兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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四十八 噂のハンベエ

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 ハンベエとモルフィネスの暗闘から目が離せないところであるが、話をロキとボーンの動向に移す事としたい。
 何故なら、ロキはハンベエの依頼により、亡き第五連隊連隊長コーデリアスの書状を、ゴロデリア王国宰相ラシャレーに届け、尚且つその人物を見極めるという大役を任されて、一路ゲッソリナに向かったからだ。
 この大舞台を省略してしまっては、何かと口うるさいロキの事。どんな文句を言うか分かったもんじゃない。
 道中の安全のため、サイレント・キッチンの腕利きボーンことボーン・クラッシュに付いて行く形で旅しているロキであるが、今回の主役はオイラだよお、っと笑いながら叫び出しそうなほど浮き立つ足取りで、気が付けば、あのハナハナ山の麓を横切る道を通り過ぎようとしていた。
 ロキは先に立って半ば駈けるように歩き、少し後ろを追うようにして、ボーンが歩いていた。
 ボーンは不意に立ち止まるとハナハナ山を見上げた。
 そして、先を急いでいるロキを呼び止めた。
 ロキは十数歩向こうまで歩いて行ってしまっていたが、ボーンに呼ばれると、振り返って駆け戻って来た。
 背には愛用のつづらを背負っており、肩にかかっているつづらの負い紐をそれぞれ左右の手でぎゅっと握って軽快に駈けてくる姿は、中々小気味いいものである。
「ボーンさん、どうしたの? 今回は急ぎ旅だよお。暢気に山の景色を眺めてる場合じゃないよお。」
 口をへの字に曲げて、少し不機嫌な表情でロキが言った。
「この山で、ハンベエあーんどイザベラの最強タッグが、凶猛と言われたハナハナ党を手玉に取って、壊滅させたんだっけ?」
 ボーンがいたずらっぽく笑って、ロキに言った。
 ロキしばし沈黙。
 ボーンは、ムスっと黙り込んだロキを、ニヤニヤ見ていたが、
「なあに、動かぬ証を突き付けて、ハンベエに泥を吐かせたのさ。」
 と言った。
「え?・・・・・・ハンベエが喋ったの? 」
 ロキは少し驚き気味に言ったが、さしたる動揺も見せず、少しばかり眉をひそめ、
「困るなあハンベエも、そんな大事な事をオイラに黙ってるなんて。」
 と言葉を続けた。
「まっ、俺がその話を聞き出したのはアルハインドの連中との戦が始まる直前だったから、知らせようにも知らせられなかったのさ。奴もこのところ目の回る忙しさだったはずだ。悪く思ってやるな。」
「それはそうだねえ。どっちにしろ、オイラがハンベエを悪く思う事はないんだけどね。それより、動かぬ証って何だったの?」
「パーレルって奴が、マリアことイザベラの似顔絵を書いていてな。これがもう瓜二つ、生きてるのじゃないかと思うぐらい良くできていたわけだ。それを突き付けたら、流石のハンベエもグーとも言わなかった。」
「そう言えばパーレル書いてた書いてた。そんなところから、バレちゃったんだあ。天知る地知る我も知る、遂に悪事は露見したってわけなんだあ。ふーん、パーレルの絵からねえ。その絵、ちょっと見たいよお。」
 言葉軽やかに喋るロキであるが、表情はムスっとしたままだ。日頃快活に笑うロキにしては妙に不自然な雰囲気であった。
 実はボーンと一緒にゲッソリナに旅立った時から、ずっとこの様子なのであった。
「いや、絵はハンベエに取り上げられた。きっと処分されただろうな。見せられなくて悪い。」
 ボーンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「えー、大事な証拠物件じゃない、いいのお? 確か、イザベラを捕まえるのもボーンさんの仕事の一つだったよねえ。」
「おいおい、イザベラっていうのはハンベエと互角に渡り合い、うちのお頭、サイレント・キッチンの頭目も取り逃がした化け物だよ。この俺に捕まえに行けっていうのか。何を俺に期待してるんだ。」
