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八十四 ペテン師は踊る、薄氷の上
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「危ないところだったねえ、ハンベエ。」
ロキが小声で、額の汗を拭きながら言った。
「いつもながらの機転だったな。助かったぜ。」
とハンベエは先ほどの剣幕は何処へやら、声を和らげてロキを褒めた。
「さて、どうするんだい。」
とイザベラが寝台から立ち上がってハンベエの方に歩いて来た。エレナもその後ろに続く。
「あの、私、父に毒を盛ったりはしていません。」
エレナが弁解した。国王の死を聞いて虚ろな様子だ。
「分かっている。此処にいる全員な。」
ハンベエは静かに言った。エレナに向けた眼差しが妙に物優しげである。それを見たイザベラやロキは複雑な表情になった。一体ハンベエは薄情なのか優しいのか判断に迷うとでも言いたげな顔である。
「で、どうするんだい。」
イザベラがハンベエに尋ねた。エレナを優しく慰めていた時とは打って変わり、目が野獣のような光を帯びて鋭くなっている。スイッチが入ったと言うやつだろう。戦闘モードに切り替わったようだ。
「遂に内乱の幕が開けたようだから、王女はタゴロローム守備軍で保護するしかないようだな。」
ハンベエは言った。苦い顔になっている。バンケルクを討ち滅ぼした自分が、そのやろうとした事を盗み取ったように思えたのである。
「あの私、ハンベエさんなんかに助けて欲しくありません。」
エレナが口を尖らせた。
ハンベエは一瞬、戸惑うような表情でエレナを見つめたが、直ぐに妙に砕けた顔付きになって、
「そうかい。だが、俺は王女を助けたい。」
と言った。その様子は緊張したところも変に気張ったところも少しも無く、又皮肉めいた処もない、イヤに砕けた自然な調子だった。何と言ったらいいのか、強いてハンベエのこの時の言葉付きを説明すれば、例えば『裏の山を散歩していたら、タケノコを見つけたので取って来たよ。』と家人に告げる親父のような、そんな肩に力の入らない、自然な調子であった。
「な、何を・・・・・・私の許婚であるバンケルク将軍を殺しておいて、良くそんな勝手な事を・・・・・・。」
ハンベエの雰囲気にエレナは目を白黒させながら噛み付いた。
「落ち着きな、エレナ。」
イザベラがエレナの肩を強く掴んだ。そして、王女の目を強い眼差しで見つめて言った。
「ここで、王宮警備隊の連中に捕まったら、父親殺しの濡れ衣を着せられて消されるだけの事だ。今はこの窮地を如何に脱出するか、それが全部だよ。」
それから、ハンベエの方に顎をやり、
「この憎たらしい男には、生き延びた後に悪態つくなり、命を狙うなりしたらいいさ。今は、逃げるしかないんだ。」
と続けた。
「そうだよ、王女様。今はとにかく、逃げる事だけ考えようよ。」
ロキがイザベラに調子を合わせて言った。
「イザベラさん、ロキさん。」
エレナは二人を潤んだ瞳で見つめ、それから、『分かった』というように肯いた。
付け加えておくが、これらの会話は囁くような小さな声で交わされているのである。王宮警備隊の兵士達が血眼になってエレナを捜し回っているのに、王女の存在がバレるような話を大きな声でするほど彼等も能天気ではない。
「で、どうするんだい、ハンベエ。」
イザベラ、さっきからこればっかりである。壊れたレコードじゃあるまいが。
ハンベエは、腕を組んで仏頂面を曝している。まさか戻った早々、王女の仕業に仕立てて国王を毒殺するなどという大陰謀が勃発するなどとは髪の毛ほども予想していなかった。全く、闇夜に田んぼの畦道を滑り落ちたようなもので、泥田の中で焦るばかりで良い知恵も中々浮かぶものでは無かった。
