兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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五十二 大将軍ステルポイジャン

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「漸くシャベレーの奴が立ち去ってくれたな。」
 タゴロローム守備軍駐屯地司令部の己の執務室で、バンケルクはモルフィネスと二人切りで話していた。
「そうですね。色々、うるさく調べていたようですが、結局何も出てこなかったようですね。」
「当たり前だ。後ろ指を指されるような事は何もしていないのだからな。」
「しかし、突然の財務調査。何があったのかと思いましたが、大した事が無くて良かった。例のハナハナ党の件を嗅ぎ付けられたかと少々焦りましたが。」
 モルフィネスは、焦ったと口には出したものの、いつもの冷然とした無表情で言った。ハンベエとコーデリアスが凱旋報告に乗り込んで来た時と寸分違わず、背筋をピンと伸ばして、つっ立っている。
「ハナハナ党か・・・・・・全く、一体どうして消滅してしまったのか謎だな。」
「あれには、参りましたね。一体、何が起こったのか・・・・・・首領のドン・バター以下一人の生き残りもいなかったようですからね。」
「折角、内乱が勃発した時のための遊撃部隊として手懐けておいたのに、水の泡だ。まっ、資金の方は回収できたから良かったものの。」
 バンケルクは苦い顔をして言った。
 “内乱が勃発した時のための遊撃部隊”・・・・・・かつてイザベラはハンベエに、『バンケルクって将軍、あんまり信用しない方がいいよ。』、『何故、ハナハナ党はあれほどの財宝を持っていたのかねえ。』と気に掛かる事を言ったが、何とハナハナ党の後ろではタゴロローム守備軍司令官バンケルクが糸を引いていたのである。
 だが、バンケルク達はハナハナ党をぶっ潰したのがハンベエとイザベラの二人だとは夢にも知らない。そして、ハンベエはハナハナ党の裏にバンケルク達がいた事を知らない。知らぬ同士が顔を会わせる以前に、既に必然のように敵となっていたのである。偶然にしては出来すぎた話だ。
 果たしてどんな野心がこの男バンケルクを駆り立てているのか、王国の内乱の予想、隠匿した軍資金、遊撃部隊・・・・・・将軍バンケルクはゴロデリア王国の内乱勃発に備え、着々と準備を整えて来たようである。
 そして、今にして思えば、知らぬ事とは言え、ハンベエはバンケルクに出会うその前に、たっぷり煮え湯を飲ませていたのである。
 タゴロローム守備軍入隊の際に、ハンベエの相棒であるロキはハナハナ山の山賊退治を手柄話としてバンケルクに申告しようと言ったが、イザベラが絡んでいたため、その件については秘密となっていた。喋っていたら、どうなっていた事やら、バンケルクがハンベエを冷遇するどころか、一悶着起こって血の雨が降ったかも知れない。ハンベエもタダでは済まなかったに違いないだろう。沈黙は金、時にはそういう事もあるようだ。
 ところで、この件に関して、ハンベエはロキには口止めしたが、パーレルには口止めしていないのである。そのため、ボーンに嗅ぎ付けられたのだが、パーレルはタゴロローム守備軍には特に喋っていないようである。引っ込み思案な様子のパーレルは聞かれもしない事を自分からべらべら喋ったりはしなかったようだ。パーレルがお喋りな奴でなくてハンベエは助かった。
 バンケルク達は、ハナハナ党壊滅の理由を様々調査したようであるが、まさか砦に依る百人もの山賊がたった二人の人間に壊滅させられたなどとは思いもよらぬ事であったため、仲間割れによるものと判断していたのであった。

「閣下、ハナハナ党の事はあまり口にしない方が良いかと、我々とハナハナ党の繋がりを知る者はごく一部・・・・・・山賊と守備軍司令官が関わりがあったなどという事が公になっては由々しき事態となります。」
「そうだったな。有難い事にハナハナ党が消滅した今となっては、何処にも証拠はない。無かった事とする。それはともかく、ハンベエを消す手立てはどうなっている?」
 バンケルクは『ハンベエ』という名を、苦虫を噛み潰したような顔をして出した。
