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 朝の早くから目覚ましみたいに、せみがけたたましく鳴いていた。
 日差しも強くて、普段なら涼しい時間帯だということを忘れさせるほどであった。

 春平たちが目覚めてから、幾分か時間がたつ。
 せみの鳴き声はそのままに、暑さだけが増していった。
 ホテルから出てきた春平が、堤防の近くへ寄って、海岸を眺めやる。

 引き潮で、堤防の下のいそがあらわとなっていて、子供が朝から『ガンガラ』と呼ばれる小さな貝を、せっせと拾っていた。
 そんな光景をぼんやりと見ていた春平の耳に、「お待たせ」と言う、夏美の声が入ってくる。

はよう行こら」

 春平は振りかえってすぐにこう言い、リュックのショルダー・ストラップに親指を入れながら歩きだした。

「せっかちだよね、シュンちゃん」

 夏美は肩から提げているかばんのベルトを調節しながら言って、春平を追いかけた。かばんは無論、秋恵が持ってきたものである。

「お前がトロいだけやぞ」と春平。
「短気は損気だよ?」
「──せやな」

 春平は夏美の言うことをとにかく受け流すことに努め、駅を目指して歩き続けた。
 しばらく堤防沿いの二車線道路を歩き、路地の中へ入って、細い道を右へ左へ進んでいく。

「本当にこっちなの?」
「ええから、付いてきな」
「部長さんは、なんの用があるの?」
「ホテルの会計とか、そういうモンや」
「カイケイって?」

「船に乗るとき、お金払ったり名前かいたりしたやろ? ああいうのより、ややこしいことすんねん」
「へぇ~。中々、大変なのね」

 春平は指差しながら、「もうじき駅やで」と言った。

 路地からまた二車線の道路に出て、そこから少し歩くと、坂道の上になんかい電鉄と言う私鉄の駅があった。駅名は当然『加太駅』である。

 春平は切符を二枚買い、一枚を夏美に渡して改札口を通った。
 夏美も見よう見まねで通ってくれたから、特にトラブルも無く、電車の座席に二人が着いた。

 ワンマン電車だから二両しかない。それでも、端っこに老人が二人ほど座っているだけで、若者は春平たちを除いて一人もいない。

 汗をタオルで拭いた春平が、「夏美」と呼び掛ける。

「ホテル出る前に言うたこと、覚えてるか?」
「誰かが声を掛けてきたら、黙ってるか相づちを打つだけってヤツでしょ?」
「頼むで、ホンマに……」

「それよりも、まだ動かないの?」
「短気は損気やぞ?」
「お返し、どうも」

 夏美がプイッと窓の方を向いた。
 五分ほどすると、車掌のアナウンスが入り、ベルが鳴って扉が閉まった。

「お~、動いた!」

 夏美が独り言を口にして、顔をほころばせている。

「こんなのが動くなんてすごいね、シュンちゃん」
「せやな」

 人形が動く方がもっとすごいと、春平が心中で言った。

「どのくらい乗ってるの?」
「二十分くらいやさけ…… あの船に乗ってた時間くらいかな」
「えぇ~…… 結構ながいのね……」

「言うとくけど、途中で降りたりしたらアカンぞ?」
「走ってるのに降りられるわけないでしょ?」
「各駅やさけ、止まるんやって。――ほら、もうじき止まるで」

 春平の言うとおり、電車はいそうらと呼ばれる駅に止まった。

「ここじゃないってことでしょ?」
「和歌山市駅っちゅう場所まで乗っていくさけ、まぁ…… とにかく僕に付いてきて。ええな?」
「はいはい、分かってる分かってる」

 再び電車が走りだす。


 ――――――――――――――――――


『間も無く和歌山市駅、和歌山市駅です。お忘れ物の無いよう、ご注意ください』

「夏美、降りる準備するで」
「あ……」

 ウトウトしていた夏美の目が、パッチリ開く。

「もう着いたの……?」
「ほら、荷物もち」

 そう言って、春平がリュックを背負いながら立ちあがる。
 電車が止まり、扉が開いた。
 ホームに出た春平たちが、側にあった備えつけの長椅子いすへと向かった。

「ちょっと待ってて」

 春平が、長椅子いすに座った夏美に言付けてから、近くにいた職員に特急券の販売所を尋ねた。
 そうして自動発券機のところへ向かい、特急券を二枚、ため息まじりに購入した。

