とある夏の神社にて

暁 明音

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 次の日の正午過ぎ、私は走って神社へと向かった。
 杉の木を蹴るという儀式さえもすっ飛ばして、坂道を駆けあがって、境内けいだいにたどり着くや否や、少し息を切らせながら、ドラム缶のところまで寄って行った。

 そこに、女の子がいなかった。
 私は少し不安になって、周囲を見渡した。
 ちょっと早く来すぎたのだろうか? いや、いつも通りの時間のはずだ……

「ごめん」

 その声に反応して、私は階段側の方を見やった。
 鳥居の近くに、キックボードと一緒に女の子が立っていた。

「少し遅れちゃったね」

 そう言いながら、女の子はキックボードを進め、こちらの近くまで来た。
 私はなぜか、安心してしまった。

「今日は君が、私の場所にいるんだね」
「あっ、そうだね。なんか、ごめん」

 女の子が笑った。

「変なの。謝らなくていいのに」

 私は照れ隠しに頭をかいて、

「いつの間に、そこにいたの? 気付かなかった」
「ついさっき」
「ついさっき……?」
「うん。――でもね、今日はあんまり長いこと、ここにはいられないの」
「どうして?」

「引っ越しすることになったから……」
「ひ、引っ越し? どこに?」
「分からない。多分、遠いところだと思う」
「そうなんだ……」
「ちょっとショックだった?」

「何が?」
「またとぼけて…… まっ、いいけど」
「なんだよ、その言い方……!」

 ちょっと強めの口調で言ったが、女の子が妙にさびしそうな顔をしていたから、怒りはすぐさま鎮火ちんかして、そのまま黙ってしまった。

「ねぇ」と、女の子から話しかけてくれた。「この変なヤツ、もう一日貸してくれない?」
「えっ?」
「明日、ここに置いておくから…… 駄目かな?」

 駄目なわけがないし、気に入ったのなら、それでいいと思った。だから、

「別に…… 好きにすればいいよ」

 と、少々ふて腐れるように言った。
 そんな子供っぽい私が面白かったのか、悪い気がしたのか、

「ありがとう」と、なぜかお礼を言ってくれた。

 私は嬉しさの照れ隠しと、遠くへ行ってしまって、もう会えないんだという寂しさを隠すように、目をそらし、無表情をよそおった。

「――じゃあ、こういうのは?」

 間をあけてから、女の子が私の正面に立って、目を合わせて、話しかけてくる。

「十年後、またここで会うの。いいでしょ?」
「え? 十年?」
「そう、十年」
「なんで十年なの? 長すぎない?」
「そう? 結構、あっという間に過ぎちゃうよ?」

 彼女はそう言って口角をあげ、話を続けた。

「それに、あなたがどんな大人になっているのか、興味がある……」
「どんなって…… 今と、そんなに変わんないと思うけど?」
「変わらないの?」
「いや、なんて言うか…… 姿とかは大きくなるだろうけど」
「ふ~ん」

 女の子がニンマリと笑みをたたえて、後ろ歩きで、私から少し離れた。

「じゃあ、十年後に会おうね。あたしはいつも通り来るから、あなたも絶対に来てよね?」
「う、うん……」
「楽しみにしてるから!」

 女の子はキックボードに乗った。
 そうして、楽しそうに境内の端にある、駐車場の手前まで移動した。今日は車が止まっていない。
 彼女は振り返って大きく手を振りながら、大きな声で、

「本当にありがとう~! さようなら~!!」

 と言って、そのまま駐車場を駆け抜けていった。
 私も大きく手を振り替えしながら、あんな悪路を走っていたら、転ぶんじゃないかという心配が脳裏をよぎった。

 それに、昨日は帰るところを見逃したけれど、今日は追い掛けることができる。
 だから、急いで彼女の後を追い掛けた。
 でも、案の定と言うか、彼女の姿はもう見えなくなっている。

 ――きっと、この近くにいる。

 そう確信した私は、近辺きんぺん虱潰しらみつぶしに捜し回った。
 近くに長屋があったから、片っ端から呼び鈴やノックをして、中の人に声を掛け、女の子について質問する。

 だけど、長屋にはお爺ちゃんやお婆ちゃんばかりが住んでいて、女の子なんていなかった。
 神主さんの家らしき場所も行ってみたけれど、やっぱり分からないと言われる。
 この他には、めぼしい家がない。
 諦めて帰ることにし、いつもとは違う、階段を降りて迂回うかいしていく道を通った。

 ボロボロのお堂っぽい建物を上から見下ろすように歩いていると、見慣れた形と色が視界の際に入り込んだ。それで、パッと反応して振り向く。

 キックボードが置いてあった。
 道順通りにお堂の敷地内へ入るのは面倒だったから、斜面を滑りながら降りていった。
 へいや壁は特に無かったから、簡単にキックボードのところへたどり着く。

 キックボードの前に、とても小さなお墓があった。
 周りは、霊園というわけでは無いけれど、ちらほらお墓があるのが見える。
 私はそれからずっと、夏の長い長い陽が暮れるまで、その場に立ちすくんでいた。


