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五十七 剣刃乱舞
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金貨略奪作戦はタゴロローム司令部側から見れば、明らかな犯罪行為である。アルハインド勢との戦いで受けた仕打ちに対する憤りかあったとはいえ、第五連隊兵士から裏切り者、内通者は出ないのだろうか? という疑念が生ずる。
だが実際は、彼等第五連隊兵士は黙々と作戦に従い、一糸乱れぬ行動を採っていた。
その理由は・・・・・・。
理由と言えるかどうかは分からないが、ハンベエがパーレルに作成を依頼していた第五連隊の新しい旗が二日前に完成し、連隊兵士への御披露目がされていた。ナイスなタイミング、バンケルク側の襲撃に邪魔されなくて良かった。
旗はハンベエの注文に従い、中央に故第五連隊連隊長コーデリアスが、床几に腰掛け、鞘ぐるみ地に突き立てた剣の柄頭に両手を重ね、その上に顎を乗せてゆったりと座っている。
左後ろには薙刀を担いだドルバスが正面をぐっと見据えて仁王立ちし、右後ろにはハンベエが何故か空を見上げるようにして立っていた。勿論、惚けた顔で。
右斜め前には、タゴロローム要塞本部に出頭して、自決してのけたコーデリアスの側近が口元を引き締めた廩とした顔付きで描かれ、それらを囲むように他の連隊兵士が、あるいは飄げた顔付きで、あるいは生真面目な佇まいで、あるいはニコニコと、とりどりに描かれていた。
連隊旗のお披露目は、第五連隊連隊長宿舎内で行われた。バンケルクに何をしているのかバレないよう(別にバレても問題なかったのかも知れないが、秘密の儀式風な気分に兵士達がなったようだ)、一人一人順番に、こっそりと宿舎に入って旗と対面した。
各々の兵士は、連隊旗に対面すると、まず中央のコーデリアスの姿を見つめ、次に旗に描かれているはずの己の姿を探した。見つけると、苦笑いをしたり、鼻を擦ったり、それぞれ若干の照れ臭そうな仕草をした後、改めて中央のコーデリアスに目をやり、ある者は肯き、ある者は胸に手を当て、ある者は・・・・・・思い思いのキメのポーズをして、次の者と交替していった。パーレルの歌った『第五連隊クズ連隊~』のフレーズを小さく口ずさむ者もいた。
連隊旗に対面したそれぞれの兵士達にとって、アルハインド族との戦いから今日連隊旗に対面するまでに刻み付けられた時間は、彼らの歴史となり、神話となった。そして、一人一人の胸に染み込んでいった。
ハンベエが新しい旗の効果をどの程度期待したかは、例によって不明である。
だが、連隊兵士達全員に第五連隊という集団への強い帰属意識を間違いなくもたらしていた。そういう気分の中で彼等第五連隊兵士達は、誰もが神話の中の英雄であった、いや、少なくとも英雄でありたいと感じていた。
こういう状況に置かれた時、裏切ろうと考える者がいるだろうか。筆者は人間中々そんな気にはなれないと思うのである。
ただ一つ気になったのは、その旗の中には、コーデリアスの遺言書を持ってゲッソリナに向かったもう一人の側近の姿は描かれていなかった事である。
ハンベエやパーレルが失念したのか、それとも連隊に帰って来た時に追加するつもりだったのか。良く分からないが、何かを暗示しているかのようでもあった。
金貨強奪に向かった第五連隊兵士は昨日の夜の内に、司令部の地下室に粛々と忍び入り、金貨を運び出すと、そのままハナハナ山転進のために用意した荷車を引いて出立した。襲撃計画にばかり気を取られたバンケルク側は全く気付く事が無かったのである。
こうして、金貨強奪作戦は既に成功裏に終了していたのだが、一つ捕捉しておかねばならない事がある。実は司令部の地下室と抜け道は堅牢な扉を隔てて内側から鍵が掛かっており、外部の出口から地下室の所までやって来ても中には入れないようになっていた。