「えー・・・・・・うーん、でもハンベエほどじゃないけど、ボーンさんもかなり強いじゃん。第一ちゃんと仕事しないとクビになっちゃうんじゃないのお?」
 とロキは言った。
 ここに来るまで、急ぎに急いで早や三日、既に何度か追い剥ぎや野盗の類に出くわしている。
 ボーンという男はできるだけ、それと関わらないように避けて通るのだが、黙って通してくれない奴もいた。
 そういう時は、仕方なしに闘うのだが、ボーンは鉄拳と足刀で簡単に相手をぶちのめしてしまう。
 ハンベエとは大分違うなあ、とロキは思った。
 ボーンは腰に刃渡り四十センチほどの短めの剣を吊しているのだが、抜かないのである。
 素手でも、楽にならず者達をぶちのめせるほど腕が立つという事なのだが、相手が敵意を示したら容赦なく斬って捨てるハンベエに比べると、その違いが鮮やかに分かるのである。
 ともあれ、ボーンが腕利きである事を、ロキはその目で見てはっきり知っていた。
「ハナハナ山でのイザベラの活躍を聞いたけど、その話で考えたら、イザベラっていうのは恐ろしい女だぜ。王女様も相当剣の腕が立つという話だが、襲われた時に、ハンベエが居合わせなかったら、どうなった事やら。俺も一応命は惜しい。出来るだけ関わりたくないものだぜ。」
 ボーンはロキに苦笑混じりに言った。
「でもイザベラ捕まえるのはボーンさんの仕事でしょう。いいのお、仕事の選り好みして?  バレたら、クビになっちゃうんじゃないのないのお?」
「その事だよ。誰にも言わないでくれよな。特に、宰相に面会しても、その話だけは絶対にしないでくれよなあ。」
 どうやら、ボーンはこの口止めをするためにロキにハナハナ山の話を始めたようだった。
 ハンベエがロキにその後のボーンとのやり取りを話していなかったのは意外であったが、ボーンは不必要な事を喋らないハンベエに改めて安心もした。
「いいよお。何たってオイラとハンベエとボーンさんは仲良し三人組だからねえ。絶対に喋らないよお。」
「本当に頼むぜ。ところで、ロキ、今回旅に出てから、ちっとも笑わないけど、何かあるのか? 無愛想で眠たそうな顔で、まるでハンベエみたいだぞ。」
「ハンベエみたい。」
 ロキは急に目を輝かせて言った。
「・・・・・・喜ぶ事か?」
「いやあ、今回オイラ、ハンベエから『俺に代わって』って言われただろう。だから、一生懸命ハンベエの真似をしてたんだ。ハンベエと言ったら、何と言っても無愛想、ぶっきらぼう、オイラ形から入るタイプなんだ。やっぱりハンベエってこんな感じなんだ。」
「・・・・・・いやいや、意味取り違えてるし、真似る必要ないし。」
「あははは、ボーンさんもやっぱりそう思う?」
「やっと笑ったなあ。しかし、あの無愛想男も、たまに人懐っこく笑うぞ。何はともあれ、そこは真似しなくていいと思うぜ。旅に出てからずっとブスッとしたままだったから、俺がモルフィネスの部下を消した事を怒ってるのかと思った。」
「・・・・・・その事は賛成は出来ないけど、仕方ない事だと思ってるよお。気が咎める?」
 ロキはちょっと眉をひそめて言った。
「いや悪いが、気は咎めない。俺達はそういう世界で生きている。あいつは殺されるだけの事をやった。俺は俺で生きてかなきゃならんのでな。それより、ハンベエの真似はもう止めてくれ、ロキはロキだからこそいいんだから。ゲッソリナに行ったら、王女様にも会うんだろう? 無愛想な顔のロキを見たら、びっくりして心配するぜ。」
「エヘヘ、分かったよお。」

 ハナハナ山を過ぎて、さらに二日後、急ぎに急いだ強行軍でロキとボーンはゲッソリナに入った。
 ハナハナ山以降はすっかり明るいいつもの冗談好きな少年に戻ったロキに、ほっとしたボーンであった。
 だがしかし、ハナハナ山迄の無愛想さを取り戻そうかというまでの、その後の打って変わったロキの喋り捲りには、無愛想なままの方が良かったかもしれないと、ボーンは少々辟易してしまった。
 中でもボーンを苦笑いさせたのは、ボーンとハンベエどっちが強いの論であった。