「今、領地の方から剣の使い手を一人呼んでいます。」
「剣の使い手? ハンベエにかなうのか?」
「身分は卑しいながら、未だ負け知らずの剣の鬼、しかも余人には真似のできない技を使います。さしものハンベエも奴にかかれば。ただ、扱いの難しい男なので、金が掛かりますがね。」
 モルフィネスは自信有りげに言ってのけた。
「いつ頃、やって来る?」
「後十日もすれば」
「十日っ、そんな悠長な事をしている場合かっ。」
「しかし、今現在ハンベエを討ち果たせるテダレがいない以上、待つしかありません。それとも、閣下は剣の達人ですが、閣下が直接斬り捨てますか?」
「馬鹿な、あのような下郎ずれの相手になれるか。その剣術使いは剣術使いとして、別に各連隊から腕の立つ者を集めろ、ハンベエを討ち取った者には金貨五百枚出す事にすれば良いだろう。」
「ハンベエは群狼隊十人を物ともしなかった男ですよ。」
「二百人も集めて戦わせれば良いだろう。」
「いやへたに手出しをすれば、第五連隊の連中が駐屯地に火を。」
「そこを何とかするのが、その方の仕事だ。良いな、速やかにハンベエを始末せよ。」
 バンケルクはきつく言い渡した。
 モルフィネスは頭を抱えて、廊下に出た。そして、どうにも困った事だという風に首を振りながら左右を見回した上で、自分の部屋に向かった。
 人払いをしているので、廊下には誰もいない・・・・・・はずであった。だが、モルフィネスが目を向けなかった場所──廊下の天井の壁にヤモリのように張りついている人物がいた。今や、ハンベエに肩入れして、色々とバンケルク陣営に探りを入れているイザベラであった。イザベラは一切の気配を消して中で行われている会話を逐一聞いていたのだった。やるやる、ハンベエ、頼もしい応援団が付いたものである。

 知らぬが仏とは今のバンケルクの事であろうか。サイレント・キッチン高官シャベレーの退去を受けて、ハンベエ抹殺に陰気に盛り上がったその翌日、王都ゲッソリナにおいては、病躯のゴロデリア国王バブル六世の前に、宰相ラシャレーと大将軍ステルポイジャンの二人が向かい合っていた。
 ステルポイジャン──この物語の最初の方に名前だけは登場し、国王の末子にして現在の王妃モスカ夫人ことモスキィウィンスキーの一粒種、王子フィルハンドラを擁して、ゴロデリア王国纂奪をも狙っているとも言われている。
 ラシャレーからかなり遅れたが、ゴロデリア王国のもう一方の大立て者、漸くの登場である。
 痩せぎすのラシャレーに引き換え、ステルポイジャンははち切れんほどの巨体である。頭は禿あがっていたが、黒々とした口髭顎髭を蓄え、陽に焼けた褐色の肌は色艶も良く、極めて精力的な印象である。
 ステルポイジャンはかなりあんこ型の体型であるが、ぶよぶよとした感じではなく、岩を思わせる圧倒的な迫力を醸し出していた。
 実際、剛力無双と言われ、ゴロデリア王国の戦争の大半を勝利に導いて来た歴戦の将軍であった。
 ラシャレーが政治の要であるとすれば、ステルポイジャンは軍事の柱石であった。
 ゴロデリア王国はこの二人を両輪として、興隆して来たのであった。
「大将軍、こうして陛下の前で顔を突き合わせるのも久しぶりだな。」
 ラシャレーがステルポイジャンの方を向き、口元を歪めて言った。薄ら笑いを浮かべるラシャレーの表情は、見るからに皮肉っぽく、陰険な人物に見える。
 一方のステルポイジャンも、ギラギラと血走った目と険しい顔付きを隠さない。こちらは獰猛な肉食獣を思わせる。
 両者の前にいるバブル六世は、病に冒された、たるみ切った肌も哀れに、力のない目をしょぼつかせ、寝台に辛うじて半身を起こしていた。
 国王の背後には、侍医が控えていた。
 ここは、国王バブル六世の寝室である。王は最早、病床から身を起こす事すらかなわなくなっていたのである。
「病臥中の国王陛下を悩ます事は畏れ多い事であるし、又、その憎たらしい顔を見るのは不快であるが、今回の事態は致し方なき事。」
 ステルポイジャンはラシャレーにこう言い、バブル六世に向きを変え、
「病床におわす陛下の手を煩わせます事、平にご容赦下さいませ。畏れながら、コーデリアスの書状はお読みいただけましたでしょうか?」
 と言った。
「読んだ。ラシャレーの方からも同様の書状の提出を受けている。」
