兵法者ハンベエの物語

市橋千九郎

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二十一 分かれ道(その二)

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 ゲッソリナの外れ、ゴロデリア王国東方の都市ボルマンスクへ通じる街道近くの草原で、一人の老人と若い女戦士が対峙していた。
 女の方はイザベラであった。今は老婆の変装は解かれ、かなり露出度の高い、肩口も見える程のシャツに革の胸当て、膝当てをし、ホットパンツのようなズボンを穿いて、灰色のマントを羽織っている。手足の大部分が露出したちょっとコスプレチックな格好である。自分のボディラインに注目して欲しいらしい。
 相手方の老人は、普通の上着に普通のズボン、目立つところといえば顔を渋柿色の頭巾で隠している所か。手に短めの刀を抜いている。
 イザベラの背後には幅四十メートル程の川があり、一艘だけ小舟が用意されている。
「おまえがイザベラですな。」
 老人は抑揚のない声で言った。その声は、なんとあの宰相ラシャレーの部屋で毎日報告を行っている『声』の物だった。
「ふん、そう思ったから、大勢で追っかけて来たんだろう。他の奴等は脱落したみたいだけど。」
 イザベラは薄ら笑いを浮かべて言った。
 なぜ、この二人がここで対峙しているかと言うと、三時間ほど前にハンベエと別れたイザベラは、老婆の姿でゲッソリナ中心街を歩いていたが、丁度部下十数人を率いて市中の見回りに乗り出したサイレント・キッチンの総帥である『声』の一団と出くわしたのである。
 道路脇に避けて一団をやり過ごそうとしたイザベラであったが、『声』がイザベラの老婆姿を見るや、一目で変装と見破り、手下に「捕らえよ」と命じた。 
 『声』の手下達が回りを取り囲むより一瞬早く、イザベラは猫のように、いやもっと機敏に逃げ出した。
 元々、ゲッソリナを立ち去る心づもりだったイザベラの逃げ足は凄まじく、雲を霞と二時間以上駈け続け、サイレント・キッチンの大半は置いてきぼりを食らったのだか、この老人だけはどこまでも食らい付いて離れず、イザベラを追い続けて来たのだった。
 『声』はイザベラの動きを油断無く見つめながら、一歩ずつ前に出た。イザベラは、『声』の動きをこれまた油断無く見つめながら、一歩ずつ後ろに下がった。
「おやおや、この年寄りが怖いのですかな。後ろに下がってますな。」
 声は挑発するように言ったが、イザベラは無言である。黙って、更に後ろに下がった。
「こんな年寄り一人に尻尾を巻いて逃げ出すのですかな? 見たところ、かなりの腕前のようですがね。」
 さらに、『声』はイザベラに言った。明らかにイザベラを挑発しようとしている。
 見たところ、『声』は前に出て、イザベラは後退りし、『声』がイザベラを圧倒しているように見えるが、実際は逆であった。イザベラは逃げる事だけを考えており、この老人とやり合うつもりはない。一方、『声』は何としてもイザベラを捕らえようと、そのスキを窺っているのだが、攻撃に移れないでいた。
「残念だけど、あたしはおじいちゃんの相手をする気はないの。あたしが相手にするのは専ら若くていい男だけ。」
 イザベラはそう言うと、背後の船に飛び移った。己も船に飛び移ろうと、『声』が足を踏みだした出会いっ鼻に、イザベラ得意の黒い鉄芯が飛んで来た。『声』は身を捩って鉄芯を躱し、さらにイザベラを追おうとしたが、イザベラは既に艫綱ともづなを切り、船はおかを離れた。ここまでであった。