「じゃあ、ボーンさんはハンベエに全然歯が立たないの?」
 かなり無神経で失礼なロキの質問に、ボーンは苦笑いを浮かべるばかり、だが、ハンベエとやり合って勝てるとは到底思えないボーンはさして怒りもしなかった。
 ボーンは己の力量を冷ややかに推し量れる男だった。自惚れや過信がない故に、サイレント・キッチンで幾つもの危険な仕事をこなし、生き延びて来たのだ。
 だからこそ、サイレント・キッチン内においても一目置かれ、『声』の信頼も得ているのであった。
 第一、少年ロキのハンベエは無敵と信じ込んでいる心情を良く理解しているボーンは、『俺の方が強いぜ』などとロキにいう馬鹿な真似はしなかった。
 そんな事を云えば、ロキに頭から否定され、ハンベエの武勇を講釈師よろしく滔々と聞かされるのは目に見えていた。
 要するにロキは、『どっちがどれだけ強いのお?』と聞きながら、実は『ハンベエは強い。とても敵わない』と言って欲しいだけなのだ。
 そのロキの気持ちが良く解るボーンは、
(やれやれ、何だかんだ言っても子供だぜ。)
 と思いながらも、やはりロキは憎めない奴だと思っていた。
「でも、ボーンさんがサイレント・キッチンにずっといたら、ハンベエと敵になる事もあるかも知れないよ。その時はどうするのお?」
 ロキは無邪気に尋ねる。際どい質問である。あんまりツッコむと地雷を踏むぞ・・・・・・と筆者も冷や冷やである。
「そうだな。そうなったら、一目散に逃げ出そうかな。何しろ俺は命は大事にしなければならないと考えてるからな、特に自分の命はな。・・・・・・フナジマ広場の決闘の頃のハンベエなら、時と場所と条件次第で、人数使えば、或いは仕留められるかも知れないと思ったが、この間、タゴロロームの駐屯地で会った時は、内心ブルったよ。あいつ強くなっている。」
 流石、ボーン。大人な回答である。意外に子供の扱いに慣れてるようだ。
「ハンベエ強くなっているの?」
「俺はそう感じたね。しかし、ハンベエは何故あんなにあっさり人を斬るのかな? 残酷な質にも見えんし、相手を殺さずとも叩きのめすだけの腕は持っているはずだが? まあ、奴が斬ってるのは死んでも同情する必要のない奴等ばかりだがな。」
 ボーンにはその事がハンベエに関する大きな大きなハテナマークであった。
 それについては、ロキも同感であったらしく、
「うーん、オイラも分からないよお。ハンベエってどっちかと言うと、優しいし、オイラの事も親身になって考えてくれたりしてるし、喧嘩っ早くて、反骨的なところはあるけど・・・・・・そう言えば、初めてハンベエに出会った時、オイラ追い剥ぎに追われてたんだ。もう捕まっちまうと思った時に、ハンベエが目の前に立ってたんだ。その時は既に刀を抜いて構えてたなあ。」
「ほう。」
「で、オイラに『退いてろ』って、凄い優しい声で言ったんだよお。」
「ふむ、それで」
「で、オイラが道の脇に寄ると、何も言わずに追い剥ぎの首を刎ねちゃったんだ。あっという間に。」
「・・・・・・それから、どうなった?」
「そのまま、ハンベエはスタスタ行ってしまいそうになったんだけど、オイラ一人は怖いから、ハンベエに付いて行く事にしたんだ。オイラが『悪い人なのか?』と聞くと、物凄い人懐っこい顔で笑って、『悪い奴じゃないみたいだぞ。』って言ったんだ。そう言えばあの時、初めて人を斬ったって言ってたなあ。」
 ボーンもロキも、ハンベエが師のフデンに千人斬りの修行を申し渡されている事を知らない。恐らくハンベエは今後も誰にも言わないだろう。
 ロキもボーンもハンベエの情け容赦のない闘いの姿と、時折見せる酷く人懐っこい一面の狭間で、善悪何れとも判別に戸惑いながら、最終的にハンベエの言った『悪い奴じゃないみたいだぞ。』の一言にハンベエの印象を纏めていた。
「解らない奴だ。」
 ボーンはボソッと言った。

 ゲッソリナに入ったボーンは、自分は所属組織に報告をし、宰相ラシャレーとロキの対面を献立るから『キチン亭』で待つように言って、ロキと別れた。
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