幾つかの案を頭に描いては消すという作業を、目まぐるしい速さでハンベエは行っていた。
イザベラにエレナに変装させ、囮にしてボルマンスク方向へ行かせ、敵の目をそちらに向かせる事も考えた。だが、その案は直ぐに捨てられた。その案では、エレナが一人でタゴロロームに向かう事になる。今のエレナを一人になどできなかった。ちなみにこの時ハンベエは、自分の手でエレナを送って行くという事は全く考えていなかった。
エレナを自分に同行させては反って彼女の身に危険が及ぶと考えたのである。第一、目立ち過ぎるハンベエは反って敵の監視の的になるであろう。
ハンベエはイザベラに視線を向けた。
何も言わない。仏頂面のままである。黙って、イザベラの目を見ている。
イザベラはハンベエの視線を受け止め、しばらく見つめ返していたが、
「ふんっ。」
と挑発的な笑みを浮かべた。そして、やや嘲りを交えた口調でハンベエに言った。
「無いのかい、王女を脱出させる知恵は。」
「御名答。俺は暴れるしか能が無いみたいだ。」
ハンベエはイザベラの挑発的口調に反発するでもなく、屈託のない様子で答えた。さりとて、焦っている様子も困っている風情もない。
「仕方ないね。エレナはあたしが守る。あたしがタゴロロームまで逃がすよ。」
「うん、イザベラ。お前ならできるよな。全く頼りになるぜ。」
ハンベエはにこりと笑った。この傲岸な男が今まで見せた事もない素直な表情である。いや待て、そうでもないかも知れない。師のフデンから免許皆伝を告げられた場面ではこんな殊勝な顔付きをしていたようにも思える。
ロキに出会ってからは自信たっぷりのふてぶてしい顔しか見せていなかったが、この時、イザベラに見せたハンベエの表情は謙虚さが滲み出しているかのようなものであった。
ロキはそのハンベエの表情にびっくりして、ただ呆然と見つめていた。
「エレナ、アタシと一緒に脱出するで、文句ないよね。元はアンタを殺そうとしたアタシだけど、今はどうあっても助けたいんだ。あたしゃ今やエレナの一番の・・・・・・いや、ロキに続いて二番目の味方だからさ。」
「でも、迷惑では無いのですか。」
「迷惑だって・・・・・・とんでもない。あのふざけた悪党どもに一泡吹かせられると思ったら、心が躍ってしょうがないよ。もっとも、アタシの方が一枚上手の悪党だけどね。格の違いを思い知らせてやるよ。」
「おっとっと、俺が言いそうなセリフをイザベラが。」
ハンベエがイザベラの勇ましい啖呵に苦笑する。
「ふん、ハンベエ、今更ながらの話だよ。あんたとアタシは似た者同士、同じ穴のムジナって事さ。で、あんたはどうするのさ。」
「さっきも言ったろう。俺にできるのは暴れる事くらいだ。大騒動を起こしてやる。が、その前に一細工・・・・・・。」
王宮内では、ステルポイジャン配下の王宮警備隊が我が物顔にエレナの行方を捜し回っていた。ラシャレーが使っていたサイレント・キッチンの兵士達もいたはずであるが、息を潜めているのか、宰相共々既に王宮を脱出したのか全く姿が見えないようだ。
ハンベエに脅されて、一旦は客室から立ち去った兵士達だが、あちこち捜し回って、結局又舞い戻って来た。ハンベエに殴られて昏倒した兵士は除く。そいつはまだ意識が戻らないようだ。何処かの医務室にでもいるのだろう。
戻ったものの、あの喧嘩っ早い剣呑な男が今度こそ本当に怒り出して、刀を振り回すのではないかと思うと、部屋を改めるために声を掛ける踏ん切りがつかないでいた。
ハンベエのいる客室の前の廊下では、先程より人数の多い十数名の兵士が集まって顔を見合わせていた。
