兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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三十九 沸騰

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「貴様、名は何と言う?」
 ふいにコーデリアスがハンベエに尋ねた。
「俺はハンベエ。」
 とハンベエはぶっきらぼうに答えた。ハンベエ、タゴロローム守備軍に入ってからは、上官に当たるものには多少の敬語を使い、軍の秩序に従っていたが、この状況になると、本来の地金が出てきて、傍若無人な物言いに戻ってしまっている。
「貴様がハンベエか。大八車の活用を提案した男だな。」
 とコーデリアスは言った。
「一つ聞いてもいいか。念のためだが。」
 ハンベエはコーデリアスに無遠慮に言った。
「よいぞ。何でも聞いてくれ。」
 コーデリアスは殊更に表情を和らげて言った。ハンベエの言葉遣いを気にしている様子はない。負傷のためかあるいは連隊を守れなかった自分に対する呵責の念のためか、その表情は冴えない。
「守備軍本部からの撤退指令は一切無かったんだよな。」
 ハンベエの質問に、コーデリアスの顔が一瞬歪んだように見えた。
「今さら言えば、言い訳めいた事になるが、わしは何度も撤退要請をした。しかし、本部からの回答はしばらく待てであった。わしは愚かだった。わしに決断力が無かったために、連隊の皆を悲惨な目に遇わせてしまった。」
 コーデリアスは苦渋を吐き出すように言った。そして、ハンベエに向けて、さらに頼み込むように続けた。
「唐突だが、いっそのこと事、貴様、この連隊の帰還の指揮を取ってもらえないか?わしはここで死にたい。いや、生きては帰れん。」
 突然のコーデリアスの言葉に、ハンベエは少々驚いたが、コーデリアスの側近は大いに驚いた様子だ。
 閣下何を、と言い掛ける側近を、コーデリアスは手で制してハンベエを見つめた。
「指揮は引き受けるぜ。俺の方から、申し出ようかと思っていたところだ。だが、ここで死ぬのは賛成しないな。大丈夫だ。ちゃんと死なせてやる。一緒に帰還しよう。」
 とハンベエは事も無げに答えた。
 この無礼とも傲慢とも言えるセリフに、コーデリアスの側近は、何を思い上がっているんだといきり立ったが、それもコーデリアスに制せられた。
「死なせてくれるんだな。ちゃんと」
 コーデリアスはぐっとハンベエを見つめて言った。
 ハンベエは静かな目でコーデリアスの目を見つめ返し、小さくアゴを引いた。

 連隊長コーデリアスは、敗残の残り少ない第五連隊兵士を見回した。それから、声を張り上げて布告した。
「この度の事、皆にはまことに申し訳のない事をした。死んで詫びたいと思うが、しばし待ってもらいたい。我らは今より帰還する。この後の指揮はここにいるこの男ハンベエが取る。従うように。」
 兵士達は騒めいたが、すぐに静まった。
 それぞれ、階級も違うはずだが、今となってはひとかたまりの兵士の集まりに過ぎなかった。
 ハンベエは元々、第五連隊の生き残りの集結に手を着けた時点で、その集団を掌握しようという腹づもりだったが、それが向こうから転がり込んで来たのである。美味すぎる話であるが、今のハンベエにそんな思いを浮かべる余裕はない。ハンベエ、人の上に立ちたい欲望も自信も別に有るわけではないが、今はただ心の内より突き上げてくる衝動のまま、此等の兵士を率いて行こうと考えていた。
 それよりも、ハンベエにとって意外であったのは、第五連隊の隊長コーデリアスが思いもよらず立派な人物であった事である。
 最初に出会った将軍バンケルクへの悪印象に始まり、自分の手で消したルーズやクソ野郎の中隊長ハリスン、途中ドルバスのように心を許せる人間とも巡りあったが、はっきり言って、第五連隊は質の良くない人間の集まりであった。
 その連隊の隊長が、部下の悲惨な死に様を食い止められなかった事を、申し訳無かったと詫び、死ぬと言う。ハンベエ、コーデリアスの態度に、胸中深く感じ入っていた。

 コーデリアスの宣言から少し間をおいて、ハンベエは兵士達の前に進み出た。
「今、指揮を委ねられた俺がハンベエだ。この中にはこの俺より階級が上の人間もいるだろう。納得の行かない事もあるだろうが・・・・・・文句を言う奴は・・・・・・ぶった斬る。」
 とハンベエは言った。最後のぶった斬るのところでは、兵士達をねめ回すようにした。
 兵士達は再びどよめいた。何言ってやがる、と反発する声も聞こえた。
 ハンベエは黙ってしばらく兵士達を見回していた。別に特段の表情も浮かべない、冷ややかと言えば、冷ややかと言える態度である。
 そのうちに、兵士達は静まった。喚いたところで、今の状況が変わるわけでもないし、自分がどうすれば良いか分からない事も有り、また、そのまま一人でタゴロローム要塞に帰るには、何となく危険を感じていたからである。いつの間にかハンベエの次の言葉を待っていた。
「各々言い分はあるだろう。だが、非常の時は非常のコトワリ。俺に付いて来て貰おう。さて、帰還の前に一つだけ、皆に言っておきたい事がある。」
 とハンベエは言い、続けて言った。
「今回、第五連隊は多くの者を失い、最早連隊の面影すら無く、このように目も当てられない惨状となった。だがしかし、敵は多大なる犠牲を負い、司令官を失って敗走した。」
「司令官を失って敗走?」
 兵士から疑問の声が上がった。
「そうだ、今ここで話しているハンベエが、混乱に乗じて斬って捨てた。」
 横からドルバスが言った。
「本当か?」
「この俺がしかと見ていたんだから、間違いない。」
 ドルバスの毅然とした言い方に、兵士達は静まり、改めてハンベエに注目した。ドルバス、本当の事だから、些かも動揺するところがない。いや、いい仕事するなあ。
 兵士の静まるのを待っていたハンベエが続けた。
「今回、敵に大打撃を与える事ができたのも、敵の大将を討ち取って、敵軍を敗走させ得たのも、第五連隊が戦ったからこそ、できた事だ。今回の戦争の最大の功績者は俺達第五連隊だ。他の誰でもない。勝ったのは俺達だ。俺達は勝ったんだ。堂々と凱旋しよう。」