だからこそ、バンケルク達も不安を抱かず、隠匿資金を保管していたのである。万が一、誰かが抜け道を発見しても侵入される事はないと。
だが、ハンベエの協力者のイザベラが司令部内部から地下室に潜入し、予め内側から鍵を外していたのだ。
司令部から地下室への入り口は、バンケルクの執務室から四部屋離れた資料室(タゴロローム守備軍に関係する諸帳簿が保管されていた)の床にあった。床に一メートル四方の巧妙に細工された隠し扉が有り、更に扉の上に本棚等をおいて偽装してあった。その上、資料室は通常施錠されていて、係の人間以外は入れないようになっていた。
イザベラはハンベエからの依頼で、その日の夕闇の中、司令部に潜入して資料室の鍵を解錠、更に地下室に行って、地下室と抜け道を隔てる扉の鍵を内側から開けた。
折から、司令部ではハンベエ襲撃の準備に気を取られ、資料室等には何の注意も払っていなかった事もイザベラに味方した。イザベラは、地下室と抜け道の間の鍵以外は元に戻して誰にも悟られる事無く司令部から立ち去った。
恐るべきはイザベラである。一体どうやって、そこまでの情報を入手したのであろうか? その秘密はイザベラが一種の催眠術の使い手である事に関係があるようだ。
この間のイザベラの行動を詳細に語れば、スリルを伴ったちょっとしたドラマになりそうであるが、今はハンベエと襲撃隊の闘いに戻る事としたいので、割愛する。
「二十三っ」
次々に襲い来る槍の穂先を体の向きを変えるだけで、紙一重に躱しながら、ハンベエは、敵の槍兵士達の中で剣の舞いを踊っていた。
バンケルク側の兵士達はハンベエを取り囲んで、一斉攻撃をかけようとするのだが、ハンベエの素早い動きに足並みが揃わないでいた。ハンベエはその敵の混乱に乗じるかのように、敵の多い所、密集している所に飛び込んでは斬りまくった。
「二十六っ」
そもそも、襲撃側の兵士とハンベエでは、足の運びが違う。ハンベエを狙う兵士達が、雨でぬかるんだ土に、ともすれば足を取られそうになるのに対し、ハンベエは前後左右、素早く自在に動き回るのだ。バランス感覚や体重移動の能力に目も当てられない程の開きがあった。
槍襖を作って取り囲み、一斉攻撃を仕掛けるのだが、僅かな足並みの乱れから生じる隙間を縫うようにして躱すハンベエに、襲撃側は反って同士討ちまで発生する始末である。
(何たるザマだ。これが、アルハインド勢を散々に打ち破ったと同じ兵士達か。)
モルフィネスは後方で見つめながら、苛立たしさに歯噛みせん思いになっていた。
(あっ、不味い。)
遠くから様子を伺うモルフィネスの目に、槍兵士達の囲みを破り、そのまま真っしぐらに弓部隊に向かうハンベエの姿が写った。
弓を携えた兵士達が迫り来るハンベエの姿に慌てて矢をつがえようとしたが、狙いを付ける暇もなく、疾風のようにハンベエが弓部隊の中に躍り込んでいた。
弓を投げ捨て、剣を抜いてハンベエに立ち向かおうと、弓部隊の兵士は慌てふためくうちに次々と斬られていく。
「四十三っ」
見守るモルフィネスの前で、弓部隊兵士二十人のうち十七人がなす術も無く、ハンベエに撫で斬りにされた。
弓部隊を斬り伏せたハンベエはそのまま駆け抜けて、連隊長宿舎の裏側に走り込んだ。
そこには、調子に乗ってドルバスを追い掛けて行った兵士達の死体が十数体、無惨に切り裂かれて転がっていた。
向こうには薙刀を打ち振るうドルバスの巌のような巨体が見える。こちらは、駆け回るハンベエとは違い、どっしりと腰をきめて、射程内に敵が入るなり、力任せの一撃、相手の剣もろともに断ち割って行く。肩の辺りから脇腹まで両断された敵兵が地に転がったところだ。
ハンベエは身を翻し、宿舎の角を回って来た敵を斬った。頭骸に一撃、胸元まで斬り下げる。のめるように前に倒れる敵を飛び越え、更に続いて来る敵二人の喉首を横薙ぎに一まとめに斬り、続く一人を下から斬り上げるようにして倒した。