 『声』は憮然とした声の調子で、
「やれやれ、減俸は困りますな。」
 と呟いた。

 『キチン亭』で昼食を終えたハンベエは、ゲッソリナの町をぶらつくべく出かけたが、何やら背後に付けてくる人の気配を感じていた。それは多分に殺気を含んだものだったが、気に止めない事にして、歩き続けた。気配は手を出しかねているのか、ただ付けて来るだけで、一向に何かする気配がない。ハンベエもいい加減業を煮やして、手頃な広さの原っぱに移動してから、背後を振り返り、
「いい加減、用があるなら姿を見せたら、どうだ。用が無いなら、消えろ。」
 と言った。
 バラバラとハンベエを取り囲むように、兵士崩れのならず者達が現れた。
「おっと、意外に人数多いな。で、何なんだ。お前等は?」
 現れたならず者達は十数人、ハンベエはちょっと驚いたふうを見せたが、余裕たっぷりの口調で尋ねた。
「ベルガンの仇討ちと云えば、身に覚えがあろう。」
 ならず者の一人が憎々しげに言うと、連中一斉に剣を抜いた。
「なるほど。」
 後ろから、いきなり、突き掛かって来た奴を半身に躱し、抜き打ちに一太刀で逆袈裟に斬り捨てながら、ハンベエは呟いた。斬り捨てると、十数歩駆けて、『ヨシミツ』を右上段に構え、
「志は健気で泣けてくるが、お前等ごときがどうこうできる俺じゃあないぜ。」
 と一声吠えると、ならず者達の真っ只中に駆け込んで行った。
 横一文字、三段斬り、真っ向から竹、阿修羅斬、一刺千撃突、旋風薙ぎ、ハンベエ十連コンボ炸裂。瞬く間にならず者達は斬り捨てられて地に転がった。ならず者小隊瞬時に全滅。アーもスーも無い一方的殺戮であった。
 ハンベエは『ヨシミツ』の刃を点検して、斬り倒したならず者の衣服で拭うと鞘に納め、辺りを見回した。幸い、誰も居ない。死体はそのまま打っちゃって、足早にその場を立ち去った。魔神の業であった。
 殺戮現場から二百メートルほど離れてから、ハンベエは歩みの速度を元に戻し、何食わぬ顔で散歩を続けた。
(さて、お誂え向きの馬鹿共のお陰で、腕試しは出来たが、雑魚はいくら斬っても雑魚だな。・・・・・・山を降りた時よりはかなり強くなったような気がする。いや、間違い無く強くなった。千人斬れば分かると言うが、さっき斬ったのが十五人。現在、六十五人か。だが、雑魚ばかり斬ってても仕方ない気がしてきたな。お師匠様は、始めの何人かは極々弱い奴を選べと言ったが、もう実際に人を斬る事も覚えた。そろそろ、手応えのある奴と闘ってもいいのかな?・・・・・・おっと、雑魚ばかりじゃあ無かった。手強い奴もいたな。)
 ハンベエの脳裏をふとイザベラの事がよぎった。
(あれは強敵だったな。もし再び立ち合う事があれば・・・・・・その時は果たして?・・・・・・しかし、何故あの時イザベラを斬らなかったのかな。俺は女には弱いのかな。)
 物思いに耽りながらハンベエが歩いていると、向こうから、屈強そうな武人が歩いて来るのが眼に入った。
 歳の頃は、四十過ぎだろうか、軽装の鎧、肘当、脛当、胸当の上に渋い茶色の陣羽織を羽織ったその男は、ハンベエと同じ種類の太刀を腰に差していた。眼は油断なく辺りを見回しており、口髭、顎髭を蓄えた、その顔はいかにも戦場往来してきた風情を漂わせている。
 相手もハンベエに気付いたようだ。やや警戒するような目付きでハンベエを見ながら、歩みを進めて来た。ハンベエは無愛想な顔付でゆっくりと歩みを続ける。両者は、黙ったまますれ違い、離れ去って行った。
 もう振り返っても、相手の姿が見えなくなるくらいまで離れてからハンベエは、
(はて?)
