63 / 70
62
しおりを挟む
冬樹が商店街の道を抜けて、浪切ホール前の横断歩道まで走ってきた。そうして、夜空を焦がすほど赤々と輝く炎を見てとった。
やっと冬樹に追いついた夏美が、彼の見ている方角を見やった。
「火事……! 火事だよ、部長さん!」
「化学薬品でも引火したんか……?」
「とにかく行ってみましょ!」
「あっ! 夏美ちゃん待ちぃや!」
冬樹が夏美を追いかけた。
冬樹が夏美を追っている頃、炎から逃れるように、春平が二階への階段をのぼっていく。
二階の部屋に通じる扉の前で立ち止まった。
ノブを回すが、扉には鍵が掛かっている。
春平は秋恵──が入っているであろう人形を地面に置き、扉へ前蹴りや体当たりを繰りかえす。
煙が充満してきて、春平が咳込みはじめた。
「こん畜生ッ……!」
と言って、気合いの掛け声と共にドアを蹴る。
鍵が壊れる前に、扉の下のプラスチック板がへし折れて、四角形の大きな風穴があいた。
春平は、そこから中へと侵入する。無論、人形を持って。
二階の部屋には誰もいなかった。
煙もほとんど無く、一階が燃えさかっているとは思えないほどの静寂である。
「どこや……」
キョロキョロ、部屋の隅々まで観察した。
すると、窓が一つだけあいている。
そから顔を出すと、下は木材やら端材やらが燃えに燃え、業火と化していた。
揺らめいて空へと昇る炎の尾が、二階の春平の顔に今にも届きそうである。
春平は熱気で熱くなった頬を冷やそうと、右方向を見やった。そこには四車線道路があり、その道路を挟んだ反対側の歩道には、野次馬がたくさんいるのが見えた。
――上から壁をこする音がする。
窓の上を見やると、女の足が見えた。その女を引きあげる男の姿も見えた。
どうやら二人は、建物の四隅に付いている排水パイプを使って、屋上へ避難したらしい。
「上か……」と春平がつぶやく。
「行きなさい」
振りかえると、巫女人形が立っていた。
「じきに人形たちも動きはじめます。下へ下りると炎が包み込むでしょう」
「お前……」
「急いで逃げなさい、時間がありません」
「行くって…… どこへ行くん? 下はアカンのやろう?」
「屋根の上です」
「屋上かいな……」
「立ちさりなさいと警告したのに、あなたはここへ来てしまった。もう後戻りはできません」
「あの声、やっぱりお前やったんか」
「煙や炎が来ます。人形も追ってきます。ここにいては、まず助かりません。逃げるなら上です」
「そら分かってるけど……! でも、無事にあがれる保証も無いやんか。あいつらに突き落とされるかもしれやんし」
「大丈夫です。彼らにはもう、そんな気力は残っていません。あの光を浴び過ぎていますから」
春平が眉をひそめ、「魔鏡の光か?」と言った。
「あの光は月の照り返しではありません。本来は『この世のモノが浴びてはならぬ光』です」
「俺も光、浴びてもたで?」
「あなたが浴びた光は、炎を使ったこの世の光です。だから、その子を正気に戻すことも出来た」
春平が、持っていた人形──秋恵に目をやった。
「この鏡を見つけた人間は賢明でした。自らも光を避け、なるべく反射が起こらぬよう処置を施しましたから。しかし、あの人たちはそれを取り払ってしまった」
「その…… 僕らと違う光ってのを浴びたら、どうなるん?」
「あの世もこの世も無くなり、境が消えます。底なしの負の光…… そういう光なのです」
状況と相まって、春平が無意識的に息をのんだ。
「さぁ、それよりも早く行ってください」
「せやから──」
「あなたは何も心配する必要はありません。大丈夫です」
「お見通しみたいに言うんやな……」
「分かっていることを伝えただけです」
「いつから動けるようになったん?」
「あとでお話しします」
「一つだけ訊きたい」
「大丈夫です」と即答された。「今は気を失っていますが、じきに目覚めます。あなたのお持ちになった人形が、彼女を救ったのです。――そのことも含め、あとでお話ししましょう」
春平が頭をかいた。そして、
「君も一緒に来るんやろ?」と尋ねた。
「ええ、あなたに掴まっています」
春平が上着の裾をズボンの中に入れ、下に物が落ちていかないようにした。
そうして、秋恵を上着の中へ入れ、巫女人形を拾いあげた。
「とにかく、つかまっててよ。ええか?」
「私も彼女と一緒に、中に入っています。邪魔は入りませんが、頑張りは必要です。頑張って下さい」
そう言って巫女人形が春平の腕を伝って、首元から、服の中へ潜りこんでいった。
春平は戸惑いながら、溜息をつく。
――無遠慮なところが夏美と同じで人形らしい。そう思った。
やっと冬樹に追いついた夏美が、彼の見ている方角を見やった。
「火事……! 火事だよ、部長さん!」
「化学薬品でも引火したんか……?」
「とにかく行ってみましょ!」
「あっ! 夏美ちゃん待ちぃや!」
冬樹が夏美を追いかけた。
冬樹が夏美を追っている頃、炎から逃れるように、春平が二階への階段をのぼっていく。
二階の部屋に通じる扉の前で立ち止まった。
ノブを回すが、扉には鍵が掛かっている。
春平は秋恵──が入っているであろう人形を地面に置き、扉へ前蹴りや体当たりを繰りかえす。
煙が充満してきて、春平が咳込みはじめた。
「こん畜生ッ……!」