さて、全く御免被りたい役目だが、これも仕方の無い事。どうか猛獣の虫の居どころが納まっていますようにと、頭株の兵士が腰が引けつつも一歩踏み出したところ、扉の方が向こうから開いた。
「・・・・・・。」
兵士達は思わずたじろいで一歩後ろに退いた。尻餅をつきそうになった奴もいる。随分と意気地のない話であるが、ハンベエのフナジマ広場百人斬りの武勇伝はゲッソリナの兵士達の間では既に語り草であり、ついでにタゴロロームでの大暴れ、バンケルク軍との闘いも伝わっていた。暴れ出したら、何人犠牲者が出るか分からない物騒極まりない人物として、貴族や士官連中はともかく、末端の兵士達には鬼神や怪物のような評判となっていた。
扉の向こうにはハンベエが立っていた。無表情である。ゆらり、っといった感じで廊下に歩み出て来た。
「おまえら、まだ人の部屋の前をうろちょろしてんのか。王女なら此処にはいないぜ。こっちが居どころを教えてもらいたいくらいだ。」
とハンベエは言った。拍子抜けするほど、小さな静かな声である。だが、逆にその小さく静かな物言いに、兵士達はぞっとするほどの威圧感を覚えた。第一、目付きが怪しい。無表情を装っていながら、一人一人をねめまわすように見ているのである。まるで、どいつから斬ろうかな神様の言う通り、とでも唱えているかのように。
物騒な奴ってのは、猛っていても静かにしていても、どちらにしてもおっかないから始末に悪い。剣呑剣呑、なるべく側に近寄りたくないものだ、っと、どの兵士も感じた。
「王女は本当にいないのか。」
「何を勘違いしているのか知らないが、俺には王女を庇う利益なんてひとカケラも無いんだぜ。ましてや、自分の父親に毒を盛るような女など。」
ハンベエは不快げに顔を歪めた。
「しかし、貴殿は王女と懇意ではなかかったのか。」
「懇意、ふっ、確かに懇意だと言った方が得だった時には、懇意だったさ。だが、今は知ったこっちゃねえ人間だよ。」
ハンベエは薄ら笑いを浮かべた。ステルポイジャン配下の兵士達は、そのハンベエの表情に、恐ろしい魔物でも見たかのように、ブルっと身を震わせた。
「ところで、さっきステルポイジャンって奴に挨拶に行くって言っただろう。行くって言った以上は行かなきゃ、格好がつかないから、案内してもらおうか。」
相変わらず、兵士達をねめまわすように見てハンベエが言った。
「しかし、我々は王女を捜す任務が。」
「おめえらのお行儀が悪すぎるから、文句言いに行くんだ。黙って案内しろ。」
声は低いままだが、ハンベエは凄みを効かせた。
兵士達はやれやれという顔で、ついて来てくれという風に前に立って歩き出した。
「おい、行っとくが俺の部屋に入るんじゃねえぞ。相棒が傷ついて休んでるからな。」
尚も、ハンベエの滞在する客室から離れようとしない何人かの兵士にハンベエは釘を刺すように言った。
それらの兵士はとんでもないとでも言うようにハンベエを見て、ふるふると首を横に振った。
ハンベエはそれを見ると、ふーんと信用していない顔をしたが、前を行く兵士達に付いて歩き出した。
だが、如何に凄まれようと王女の捜索はステルポイジャン配下の兵士の任務である。ハンベエの姿が見えなくなると、残った三名の兵士が恐る恐る客室の扉を開けて忍び足で中に入った。
部屋の中に人の姿は無かった。だが、寝台の掛布がこんもりと盛り上がっている。すわっ、そこだ、っと兵士達は寝台に駆け寄って掛布を引き剥がした。
・・・・・・。
そこにいたのはロキだった。ロキは体を小さく丸めて寝ていたのだ。
「なんだよおっ。」
ロキは不機嫌な顔で兵士達を見回した。
何だ、ガキか、と兵士達が舌打ちした時、
「何やってるんだ。」
と背後から、世にも恐ろしい声が掛かった。
