兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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六十四 スレ違うのはお約束?

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 ロキとエレナがタゴロロームに到着したのは、その二日後、奇しくもエルエスーデがタゴロローム軍の前に現れたのと同じ日の夕方であった。折から空模様がいよいよ怪しくなり、今にも雨が降りそうである。
 今回は流石のロキもキチン亭への逗留はやめる事とした。前回のように攫われそうになっては一大事である。王女エレナに同行しているので、いざとなれば王女の威光を振りかざす手も無いわけではないが、血迷った奴等が何をしでかすか分かったものじゃない。図々しいのが持ち味なロキも今回は慎重になっていた。
 キチン亭二号館は実はタゴロロームの中心地にある。今回、ロキはどちらかと言えば町の外れ、ゲッソリナ寄りのドヤサ屋という旅籠に宿を取った。宿主は五十過ぎのバンナという名の女主人である。
 若かりし時はどうであったか知らないが、ビア樽のように太った人相のあまり良くない女で、因業ババアと呼ぶに相応しい風格をしていた。
「おや、ロキじゃないかい。珍しいね。近頃、トンとお見限りで寄り付かなかったのに、今日はどういう風の吹き回しだい。」
 とバンナはロキを見るなり言った。どうやら、ロキとは初対面では無いらしい。
「キチン亭に泊まりたいんだけど、物騒なんで今日はここに泊まる事にしたんだよお。」
「噂で聞いてるよ。お前、群狼隊の奴に攫われそうになったんだって。」
「だから、キチン亭に泊まるのは今ヤバイんだよお。」
「ふん、まあいい。近頃金回りがいいようだから、たんまり払って貰おうか。一晩、金貨一枚だよ。」
「金貨一枚だと。暴利にも程があるぞ。」
 横にいたスパルスが驚いたように言った。
 だが、ロキは別に驚きもせず、
「いいんだよお。」
 とスパルスに言ってバンナに金貨を支払った。
「離れの部屋を使わせて貰えるかい。」
 ロキが更に続けて言うと、バンナは金貨を揉み手をするようにして受け取りながら、
「あいよ。金さえ貰えば、大事なお客様だ。粗末には扱わないよ。」
 と言って、にたりと笑った。
 それから、ロキ達を離れに案内して、直ぐに帳場に戻って行った。