 本来なら、こんな時間帯に特急券なんか買わないのに、と思いつつ、夏美がいるから仕方が無い、と自分に言いきかせる。
 特急券を財布にった春平は、夏美のところへ戻って、彼女と一緒に座席指定車両へと向かった。

 割と歩いたあと、座席指定車両の中へと入った二人は、そのまま車両内の通路を歩く。

「何、キョロキョロしてるの?」

 春平の後ろにいる夏美が言った。

「番号、探してるんや」
「番号?」
「よし。ここや、ここ」

 春平がそう言って、荷物を窓際の席の足元へ置き、着席する。それから夏美に座るよう促し、となりへ着席させた。
 混雑しない時間帯の、しかも大阪へ向かう有料座席だから、春平たちしかいない。

 ほぼ始発駅と言える和歌山市駅から、有料の座席を使う人間なんてほとんどいないから、すいていて当然と言えば当然であった。

「ハァ…… ま~た乗ってなきゃいけないんだ」と夏美。
「なんや? 加太駅で、はしゃぎ疲れたんか?」
「飽きたの。だって、座ってるだけで何も出来ないんだもん」

「そらそうや。乗り物なんやさけ。
 部長も言うてたけど、公共の乗り物やから、大人しくしてやなアカンぞ? 下手したらマユちゃんのところへ行けやんからな?」

「ハイハイ…… それで? 今度はどのくらい?」
「一時間」と、窓の縁へ肘を置き、あごを手の平へ乗せつつ言った。
「それって具体的にどのくらい?」
「さっきの三倍弱やな」と、窓の外を見たまま言った。
「だから、具体的にどれくらいなの?」

「――さっきの電車をあと三回乗る感じや」
「エッ?! あと三回も?!」
「さっき眠たそうにしてたんやし、寝てれば着くって」
「本当にマユちゃんのところへ向かってるんでしょうね?」
「信じてもらうしかないわな」

「シュンちゃんだとイマイチなのよねぇ……」
「聞こえてるぞ」と、彼女の方へ振りむく。
「ねぇ、シュンちゃん。何かで暇潰そうよ」
「なんやねん、唐突に……」
「昨日、部長さんと夜に、テレビとか言うのを見たの」

「えっ?」
「シュンちゃん幸せそうに寝てたから、起こさせなかったのよね」
「誰かさんのせいで、えらい疲れてたさけな」

「それで、テレビでやってた遊びを一緒にやってみない?」
「なんや? ゲームっぽいことでもやってたんか?」
「そうなの。『王様げぇむ』って言うんだけど知ってる?」

 部長、何みせてんねん……

「やってみようよ、シュンちゃん」
「アカン」
「なんで?」
「その遊びはな、朝にするもんとちゃうねん」
「えっ? なんで?」

「テレビでやってなかったか? 負けた人はなんでも言うこときかなアカンのやで?」
「そうなの?」
「そこ、見てなかったんか……」

「なんか楽しそうだなぁって思って見てただけだもん。それで部長さんに何をしてるの? って、聞いたの」
「それで、なんて答えたん?」
「王様ゲームやでって…… それだけ」

 春平がため息をついた。それから続けて、

「とにかく、そんなゲームはアカン」と言った。「秋恵ちゃん泣いてまう」
「それじゃあ、ダメね」

 春平がジッと夏美を見た。

「何よ」
「えらい素直やな……」
「当然でしょ? 『あやまちて改めざる、これを過ちとう』ってヤツよ」
「王様ゲームは知らんのに、そんなんは知ってるんか……」

「『人は同じ過ちを繰りかすことは無い。ただ、似たような過ちを繰りかえすだけである』って言うのも知ってる」
「へぇ。歴史は繰りかえすってヤツの親戚か?」
「ううん。私が今、考えたヤツ」
「なんやねん、それ……」
『ご乗車ありがとうございます』

 二人が前を向いた。

『十一時発、特急サザン難波なんば行きが発車いたします──……』
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