 王は肩で息をしながらも、精一杯威厳を保とうと背筋を伸ばして言った。
 ステルポイジャンはチラとラシャレーの方を見たが、『ラシャレーの方からも同様の書状の提出を受けている』という王の言葉にさほど驚いた様子も無かった。コーデリアスの側近から手紙が正本二通作られていた事を聞いていたようである。
「まず、ステルポイジャン、その方の意見を聞こう。どうすれば良いと思う?」
 王はステルポイジャンに尋ねた。
「単刀直入に言わせていただきます。バンケルクは更迭して、軍法会議にかけるべきです。それと、コーデリアスの遺言どおり、第五連隊長の後任はハンベエという者にしていただきたい。」
「バンケルクは、この度五万とも言われるアルハインド族の侵略を僅か一万六千の兵で防ぎ切った。その功績は大きいではないか。何故、更迭する話になるのだ。」
 国王はステルポイジャンに更に尋ねた。
「委細はコーデリアスの手紙にあったと思いますが、例え、手柄を立てたとしても、あのような味方を生け贄にするような作戦を強行した者は許すわけにはいきません。現にそのせいでコーデリアスは自決しているわけでありますし、又軍の統率上も極めて問題であります。」
 意外にも、このステルポイジャンという軍の親玉は真っ当な意見を述べた。
 王は眉間に皺を寄せて、少し考えていたが、ラシャレーの方を向いて言った。
「そちの意見はどうだ。」
「大将軍の申した事は一応もっともだと思いますが、更迭は賛成しかねます。後、ステルポイジャン、貴公は簡単にハンベエを第五連隊長にするよう進言したが、一体ハンベエなる者がどんな人物か知っているのか?」
「ハンベエという男については、フナジマ広場で百人斬りをしたとかいう話くらいしか知らんが、コーデリアスの事なら良く知っている。あの男は多少融通の利かないところも有ったが、確かな男だった。コーデリアスが推薦するのなら間違いないわ。それより、バンケルクの更迭に何故反対なのだ。」
 ステルポイジャンははったとラシャレーを睨み据えて言った。
「今の状況でバンケルクを更迭すれば、恐らく奴は反乱を起こすだろう。」
「反乱。ふん、反乱を起こしたら、このわしが粉砕してくれるわ。」
「そうなれば、無用の血が流れるわ。お主の言う事も一応もっともだと思うが、今の時点では反対ぞ。」
「しかし・・・・・・」
「待て、ステルポイジャン。政治向きの事はラシャレーに任せよう。ラシャレーの差配に従って、今まで間違った事はない。ラシャレー、ハンベエとか申す者の第五連隊長任命についてはどう思うのだ。」
 さらに何か言おうとするステルポイジャンを制して、バブル六世が発言した。
「その件については、大将軍の顔を立てましょう。コーデリアスの遺言でもありますから。ただし、連隊長任命と同時に第五連隊は即時ハナハナ山に駐屯させ、ゲッソゴロロ街道の治安維持を命じたいと思います。タゴロロームに置いておいては火種になりかねません。」
「うむ。そういたせ。ステルポイジャン、異存はないな。」
「陛下の決定のままに。」
 ステルポイジャンは王に一礼しながら、そう答えたが、王がラシャレーの意見を採用したのが気に食わないものと見えて、憎々しげにラシャレーを睨んだ。
 だが、睨まれたラシャレーは全く別の事を考えていた。
(ステルポイジャンはハンベエがガストランタを敵としている事を知らぬようだな。)
 全く、『ハンベエなる者がどんな人物か知っているのか』、『その件については、大将軍の顔を立てましょう。』とはよくも言ったものである。
 寝室から出てしばらく歩いてから、ラシャレーはステルポイジャンを呼び止めて言った。
「今日の話には関わり無いが、フィルハンドラ王子の様子はいかがだ。」
「実に聡明なお方で、立派な王になるべく育たれているよ。」
「王に?・・・・・・、王座には、既にゴルゾーラ王子が太子として決っているのだぞ。」
「わしはフィルハンドラ王子こそ王に相応しいと考えている。」
「今更フィルハンドラ王子の出番は無いと思うがの。」
「卑しくも玉座には一番相応しい者が座るべきだ。ゴルゾーラ王子をどうこう言うわけでもないが、太陽が現れれば、月は場所を譲るべきだろう。」
 二人はその後無言で別れた。
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