 そうして、タゴロローム要塞の城門に向かった。
 すぐ後ろをドルバスが続いた。連隊旗を高々と掲げ、旗めかせながら。さらに、その後ろをコーデリアスが側近に支えられながら続き、その後をハンベエの班の面々が続いた。その他の兵士達も、無言で続いた。
 見上げれば、要塞の塔に切られた窓から、他の連隊の兵士達が、弓を携えて見下ろしている。
 味方であるはずの第五連隊が火炎地獄の中でのた打つのを冷ややかに見下ろし、全く救いの手を伸べなかった連中である。
 見上げる第五連隊生き残りの兵士達の目は憎悪に燃え上がっていた。
 ハンベエは注意深く、要塞の兵士達に目を配った。さすがにハンベエ達に矢を向けている兵士はいない。
(取り敢えず、要塞に帰還する事はできそうだな。)
 ハンベエは多少安堵した。本来、味方の第五連隊に対し、タゴロローム守備軍が攻撃を加える事はあってはならない事であるが、今回の戦争における第五連隊の扱いを考えれば、要塞にいる兵士達が何をして来たとしても、驚くには当たらない。と、ハンベエは思っていた。

 第五連隊兵士達は要塞の城門にたどり着いた。
「第五連隊、敵軍を掃討して帰還。開門っ」
 門の前に立つと、ハンベエは割れんばかりの大声で怒鳴った。
 しばらく待ったが、城門は開かない。
「この腰抜けどもがっ、味方に門を開かないとはどういう了見だあっ、開門しなければ、ぶち破るぞ。」
 ハンベエは凄まじい声で怒鳴って、城門を蹴った。
 厚手の城門の扉が震えた。いつの間にか、ドルバスが丸太を持って来ていた。ドルバスはハンベエを退かせて、丸太を叩きつけた。ドーンという音がして、門扉が揺れた。
「待て、今開けるから、待て。」
 やっと、門の内側から声がして、ぎいぃっという音とともに城門が開かれた。
 門の内側では、何十人もの兵士達が、手槍を構えて、陣取っていた。
「そこで、止まれ。」
 その兵士達の長らしき人物が言った。
「何が止まれだ。俺達第五連隊の凱旋帰還にケチをつける気か?」
 ハンベエが憎々しげに怒鳴った。
「上の方から、ここで留めるよう指示が出ている。」
「指示だと、その上ってのは誰だ。将軍のバンケルクか? 事と次第によっちゃあ、ぶった斬ってやるから、連れて来い。」
「まあ、落ち着いて来れ。」
 その男は取り成すように言った。

 元々、同じ守備軍の兵士同志であり、今回の守備軍本部の第五連隊の仕打ちに、他の連隊の兵士達全部が納得しているわけではない。むしろ、本部のやり方に怒りを覚え、第五連隊に同情を寄せている兵士の方が多かったのだ。
 今、ハンベエ達を止めている兵士達も上からの指示で仕方なくハンベエを遮っていると風情がありありと見えた。
 その時である。ハンベエの後ろから、すーっという感じで、パーレルが前に進み出た。
 突然、パーレルは歌いだした。

 第五連隊、クズ連隊。

 いきなり、自分達をクズ連隊と歌いだしたパーレルに、第五連隊の兵士達は、何を言いやがるという顔で、パーレルの方を見た。
 だが、パーレルの怒りと悲しみに満ち満ちて、涙まで流している顔を見ると、押し黙った。

 第五連隊、クズ連隊。

 集う俺らは、クズのクズ。兵士の命は土くれか、

 還らぬ友に何かせん。

 ハンベエは、パーレルの肩に手をやり、黙って見つめた。そうして、優しげな手付きで、後ろに下がらせた。

「第五連隊クズ連隊。」

 後ろの第五連隊の兵士の一人が、パーレルを真似て、歌い出した。
 さざ波のように、その歌は第五連隊兵士達の兵士達に拡がり、いつの間にか、第五連隊兵士全員が歌っていた。
「今回の戦争の最大の功労者、第五連隊の勇士の凱旋だっ、遮る奴はぶった斬るぞ。詰まらぬところで、命を落としたくない奴は道を開けろっ」
 ハンベエは腰の刀に手をかけて怒鳴った。本当に刀を抜きかねない勢いであった。
 諦めたように城内の兵士達は道を開けた。ハンベエは大股に歩みを進めた。
 第五連隊兵士達は、『第五連隊クズ連隊』と口々に歌い、足を踏みならしながら押し通って行った。

 いつの間にか二番が出来ていた。

 第五連隊、クズ連隊。

 それでも死ぬ時ゃ立派に死んだ。

 逝った仲間に思いをすれば、

 明日の命もいりゃしねえ。

 当たるべからざる気炎であった。
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