びくっと兵士達が振り返ると、ハンベエが立っていた。物凄い形相になっている。
「待て、落ち着け、落ち着いてくれ。」
兵士達は蒼白になり、拝むようにしてハンベエに言った。
「重ね重ね、無礼極まりない真似しやがって、どうしてやろうか。」
相変わらず低く、小さなハンベエの声であったが、怒りのためか、語尾が震えていた。
「ロキ、こっちへ来い。」
兵士達に怒りの目を向けながらもハンベエはロキに言った。
「嫌だよお、ハンベエなんか嫌いだよお。王女様が殺されそうなのに、捜そうともしないなんて、ハンベエの薄情者お。」
ロキがハンベエに拗ねたように怒鳴った。
「いいから、俺の所へ来いっ。何時までも聞き分けのない事を言って困らせるんじゃねえっ。早く来い。」
ハンベエはロキに言った。最後の方は怒鳴り声であった。
ハンベエに怒鳴られ、ロキはしゅんとなり、不請不請ハンベエの側まで歩いて行った。
「俺の側から離れるな。」
ハンベエはロキにそう言うと、今度は竦み上がっている兵士達を睨み付けて、
「俺がこれほど刀を抜かないなんてのは珍しい事なんだぜ。神様にでも感謝するんだな。」
と吐き捨てた。
それから、兵士達に外を出ろという具合に顎をしゃくった。
兵士達はハンベエが斬り付けて来はしないかと警戒しながら、廊下に出た。
「ステルポイジャンに今回の無礼をどう落とし前付けるのか、じっくり聞かせてもらうとするぜ。」
ハンベエは兵士達を追い立てるようにして前を歩かせ、その一方でロキの手を引いて引きずるようにして歩き始めた。
ハンベエ達が立ち去ってしばらくすると、客室の寝台の下から辺りを窺うようにしてイザベラが這い出して来た。
その後に、イザベラに手を取られてエレナが続いた。
「さて、ハンベエはロキとアタシはエレナと、二人二人の道行きになったわけだ。アタシの側を離れないようにしておくれ。」
この先に待ち受ける危難に、反って心が昂ぶるのか、イザベラは爛々と目を燃え立たせてエレナに言った。
ロキが小声で、額の汗を拭きながら言った。
「いつもながらの機転だったな。助かったぜ。」
とハンベエは先ほどの剣幕は何処へやら、声を和らげてロキを褒めた。
「さて、どうするんだい。」
とイザベラが寝台から立ち上がってハンベエの方に歩いて来た。エレナもその後ろに続く。
「あの、私、父に毒を盛ったりはしていません。」
エレナが弁解した。国王の死を聞いて虚ろな様子だ。
「分かっている。此処にいる全員な。」
ハンベエは静かに言った。エレナに向けた眼差しが妙に物優しげである。それを見たイザベラやロキは複雑な表情になった。一体ハンベエは薄情なのか優しいのか判断に迷うとでも言いたげな顔である。
「で、どうするんだい。」
イザベラがハンベエに尋ねた。エレナを優しく慰めていた時とは打って変わり、目が野獣のような光を帯びて鋭くなっている。スイッチが入ったと言うやつだろう。戦闘モードに切り替わったようだ。
「遂に内乱の幕が開けたようだから、王女はタゴロローム守備軍で保護するしかないようだな。」
ハンベエは言った。苦い顔になっている。バンケルクを討ち滅ぼした自分が、そのやろうとした事を盗み取ったように思えたのである。
「あの私、ハンベエさんなんかに助けて欲しくありません。」
エレナが口を尖らせた。
ハンベエは一瞬、戸惑うような表情でエレナを見つめたが、直ぐに妙に砕けた顔付きになって、
「そうかい。だが、俺は王女を助けたい。」
と言った。その様子は緊張したところも変に気張ったところも少しも無く、又皮肉めいた処もない、イヤに砕けた自然な調子だった。何と言ったらいいのか、強いてハンベエのこの時の言葉付きを説明すれば、例えば『裏の山を散歩していたら、タケノコを見つけたので取って来たよ。』と家人に告げる親父のような、そんな肩に力の入らない、自然な調子であった。