と言って、気合いの掛け声と共にドアを蹴る。
鍵が壊れる前に、扉の下のプラスチック板がへし折れて、四角形の大きな風穴があいた。
春平は、そこから中へと侵入する。無論、人形を持って。
二階の部屋には誰もいなかった。
煙もほとんど無く、一階が燃えさかっているとは思えないほどの静寂である。
「どこや……」
キョロキョロ、部屋の隅々まで観察した。
すると、窓が一つだけあいている。
そから顔を出すと、下は木材やら端材やらが燃えに燃え、業火と化していた。
揺らめいて空へと昇る炎の尾が、二階の春平の顔に今にも届きそうである。
春平は熱気で熱くなった頬を冷やそうと、右方向を見やった。そこには四車線道路があり、その道路を挟んだ反対側の歩道には、野次馬がたくさんいるのが見えた。
――上から壁をこする音がする。
窓の上を見やると、女の足が見えた。その女を引きあげる男の姿も見えた。
どうやら二人は、建物の四隅に付いている排水パイプを使って、屋上へ避難したらしい。
「上か……」と春平がつぶやく。
「行きなさい」
振りかえると、巫女人形が立っていた。
「じきに人形たちも動きはじめます。下へ下りると炎が包み込むでしょう」
「お前……」
「急いで逃げなさい、時間がありません」
「行くって…… どこへ行くん? 下はアカンのやろう?」
「屋根の上です」
「屋上かいな……」
「立ちさりなさいと警告したのに、あなたはここへ来てしまった。もう後戻りはできません」
「あの声、やっぱりお前やったんか」
「煙や炎が来ます。人形も追ってきます。ここにいては、まず助かりません。逃げるなら上です」
「そら分かってるけど……! でも、無事にあがれる保証も無いやんか。あいつらに突き落とされるかもしれやんし」
「大丈夫です。彼らにはもう、そんな気力は残っていません。あの光を浴び過ぎていますから」
春平が眉をひそめ、「魔鏡の光か?」と言った。
「あの光は月の照り返しではありません。本来は『この世のモノが浴びてはならぬ光』です」
「俺も光、浴びてもたで?」
「あなたが浴びた光は、炎を使ったこの世の光です。だから、その子を正気に戻すことも出来た」
春平が、持っていた人形──秋恵に目をやった。
「この鏡を見つけた人間は賢明でした。自らも光を避け、なるべく反射が起こらぬよう処置を施しましたから。しかし、あの人たちはそれを取り払ってしまった」
「その…… 僕らと違う光ってのを浴びたら、どうなるん?」
「あの世もこの世も無くなり、境が消えます。底なしの負の光…… そういう光なのです」
状況と相まって、春平が無意識的に息をのんだ。
「さぁ、それよりも早く行ってください」
「せやから──」
「あなたは何も心配する必要はありません。大丈夫です」
「お見通しみたいに言うんやな……」
「分かっていることを伝えただけです」
「いつから動けるようになったん?」
「あとでお話しします」
「一つだけ訊きたい」
「大丈夫です」と即答された。「今は気を失っていますが、じきに目覚めます。あなたのお持ちになった人形が、彼女を救ったのです。――そのことも含め、あとでお話ししましょう」
春平が頭をかいた。そして、
「君も一緒に来るんやろ?」と尋ねた。
「ええ、あなたに掴まっています」
春平が上着の裾をズボンの中に入れ、下に物が落ちていかないようにした。
そうして、秋恵を上着の中へ入れ、巫女人形を拾いあげた。
「とにかく、つかまっててよ。ええか?」
「私も彼女と一緒に、中に入っています。邪魔は入りませんが、頑張りは必要です。頑張って下さい」
そう言って巫女人形が春平の腕を伝って、首元から、服の中へ潜りこんでいった。
春平は戸惑いながら、溜息をつく。
――無遠慮なところが夏美と同じで人形らしい。そう思った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
看取り人
織部
ライト文芸
宗介は、末期癌患者が最後を迎える場所、ホスピスのベッドに横たわり、いずれ訪れるであろう最後の時が来るのを待っていた。
後悔はない。そして訪れる人もいない。そんな中、彼が唯一の心残りは心の底で今も疼く若かりし頃の思い出、そして最愛の人のこと。
そんな時、彼の元に1人の少年が訪れる。
「僕は、看取り人です。貴方と最後の時を過ごすために参りました」
これは看取り人と宗介の最後の数時間の語らいの話し
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ミッドナイトウルブス
石田 昌行
ライト文芸
走り屋の聖地「八神街道」から、「狼たち」の足跡が失われて十数年。
走り屋予備軍の女子高生「猿渡眞琴」は、隣家に住む冴えない地方公務員「壬生翔一郎」の世話を焼きつつ、青春を謳歌していた。
眞琴にとって、子供の頃からずっとそばにいた、ほっておけない駄目兄貴な翔一郎。
誰から見ても、ぱっとしない三十路オトコに過ぎない翔一郎。
しかし、ひょんなことから眞琴は、そんな彼がかつて「八神の魔術師」と渾名された伝説的な走り屋であったことを知る──…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる