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「シュンちゃん、気付いてた?」
「何がや?」
「マユちゃん、もう結婚相手がいるの」
「えっ?」
「やっぱり知らなかったんだ…… まぁ、言うワケないよね、マユちゃんだったら」

 そう言って、夏美が不快そうに脇見をする。春平は驚いて固まったままだった。

「今すぐってワケじゃないけど」と夏美。「結婚することになってるの」
「な、なんでそんなこと分かるんや?」
「私が捨てられた理由が、マユちゃんの彼氏にあるから。それよりシュンちゃんは、そういう話きいてなかったの?」
「き…… 聞くわけないやろ!」

「でしょうね。多分、シュンちゃんに話したくなかったんじゃないかな。過去の自分をよく知ってる人に、自分の結婚相手のことを話すのって…… 誰でも嫌だと思うだろうし」

 春平が口を開く。だが、急に口を閉じて黙りこんだ。

「私、捨てられる前に見たの。部屋で男の人と話してるのを」
「部屋……」
「その人がね、私を見て気味わるがってたから…… これは絶対に持ってこないでくれって。そうしたら、マユちゃんなんて言ったと思う?」

 春平は口を半開きにしたまま、夏美を凝視していた。言いがたい様々なモノが渦巻いていることが、その表情から容易に察せられる。
 それを冷笑したのか同情したのか、夏美がフフッと口角を柔らかく持ちあげた。

「祖母が残した物で、買ったものじゃない…… 元々、捨てるつもりだったから心配しないでほしいだって。
 人形で有名な神社が加太かだにあるし、となりが、加太かだへ行くとか言ってたから、そのときに捨ててもらおうと思ってるって。断られることは無いだろうって……」

 沈黙が流れる。

となりの人ってどんな人なのかって話になったとき、親同士が仲良しなの、だから知ってるだけ、だって。
 シュンちゃんのことは一言も話さなかったし、話さなくてもいいようにうまく言ってた」

「──それを僕に言うて、どうするんや? お前も捨てられた同類って言いたいんか?」
「シュンちゃん、さっき生き物は人形と違って変化するものだって言ったよね?」

 夏美が真剣なおも持ちで言った。


「シュンちゃんは生き物なのに、どうして変化を拒もうとするの?
 私にはそれが分からない。
 変化したくないってことは、シュンちゃんが嫌ってる、私たち人形みたいな存在になるってことなのに」

「別にそういうワケ──……」と言って、口をつぐむ春平。

 夏美はジッと、春平の返答を待っていた。
 先程の口喧嘩げんかみたいなやり取りのあとなのに、彼女は先程から論の優劣に酔っているわけでもないし、愉悦に浸っているような顔もしていない。

 ただただ、人形みたいに静かに、春平の言葉を待ち続けている。
 それが今の春平には、一番の苦痛であった。彼女が勝利に酔えば、その時点で見限って距離を離して関わらないようにするのに。

 子供の騒ぐ声が響き、歩道を歩く学生の騒がしい声もしてきた。
 その騒がしい音が落ち着いてすぐ、

「仲が良かった……」と、春平がやっと言った。
「そうやろ? あんだけ一緒におったんやで?」

 こう言ってまた、春平が黙りこむ。
 夏美はやはり、何も言わずにジッと待っていた。

「――ホンマに、そんなこと言うてたんか?」

 夏美がゆっくりうなずき、

うそをついても、私に得なんか無いでしょ?」
「――なんでそれ、今言うんや?」
「この体にいられないから」
「そこは、さっきの話と全く関係ないやん」
「私にとっては関係があった。だから、どうしても知っておきたかったの」

「なんで? もう、おらんようになるんやろ?」
「シュンちゃんが大切な人だから、知っておきたかった」

 また沈黙が訪れた。
 もう騒がしい音は聞こえてこない。
 車の走る音が遠くからしてくるものの、静かであった。

「黙っててくれても良かったんちゃうの?」と、春平が言った。
「それだと、ダメだと思ったから。
 いつまでたっても、シュンちゃんが変化しないと思ったから…… 
 ほら、生き物は良くも悪くも変化する宿命、背負ってるんでしょ? その宿命から逃げられないんだし、受け入れてほしかったの」

「…………」

「マユちゃんは変わった。
 もう昔の、シュンちゃんが知ってるマユちゃんはどこにもいない。
 見た目の面影おもかげが少し残ってるくらいなの。

 それでもシュンちゃんは、変わるつもり無いの? 面影とかいうざんがいを見続けるつもり?
 それだってもうすぐ、消えてなくなるんだよ? だって人間は変化するんだから。そうなんでしょ?」

