兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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九十六 富の為で無く、名誉の為で無く、まして正義の為で無く

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(どうにも、俺らしくない最近の行動だぜ。)
 ハンベエは歯が妙に痒くて仕方ないような鬱陶しい気分に苛まれていた。ステルポイジャンに任地であるタゴロローム行きを勧められ、あっさりと従った自分が何だか自分でないような、別の人間に成り果ててしまったような違和感を感じていた。俺がハンベエである以上はあそこで暴れていなけりゃあ・・・・・・らしくねえ、と他の人間から見ればイカレてるのかとも思える滑稽な焦慮に駆られていた。
 更に又、ステルポイジャンとの騙し比べも最終的には相手の手の平で踊らされていたに過ぎないような不快感が残った。些か己自身に不甲斐無い思いを抱きながら、ハンベエはロキを伴って強行軍、三日の旅程でハナハナ山に到着した。
 道中ロキから意外な申し出が有った。この先、王女エレナを戴くタゴゴローム守備軍とステルポイジャン達の戦争は避けようが無いだろうから、自分も参加したいと云うのだ。
 雲行きから云えば、王妃モスカ夫人とその子フィルハンドラを押し立てるステルポイジャン一派は王女エレナをそのままにはしておかないだろう。そして、ハンベエはタゴゴローム守備軍司令官に任命されたのだが、エレナを守ろうとするなら、ステルポイジャン達と必然的に戦わざるを得なくなる、とロキは見通したようだ。
「参加するって言っても、殺し合いはロキの得手じゃないだろう。それに、商人への道はどうするんだ。死ぬかも知れない、いいや、力関係からすれば死ぬ方の見込みが高いぜ。」
「殺し合いばかりが戦争じゃないだろおう? 物資の配置や行軍の配置。補給線の確保とか。第一ハンベエ、ゴロデリア王国内の道が何処をどう通ってるかなんて全く知らないでしょう? オイラはタゴロロームとゲッソリナの間は津々浦々までバッチリ知ってるんだよお。」
「ふむ。」
「オイラがハンベエの軍師になってあげるよお。」
「だがロキの夢はどうするんだ。」
「別に夢は諦めないよお。」
「しかし、死んでしまったら元も子も無くなるぞ。」
「王女様やハンベエが死ぬかも知れないのに、黙っていられないよお。」
「・・・・・・だが、・・・・・・しかし、・・・・・・ロキはまだ十二じゃないか。」
「ハンベエが年齢の事をどうこう言うのお? じゃあ、オイラが大人になるまで戦争が待ってくれるのお。」
 ハンベエは、ロキは自分とは全く違う道を歩んで行くものと考えていた。予想される内乱へのロキの参加表明を聞き、『お前の進むべき道は違うだろう。お前の未来がこんな事でフイになったらどうする』と諭すつもりだったのだが、どうにもロキに言い負かされてしまったようだ。
 未来とはこの先やって来るかも知れないだけの今の延長に過ぎない。人間、年齢だけが全てではあるまい。むしろ、年齢など些細なもの、それより覚悟が問題だ。十二歳の覚悟が二十歳の覚悟に劣っている等と誰が云えよう。
「・・・・・・失言した。そう、ロキが決めたのなら仕方ないな。しかし、死ぬかも知れないぞ。」
「死なないように、ハンベエ、頑張ってよお。」
 ハンベエ苦笑。バンケルクを撃ち破り、取って代わった形になってしまっているとは云え、タゴロローム守備軍を掌握しているわけではない。今、ステルポイジャン達と戦争を始めると言い出せば、『お山の大将ただ一人、後に続くは月ばかり』となるかも知れないのである。

