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六十九 大山鳴動、鼠千匹
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バンケルクの下に各連隊長達が続々と駆け付けて来た。
第一連隊長ポークは既に来ているとして、第二連隊長クラトコ、第三連隊長シャトー、第四連隊長ブリアン、皆々初登場である。
諸将は、血の海に倒れているゴンザロのナキガラを見て驚いた様子だったが、『会議室へ』とバンケルクに促されて、一先ずそちらに向かった。
バンケルクも骸の片付けを兵士に命じてから、自分自身も又会議室に向かった。会議室──そんな物もあったのだ。普段は使われていないらしい。
会議室は六メートル平方の広さで、部屋の中心に十人掛けの円卓がデンと置かれていた。諸将は──椅子おいて間を空けて座り、最後にバンケルクが座った。
「突然、諸君に集まってもらったのは、他でもない。第五連隊長代理を称しているハンベエの狼藉、最早見過ごせない。タゴロローム守備軍の全軍を以て第五連隊ごと叩き潰す事に決めた。早急に兵員の配備をしてもらいたい。」
座るなり、バンケルクは言った。既に興奮状態である。アルハインド勢との戦いの後、今は亡きコーデリアスの連隊帰還報告に付いて行ったハンベエと対峙した時は、憎々しい程の落ち着きを見せていたバンケルクも虎の子の軍資金を奪われて、相当頭に血が上っているようだ。
バンケルクの勢いに押され、直ぐ様立ち上がって戦備に掛かろうとする連隊長の中、一人だけ座ったまま『待った』をかけた連隊長がいた。
「その指令には、従いかねますなあ。」
立ち上がり掛けた他の連隊長達は、中腰で声の主を見た。
「諸将も、おっとり刀で動くのもいいが、ハンベエを討伐する前に少し考えてみても良いのではないのか?」
第二連隊長のクラトコであった。
その一言で、他の連隊長達は、一旦上げた腰を椅子に戻した。
「クラトコ、貴官は私の命に背くのかっ。」
バンケルクはギロリとクラトコを睨み付けて言った。異論を差し挟まれた事が意外だったようだ。
「命令に背くかどうかはまだ決めてませんが、場合によっては従えませんよ。いくら司令官の指示とはいえ、理由も無く味方同士で殺し合いをするのは出来ませんな。外敵と戦うのとは違いますからなあ。」
「理由なら、十二分にあるではないか。ハンベエは我が守備軍の兵士を二百人も斬殺した。」
バンケルクは決め付けるように言った。
「はて、早朝に、二百人程のモルフィネス指揮する部隊がハンベエを襲って返り討ちにあったとは聞いていますが、これは私闘だと思っておりましたが。その上、手を出したのはモルフィネス側ではありませんでしたかな。あげくに、二百人もの犠牲を出して一人のハンベエに傷一つ負わせられなかったとか。」
クラトコは動じる事無く言い返した。これではどっちの味方か分からない。
「それ以外にもある。ハンベエ共は私が保管していた資金を盗んだ。奴らは最早軍人ではない、盗賊だ。盗賊を処分するのに何の躊躇する事がある。」
苛立ちを隠そうともせずにバンケルクは言った。
「その金は公の金ですか? それとも閣下の私財ですか? もし、閣下の私財と言う事であれば、ワタクシの争いという事になりますが。」
「何だと・・・・・・。」
バンケルクは呆れたようにクラトコを見据えた。だが、クラトコは落ち着いた様子でバンケルクを見返している。
これ迄タゴロローム守備軍において、連隊長が司令官であるバンケルクにこのような態度を取った事は一度として無かった。彼等連隊長は意思無き機械のように、将軍であるバンケルクの指示に唯々諾々と従って来たのである。それはクラトコも同様であった。それが突然、バンケルクの命令の正当性を云々したのだ。
バンケルクはクラトコの態度に叛意を感じた。
(こいつ、ハンベエとこの私を天秤にかけて日和見に走ったか。)