「変わるって言うても、それはなんというか」と言ったきり、春平がまた黙りこんだ。

 彼は夏美の方を向いてはいるが、視線を合わせず、ふわふわした表情で彼女を見ていた。

「そっか…… やっぱり勘付いてはいたんだね」

 夏美が言った。春平はなお黙っている。

「素直じゃないんだから、シュンちゃんは」
「それ」春平がすぐ言った。「夏美ばあちゃんにも言われたことある」
「そうなの?」

「なんやねん…… 知ってて言うたんちゃうんか」
「──それで、どうするの? マユちゃんに確認してみる? 私の話が本当かどうか」
「ええわ」春平が遮った。「納得してもうたからな、全部……」

 そう言って、春平が花壇を見た。
 くすのきの木の葉っぱが、ザワザワと音を立てながら、なびいている。

「変わるって嫌な宿命やな、全く……」
「ず~っと変わらないのも、嫌なんでしょ? 人形と一緒だもんね」
「――お前はどうなん?」と、夏美を見やった。「お前は変わらん方がええんか? それとも変わる方がええんか? どっちも経験しとるやろ?」

 夏美が横目になって、しばらく考えにふけってから、「分からない」と言った。

「考えたって、私はもう人形に戻るもん。そうでしょ?」
「まぁ、せやけどさ……」

 突然、春平の携帯端末が鳴った。それで我に返った彼は、公園や学校のグラウンドに誰もいないことを知った。
 公園に残っているのは春平と夏美と、くすのきの木にいるせみや小鳥くらいであった。

「友達?」と夏美。
「いや……」

 春平が携帯端末を見ながら硬直していた。画面にはSNSの未読マークと、秋恵と言う名前があった。

「秋恵さん?」

 のぞき込むようにして、携帯端末の画面を見る夏美が言った。

「そうなんやけど……」
「どうかしたの?」

 SNSの文章には《SOS》と書いてあり、何かのファイルが添付してあった。それを開いてみると、GPSによる現在地情報が記載された、地図の画像であった。

「これ、どういうこと?」

 夏美へ返答する間も無く、また携帯端末が鳴った。今度は冬樹からのメッセージだ。

「もうじきか……」
「秋恵さんに何かあったの?」
「ちょっと待って」

 そう言って、春平が電話を掛けた。
 人形の姿で電話に出られるとは思えないが、SNSを送信はしている…… なんらかの形で、携帯端末を触れるに違いない。
 春平はそう思いながら、よびだしおんが一回、二回と鳴るのを聞いていた。

『先輩……!』

 秋恵が出た。

「なんや? どうしたん?」
『先輩……! 助けてください! 前に神社で騒いでた人たち、いたやないですか! あの人と一緒におった男の人が、窓から入ってきて、それでかばんごと持ちさられて……!』

「え、それ…… それ、マジか!」と、春平が立ちあがった。「大丈夫なんか!?」
『まだバレてないですけど…… 今もかばんの中なんで身動き取れやんのです……!』
「今、どこにおるん?」

『見つけたアルミホイルでつっついたから、うまくいったかどうか分からんのですけど、SNSでGPS情報、送ってます……! 届いてますか……?!』
「届いてるさけ、落ちついて秋恵ちゃん」

 春平はゆっくりそう言って、間をあけた。
 秋恵が緊張のし過ぎで軽いさくらんに陥っていると考えたからだ。

「よっしゃ…… 一つ一つしゃべっていって。
 今はどこにおるん? なんでもええさけ、分かること教えて」
『ホ、ホテルの中やと思います…… 二〇四号室がどうとか言う声が聞こえましたから……』
「ホテルの二〇四号室か……」

 不意に、電話の向こうから物音がした。

『それよりも先輩……!』

 物音をかき消すように秋恵が言った。

『変な声が聞こえるです……! 女の子が一緒にいなきゃとか、忘れないでとか……! あたし、どうなるんですか……!』
「とにかく、今すぐにそっちへ行って助けちゃるからな……! それに、こっちはマユちゃんともう会わせてあるさけ、すぐにでも体、返せるから、もう安心して。とにかくバレやんようにな……!」

『助けて、先輩……!』
『──の声がしなかった?』
『テレビの──……』

 春平は息をのみ、「すぐ行くから…… じゃあ、また後でな」と、丁寧な滑舌でゆっくり、小さく言った。そして夏美の名を呼び、携帯端末をいつつ振りかえる。

「今から秋恵のところへ行ってくる」
「秋恵さん、どうなってるの?」
「マズイ状況や」

「マズイ……?」
「行くぞ!」
「ちょ、ちょっと!」

 夏美が慌てて春平のそでを引っ張った。

「ねぇ! 部長さんはどうするの? もうじき着くとか言ってたよね?」
「お前が残って部長と合流してくれ」
「えっ?」
「あと、秋恵が女の子の声が聞こえ始めたとか言うてたんやけど……」

「女の子?」
「お前ちゃうわな?」
「何もしてないし、何を言ってるのか分からない…… 秋恵さん、どうなってるの? 何がマズいの?」

 夏美の目を見ていた春平が、急に反転して走りだした。

「えっ? ちょっとシュンちゃん!」
「行きながら話さ!」

 二人は並んで走って、難波なんば駅を目指した。
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