 ガストランタを戦場で斬り捨てる事を薄っすらと意識しながら、激情と成り行きに身を任せ、突き進んで来たハンベエであったが、まさかゴロデリア王国の内乱がこれ程早く始まろうとは、そして又、自分がその角逐の一方の大将になろうとは予想だにしなかった事である。
 だが、どうにもエレナを守る為には、そしてタゴロローム守備軍に依ってその安全を図るには、ハンベエが大将に為るより他道は無さそうである。
(俺が大将かい。先行き不安以上のものがあるなあ。)
 ハンベエは人に頭を下げるのが嫌いである。又、タゴロロームでの兵士生活を通して、自分が人に使われるのが嫌いな事も痛感した。兎に角、少しでも他人に指図されると腹が立つのである。これ程、自尊心の強い性格だったとはフデンの下にいた時には気付きもしなかった事であった。そんな人の風下に立てない自分ながら、いざ自分が上に立つとなると些か『それは間違っている』と感じてしまうハンベエでもあった。
 コーデリアスから連隊指揮を引き受け、バンケルクを倒す迄はその遺志である復讐を成し遂げるため、ただもう必死であった。だが、成し遂げた後ふと我が身を振り返れば、この俺が人の頭になるタマかよと自分で自分が片腹痛くもあった。
(俺はお師匠様の言い付けには何故あんなに素直に従えたのだろう。)
 ハンベエの頭にふとこんな考えを浮かんだ。思えば、フデンの言い付けの言葉は爽やかな春風のように感じられたのに、タゴロロームに来てから、上官と称する人間から受けた指図は妙に脂ぎっていて嫌な臭いまで感じるものであった。
(バンケルクにルーズにハリスン、どういわけか本当に不愉快極まり無く感じたものだ。・・・・・・ん?)
 どういわけかも糞もねえ、どれもこれも碌でもねえ連中だったじゃねえか、とここまで考えてハンベエは急激に沸々と怒りが煮えたぎって来た。
 そうだ、あんな連中に比べれば俺の方が百倍マシだ。ラシャレーやステルポイジャンは置いておくとしても、ルノーやガストランタやニーバル程度の奴が大物ぶって肩で風切ってるのに俺が遠慮する理由はねえ。
 君子は豹変するとやら、ハンベエ、タゴロローム守備軍の大将に為るのを逡巡する処が有ったが、いきなり考えが変わった。天啓のような閃きであった。まったく自分にばかり都合の良い、我田引水天下一の閃きであったが、それまでの逡巡が嘘のように消えてしまった。
 迷いが消えれば向こう見ず、行け行けどんどん何処迄もな若者であった。
「そうだな。そうと決めたんなら、ロキ。俺に付いて来い。悪いようにゃしねえさ。お前の大事な王女様はきっと守ってやる。」
 と頼もしくも言ってのけた。少々、お調子者丸出しではあった。

「やっぱりハンベエは話せるや。でも、突然自信たっぷりになったねえ。」
「ヒョウホウ者だからな。」
 何がヒョウホウ者だからなのか。とんと解らぬ若者であった。だが、ハンベエは無意識に師のフデンに近付きたいと思っていたのかも知れない。戦場は師のフデンがかつて身を置いたと聞く場所、師には及ぶべくも無いであろうが、『伝説の武将』の弟子としては、人の上に立つのに気が引けるとは言っていられない。