『ヨシミツ』の切っ先が鳩尾から入って、肋骨の中心ともども敵の心臓を斬り裂いていた。
「四十七っ」
ハンベエは元来た道を取って返して角を曲がり、宿舎裏に押し寄せて来る敵に突っ込んで行った。
戻って来るとは思っていなかったのか、不意に飛び出して来たハンベエに敵兵はたたらを踏んで足を滑らす始末。留まる処を知らぬ『ヨシミツ』が、蛇がうねるように剣光を走らせ、ハンベエが宿舎の前まで駆け抜けると、その後ろで五つの敵影が血煙を上げて倒れた。
「五十二っ」
ハンベエは吠えるように言って立ち止まった。
遠巻きに敵がハンベエを取り囲もうと左右に展開して行くのが見える。
「囲め、囲め。押し包んで、突き殺せ。取り囲んで一斉に掛かるのだ。」
モルフィネスだ。
闘いが始まってから、まだ二十分と経っていない。既に襲撃側は七十名前後の死者が出ていた。モルフィネスはハンベエ達の凄まじい破壊力に目を剥く思いだった。
(鬼神か。何という化け物達。・・・・・・しかし、まだ百人以上の兵士がいるのだ。いつかは奴等も疲れるはずだ。)
味方の惨憺たる状態を忌々しい思いで見つめながらも、モルフィネスは努めてこう思うようにしていた。だが、止めようもなく起こって来る胴震いは、決して雨に濡れた寒さのせいではないようだ。
先に多少説明したが、襲撃側の兵士はハンベエの首に掛かる金貨五百枚を目当てに集まった連中であり、その目的はハンベエの首を独占する事にあった。
そういう個人的目標による集まりであったため、モルフィネスの指示にも限界がある。とても自在に部隊を動かすには程遠かった。
(烏合の集だ。)
モルフィネスは半ばため息をつく思いで、眼前の死闘を見つめ続けた。
連隊長宿舎の前に動きを止めてつっ立つハンベエに、襲撃側兵士達がじわじわと周囲から迫っている。
ハンベエは薄ら笑いを浮かべると、一旦宿舎の中に戻った。
襲撃側の兵士は、宿舎内に追い掛けて行くのを躊躇した。中で、ハンベエが舌なめずりしながら、待ち伏せているのがありありと目に浮かぶのだろう。
たが、いつまでも宿舎の前でブルっているわけにもいかない。前の方にいる兵士四人が、後ろの兵士達に押し出されたように、絶望的なクソ度胸を奮い起こして、宿舎の入り口から飛び込んで行った。
宿舎に飛び込んで行った兵士達の足音が響いた一瞬の後、宿舎内は静寂に包まれた。
固唾を飲んで宿舎内を伺う包囲陣の前に、ドサッドサッと、人間の首が四つ投げ出された。
「五十六っ」
中からハンベエの斬り付けるような声が響いた。
更に、宿舎の出入口から一つの黒い影が飛んで来た。すわこそ、包囲している兵士達が一斉に槍で剣で襲い掛かった。しかし、それはハンベエではなく、首の無くなった兵士の死骸であった。
襲い掛かった兵士達は直ぐにそれに気付き、後ろに一歩下がった。間髪を入れず宿舎内から二つ目の黒い影が飛び出して来た。包囲側の兵士は、又も死体かと一瞬戸惑った。だが、今度はハンベエであった。
ハンベエは幻惑されて立ち往生する兵士達を瞬く間に六人斬り捨てた。
そうして、
「うおおおお。」
と腹のそこから絞りだすような咆哮を上げた。
「うおー。」
共鳴するかのように、包囲側も雄叫びを上げ、狂ったようにハンベエに殺到した。
目の前で、何十人もの味方兵士がまるで草を刈るように斬られて行くのを見つめ続けた果てに、襲撃側の兵士達は恐怖を通り越して、正常な判断力を失ってしまったようだ。
斬られても斬られても、蝗の群れのようにハンベエに飛び掛かって行く。
今や敵も味方もない。血に狂った獣共と化していた。
その狂乱の渦の中心で、一カケラの躊躇いも見せる事無く、ハンベエは敵を斬り続けていた。
髪をそそけ立たせ、目に爛々と妖しい光を放たせて、前後左右に血煙を立てるハンベエのその姿を見る者は、一人の例外も無く、こう呼んだであろう。悪鬼羅刹と。