「な、何を・・・・・・私の許婚であるバンケルク将軍を殺しておいて、良くそんな勝手な事を・・・・・・。」
ハンベエの雰囲気にエレナは目を白黒させながら噛み付いた。
「落ち着きな、エレナ。」
イザベラがエレナの肩を強く掴んだ。そして、王女の目を強い眼差しで見つめて言った。
「ここで、王宮警備隊の連中に捕まったら、父親殺しの濡れ衣を着せられて消されるだけの事だ。今はこの窮地を如何に脱出するか、それが全部だよ。」
それから、ハンベエの方に顎をやり、
「この憎たらしい男には、生き延びた後に悪態つくなり、命を狙うなりしたらいいさ。今は、逃げるしかないんだ。」
と続けた。
「そうだよ、王女様。今はとにかく、逃げる事だけ考えようよ。」
ロキがイザベラに調子を合わせて言った。
「イザベラさん、ロキさん。」
エレナは二人を潤んだ瞳で見つめ、それから、『分かった』というように肯いた。
付け加えておくが、これらの会話は囁くような小さな声で交わされているのである。王宮警備隊の兵士達が血眼になってエレナを捜し回っているのに、王女の存在がバレるような話を大きな声でするほど彼等も能天気ではない。
「で、どうするんだい、ハンベエ。」
イザベラ、さっきからこればっかりである。壊れたレコードじゃあるまいが。
ハンベエは、腕を組んで仏頂面を曝している。まさか戻った早々、王女の仕業に仕立てて国王を毒殺するなどという大陰謀が勃発するなどとは髪の毛ほども予想していなかった。全く、闇夜に田んぼの畦道を滑り落ちたようなもので、泥田の中で焦るばかりで良い知恵も中々浮かぶものでは無かった。
幾つかの案を頭に描いては消すという作業を、目まぐるしい速さでハンベエは行っていた。
イザベラにエレナに変装させ、囮にしてボルマンスク方向へ行かせ、敵の目をそちらに向かせる事も考えた。だが、その案は直ぐに捨てられた。その案では、エレナが一人でタゴロロームに向かう事になる。今のエレナを一人になどできなかった。ちなみにこの時ハンベエは、自分の手でエレナを送って行くという事は全く考えていなかった。
エレナを自分に同行させては反って彼女の身に危険が及ぶと考えたのである。第一、目立ち過ぎるハンベエは反って敵の監視の的になるであろう。
ハンベエはイザベラに視線を向けた。
何も言わない。仏頂面のままである。黙って、イザベラの目を見ている。
イザベラはハンベエの視線を受け止め、しばらく見つめ返していたが、
「ふんっ。」
と挑発的な笑みを浮かべた。そして、やや嘲りを交えた口調でハンベエに言った。
「無いのかい、王女を脱出させる知恵は。」
「御名答。俺は暴れるしか能が無いみたいだ。」
ハンベエはイザベラの挑発的口調に反発するでもなく、屈託のない様子で答えた。さりとて、焦っている様子も困っている風情もない。
「仕方ないね。エレナはあたしが守る。あたしがタゴロロームまで逃がすよ。」
「うん、イザベラ。お前ならできるよな。全く頼りになるぜ。」
ハンベエはにこりと笑った。この傲岸な男が今まで見せた事もない素直な表情である。いや待て、そうでもないかも知れない。師のフデンから免許皆伝を告げられた場面ではこんな殊勝な顔付きをしていたようにも思える。
ロキに出会ってからは自信たっぷりのふてぶてしい顔しか見せていなかったが、この時、イザベラに見せたハンベエの表情は謙虚さが滲み出しているかのようなものであった。
ロキはそのハンベエの表情にびっくりして、ただ呆然と見つめていた。
「エレナ、アタシと一緒に脱出するで、文句ないよね。元はアンタを殺そうとしたアタシだけど、今はどうあっても助けたいんだ。あたしゃ今やエレナの一番の・・・・・・いや、ロキに続いて二番目の味方だからさ。」