 ロキ達が離れに移ると直ぐに雷鳴が響き、どっと雨が降りだした。
 運の良い事である。一足遅れていたら、ずぶ濡れになるところだった。
「あの女主人、人相が良くないが、大丈夫なんだろうな。」
 スパルスが怒ったような顔をしてロキに尋ねた。
「大丈夫だよ。あのおばさんは確かに善人じゃないし、がめつくて意地の悪い人間だけど、金さえ払えば人を売ったりはしない。余計な心配だよお。」
 ロキは、不機嫌に答えた。うるさいくらい快活なロキには珍しい反応だ。ハンベエに頼まれて、ゲッソリナに向かう時は仏頂面をしてみたりもしたが、あの時は芝居だった。だが、この不機嫌さはどうも本物のようだ。
「しかし、あの人相は信用しかねる。真っ当な人間には見えないぞ。」
「人相、人相ってウルサイよお。人の良さそうな顔してる奴の方がいざって時には危ない事の方が多いんだよお。あのおばさんは確かに悪党だよお。でも、悪党の方が信頼できる場合だって有るんだよお。少なくとも高い金を受け取った以上は裏切らないよお。」
「金を払えば信用できるという事は、金次第で裏切るのじゃないか。」
「おじさん、悪党の信義ってのを知らないんだねえ。二重取りはしないんだよお。筋の通った悪党は。」
「悪党に筋も糞も有るとは思えないが。」
「スパルス、いい加減にお止めなさい。」
 しつこくロキに食い下がるスパルスを、とうとうエレナが叱り付けた。声音はむしろ優しげであったが、身分による威厳というものは争えないものなのか、凛とした響きがこもっており、スパルスは思わず気をつけをして黙ってしまった。
「気のせいか、ロキさんらしくない険しい顔色になっていますね。あの女主人とはお知り合いのようですが、昔何かあったのですか。」
「王女様、オイラの昔が知りたいのお?」
 エレナに言われて、ロキは見つめ返しながら言ったが、その目は酷く寂しげであった。
 エレナはロキの目を見つめたまま、両手を伸ばして優しく少年の頬を撫でた。
 そうして、微笑みを浮かべ、
「いいえ、昔の話など聞きますまい。いつか、ロキさんが笑って話してくれる日まで。それより、そんな悲しそうな顔はロキさんらしくないですよ。」
 と言った。
 ロキは惚けた笑いを浮かべ、はにかんだように鼻の下を人差し指で擦った。
「王女様、オイラ商売を始める迄は碌でもない毎日を過ごしてたんだよお。いつか話すかも知れないけど、いい話はあんまりないよお。・・・・・・話は変わるけど、この離れは普段は士官連中の逢引きに使われてるんだ。まっ、あれだけ払ったからは、今夜は貸し切りだよお。群狼隊やタゴロローム守備軍の人間もまさかオイラ達がこんな所に逗留しているとは思いもよらないだろうね。」
「逢引きに使われてるだと、貴様、姫をそんないかがわしい所へ案内したのか?」
「スパルス、止めなさいと言ったのが分からないのですか。」
 またぞろロキの説明に噛み付いて来るスパルスにエレナがぴしゃりと言って黙らせる。
 どうやらこのロキとスパルスの二人、馬が合わないらしい。元々、側近とか側用人とか腰元とか取り次ぎの役をする人間は、主人に馴れ馴れしくしてくる輩を排除するのが我が務めと心得る、不粋で了見の狭い人間が多いものらしく、護衛のスパルスもこの伝に漏れないようだ。エレナの目の届かない所であったら、ロキなどしっしと害虫のように追い払いたいのかも知れない。
「ロキさん、一つだけ、聞いても良いですか?」
「何? 王女様。」
「ハンベエさんには、詳しい生い立ちを話したりしたのですか?」
「ハンベエに。ううん、話してないよお。ハンベエはそんな事聞きもしないよお。何で? ハンベエの事が気になるのお?」
「いいえ、ただちょっと聞いてみただけです。それよりも、手早く食事を済ませ、今夜は早めに休みましょうか。」
 エレナは少しバツが悪そうに言って、話を切り換えた。
 エレナの提案に従い、皆は早々に床に着いた。不仲な様子のロキとスパルスであったが、眠りに着くのは気が合ったように同時であった。

 一方、激しい雨音のためか、エレナは中々寝付かれずにいた。本来、深窓の姫君である。むしろ、枕の合わない旅の空ですやすや眠れる方がおかしいくらいだ。
 深夜、眠れぬままエレナは、雨の音の中に夥しい数の人の足音や、荷車か何かの轍の音が混じっているのに気付いた。
 眠りこけているロキやスパルスは目を覚ます事も無かったが、神経が研ぎ澄まされたように鋭くなっていたのか、エレナはその不審な物音に気が付いた。
(一体、何が?・・・・・・)
 エレナは気になったが、真っ暗な夜であり、表に出て確かめようにも、雨が強く降っているため、躊躇われた。
 エレナが枕元の剣を引き寄せ、抱くようにして気配を窺っていると、やがてそれはゆっくりと遠ざかり、闇と雨音の中に消えて行った。

 エレナの聞いた物音はハナハナ山に向かう第五連隊の行軍であった。
 この雨と闇の中を進む第五連隊の行軍は難渋を極めたが、彼等は明かりすら使えない暗闇の中、ずぶ濡れになりながら、一歩一歩静かに慎重にタゴロロームから、去って行ったのであった。
 勿論、エレナがそれを知るはずも無かった。不審な物音が去ってしばらくの後、漸くエレナは微睡んだ。

