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 夕食の時間帯のせいか、酒場が妙に混雑していた。

 当然だが、昼と違って夜の酒場は露店であり、店の中から引っ張りだした椅子と組み立て式の簡易テーブルが並んでいる。そして、所々にある堅牢な石造りの篝火かがりびが照明であった。

 エリカは動きやすいようにとズボン姿になって、ここへ来たけれど、運良く格好が場に馴染んでいる。

 カウンター――と言うべきかは分からないが、とにかく長椅子いすと長テーブルが置いてあるところへ行って、あいている席に座らずに、立ったまま店主を呼び止めた。

「いらっしゃい」
「ごめんなさい、ちょっとお話いいかしら?」
「あ~…… 今、忙しいんでね。手短にしてもらえるか?」
「ここに、バーラントっていう男性が来なかった?」
「バーラント? バーラント…… いや、知らないねぇ」
「最近まで…… っていうか、ちょっと待って」

 そう言って、鞄からカタログを取り出し、ページを開いた。

「このお酒を注文した男性、来てなかった?」

 店主が首をかしげている。

「奥さんか恋人と一緒に飲むからとか、そんな感じのこと、言ってなかった?」
「あ~ッ!」と、晴れ晴れした表情で店主が叫ぶ。
「いたわ、いたいた。ひょっとして、嬢ちゃんが品物を引き取りに来たのか?」
「えっと…… 一応、明日か明後日に取りに来る予定です」
「おう、そうか。できればもうちょい早く来てくれよ? ご覧の通り、今は戦場だからな」

 と笑う店主。

「それでね……!」話が途切れないよう、エリカがつないだ。「その人、10日くらい前までは結構、ここへ来てなかった?」

「あぁ、確かに来てたな」
「誰かと会ってたりしてた……!?」

 エリカがい気味に尋ねてくるから、店主はちょっと引き気味に、

「い、いやぁ…… 女とか、そういう人とは会ってなかったぞ?」
「男?」
「いやいや、そんな趣味は……」
「じゃあ、お酒も飲まずに独りでいたってこと?」
「そうだ! そうだそうだ!」と店主が手を打って言った。「変な客でよぉ! あんた、あの人の知り合いか?」

「えっと…… ええ! そうなの! あたしのお兄ちゃん!」

 咄嗟とっさに変な嘘をついたが、店主は細かいことを気にせずに、哀れそうな顔をして、

兄妹きょうだいねぇ…… なんかこう、苦労してそうだなぁ」と言ってきた。
「苦労は今に始まったことじゃないから……」と、横目でついつい本音を言うエリカ。
「そ、それよりも! お兄ちゃんが何をしていたか教えてくれない? 最近、色々なところへ行ってて、心配だから調べてるの……!」

「――お~い!」

 店主がそう言って、手を振る。店員らしき人たちが店主を見やった。

「悪ぃ! ちょっと見ててくれ!」

 店員たちがうなずいたり、手をあげて応えていた。
 すると、店主が急に周りをキョロキョロし始めると、エリカの方へ近付き、右手を彼女の耳元へ近付けてから、

「実はよ……」と小声で言った。
「俺の馴染みの客が、ちょうど一週間か二週間くらい前に殺されたんだ」

 エリカの目が見開く。

「お前さん、知ってるかどうか分からねぇが…… お兄さん、そいつと顔馴染みだったらしくて、独りで死因を調査しとるんだとよ」

「そ、そんなことしてたの?」と、妹を演じるような言い回しをした。
「まぁ、一応ここは誰でも来られる場所だし、人の出入りも多い分、情報も多いんだ。それ狙いだろうが…… 誰と会ってたかまでは知らねぇんだ」

「そう、なんだ……」
「気になるなら、ライールって男を捜せばいい」
「ライール、さん?」
「一度だけ、ここで飲んでたんだよ。名前含めて、ちょっと耳に入っちまったんだが…… 二人して、殺された男の情報を話し合ってたみたいだ……」

「ライールさんね……」

 エリカが一歩下がり、

「本当に、兄がご迷惑をお掛けしました」と頭を下げる。
「いや、いいって。実は場所代はもらってたんでよ……」と、頭をかく店主。
「ちょっと他をあたってみます。ありがとうございました」
「おう! ――あっ、品物はちゃんと引き取りに来てくれよ?」
「はい!」

 エリカは笑顔でそう答えた。
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