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 ホテルから外へ出た夏美が、堤防沿いの道路に出て、目の前にある堤防に手をついた。

 月明かりが無いから真っ黒である。
 対岸の島の方にいくつか光の点があるものの、その程度の光では到底、海の水面みなもを明るくすることは出来そうに無かった。

 港の方角から、一定の周期で光の棒が横向きに、くるくると回っている。
 夏美はその光の回転を見ていた。そしておもむろに、そちらへ向かって歩き始めた。

「待って待って、夏美ちゃん」

 冬樹がそう言って、彼女の前へ回りこむようにして進路を遮る。

「どいてよ!」
「どかん」
「部長さんには関係ないでしょッ!」

「関係あるかないか、君の話を聞いてから決めら」
「私、何もやってないもん!」
「まぁ…… とにかく話してよ。何あったんか」

「嫌だ。どうせ私が悪いって言うに決まってるもん」
「ほな、自分が悪いって自覚があるんやね?」
「私は全ッ然、悪くないッ!」

「ほな、話してよ。秋恵ちゃんが悪いんやろ? 叱っとくさけ事情おしえて」
「──あの人も悪くない」と、威勢が衰えた。
「なんや、えらいややこしい感じやなぁ」とほほむ冬樹。

 夏美が伏せ目になったから、冬樹は彼女との距離を少し縮め、

「とりあえず話、聞かせてよ」

 と言いながら、堤防に背中を預けた。
 夏美は膨れっつらのまま冬樹を見ている。彼は、夜空を見上げたまま目を合わせようともしなかった。それで夏美が、膨れっつらのまま彼のとなりへ行き、堤防の壁へ背中をもたせかけた。

「さてと……」

 冬樹が言った。

「何があったんよ、夏美ちゃん」

 今度は夏美が、夜空を見上げていた。
 星の姿はどこにもない。夜の海と同じ色だった。

「──ドキドキしたの」
「何にドキドキしたん?」
「どうしよっかな~。話すと、秋恵さんと取りひき出来なくなっちゃうし……」
「――なるほど、そういうことか」

 冬樹の答えが意外だったのか、夏美が怪訝けげんそうに彼を見て、

「何が、なるほどなの?」と問うた。
いたれたの話なんやろ?」
「何それ?」
「誰かを好きとか愛してる、とかやね」

 夏美が黙った。
 冬樹は穏和に笑って、

「それをエサに、取引とりひきでも持ちかけたんか?」と、彼女を見やった。
「そりゃ、私も少し言いすぎたかもしれないけど……」

 夏美が不服そうに言った。

「あそこまで怒らなくてもいいと思うの。それに、私の|体を『こんなもの』って言ったのよ?」
「今回は夏美ちゃんが悪いんちゃうかな? やっぱり」

 やはり納得いかないような表情をしている。

「夏美ちゃんは、マユちゃんに会いたいんよな?」
「ずっとそう言ってるじゃない」

「ほな、なんで人形の姿で会おうとせぇへんの? 秋恵ちゃんは人形の姿やけど、しゃべれてるやん? しかも動いてるし…… なんで、君は人形に戻って動いたりしゃべろうとせぇへんの?」

「人形が動いてしゃべったら、驚いて話を聞くどころじゃないでしょ?」
「ほんまにそれだけか?」

 夏美は答えなかった。視線も合わせなかった。

「僕はな、夏美ちゃん」と、構わず彼は言った。「君が幽霊やのうて、人形から芽ばえた魂やと本気で思ってんるやで? なんでか分かるか?」

「さぁ?」
「君は、秋恵ちゃんの体が無いと維持できやん存在やから…… そうちゃうか?」

「そんなことない」
「ほな、人形に戻るとしゃべることが出来んようになってまうから、こないアホな取引とりひきを持ちかけてまで、その体から抜けずにマユちゃんと会いたがってる…… そうとちゃうか?」