 と考えた。今すれ違った男、中々の強さだと思ったが、それよりも気に掛かったのは、男が腰に差していた刀である。大きさこそ違っていたが、柄や鞘の作り、模様が、ハンベエが背中に差している『ヘイアンジョウ・カゲトラ』に瓜二つだったのである。
(たまたまか?それともあの男、お師匠様と何か繋がりが・・・・・・呼び止めて、聞いてみるべきだったかな。)
 ハンベエは立ち止まり腕組みをした。
 追うか・・・・・・と考えたが、その方向にはハンベエが斬り捨てて来た連中の骸が転がっている。ハンベエは諦めて、そのまま道を進んだ。
 そして、随分遠回りの道を取って、『キチン亭』に戻った。夕方になっていた。
 部屋では、ロキが待っていた。
「ハンベエ、お帰り。」
「おお、ロキ、王宮には留まらなかったのか。」
「ハンベエがいないのに、オイラだけ王宮にいるのは、気が引けるよお。」
「おやおや、イザベラがまた王女を狙って現れた時、王女の側に居なくていいのかな。」
「イザベラについてはハンベエがもう大丈夫って言ったじゃないかあ。それに、ボーンさんの話だと、もうゲッソリナには居ないらしいよ。」
「そう言えば、ボーンに会ったのか。」
「うん、ボーンさんの話だと、サイレント・キッチンの親玉が、町の外れで、イザベラと一戦交えたけど、取り逃がしたらしい。それで、イザベラを捜索するためにボーンさんは、ボルマンスク方面に向かったよ。」
「ふーん・・・・・・俺達の監視はどうなったのかな?」
「それどころじゃないみたいだよお。」
 やれやれ、とすればロキの護衛もお役御免かな・・・・・・ハンベエは、ちょっと肩の荷が降りた思いである。
 その一方で、の殺し屋であるイザベラは東に去った、と聞き、『殺し屋ドルフ』の情報が西のタゴロロームから来た事と思い合わせ、妙に辻褄が合わないなと感じていた。
「ハンベエ、相談があるんだけど。・・・・・・」
 ロキが上目遣いにハンベエの機嫌を窺うように言った。
「はて、何の相談かな?それはそうと、俺の顔色を窺うような目付きはすんなよ。」
「だって、ハンベエが引き受けてくれるかどうか不安なんだもん。相談というのは、王女様の危険も去ったみたいなので、タゴロロームに戻って一儲けしようと思うんだけど。」
「ふむ、でっ?」
「タゴロロームの軍営で不足している物資を王女様からもらった金貨で仕入れて向こうで売り捌こうと思うんだけど、道中、盗賊が心配なんだ。ハンベエ一緒に行ってくれないかなあ?」
「つまり、用心棒か。」
「うん、まあ、そんなところ。」
「ふーん。ところで、どんな物を運んで行くんだ?」
「塩、胡椒に、鎧を綴り直すための強い糸、それ用の針、後砥石とかだね。」
「そんな物が不足しているのか?」
「うん、軍隊運営の指揮官って、兵隊の数や食糧、武器なんかには気を配るけど、そんな細かいところには意外と気が付かないんだよね。現場ではそういうこまごまとした不足が生じるんだけど、武器の手入れとかは個々の兵士の自前だし、食事の用意は小隊単位で、それぞれの裁量でやってる。そういう不足を吸い上げる仕組みが無いんだよね。」
「・・・・・・。」
「しかも、タゴロロームを西の守りの要としながら、道中の安全は確保されていないし、ゴロデリアの偉いさん達は兵站の思想がないのかも。」
「兵站・・・・・・難しい言葉を知ってるな。いっそ、この国の宰相にでも会って、意見具申してみるか?」
「あはは、オイラ、そんな暇じゃないよ。」
 ロキの話を聞きながら、ロキの言い分は半分は当たっているだろうが、半分は違うのではないかと考えた。特に、ゲッソゴロロ街道の治安の悪さは、宰相の政策のせいではなく、タゴロローム駐屯軍の怠慢によるもののように思える。
 あのラシャレー大浴場のような設備を作り出すラシャレーが交通の要所の安全に気を配らないはずが無い(ハンベエは風呂好きなので、ラシャレー大浴場をこしらえたラシャレーは嫌いでないらしい。)。
 そもそも、国の境に置かれる軍隊の目的は外敵の侵入防止と主要通路の安全の確保である。ゲッソゴロロ街道の治安が良くないという事は、詰まるところ、タゴロロームとゲッソリナの間が上手く行っていないという事に違いなく、バンケルク将軍が割拠的姿勢を取っているのではないかと疑わせるものである。
 であればこそ、サイレント・キッチンはバンケルク将軍の使者であるロキに神経を尖らせたのではないだろうか。
 ハンベエは何となくそう思った。
「出発はいつ頃になりそうだ。」
「今から準備したら、三日後だよお。」
「いいだろう。」
 ハンベエはさらりと言った。
「やっぱり、ハンベエは話せるよお。」
 喜ぶロキを横目にハンベエは別の事を考えていた。
(二日あれば、あの昼間会った気になる刀を携えていた男の事も多少は分かるだろう。)
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