「でも、迷惑では無いのですか。」
「迷惑だって・・・・・・とんでもない。あのふざけた悪党どもに一泡吹かせられると思ったら、心が躍ってしょうがないよ。もっとも、アタシの方が一枚上手の悪党だけどね。格の違いを思い知らせてやるよ。」
「おっとっと、俺が言いそうなセリフをイザベラが。」
ハンベエがイザベラの勇ましい啖呵に苦笑する。
「ふん、ハンベエ、今更ながらの話だよ。あんたとアタシは似た者同士、同じ穴のムジナって事さ。で、あんたはどうするのさ。」
「さっきも言ったろう。俺にできるのは暴れる事くらいだ。大騒動を起こしてやる。が、その前に一細工・・・・・・。」
王宮内では、ステルポイジャン配下の王宮警備隊が我が物顔にエレナの行方を捜し回っていた。ラシャレーが使っていたサイレント・キッチンの兵士達もいたはずであるが、息を潜めているのか、宰相共々既に王宮を脱出したのか全く姿が見えないようだ。
ハンベエに脅されて、一旦は客室から立ち去った兵士達だが、あちこち捜し回って、結局又舞い戻って来た。ハンベエに殴られて昏倒した兵士は除く。そいつはまだ意識が戻らないようだ。何処かの医務室にでもいるのだろう。
戻ったものの、あの喧嘩っ早い剣呑な男が今度こそ本当に怒り出して、刀を振り回すのではないかと思うと、部屋を改めるために声を掛ける踏ん切りがつかないでいた。
ハンベエのいる客室の前の廊下では、先程より人数の多い十数名の兵士が集まって顔を見合わせていた。
さて、全く御免被りたい役目だが、これも仕方の無い事。どうか猛獣の虫の居どころが納まっていますようにと、頭株の兵士が腰が引けつつも一歩踏み出したところ、扉の方が向こうから開いた。
「・・・・・・。」
兵士達は思わずたじろいで一歩後ろに退いた。尻餅をつきそうになった奴もいる。随分と意気地のない話であるが、ハンベエのフナジマ広場百人斬りの武勇伝はゲッソリナの兵士達の間では既に語り草であり、ついでにタゴロロームでの大暴れ、バンケルク軍との闘いも伝わっていた。暴れ出したら、何人犠牲者が出るか分からない物騒極まりない人物として、貴族や士官連中はともかく、末端の兵士達には鬼神や怪物のような評判となっていた。
扉の向こうにはハンベエが立っていた。無表情である。ゆらり、っといった感じで廊下に歩み出て来た。
「おまえら、まだ人の部屋の前をうろちょろしてんのか。王女なら此処にはいないぜ。こっちが居どころを教えてもらいたいくらいだ。」
とハンベエは言った。拍子抜けするほど、小さな静かな声である。だが、逆にその小さく静かな物言いに、兵士達はぞっとするほどの威圧感を覚えた。第一、目付きが怪しい。無表情を装っていながら、一人一人をねめまわすように見ているのである。まるで、どいつから斬ろうかな神様の言う通り、とでも唱えているかのように。
物騒な奴ってのは、猛っていても静かにしていても、どちらにしてもおっかないから始末に悪い。剣呑剣呑、なるべく側に近寄りたくないものだ、っと、どの兵士も感じた。
「王女は本当にいないのか。」
「何を勘違いしているのか知らないが、俺には王女を庇う利益なんてひとカケラも無いんだぜ。ましてや、自分の父親に毒を盛るような女など。」
ハンベエは不快げに顔を歪めた。
「しかし、貴殿は王女と懇意ではなかかったのか。」
「懇意、ふっ、確かに懇意だと言った方が得だった時には、懇意だったさ。だが、今は知ったこっちゃねえ人間だよ。」
ハンベエは薄ら笑いを浮かべた。ステルポイジャン配下の兵士達は、そのハンベエの表情に、恐ろしい魔物でも見たかのように、ブルっと身を震わせた。