バンケルクはこう思って唇を噛んだ。
「もう良い、貴官には頼まん。兵を動かしたくなければ好きにするが良かろう。だが、このタゴロロームで私に逆らって無事に済むとは思わない事だな。」
バンケルクは捨て台詞のように言って他の連隊長を見回した。
「我々は第五連隊のクズ共を処分する為に、今すぐ戦備を整える。」
ポークはそう言って立ち上がった。シャトーとブリアンもそれに続いた。
クラトコはゆっくりと立ち上がり、他の連隊長を見ようともせず、
「では、これにて失礼する。」
と立ち去って行った。去り際に『兵士が動くか見物だ』と聞き取れぬ程の声で呟いていた。
ロキ達一行はタゴロロームの町境を抜けて十五キロ程のところで、街道から脇道に隠れ、小さな林の中で野宿の仕度をしていた。焚き火を絶やさぬ為に、枯れ枝を集め、夕食の準備をしていた。
焚き火、追われている身が焚き火をするのは目立つのではないか、無用心ではないかとの考えもあろう。だが、林の中では追っ手よりも更に身近な敵がいる。山犬等の類だ。むしろ、闇そのものが敵だとも云える。あばら家と言えど住居なれば、囲いを持ち外敵の侵入を阻むが、野宿となれば、それを阻む壁がない。
火は野獣や毒虫から人間を守ってくれる神であった。電気の無かった時代の夜は、全くもって一寸先も分からぬ闇であり、その深さ恐ろしさは都市に住む事の多くなった一般的な現代人には分からないものかも知れない。
月夜なればいざ知らず、夜の火は手放せないものであった。ちなみに、この時代のこの大陸においては、発火装置は火打ち石であった。マッチ等、化学薬品を使用する発火方法はまだ無く、火打ち石で飛ばした火花を綿等引火し易い材料で受け継いでそれから火を起こしていた。
火花石(火花を起こしやすい金属と固い石のセット)と綿等の引火原料は旅の必需品でもあった。
ロキはタゴロロームから脱出行の途中に、何故か昨日泊まったドヤサ屋に立ち寄った。驚いた事に宿屋の女主人バンナはどういう勘が働いたのか、何人分もの携帯食料を荷にして準備していた。ロキは黙ってその荷を購入した。値は金貨二枚であった。ロキは驚きもせず、黙って払った。目の飛び出るような値段であった。金貨一枚は銀貨二十枚、銀貨一枚でキチン亭に一晩泊まり、そこそこ贅沢な晩飯を食してお釣りが来た事を思えば、その値段の法外さも分かろう。
例によってスパルスが何か文句を言い掛け、エレナに睨まれて口をつぐんだようだ。
一行は追っ手を警戒しながら火を囲んだが、ほとんど無言であった。イザベラは一人火から離れて木に保たれ掛かって休んでいる。エレナはちらちらとそれを気にしていたが、ロキにはまだ説明を求めなかった。
さて、その追っ手、第四連隊大五大隊第一中隊並びに第二中隊二百五十人であるが、呆れ果てた事に空中分解してしまっていた。エレナ追跡隊にその他の兵士達が一千人も付いて行った事を述べた。この兵士達はいみじくもゴンザロが感付いたように、追跡を装った脱走兵達であった。
タゴロロームの町の境が近づくと彼等は自儘に散り散りに追跡隊を追越して立ち去って行った。
驚いたのは追跡隊の士官達である。直ぐに兵士達を制止しようと走り回ったが、逆に、『うるせえっ』、『指図するんじゃねえ』、『お前等、王女様に仇なす極悪人じゃねえか。』等と悪罵をもって迎えられた。剣を抜いて暴れ出す者も現れた。
その内に士官達に石を投げ出す者も出て来る始末である。一人が石を投げると、他の者も雷同した。
士官達は自らの部隊の兵士に応戦を命じたが、兵士達の動きは鈍く、睨み合うだけで攻撃を仕掛け得ない。
その内に脱走側の兵士達から、追跡隊の兵士達に勧誘が始まった。『そんなツマラナイ士官達など打ち棄てて、俺達と第五連隊へ行こうぜ。』、『王女様を取っ捕まえるなんてダイソレタ真似していいのか。』、『守備軍司令部に従ったっていい事ないぜ。』、様々な言葉が脱走側の兵士から投げ掛けられた。
