは王女エレナを傀儡にしてゴロデリア王国の王位を狙っているのではないか?」
「ハァ?・・・・・・ラシャレーが本当にそんな事聞いて来いって言ったのか?」
「今のは冗談だ。さて、大急ぎでボルマンスクへかっ飛んで行かなきゃな。」
 そう言うと、ボーンは椅子から離れ、部屋の出口に向かった。普段に比べ、今日のボーンは軽口が多い。
「待てよ。ボーン。」
 ハンベエは呼び止めた。
「何だ。」
 意外そうな顔でボーンが振り返った。
「俺達の陣営に来ないか? 泣けるほど貧弱な勢力で、直ぐにも潰れてしまいそうなんだが・・・・・・。」
 何とハンベエ、ボーンをスカウトしようと云う気らしい。真顔であった。
「俺を引き抜こうってのか、幾ら出す。」
 ボーンが少し笑いながら言った。
「金貨千枚、いや二千枚。」
「おーっ、太っ腹だな。・・・・・・しかし、残念だが、この状況でサイレント・キッチンを抜けたりはできないな。」
「そうだろうなあ。」
 ハンベエは溜め息混じりに呟いた。いやはや、この強気な若者が本当に残念そうな様子である。
「ハンベエ、死ぬなよ。それと、ロキも死なすなよ。それと、ま、頑張れ・・・・・・としか言えん。」
 ボーンはそう言うと、今度こそ本当に去って行った。
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