「ところで、さっきステルポイジャンって奴に挨拶に行くって言っただろう。行くって言った以上は行かなきゃ、格好がつかないから、案内してもらおうか。」
相変わらず、兵士達をねめまわすように見てハンベエが言った。
「しかし、我々は王女を捜す任務が。」
「おめえらのお行儀が悪すぎるから、文句言いに行くんだ。黙って案内しろ。」
声は低いままだが、ハンベエは凄みを効かせた。
兵士達はやれやれという顔で、ついて来てくれという風に前に立って歩き出した。
「おい、行っとくが俺の部屋に入るんじゃねえぞ。相棒が傷ついて休んでるからな。」
尚も、ハンベエの滞在する客室から離れようとしない何人かの兵士にハンベエは釘を刺すように言った。
それらの兵士はとんでもないとでも言うようにハンベエを見て、ふるふると首を横に振った。
ハンベエはそれを見ると、ふーんと信用していない顔をしたが、前を行く兵士達に付いて歩き出した。
だが、如何に凄まれようと王女の捜索はステルポイジャン配下の兵士の任務である。ハンベエの姿が見えなくなると、残った三名の兵士が恐る恐る客室の扉を開けて忍び足で中に入った。
部屋の中に人の姿は無かった。だが、寝台の掛布がこんもりと盛り上がっている。すわっ、そこだ、っと兵士達は寝台に駆け寄って掛布を引き剥がした。
・・・・・・。
そこにいたのはロキだった。ロキは体を小さく丸めて寝ていたのだ。
「なんだよおっ。」
ロキは不機嫌な顔で兵士達を見回した。
何だ、ガキか、と兵士達が舌打ちした時、
「何やってるんだ。」
と背後から、世にも恐ろしい声が掛かった。
びくっと兵士達が振り返ると、ハンベエが立っていた。物凄い形相になっている。
「待て、落ち着け、落ち着いてくれ。」
兵士達は蒼白になり、拝むようにしてハンベエに言った。
「重ね重ね、無礼極まりない真似しやがって、どうしてやろうか。」
相変わらず低く、小さなハンベエの声であったが、怒りのためか、語尾が震えていた。
「ロキ、こっちへ来い。」
兵士達に怒りの目を向けながらもハンベエはロキに言った。
「嫌だよお、ハンベエなんか嫌いだよお。王女様が殺されそうなのに、捜そうともしないなんて、ハンベエの薄情者お。」
ロキがハンベエに拗ねたように怒鳴った。
「いいから、俺の所へ来いっ。何時までも聞き分けのない事を言って困らせるんじゃねえっ。早く来い。」
ハンベエはロキに言った。最後の方は怒鳴り声であった。
ハンベエに怒鳴られ、ロキはしゅんとなり、不請不請ハンベエの側まで歩いて行った。
「俺の側から離れるな。」
ハンベエはロキにそう言うと、今度は竦み上がっている兵士達を睨み付けて、
「俺がこれほど刀を抜かないなんてのは珍しい事なんだぜ。神様にでも感謝するんだな。」
と吐き捨てた。
それから、兵士達に外を出ろという具合に顎をしゃくった。
兵士達はハンベエが斬り付けて来はしないかと警戒しながら、廊下に出た。
「ステルポイジャンに今回の無礼をどう落とし前付けるのか、じっくり聞かせてもらうとするぜ。」
ハンベエは兵士達を追い立てるようにして前を歩かせ、その一方でロキの手を引いて引きずるようにして歩き始めた。
ハンベエ達が立ち去ってしばらくすると、客室の寝台の下から辺りを窺うようにしてイザベラが這い出して来た。
その後に、イザベラに手を取られてエレナが続いた。
「さて、ハンベエはロキとアタシはエレナと、二人二人の道行きになったわけだ。アタシの側を離れないようにしておくれ。」
この先に待ち受ける危難に、反って心が昂ぶるのか、イザベラは爛々と目を燃え立たせてエレナに言った。
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