兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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四十六 喜んで敵に回すぜ!だよお

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「モルフィネスという男は、バトリスク一族、近衛兵団長ルノーって奴の長子と聞いたが、知っているか?」
 連隊長用に用意されている石造りの小屋の中で、パーレルと二人きりになったハンベエが切り出した。
 ハンベエとパーレルのひそひそ話がこれから始まるのだが、その前にタゴロローム駐屯地が今、どういう状態になっているのか、ちょっと説明しておく。
 ハンベエ入隊時に、チラと紹介したが、一般の兵士達は寝床だけの仮設小屋に収容されている。一つの仮設小屋に一個小隊二十五人が収容される。
 次に、それから少し離れて、小隊長用の天幕が置かれている。天幕には何本かの柱と梁木が用いられており、中には寝台と机が備え付けられていた。二、三人が中でたむろできるスペースである。中隊長の物もほぼ同じであった。

 大隊長以上には木造であるが、一応一戸建ての小屋が与えられいた。丸太造りの粗末な家であるが、下級兵士のバラックに比べれば雲泥の差である。
 そして、連隊長の住居は石造りのもので、広さもかなり増して、詰め込めば二十人は人を収容する事ができるようになっていた。
 最後に、守備軍本部であるが、守備軍本部の建物は、石を組合せ、漆喰のような接着塗料で塗り固められた、堅固な建物であった。
 二百人程は収容できるように造られてあった。
 将軍バンケルクや参謀モルフィネスその他、将軍直属の兵士団の一部や連絡将校が、この建物で居住していた。
 連隊長は階級が高いので、他に比べて居住環境の良い守備軍本部で過ごしたいところであろうが、職制上の約束事で、各連隊に近い場所に作られている石小屋に起居している。
 ハンベエ達は、元々第五連隊が駐屯していた場所に戻っていた。
 元は二十五中隊いた兵士も今は一個中隊弱に減り、兵士用の仮設小屋も僅かに五つを使用しているのみである。
 こういう状況に置かれながら、ハンベエはいつ守備軍本部の第五連隊鎮圧指令が出ても抵抗できるように、一個小隊二十五名に火矢の準備をさせて、半日交替で変事に備えさせていた。
 その他にも、タゴロローム城砦にあった弩を移動の日に五基、その後他の連隊の目を盗んで五基、第五連隊の駐屯している場所に設置していた。
 とにかく、守備軍本部が鎮圧にかかった場合は、駐屯地にある建物に火矢を放つつもりであった。
 守備軍本部と連隊長の家以外は木造である。特に一番数の多い一般兵士の建物はほったて小屋に毛の生えたような代物である。さぞかし良く燃えるであろう。
 話が脇道にそれたが、守備軍本部が手を出しかねている側面には、こういう状況もあるという事を説明しておきたかったのである。

「知ってますよ。奴は本家の御曹司で、俺は分家の末の末ですからね。」
 パーレルは面白くは無さそうに言った。
「なるほど、それでモルフィネスはどんな奴だ。」
 ハンベエは、パーレルがあまりモルフィネスの話に触れられたくなさそうな雰囲気になっているように感じたが、敢えて気付かない振りで尋ねた。この際、細かい事は気にしていられない、ある程度なりふり構わない姿勢になっていた。
 パーレルは、しばらく俯いていた。
「・・・・・・すまん、言いづらい事だったか。聞くのはやめる。」
 ハンベエはパーレルを追い詰める事になったかと、慌てて質問を撤回した。
 つと、パーレルは顔を上げてハンベエの顔を見つめた。寂しげな目である。
「連隊長代理・・・・・・ハンベエさんは、モルフィネスの事がどうしても知りたいですか?」
 パーレルは、聞き取れないほどのかすれた声で言った。
「知りたいよ。今や敵の中心だからな。奴の性格を把握する事は、第五連隊の生き死に関わる。・・・・・・それに、仮にパーレルの仲間だとしたら、斬って捨てていいものかどうかも迷うところだ。」
 ハンベエは努めて感情のない声で言った。
「ハンベエさんになら、話してもいいですよ。役に立つかどうか分かりませんが。」
 パーレルは意を決したように言うと、立ち上がってやにわに上着を脱ぎ始めた。
 はて何を、とハンベエは思ったが、黙って見ていた。
 上半身裸になったパーレルはハンベエに背中を向けて、その背を見せた。
 パーレルの背中にはエックス状に酷い火傷の後があった。一目で、焼けた鉄の棒か何かで人為的につけられた物と分かるものであった。
「この傷は俺が十才の時に、モルフィネスにつけられたものですよ。」
 ハンベエに向き直ってパーレルは言った。
 ハンベエは口を結んだまま、パーレルを見つめていた。
「その日、俺は親父に連れられて、本家に挨拶に行ってました。一応、親族だという事で食事に招かれた。名門と言っても、本家と分家の末の俺の家とは大違い。それは豪華な食事でした。当主のルノー将軍や奥方、それにあのモルフィネス、当時十八才でしたね。その他本家の使用人。」
 パーレルは淡々と話した。
 十才のパーレルは目の前にある豪華な食事を目を輝かして食べた。生まれて初めて見た、御馳走というものであった。
 だが、向かいに座っていたモルフィネスはその様子を半ば呆れたように見ていた。
 そして、唇を歪め、せせら笑いながら、こう言ったのだ。
「おや、分家の子といえ、まるで豚のようだ。我がバトリスク一族の血が流れているとは思えない。」
 パーレルは冷ややかなモルフィネスの言葉に、ぎょっとして、食事の手を止め、その顔を見つめた。
 そこには、美しいが、驕慢で、意地の悪そうな若者の顔があった。
「おや、どうしたね。遠慮はしなくていいよ。精々食べるがいいよ、豚のようにね。ははは。」
 モルフィネスは嘲笑うように言った、いや、嘲笑いながら言った。
 普通であれば、分家の人間といえ、客人として招いている人間に対して、このような事を言えば、当主のルノーがたしなめるのが本来であろう。
 だが、当主のルノーは違っていた。
「豚君か、ははは、確かにモルフィネスの言うとおり、まるで、豚のようだな。いや、遠慮はいらんぞ。食べるがよい。豚は豚らしく。」
 そう言って、モルフィネスと一緒になってせせら笑ったのだ。
 さらに、ルノー将軍の奥方は何も言わなかったが、口元を隠しながら笑っていた。いとも楽しそうに。
 その場に控えていたルノーの使用人達も主人達の意を迎えようと一斉に笑った。
 我慢ならなくなったパーレルは自分の前にあったシチューを皿ごとモルフィネスに投げつけた。
 モルフィネスはパッと躱したが、シチューの飛沫がその髪に僅かに散った。
 パーレルの父親は息子のしでかした事に真っ青になり、パーレルを殴り付け、その襟がみを捉まえ、土下座させ、自らも土下座して詫びた。
 だが、髪の毛に着いたシチューを不快げに拭ったモルフィネスは、
「身の程を解らせてあげなければなりませんね。この豚君には、二度とおかしな真似をしないように。」
 そう言って、使用人達を見た。
 さすがにパーレルの父親は息子を守ろうと抱き抱えたのだが、ルノーの使用人達に引き剥がされて取り押さえられてしまった。
「豚君の上着を脱がせるように。」
 そう言ったモルフィネスは何か楽しそうであった。そして、調理場の方に去って言った。
 パーレルは強情に口を結んで暴れたが、使用人達に引き破るように上着を脱がされ、上半身裸にされた。
 その上、二人の男に片腕づつ引っ張られて、宙吊りのような状態にされた。
 しばらくすると、刃が赤く焼けた剣を手に、モルフィネスが戻って来た。
 パーレルがハンベエに見せた火傷の跡は、その時にモルフィネスが付けたものであった。肉の焦げる臭いを嗅ぎながら、泣き叫ぶパーレルを見て、モルフィネスは唇を歪めて嘲り笑っていた。