「どうやら、俺の出番が有りそうだな。」
いつの間に現れたのか、ハンベエの恐ろしい舞踏に目が釘づけになっていたモルフィネスの横でエルエスーデが含み笑いを浮かべながら言った。
だが実際は、彼等第五連隊兵士は黙々と作戦に従い、一糸乱れぬ行動を採っていた。
その理由は・・・・・・。
理由と言えるかどうかは分からないが、ハンベエがパーレルに作成を依頼していた第五連隊の新しい旗が二日前に完成し、連隊兵士への御披露目がされていた。ナイスなタイミング、バンケルク側の襲撃に邪魔されなくて良かった。
旗はハンベエの注文に従い、中央に故第五連隊連隊長コーデリアスが、床几に腰掛け、鞘ぐるみ地に突き立てた剣の柄頭に両手を重ね、その上に顎を乗せてゆったりと座っている。
左後ろには薙刀を担いだドルバスが正面をぐっと見据えて仁王立ちし、右後ろにはハンベエが何故か空を見上げるようにして立っていた。勿論、惚けた顔で。
右斜め前には、タゴロローム要塞本部に出頭して、自決してのけたコーデリアスの側近が口元を引き締めた廩とした顔付きで描かれ、それらを囲むように他の連隊兵士が、あるいは飄げた顔付きで、あるいは生真面目な佇まいで、あるいはニコニコと、とりどりに描かれていた。
連隊旗のお披露目は、第五連隊連隊長宿舎内で行われた。バンケルクに何をしているのかバレないよう(別にバレても問題なかったのかも知れないが、秘密の儀式風な気分に兵士達がなったようだ)、一人一人順番に、こっそりと宿舎に入って旗と対面した。
各々の兵士は、連隊旗に対面すると、まず中央のコーデリアスの姿を見つめ、次に旗に描かれているはずの己の姿を探した。見つけると、苦笑いをしたり、鼻を擦ったり、それぞれ若干の照れ臭そうな仕草をした後、改めて中央のコーデリアスに目をやり、ある者は肯き、ある者は胸に手を当て、ある者は・・・・・・思い思いのキメのポーズをして、次の者と交替していった。パーレルの歌った『第五連隊クズ連隊~』のフレーズを小さく口ずさむ者もいた。
連隊旗に対面したそれぞれの兵士達にとって、アルハインド族との戦いから今日連隊旗に対面するまでに刻み付けられた時間は、彼らの歴史となり、神話となった。そして、一人一人の胸に染み込んでいった。
ハンベエが新しい旗の効果をどの程度期待したかは、例によって不明である。
だが、連隊兵士達全員に第五連隊という集団への強い帰属意識を間違いなくもたらしていた。そういう気分の中で彼等第五連隊兵士達は、誰もが神話の中の英雄であった、いや、少なくとも英雄でありたいと感じていた。
こういう状況に置かれた時、裏切ろうと考える者がいるだろうか。筆者は人間中々そんな気にはなれないと思うのである。
ただ一つ気になったのは、その旗の中には、コーデリアスの遺言書を持ってゲッソリナに向かったもう一人の側近の姿は描かれていなかった事である。
ハンベエやパーレルが失念したのか、それとも連隊に帰って来た時に追加するつもりだったのか。良く分からないが、何かを暗示しているかのようでもあった。
金貨強奪に向かった第五連隊兵士は昨日の夜の内に、司令部の地下室に粛々と忍び入り、金貨を運び出すと、そのままハナハナ山転進のために用意した荷車を引いて出立した。襲撃計画にばかり気を取られたバンケルク側は全く気付く事が無かったのである。
こうして、金貨強奪作戦は既に成功裏に終了していたのだが、一つ捕捉しておかねばならない事がある。実は司令部の地下室と抜け道は堅牢な扉を隔てて内側から鍵が掛かっており、外部の出口から地下室の所までやって来ても中には入れないようになっていた。
だからこそ、バンケルク達も不安を抱かず、隠匿資金を保管していたのである。万が一、誰かが抜け道を発見しても侵入される事はないと。
だが、ハンベエの協力者のイザベラが司令部内部から地下室に潜入し、予め内側から鍵を外していたのだ。