 黙ったままである。

「当たりか?」
「だいぶハズレてる」
「ほな、ちょっとは当たり?」

 また黙った。だから、冬樹は「夏美ちゃん」と続けた。

「一日に何回も嫌かもしれへんけど、秋恵ちゃんに謝り。それが人間の持つ言葉の、ホンマの使い方やで」
「マユちゃんは言葉の使い方、分かってないってことになるの?」

 冬樹が珍しく驚いた。そしてすぐに、

「ちょっと、いてもええかな?」と言うと、
「答えたくない」と言われた。
「ほな、僕の話を聞いてて」
「嫌だ」
「君はマユちゃんの人形やったわけやんな?」

 夏美が堤防から背中を離した。

「マユちゃんをず~っと見てきた」

 冬樹はお構いなしに話を続ける。

「それやのに、彼女は春平君に供養を頼んだ。ホンマはマユちゃんに供養してもらいたかったのに」

 夏美が冬樹の目の前に立ち、

「全ッ然、違う!」と両手を腰に当てて、堂々と言った。
「全然?」
「全ッ然よ、全ッ然」
「ほな、なんでマユちゃんにこだわるん?」
ふくしゅうするの」

 冬樹が目を細め、夏美をジッと注視する。
 彼女の瞳が、外灯の光を弾いてうるんでいるように見えた。

ふくしゅうって、具体的にどんなことするつもりなん?」
「具体的って?」
「夏美ちゃんは持ち主であったマユちゃんに恨みがある。それで、ふくしゅうしちゃりたいってことなんやろ?」

「恨みって言うか……」
「ちゃうんか?」
「部長さんはどうして、私が恨んでるって思ったの?」
「そら、情で考えたんや。捨てられた恨みとか」
「どうして捨てたと思う?」

「それは……」言葉を切ってから続けた。「僕には分からんけど、なんか理由あったんとちゃうか?」
「言い方、悪かったかも。どうして捨てと思う?」
「…………」
「人間には優先順位みたいなものがあるみたいね」

 唐突に、夏美が言った。不敵に笑みを浮かべている。
 さすがの冬樹も返しを思いつかないようで、夏美が続きを話しだした。

「部長さんはさっき私のこと、幽霊じゃなくて人形から芽生えた魂だって言ったよね?」

「言うたね」
「人形にはそんなもの、存在しない。むしろ、人間にも魂や精神なんて存在しない。あなたたちが勝手にあると思ってるだけ」
「そうなんか?」

「魂なんて聞こえはいいけど、しょ 詮せんは説明できないことに対する隠れみの…… ベールみたいなものよ。
 感情や体感をおおに表現してるだけ。そこに気付けば、魂の価格も純金から金メッキに大暴落するはず」
「まぁ、魂は実際のところ金メッキかもしれへんわな」

 そう言って冬樹の口角が上がった。

「僕は金メッキでもしんちゅうでも、それが魂…… あるいは精神やったら、それでええわ。
 むしろ純金やと、ホンマに高価で、高値たかねで、まやかしとうそっぽく見える。あんまりにも神々しすぎるさけな。せやから昔から、土地と同じレベルで争いの種になるんかもな」

「大地に敵意の種をまく……
 害悪のかたまりなのよ、精神とか魂なんて。錬金術で作られたうそっぱちの金なんだから」

「そうなると、錬金のとなってる賢者の石が、偽物メッキを産むのか本物純金を産むのか、それが大きな問題になるかもしれへんね。それで賢者の石をがたがるか、石コロと見なすかが決まってくるかもしれへん」

「もういい」

 夏美がそっぽ向いた。

「部長さんと話してると、頭がおかしくなってくる」
「よう言われら」
「そうでしょうね」
「──戻らんか?」

 案の定、彼女は口をつぐんでいる。

「僕も一緒に謝るさけ、戻ろら」
「一緒に? なんで?」
「僕も春平君も一回、謝っておきたいことあるんよ」

 こう言って、冬樹は両手で堤防を押し、その反動で体を堤防から離した。

「行こら、夏美ちゃん」

 振りかえり様に冬樹が言った。笑顔だった。
 夏美は顔を横へ向け、

「近いんだけど……」

 と、ぶっきらぼうに文句を言った。
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