 その後、パーレルと父親はルノーの屋敷からおっぽり出された。
 半ばぐったりとしたパーレルを背負ってパーレルの父親はよろめきながら、自分の家に向かった。
 そのままだったら、パーレルは死んでいたかも知れない。
 しかし、捨てる神あらば拾う神ありとか、パーレル達はたまたま、散策に出ていたエレナ達と出会った。
 エレナは兄ゴルゾーラに手を引かれて二人して散策していた。この時、エレナ九歳、ゴルゾーラ二十三歳であった。
 歳がかなり離れた兄妹であったが、いかにも仲睦まじい様子であった。
 大変な怪我をしているパーレル達を見つけたエレナとゴルゾーラはすぐさま二人を王宮に連れて行き、手厚い治療を受けさせた。
「あの時、太子や王女様に出会わなければ、俺は死んでたかもしれませんね。親父はその時、本家の事なので、俺の傷が誰に付けられたものかは言いませんでしたが。」
 ハンベエはパーレルの話を、言葉を忘れたかのように、黙ったまま聞いていた。もっとも、本来ハンベエは無口な男で、人の話に合いの手を入れたりするような事はなく、見ようによっては、こいつちゃんと話を聞いてるのかよ、と疑念を抱くほど黙然としているのだが。
「なるほど、酷い事をされたものだな。今回の事を考え併せても俺が手心を加える理由がないようで安心したよ。身の程ね。弱い者には容赦なしか。我が儘放題に育った良家の御曹司で、おまけに名門出で、苦労知らずのエリートか。その上残忍な性を持つ男と言うわけだ。」
 ハンベエはぼそっと言った。

(と言って、あの男、馬鹿ではなさそうだな。人の痛みに疎いところがあるが。こういう手合いは存外手強いかも知れん。相手を人間と思わないから、残酷な手段も卑劣な策も厭わんだろうし・・・・・・)
 ハンベエはこう考えた。
「連隊長代理は、モルフィネスが俺の仲間だったら、斬り捨てていいものかどうか迷うって言ったけど、もし俺とモルフィネスの仲が良かったら、どうするつもりだったんです?」
 パーレルがハンベエの目を覗き込むようにして問うた。なぜハンベエがそんな事を気にするのか、どうしても納得しておきたい、という様子がありありと見える。
「殺さない・・・・・・とは言えないが、大いに迷うだろうな。何しろパーレルは仲間だからな。敢えて聞くまでもないが、パーレルは俺達の側でいいよな。」
「仲間、俺が・・・・・・」
「そうとも、今となっては、俺やロキにとってパーレルは大事な仲間さ。」
「・・・・・・俺なんか、何の役にも立たないのに。」
「馬鹿な事を、既に大いに役に立ってるし、これからも役に立ってもらえる予定だ。それに仲間っていうのは役に立つとか、そういうものじゃないだろう。」
「モルフィネスと同じバトリスク一族の俺を信用していいんですか?」
「どこの誰であろうと、信じられる奴を信じる。殺す奴は殺す。俺はそういう流儀だ。」
 ハンベエは、些か面倒くさそうに言った。
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