司令部から地下室への入り口は、バンケルクの執務室から四部屋離れた資料室(タゴロローム守備軍に関係する諸帳簿が保管されていた)の床にあった。床に一メートル四方の巧妙に細工された隠し扉が有り、更に扉の上に本棚等をおいて偽装してあった。その上、資料室は通常施錠されていて、係の人間以外は入れないようになっていた。
イザベラはハンベエからの依頼で、その日の夕闇の中、司令部に潜入して資料室の鍵を解錠、更に地下室に行って、地下室と抜け道を隔てる扉の鍵を内側から開けた。
折から、司令部ではハンベエ襲撃の準備に気を取られ、資料室等には何の注意も払っていなかった事もイザベラに味方した。イザベラは、地下室と抜け道の間の鍵以外は元に戻して誰にも悟られる事無く司令部から立ち去った。
恐るべきはイザベラである。一体どうやって、そこまでの情報を入手したのであろうか? その秘密はイザベラが一種の催眠術の使い手である事に関係があるようだ。
この間のイザベラの行動を詳細に語れば、スリルを伴ったちょっとしたドラマになりそうであるが、今はハンベエと襲撃隊の闘いに戻る事としたいので、割愛する。
「二十三っ」
次々に襲い来る槍の穂先を体の向きを変えるだけで、紙一重に躱しながら、ハンベエは、敵の槍兵士達の中で剣の舞いを踊っていた。
バンケルク側の兵士達はハンベエを取り囲んで、一斉攻撃をかけようとするのだが、ハンベエの素早い動きに足並みが揃わないでいた。ハンベエはその敵の混乱に乗じるかのように、敵の多い所、密集している所に飛び込んでは斬りまくった。
「二十六っ」
そもそも、襲撃側の兵士とハンベエでは、足の運びが違う。ハンベエを狙う兵士達が、雨でぬかるんだ土に、ともすれば足を取られそうになるのに対し、ハンベエは前後左右、素早く自在に動き回るのだ。バランス感覚や体重移動の能力に目も当てられない程の開きがあった。
槍襖を作って取り囲み、一斉攻撃を仕掛けるのだが、僅かな足並みの乱れから生じる隙間を縫うようにして躱すハンベエに、襲撃側は反って同士討ちまで発生する始末である。
(何たるザマだ。これが、アルハインド勢を散々に打ち破ったと同じ兵士達か。)
モルフィネスは後方で見つめながら、苛立たしさに歯噛みせん思いになっていた。
(あっ、不味い。)
遠くから様子を伺うモルフィネスの目に、槍兵士達の囲みを破り、そのまま真っしぐらに弓部隊に向かうハンベエの姿が写った。
弓を携えた兵士達が迫り来るハンベエの姿に慌てて矢をつがえようとしたが、狙いを付ける暇もなく、疾風のようにハンベエが弓部隊の中に躍り込んでいた。
弓を投げ捨て、剣を抜いてハンベエに立ち向かおうと、弓部隊の兵士は慌てふためくうちに次々と斬られていく。
「四十三っ」
見守るモルフィネスの前で、弓部隊兵士二十人のうち十七人がなす術も無く、ハンベエに撫で斬りにされた。
弓部隊を斬り伏せたハンベエはそのまま駆け抜けて、連隊長宿舎の裏側に走り込んだ。
そこには、調子に乗ってドルバスを追い掛けて行った兵士達の死体が十数体、無惨に切り裂かれて転がっていた。
向こうには薙刀を打ち振るうドルバスの巌のような巨体が見える。こちらは、駆け回るハンベエとは違い、どっしりと腰をきめて、射程内に敵が入るなり、力任せの一撃、相手の剣もろともに断ち割って行く。肩の辺りから脇腹まで両断された敵兵が地に転がったところだ。
ハンベエは身を翻し、宿舎の角を回って来た敵を斬った。頭骸に一撃、胸元まで斬り下げる。のめるように前に倒れる敵を飛び越え、更に続いて来る敵二人の喉首を横薙ぎに一まとめに斬り、続く一人を下から斬り上げるようにして倒した。
『ヨシミツ』の切っ先が鳩尾から入って、肋骨の中心ともども敵の心臓を斬り裂いていた。
「四十七っ」
ハンベエは元来た道を取って返して角を曲がり、宿舎裏に押し寄せて来る敵に突っ込んで行った。