 ハナハナ山に戻ると、第五連隊兵士が総出で出迎えに来た。口々にハンベエのタゴロローム守備軍司令官就任を祝ってくれた。ハンベエ半ば疑いの心を持って兵士達の反応を窺っていたが、彼らは単純に喜んでいるだけのようだった。思えば、彼らはハンベエがエレナに付いてノコノコゲッソリナに行こうとした時も、その身を案じて猛反対したのであった。
 ロキの心配した金貨五万枚は誰一人手を付ける事も無く保管されていた。第五連隊兵士はハンベエの身がどうなるか、そればかりが気掛かりで、その金をどうこうしようという気も起きなかったようである。もう、昔のクズ連隊とは全く別の集団になってしまっていた。
 ハンベエはボルミス、パーレルに命じて、第五連隊にタゴロロームへの出立の準備をさせた。当初のハンベエの部下ですっかり連隊兵士の頭株としての地位が確立されているらしいのはヘルデンであったが、今はドルバスとタゴロロームで、寝返りや降伏をしたタゴゴローム兵士の統率に当たっていて留守だった。
 それでも、ハンベエの命令と聞き、連隊兵士達は整然と動き始めた。強奪資金金貨五万枚は、持って来た時と同じように大八車にのせて持ち帰る事となった。その他の武器も全部一緒にタゴロロームに持ち帰る事となった。
 ハナハナ山に移動して来てから、砦に色々手を加え、それなりに要塞化したのだが、ハンベエはあっさりと捨てた。
 ハナハナ山はタゴロロームとゲッソリナの中間地点に有り、ゲッソリナを牽制するには絶好の戦略拠点であった。又、ゲッソリナの政情を探る前線基地としても、極めて重要な意味を持つものであったが、ハンベエは今はそれどころではない。まず、タゴロロームでの指揮権を確立しなければならない。それが急務であった。ハナハナ山にドルバスが居て、後を任せられるものなら或はハンベエはハナハナ山を確保していたかも知れない。だが、ドルバスはタゴロロームで守備軍の代理指揮をしていた。
 思えば、ハンベエ、面倒な事はかなりドルバスに押し付けている。ドルバスは貧乏籤の引きっぱなしであるが、内心どう思っているのか?
 その他にも、ハナハナ山を捨てる理由は幾つか有る。造作工事によって規模を拡大したが、この要塞への収容人員は一個連隊三千人強がギリギリであった。ステルポイジャンの率いる南方守備軍は恐らく十万人を下らないらしい(これはハンベエがロキから得た情報であった)。敵の大軍が押し寄せて来たら一溜まりもあるまい。ハンベエは兵力の分散を嫌った。
 そして何より、タゴロロームに第五連隊を伴ったのは今現在ハンベエを一番支持してくれそうな連中だからである。タゴロロームでの指揮権確立には多数派工作が必要であるとハンベエは考えていた。
 勿論、ゲッソリナにおける政変の前にハンベエは亡き国王バブル六世からのタゴロローム守備軍司令官の任命を受けており、法制上はタゴロローム守備軍の生殺与奪の権を握っていた。しかし、そんなものは兵士達を最終的には動かし得ないものである事はバンケルクとの戦いを経たハンベエは骨身に滲みて思い知っていた。
 さて、どうやって兵士達の支持を得たものか──自分が人の上に立つと云う事への迷いが消えたハンベエの頭はどうやってタゴロロームの兵士達を丸め込んで自分の目指す方向に引きづって行くかと云う一点に向けて、汚らしいほどずる賢く回転し始めていた。
 ハンベエはタゴロロームに着いたなら、直ぐにでもドルバスと今後の方針を打ち合わせるつもりであったが、そのドルバスに対しても必ず自分の方針を支持してもらえるとは考えていない。人にはそれぞれに考えがある。甘い期待は抱くまい。要は手練手管を用いても己の意思を貫徹するのだ。そうハンベエは腹を括った。

 向こう見ずで、時には自信過剰にまで思えるハンベエが何故一旦事を図り始めると、こうもシニカルに物事を見始めるのか? その秘密はフデンの教えに有った。『神を頼るなかれ、仏を頼るなかれ、運に頼るなかれ、ただ己有るのみ、これヒョウホウの始めの始めなり』とフデンは教えた。
 『ただ己有るのみ』、これがヒョウホウの基本なのである。基本的に己の力のみにしか当てにならない、当てにしない。ハンベエはその場所に立って物事を見る。この若者はマコトに孤独なヒョウホウ者であった。
 ガストランタを討ち果たす目的があるとは云え、本来孤独なこの若者が何故王女を守って戦うというこの道を選んで進むのか、ハンベエ自身解らないでいる。成り行きと言ってしまえばそれまでであるが、いいや、既にそんな事考えすらしていなかった。ただ、敵を撃ち破る技術的な思案のみがハンベエの頭を占領してしまっていた。
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