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しおりを挟むとっぷり日が暮れる。
空はまだ明るさを保っていた。
地上はもう暗く、輪郭が辛うじて分かるくらいである。
そんな中をエリカが、途方に暮れた遭難者のように、トボトボと歩いていた。
まさか自分が、ここまで涙が出るとは思ってもいなかった、一生分は流したんじゃないか…… そんな表情だった。
今の彼女の頭には、侍女としての仕事をほっぽり出してしまった自責の念が渦巻いていた。しかし、もっと別の感情も渦巻いてはいた。
重々しい足取りを、うつむいて眺めながら、建物に入っていく。そうして自室に向かっていると、
「エリカ」
と、バーラントの声がした。
両肩をびくつかせ、立ち止まるエリカ。
「森の中で会ったときとは、まるで別人だね。何かあったの?」
顔を見られたくないから、エリカはそっぽを向いた。それで、バーラントは溜息をついた。
「ちょっと話たいんだ。――いいかな?」
バーラントが、エリカの部屋のドアあける。
彼女は足早に部屋の中へ入った。
それを見て、ホッと一息つくバーラント。おそらく断られても、多少は強引に行くつもりだったのだろう。
部屋は薄暗く、明かりがあった廊下から入ったこともあって、ほとんど何も見えていない状態だった。
それでも輪郭だけは分かるから、扉を閉めたバーラントが、
「後で、アルメリアにも会ってあげてほしい」と告げた。
「本当に心配していたんだ。それだけは約束してほしい」
「もちろんです…… 職務を放ったらかしにしてしまったのですから……」
「そんなこと、どうだっていいんだよ。君が何か辛いことがあったんじゃないかって、アルメリアも気が気じゃないんだ」
「ごめんなさい……」
「僕に謝る必要なんか、一切ない。――それより、何があったのかだけ教えてほしい」
エリカの口が開かない。
「僕が原因?」
やっぱり返答が無い。だが、反応は少しだけあった。
「やっぱりそうなんだな?」
返事を待たずに、バーラントが続ける。
「何をしてしまったのか分からないけど、君を傷付けたのなら――」
「違うッ!」
エリカが遮った。
さすがのバーラントも黙り込む。
時間を置いてから、エリカが弱々しく言った。
「あなたも悪くない」
「じゃあ、いったい……」
「――中庭で、アルメリア様と会ったんですか?」
「え?」
「会ったんですよね?」
「ああ…… 昨日は本当に偶然、会っただけなんだ。別に何かを企んでいたわけじゃない」
「あたしが言ってるのは、八年前のことです……」
バーラントは何か言いかけて、それを止めて、ゆっくりと口が閉じられた。
「やっぱり、そうだったんだ」とエリカ。
「意外だな…… 知ってたんじゃないのか?」
「エスパーじゃないんだから、そこまで分かるわけないでしょ?」
「えすぱー……?」
エリカが苦笑う。
いい笑顔ではないが、泣き顔や怒り顔よりはずっとマシである。
バーラントも釣られて笑みを浮かべ、
「君の国の言葉かな?」と言った。
「そんなところです」
「――実は、アルメリア王女から君のことを聞いたんだ。異世界から来たって」
エリカが少し驚く。
構わずにバーラントが続ける。
「すまない。あんな風にいなくなると、どうしてもアルメリアが気にして…… 僕も色々と詮索するような話をしてしまったんだ」
「それについては、別になんとも思いません。――あなたとは、お互い様なところもあるから」
「そうか……」
「アルメリアが言ってた使用人が、あなた自身なのか…… それを、あなたの口から聞きたかったの」
「どうして」とまで言って、バーラントが言葉を切った。
「まだ分からない?」
バーラントは首を横に振って、
「なんとなく、分かった」
と答えた。
「あなたが、王女の言っていた使用人じゃなければ良かったのに」
バーラントは何も言えない様子であった。
「そういうわけだから、誰も悪くないんです。――むしろ全部、あたしが悪い」
「それはそれで、違うような気もするかな」
「あたし、始めて王女を疎ましく思った。元の世界が禄でも無くって…… この世界に来ても、すぐに投獄されるし…… それでも、彼女はすぐにあたしを助けてくれた。なのに……」
エリカの瞳から、ポロポロと涙が出てきた。
「それなのに、あたし、今は邪魔なヤツだって思ってて……!」
「もういいじゃないか」バーラントが言った。「気付かずに馴れ合った僕にも落ち度がある。悪いのは君だけじゃない」
「そんな気障ったいこと言わないでよねッ!」
「気障ったい…… そうかもな」
エリカもバーラントも喋らなくなった。
少しだけ窓際が明るかったのが、もうすっかり暗くなっていた。それでも目が慣れたためか、お互いがお互いをしっかり見据えていた。
「でも、君だけが悪いなんてことは決して無い」
「あなたの婚約者を悪く思ってるのよ?」
「ああ」
「変な人……! それじゃあ甲斐性なしじゃない!」
「君はアルメリアを憎んだ自分自身を、イヤがってるじゃないか。
本当に嫌っていて、彼女をどうにかしてやろうなんて考えてるんなら、その気持ちを自己正当化するだろうさ。
どんなヤツだってそうだ。男とか女とか、そんなこと関係ない」
納得したのかどうか分からないが、エリカは黙っている。
バーラントは、ゆっくり手を差し出した。
「でも…… もし悪いと思うのなら、彼女のところへ行って、なんでもいいから事情を説明してあげてくれ。僕からの願いはそれだけだ」
「――嘘でもいいの?」
「ああ、君が思うように言えばいい。彼女なら絶対に受け止めてくれる」
エリカが微かに笑った。嘲笑が入り交じっているようだった。
「絶対に、本当のこと話さない」
「どうして?」
エリカは答えず、涙をぬぐいながらバーラントの目の前まで歩み寄った。そして、しっかり上向いて、彼を見つめた。
「一つ、お願いがあるの」
「かなえられる範囲のモノなら……」
「あたしの、本当の気持ちを受け止めて。あたしが前に進むために……」
バーラントが視線をズラす。
「傷付けるのは好きじゃない」
「それが、あなたの落ち度の贖罪だから……」
こう言って、彼女は視線が合うのを待った。
目を閉じていたバーラントが、エリカに視線を合わせる。
「あたしは、あなたのことが好きです。付き合ってくれませんか?」
時間は掛からなかった。
「ごめん。僕はアルメリアを愛しているんだ」
また泣いてはいたけれど、とびっきりの笑顔となっていた。
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