追跡隊の兵士達は命令とはいえ、好んで王女達を捕らえようとしているわけでは無かった。『王女様を取っ捕まえるなんてダイソレタ真似していいのか。』という言葉には大いに動揺した。第一、追跡隊の兵士より脱走側の兵士が遥かに多いのだ。
「止めた止めた。王女様を追い回すなんてとんでもない事だ。俺はそっちに行くぞ。」
一人がこう言って脱走側に寝返った。
動揺していた他の追跡隊の兵士達は我も我もとそれに続いた。
残ったのは小隊長と中隊長の僅か十二人。彼等は、『とっとと陣地に帰りやがれ』という悪罵と共に石を投げ付けられながら、ほうほうの体で逃げ帰って行った。
この光景をゴンザロはさぞかし見たかったであろう。既に死したる者へのせめてもの葬送の一幕であった。
ハンベエに『入れ込み過ぎている』と危惧されたように、ゴンザロは逃げ足の早さを信頼されていながら、敵に捕まってしまい、命を落とした。だが、闘いにおいて敵に大きな打撃を与えるためには、通常は自らもその身を危険に曝さなければならない。兵法者であるハンベエはこのコトワリを剣術を通じて心得ていた。
『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』というやつである。
生死は紙一重、剣術使いであり、幾度も刃の下をくぐったハンベエはゴンザロがその境目に踏み込もうとしていたのを感じたのであろう。なればこそ、ゴンザロの身に危惧を抱き、その一方で行動を止め切れなかったのかも知れない。
兵士達がタゴロローム守備軍を見限り、士官共を追い返した光景を死んだゴンザロが見たなら、それこそ『ザマアミヤガレ』と快哉を叫んだに違いない。
その上、タゴロロームから脱走して行く兵士は先程の千人プラス二百五十人ばかりでは無かった。第一連隊長の報告にも有ったように、ちらりほらりと士官達の目を盗んで消えて行く兵士が出ていた。
逃げ帰った士官達の報告を受けた時、バンケルクや守備軍首脳部がどんな顔をするのか、大いに見物である。
死んで花実は咲かねども、ゴンザロも無駄に命を落としたわけでも無かったのである。
第一連隊長ポークは既に来ているとして、第二連隊長クラトコ、第三連隊長シャトー、第四連隊長ブリアン、皆々初登場である。
諸将は、血の海に倒れているゴンザロのナキガラを見て驚いた様子だったが、『会議室へ』とバンケルクに促されて、一先ずそちらに向かった。
バンケルクも骸の片付けを兵士に命じてから、自分自身も又会議室に向かった。会議室──そんな物もあったのだ。普段は使われていないらしい。
会議室は六メートル平方の広さで、部屋の中心に十人掛けの円卓がデンと置かれていた。諸将は──椅子おいて間を空けて座り、最後にバンケルクが座った。
「突然、諸君に集まってもらったのは、他でもない。第五連隊長代理を称しているハンベエの狼藉、最早見過ごせない。タゴロローム守備軍の全軍を以て第五連隊ごと叩き潰す事に決めた。早急に兵員の配備をしてもらいたい。」
座るなり、バンケルクは言った。既に興奮状態である。アルハインド勢との戦いの後、今は亡きコーデリアスの連隊帰還報告に付いて行ったハンベエと対峙した時は、憎々しい程の落ち着きを見せていたバンケルクも虎の子の軍資金を奪われて、相当頭に血が上っているようだ。
バンケルクの勢いに押され、直ぐ様立ち上がって戦備に掛かろうとする連隊長の中、一人だけ座ったまま『待った』をかけた連隊長がいた。
「その指令には、従いかねますなあ。」
立ち上がり掛けた他の連隊長達は、中腰で声の主を見た。
「諸将も、おっとり刀で動くのもいいが、ハンベエを討伐する前に少し考えてみても良いのではないのか?」
第二連隊長のクラトコであった。
その一言で、他の連隊長達は、一旦上げた腰を椅子に戻した。
「クラトコ、貴官は私の命に背くのかっ。」
バンケルクはギロリとクラトコを睨み付けて言った。異論を差し挟まれた事が意外だったようだ。