 この日を最後に、私は祖父の家にも神社にも行かなくなった。


 行かなくなって時間がたっても、どこかで十年の約束は覚えていて、私が小学校から中学校、高校へと進み、大学へ進学した今でも覚えていた。

 ちょうど十年に達したとき、法事の準備のために祖父の――いや、叔父おじの家へ行く用事ができた。
 これ幸いと思ったすぐ後に、あのときの約束をどうするか考えてみた。考えた結果、やっぱり確認したいという衝動に負けてしまった。

 ホラー映画なら、私はこれから死んでしまうんだろうと思う。むしろ、あのとき何もなかったのが不思議なくらいだ。

 それにしても、彼女の言う通り、十年は長いようで短い絶妙な期間だった。
 町並みも私自身も、すっかり変わってしまっている。キックボードだって、もう錆び付いて動かない。
 あの女の子は、私をどう見るのだろうか。

 そもそもの話、彼女は幽霊とか亡霊といった類いの存在なのか? それとも、あそこにキックボードを置いて、そのままどこかへ引っ越していったのだろうか? 本当に神社へやって来てくれるのだろうか? ただ単に、私をからかって楽しんでいただけなのか?

 色々な考えや思いを胸に、私は車を運転して、久しぶりに叔父おじの家へ向かった。
 法事の準備が一段落して、時間を確認したら昼過ぎとなっていた。
 私は頃合いだと思った。だから、飲み物のペットボトルを手に持ち、一緒に来た恋人や両親を残して、夏の神社を目指した。

  ――いつも通りの道を歩く。

  駄菓子屋はもうなくなって、ボロ屋になっていた。竹林は相変わらず真っぐ並んでいる。

 坂道を歩く。
 杉も相変わらず立派に立っていて、何も変わっていない。

 境内けいだいに入る。
 ドラム缶はすっかり赤茶に変色して、ボロボロになっている。

 だが、女の子の姿はない。
 私は木漏れ日がゆれる、色あせた青いベンチに腰掛けて、蝉の音を聞きながらドラム缶を見つめた。

 心地よい風に、美しい青天井と白い雲が流れていく。
 散歩に来た人に挨拶を返したり、お孫さんと歩く高齢者の方などを見送った。
 ひまだったのか、祖父の家で待っていた彼女も、得意のイタズラをしに境内けいだいへ来てくれた。だから、色々な話に花を咲かせた。

 もうちょっと神社にいたかったから、適当な理由を言って、彼女を家へ帰らせる。
 久しぶりに、境内を彷徨うろつきながら過ごしていると、次第に、虫の鳴き声がチラホラと聞こえてきた。

 知らぬ間に、空があかねさす色となっている。
 しかし、女の子は現れない。
 ここまで来たら、もうちょっと待ってみようという気になって、またベンチに腰掛けた。

 外灯が付いて、境内けいだいうっすらと浮かびあがっている。
 人によっては色々いわくがあるからと怖がるけれど、私は全く、これっぽっちも怖く思わなかった。
 何も考えず過ごしていたら、いつの間にかの夜空になっていた。

 結局、彼女は来なかった。
 ベンチから腰をあげた私は、あのときのお墓に手を合わそうと思って、階段側から帰ることにした。

 さすがに夜の墓地に入る勇気は無いから、上の道から覗くだけにしよう…… そう思っていると、あのボロボロのお堂は無くなっていて、お墓のあったところは全部、更地になっていた。

 不意に、携帯電話が鳴る。

「もしもし?」
『いつまで神社にいるつもりなの?』
「ゴメン、待たせちゃったね」
『みんな、そろそろ帰ろうって』
「ああ、分かった。もう戻ってるから心配しないで」
『気を付けて帰ってきてよ?』
「分かってるって。前みたいに転んだりしないよ」
『本当に?』
「大丈夫だよ」
『それならいいんだけどね』って、彼女が明るい調子で言った。『じゃあ、待ってるから』
「うん、またあとで」

 そう言って、携帯をポケットへ入れる。


 こうしての正体は永久に明かされることなく、私の『秘密の探求』は、十年の歳月をて幕を下ろした。


 結局、あの子が幽霊だったのか、性質たちの悪いイタズラ娘だったのか分からず仕舞いとなった。
 ひょっとしたら、どこかでこっそり私を見ていたのかもしれない。そう考えたら、私と彼女は再会したと言えなくもないだろう。

 だが、どちらに転んだとしても、私にとってはどうでもいいことだ。
 彼女のお陰で、他の人には理解できないような出来事を、ちょっとした『秘密』として持ち続けることができた…… 自分だけの思い出深い秘密となった。


 私からすれば、これだけで充分である。


 からのペットボトルを手からぶら下げながら、夜空を渡る月を見上げ、それこその色に沈む、不気味さと神秘的な美しさとを放つ神社を背に、彼女が待つ祖父の家を目指して歩いた。

 帰りしな、イタズラされないようにと祈りながら。
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