 ロキが目を覚ましたのは翌朝の九時頃あった。
 起き上がると、既に寝具を片付け、洗面やら身繕いを整えたエレナが行儀良く端座して、優しい目付きでロキを見つめていた。その後ろにはスパルスが控えている。
「お早うございます。ロキさん。」
 エレナはにこっと笑ってロキに言った。
 ロキは慌てて正座し、
「お早うございます。」
 と頭を下げた。
 ロキは普段は寝起きの良い方であり、早朝にはさっさと起きて身支度を済ませている人間である。
 しかし、今回は寝坊してしまった。余程、道中気苦労していたのだろう。そして、やっとタゴロロームに到着し、ある程度安全な状況にあると確信したために、いっぺんに疲れが出たようだ。寝過ごして王女様を待たせてしまうとは、不覚だよお、っと跳ね起きて直ぐに身支度にかかった。
 丁度この時、ドヤサ屋の前を通り過ぎて行った二人ずれがいた。一人は長身の若者であり、今一人は更なる巨漢であった。
 ハンベエとドルバスであった。第五連隊に追い付くべく足早にドヤサ屋の前を過ぎて行ったのである。
 ハンベエは第五連隊に合流しようと気ぜわしく歩く一方で、ロキの身を案じていたが、まさか通り過ぎた宿屋にそのロキがいようとは、露知らない。
 こうして、ロキとハンベエはほんの数メートルまで接近しながら、顔を合わせる事無く、行き違ったのである。ロキ達の到着が一日早ければ、守備軍陣地か何処かで出会えたであろうし、一日遅ければ道中できっと出会う事ができたに違いない。全くもって、絶妙のタイミングでスレ違った事となる。わざとらしいまでのニアミスであった。
 ロキの勧めで、エレナは以前の服をつづらから出して着替え、スパルスを伴って守備軍陣地に向かった。時に午前十時の事であった。
 ロキはバンケルク将軍達とはトラブっているという事を理由に同行しなかった。
 しかし、エレナ達が出立した後、気になって仕方ないものらしく、こっそりと守備軍陣地に向かったのであった。
 エレナ達は宿を出たところで、足早に歩いて行く役人風の人物とすれ違った。その男はエレナ達を見て、おやっという顔をしたように見えたが、何も言わずそのまま行ってしまった。誰あろう宰相ラシャレーが遣わした使者のファーブルであった。
 人生劇場のちょっとした一コマと言えるだろう。ファーブルはスパルスを見知っていた。だが同行しているのが、まさか王女エレナとは思いもしなかったらしい。
 もっとも、王女と気付いたところで、何か接触を試みたかどうかは分からない。ファーブルはファーブルでゲッソリナ行政府への報告のために急いでいた。
 エレナ達はファーブルを変な奴程度に思っただけで、特に関心を向けなかったようだ。

 守備軍陣地の正面から、エレナとスパルスは堂々と乗り込んで行った。どういうわけか、やたらと陣地内は騒々しい。兵士達が次々と行き交い、荷車で何か運んでいるようだ。
「夥しい血の臭いがします。何が有ったのでしょう?」
 エレナはスパルスに問い掛けた。
「そうですね。兵士達が運んでいるのは死体のようですが、戦でも有ったのですかね。まあ、軍隊に死体はつきもの、気にしないでおきましょう。」
 スパルスは渋い顔になって答えた。
「そうなのですか、恐ろしい。ともかく、将軍の所に急ぎましょう。」
 二人は真っ直ぐに司令部に向かって歩き出した。兵士達の間を抜けて行こうとしたところで、士官が二人の道を塞いだ。
「待て、お前達は何者だ。何処へ行こうというのだ。」
 立ちはだかった士官は厳しい調子で言った。
「無礼者っ。このお方は、ゴロデアリア王国の王女エレナ様だ。バンケルク将軍に会いに来られのだ。」
 スパルスはエレナの前に出て、その士官に居丈高に言った。
「王女様、まさか。」
 士官の顔に緊張が走った。
「まさかではない。将軍の所に案内せよ。」
 スパルスが叱り付けるように言うと、士官は半信半疑ながら、二人の先に立って司令部に案内した。
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