「命令に背くかどうかはまだ決めてませんが、場合によっては従えませんよ。いくら司令官の指示とはいえ、理由も無く味方同士で殺し合いをするのは出来ませんな。外敵と戦うのとは違いますからなあ。」
「理由なら、十二分にあるではないか。ハンベエは我が守備軍の兵士を二百人も斬殺した。」
バンケルクは決め付けるように言った。
「はて、早朝に、二百人程のモルフィネス指揮する部隊がハンベエを襲って返り討ちにあったとは聞いていますが、これは私闘だと思っておりましたが。その上、手を出したのはモルフィネス側ではありませんでしたかな。あげくに、二百人もの犠牲を出して一人のハンベエに傷一つ負わせられなかったとか。」
クラトコは動じる事無く言い返した。これではどっちの味方か分からない。
「それ以外にもある。ハンベエ共は私が保管していた資金を盗んだ。奴らは最早軍人ではない、盗賊だ。盗賊を処分するのに何の躊躇する事がある。」
苛立ちを隠そうともせずにバンケルクは言った。
「その金は公の金ですか? それとも閣下の私財ですか? もし、閣下の私財と言う事であれば、ワタクシの争いという事になりますが。」
「何だと・・・・・・。」
バンケルクは呆れたようにクラトコを見据えた。だが、クラトコは落ち着いた様子でバンケルクを見返している。
これ迄タゴロローム守備軍において、連隊長が司令官であるバンケルクにこのような態度を取った事は一度として無かった。彼等連隊長は意思無き機械のように、将軍であるバンケルクの指示に唯々諾々と従って来たのである。それはクラトコも同様であった。それが突然、バンケルクの命令の正当性を云々したのだ。
バンケルクはクラトコの態度に叛意を感じた。
(こいつ、ハンベエとこの私を天秤にかけて日和見に走ったか。)
バンケルクはこう思って唇を噛んだ。
「もう良い、貴官には頼まん。兵を動かしたくなければ好きにするが良かろう。だが、このタゴロロームで私に逆らって無事に済むとは思わない事だな。」
バンケルクは捨て台詞のように言って他の連隊長を見回した。
「我々は第五連隊のクズ共を処分する為に、今すぐ戦備を整える。」
ポークはそう言って立ち上がった。シャトーとブリアンもそれに続いた。
クラトコはゆっくりと立ち上がり、他の連隊長を見ようともせず、
「では、これにて失礼する。」
と立ち去って行った。去り際に『兵士が動くか見物だ』と聞き取れぬ程の声で呟いていた。
ロキ達一行はタゴロロームの町境を抜けて十五キロ程のところで、街道から脇道に隠れ、小さな林の中で野宿の仕度をしていた。焚き火を絶やさぬ為に、枯れ枝を集め、夕食の準備をしていた。
焚き火、追われている身が焚き火をするのは目立つのではないか、無用心ではないかとの考えもあろう。だが、林の中では追っ手よりも更に身近な敵がいる。山犬等の類だ。むしろ、闇そのものが敵だとも云える。あばら家と言えど住居なれば、囲いを持ち外敵の侵入を阻むが、野宿となれば、それを阻む壁がない。
火は野獣や毒虫から人間を守ってくれる神であった。電気の無かった時代の夜は、全くもって一寸先も分からぬ闇であり、その深さ恐ろしさは都市に住む事の多くなった一般的な現代人には分からないものかも知れない。
月夜なればいざ知らず、夜の火は手放せないものであった。ちなみに、この時代のこの大陸においては、発火装置は火打ち石であった。マッチ等、化学薬品を使用する発火方法はまだ無く、火打ち石で飛ばした火花を綿等引火し易い材料で受け継いでそれから火を起こしていた。
火花石(火花を起こしやすい金属と固い石のセット)と綿等の引火原料は旅の必需品でもあった。
ロキはタゴロロームから脱出行の途中に、何故か昨日泊まったドヤサ屋に立ち寄った。驚いた事に宿屋の女主人バンナはどういう勘が働いたのか、何人分もの携帯食料を荷にして準備していた。ロキは黙ってその荷を購入した。値は金貨二枚であった。ロキは驚きもせず、黙って払った。目の飛び出るような値段であった。金貨一枚は銀貨二十枚、銀貨一枚でキチン亭に一晩泊まり、そこそこ贅沢な晩飯を食してお釣りが来た事を思えば、その値段の法外さも分かろう。