戻って来るとは思っていなかったのか、不意に飛び出して来たハンベエに敵兵はたたらを踏んで足を滑らす始末。留まる処を知らぬ『ヨシミツ』が、蛇がうねるように剣光を走らせ、ハンベエが宿舎の前まで駆け抜けると、その後ろで五つの敵影が血煙を上げて倒れた。
「五十二っ」
ハンベエは吠えるように言って立ち止まった。
遠巻きに敵がハンベエを取り囲もうと左右に展開して行くのが見える。
「囲め、囲め。押し包んで、突き殺せ。取り囲んで一斉に掛かるのだ。」
モルフィネスだ。
闘いが始まってから、まだ二十分と経っていない。既に襲撃側は七十名前後の死者が出ていた。モルフィネスはハンベエ達の凄まじい破壊力に目を剥く思いだった。
(鬼神か。何という化け物達。・・・・・・しかし、まだ百人以上の兵士がいるのだ。いつかは奴等も疲れるはずだ。)
味方の惨憺たる状態を忌々しい思いで見つめながらも、モルフィネスは努めてこう思うようにしていた。だが、止めようもなく起こって来る胴震いは、決して雨に濡れた寒さのせいではないようだ。
先に多少説明したが、襲撃側の兵士はハンベエの首に掛かる金貨五百枚を目当てに集まった連中であり、その目的はハンベエの首を独占する事にあった。
そういう個人的目標による集まりであったため、モルフィネスの指示にも限界がある。とても自在に部隊を動かすには程遠かった。
(烏合の集だ。)
モルフィネスは半ばため息をつく思いで、眼前の死闘を見つめ続けた。
連隊長宿舎の前に動きを止めてつっ立つハンベエに、襲撃側兵士達がじわじわと周囲から迫っている。
ハンベエは薄ら笑いを浮かべると、一旦宿舎の中に戻った。
襲撃側の兵士は、宿舎内に追い掛けて行くのを躊躇した。中で、ハンベエが舌なめずりしながら、待ち伏せているのがありありと目に浮かぶのだろう。
たが、いつまでも宿舎の前でブルっているわけにもいかない。前の方にいる兵士四人が、後ろの兵士達に押し出されたように、絶望的なクソ度胸を奮い起こして、宿舎の入り口から飛び込んで行った。
宿舎に飛び込んで行った兵士達の足音が響いた一瞬の後、宿舎内は静寂に包まれた。
固唾を飲んで宿舎内を伺う包囲陣の前に、ドサッドサッと、人間の首が四つ投げ出された。
「五十六っ」
中からハンベエの斬り付けるような声が響いた。
更に、宿舎の出入口から一つの黒い影が飛んで来た。すわこそ、包囲している兵士達が一斉に槍で剣で襲い掛かった。しかし、それはハンベエではなく、首の無くなった兵士の死骸であった。
襲い掛かった兵士達は直ぐにそれに気付き、後ろに一歩下がった。間髪を入れず宿舎内から二つ目の黒い影が飛び出して来た。包囲側の兵士は、又も死体かと一瞬戸惑った。だが、今度はハンベエであった。
ハンベエは幻惑されて立ち往生する兵士達を瞬く間に六人斬り捨てた。
そうして、
「うおおおお。」
と腹のそこから絞りだすような咆哮を上げた。
「うおー。」
共鳴するかのように、包囲側も雄叫びを上げ、狂ったようにハンベエに殺到した。
目の前で、何十人もの味方兵士がまるで草を刈るように斬られて行くのを見つめ続けた果てに、襲撃側の兵士達は恐怖を通り越して、正常な判断力を失ってしまったようだ。
斬られても斬られても、蝗の群れのようにハンベエに飛び掛かって行く。
今や敵も味方もない。血に狂った獣共と化していた。
その狂乱の渦の中心で、一カケラの躊躇いも見せる事無く、ハンベエは敵を斬り続けていた。
髪をそそけ立たせ、目に爛々と妖しい光を放たせて、前後左右に血煙を立てるハンベエのその姿を見る者は、一人の例外も無く、こう呼んだであろう。悪鬼羅刹と。
「どうやら、俺の出番が有りそうだな。」
いつの間に現れたのか、ハンベエの恐ろしい舞踏に目が釘づけになっていたモルフィネスの横でエルエスーデが含み笑いを浮かべながら言った。
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