例によってスパルスが何か文句を言い掛け、エレナに睨まれて口をつぐんだようだ。
一行は追っ手を警戒しながら火を囲んだが、ほとんど無言であった。イザベラは一人火から離れて木に保たれ掛かって休んでいる。エレナはちらちらとそれを気にしていたが、ロキにはまだ説明を求めなかった。
さて、その追っ手、第四連隊大五大隊第一中隊並びに第二中隊二百五十人であるが、呆れ果てた事に空中分解してしまっていた。エレナ追跡隊にその他の兵士達が一千人も付いて行った事を述べた。この兵士達はいみじくもゴンザロが感付いたように、追跡を装った脱走兵達であった。
タゴロロームの町の境が近づくと彼等は自儘に散り散りに追跡隊を追越して立ち去って行った。
驚いたのは追跡隊の士官達である。直ぐに兵士達を制止しようと走り回ったが、逆に、『うるせえっ』、『指図するんじゃねえ』、『お前等、王女様に仇なす極悪人じゃねえか。』等と悪罵をもって迎えられた。剣を抜いて暴れ出す者も現れた。
その内に士官達に石を投げ出す者も出て来る始末である。一人が石を投げると、他の者も雷同した。
士官達は自らの部隊の兵士に応戦を命じたが、兵士達の動きは鈍く、睨み合うだけで攻撃を仕掛け得ない。
その内に脱走側の兵士達から、追跡隊の兵士達に勧誘が始まった。『そんなツマラナイ士官達など打ち棄てて、俺達と第五連隊へ行こうぜ。』、『王女様を取っ捕まえるなんてダイソレタ真似していいのか。』、『守備軍司令部に従ったっていい事ないぜ。』、様々な言葉が脱走側の兵士から投げ掛けられた。
追跡隊の兵士達は命令とはいえ、好んで王女達を捕らえようとしているわけでは無かった。『王女様を取っ捕まえるなんてダイソレタ真似していいのか。』という言葉には大いに動揺した。第一、追跡隊の兵士より脱走側の兵士が遥かに多いのだ。
「止めた止めた。王女様を追い回すなんてとんでもない事だ。俺はそっちに行くぞ。」
一人がこう言って脱走側に寝返った。
動揺していた他の追跡隊の兵士達は我も我もとそれに続いた。
残ったのは小隊長と中隊長の僅か十二人。彼等は、『とっとと陣地に帰りやがれ』という悪罵と共に石を投げ付けられながら、ほうほうの体で逃げ帰って行った。
この光景をゴンザロはさぞかし見たかったであろう。既に死したる者へのせめてもの葬送の一幕であった。
ハンベエに『入れ込み過ぎている』と危惧されたように、ゴンザロは逃げ足の早さを信頼されていながら、敵に捕まってしまい、命を落とした。だが、闘いにおいて敵に大きな打撃を与えるためには、通常は自らもその身を危険に曝さなければならない。兵法者であるハンベエはこのコトワリを剣術を通じて心得ていた。
『切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』というやつである。
生死は紙一重、剣術使いであり、幾度も刃の下をくぐったハンベエはゴンザロがその境目に踏み込もうとしていたのを感じたのであろう。なればこそ、ゴンザロの身に危惧を抱き、その一方で行動を止め切れなかったのかも知れない。
兵士達がタゴロローム守備軍を見限り、士官共を追い返した光景を死んだゴンザロが見たなら、それこそ『ザマアミヤガレ』と快哉を叫んだに違いない。
その上、タゴロロームから脱走して行く兵士は先程の千人プラス二百五十人ばかりでは無かった。第一連隊長の報告にも有ったように、ちらりほらりと士官達の目を盗んで消えて行く兵士が出ていた。
逃げ帰った士官達の報告を受けた時、バンケルクや守備軍首脳部がどんな顔をするのか、大いに見物である。
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