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「ねぇ……」
夏美が恐る恐る、机の上で正座している秋恵に向けて言った。
「これ、もう取ってもいいのかな?」
頭に巻いているタオルを指差しながら言うと、秋恵が「どうぞ」と答える。
人形だから表情の変化が無いから、声音が表情を読みとる唯一の手段なのだが、その声音が低くて素っ気ない。
そうすると、誰でも不機嫌なのではと考える。
夏美もそう考えたらしく、
「まだ怒ってるの?」
と、タオルを取りながら言った。湿り気を帯びた黒い髪があらわとなる。
「あんなことされたら、誰でも怒ります!」
発音がいつも以上に京阪なまりとなっていたから、夏美も、相手が怒っていると察したようだ。
彼女は机の前で膝をつき、人形の方へズイッと顔を近付けた。
「秋恵さんもシュンちゃんみたいに、しつこいタイプなんだね。こんなに謝ってるのに」
「そんな謝り方されたら、誰でも怒ります。夏美さんはもっと人のこと考えてください」
「も~ッ!」
夏美が両腕を机の方へ伸ばし、上体を反らして腰をあげ、ちょうど猫の伸びみたいな格好となった。
眉は寄って、頬は膨らんでいる。
「私、ちゃんと反省して謝ってるんだってば。どうして分かってくれないの?」
「話し方です」
「話し方?」
「夏美さんは…… ちょっと無邪気すぎるんです。もっと抑制とか、そういうメリハリを付けた方がええです。私が夏美さんみたいな人間やって周りに思われるやないですか」
「秋恵さんが大人し過ぎるだけだよ」
「こういう性格なんです」
「ウっソだァ~……!」と、上体を持ちあげる夏美。「シュンちゃんや部長さんの前で大人しくなってるだけよ。私と二人っきりのときは、こんなに話してくれるのに~」
「あなたがたくさん話してくるから、返してるだけです。それに、私は猫かぶりみたいなこと好きちゃうから、こうやってあなたに怒ってるんやないですか」
「猫かぶりとは思わないけど、部長さんやシュンちゃんの前で大人しくなってるのは事実じゃない」
「明るい気分になれやんだけです!」
夏美が目をパチクリさせた。
秋恵はハッとして、うつむきながら「もうええでしょう?」と言う。「そういうことなんです」
「まっ、いいか」
夏美が姿勢を真っすぐ正し、
「そう言われると納得しちゃうけど…… でも、なんか引っ掛かる」
秋恵が黙ったままだから、夏美は続けた。
「だってシュンちゃんの昔話をしたとき、物すごく寂しそうな感じで窓の外、見てたもん。寂しいなら会話に入ってくればいいのにさ」
「おいしそうやなって、そう思うてただけです」
「じゃあ、お腹が減ってないって言うのは嘘だったの?」
「嘘ちゃいます」
「じゃあ…… なんで?」
秋恵が、今度は横を向く。
「分からないなぁ」
夏美が両腕を組み、眉をひそめた。
「どうしてあんな急に…… あれ?」
突然、夏美が自分の胸元を見下ろした、そして、左胸にそっと手をやった。
「なんだろう、これ……」
「どうかしたんですか?」
「なんか、急に強く動きだして……」
「えっ?」
「なんかドキドキしてる、秋恵さんの体……」
秋恵が夏美を見たまま、黙っていた。
「これ、私が何かしたわけじゃないよ? 本当に何もしてないからね?」
「…………」
「ねぇ、これって秋恵さんの体が勝手に反応してるだけなんじゃないの? まだ完全に入れ替わったワケじゃないっぽいし……」
秋恵が夏美を見上げたまま、黙りこんでいる。
夏美が急に、ハッとした。
「寂しいって、そういう……」
彼女の口角が徐々にあがっていく。
秋恵が立ちあがって「ちゃ、ちゃいます!」と否定する。
「嘘よ、だって分かるもん。秋恵さんの、シュンが好きだって感覚…… 伝わってくるもん」
秋恵の呼吸が明らかに乱れていた。
「どうして隠そうとするの?」
答えない。
「こんなに好きなのに、どうして教えないの?」
やっぱり答えない。
「伝えるのが嫌なんだ…… あんなのだから、やっぱり嫌い? でも違うっぽいね。なんで嫌なの? 好きなのに知られたら嫌だなんて、変なの」
「ええやないですか別に!」
突然、秋恵が両手を握りしめ、足を踏みならして言った。
「そんなん、あたしの勝手やん!」
「じゃあ、私が言ってあげようか?」
夏美が悪い笑顔で言った。秋恵は首を横に振り、
「先輩のこと嫌ってるんでしょ? 嘘つくことになるからやめて!」
「体は一緒なんだから別にいいじゃない」
「全く一緒ちゃうッ!」
「じゃあ、こういうのはどう?」
そう言って、夏美がまたズイッと顔を人形へ近付けた。
「私をマユちゃんのところへ案内して。そうしたら黙っててあげるし、用事が済んだら体をその場で返してあげる。──ね? これでお互いの目的が達成できるでしょ?」
「そのマユちゃんって子に何するつもりなんです……!」
「あなたは私の体の中にいるんだから、そこから何か感じとったらいいじゃない」
「人形やのに、何も感じられるわけないやんッ!」
「じゃ、仕方ないわね。それよりもどうするの? 私の提案を呑む? のまない?」
「卑怯やん、そんなの!」
「知らなーい。
私が訊いてるのは提案に賛成か反対か、それだけだもん。賛成したら、自分で好きって言うか言わないか選択できるから、賛成した方がいいと思うけどね」
秋恵がうつむいた。
握りしめた手に力が入っているせいか、体が震えている。
一方、有利に交渉を進めているはずの夏美は、なぜか表情が硬い。
「どうするの?」
催促するように夏美は尋ねた。
すると、すすり泣く声がし始めた。
「なんで…… こんな……!」
夏美は片眉を釣りあげ、「泣いたって変える気ないからね」と早口で言った。
彼女の言葉を聞いているのか、いないのか、秋恵は変わらずうつむいて、泣くのをこらえているようだった。
夏美が秋恵の顔を覗き見ようと、机に頬をくっ付ける。
当前だが、涙も流れていないし表情も全く変化が無い。だから、彼女はすぐに顔をもたげ、秋恵を見下ろしていた。
「どうするの?」
せかすように夏美が言う。
「──ん」
「もっとハッキリ言ってよ」
「言うたらええやんッ!!」
秋恵が顔を向けて叫ぶから、夏美が驚いてのけぞった。
「あたし、絶対に言うこときかんからッ! 絶対に協力なんかせぇへんもんッ!!」
夏美が口を開いた。しかし、秋恵の声が先に響いた。
「先輩たちと一緒に、絶対に除霊してみせる! こんな体から絶対に抜けだしてみせるッ!」
「こ、こんな体とは何よッ!」夏美が机を打った。
秋恵は衝撃に耐えて、夏美をジッと見上げていた。
「私をこの体に入れたのって、そもそもアナタじゃない!」夏美が怒鳴る。「魂か精神か知らないけど、こんな物をこしらえたのだって、あなたよッ!」
「そうやとしても、こんな卑怯なことされるいわれ、無いもんッ!! なんでマユって人にそこまで執着するん?!
幽霊や無いって言うけど、人の体を乗っ取ってる時点で、ただの悪霊やんかッ!!」
「人形が持ち主に執着して何が悪いのよッ!! 親子みたいなもんじゃないッ!! 好きな人を好きだって素直に思ってるだけでしょッ!! ウジウジ隠してるアナタとは違うんだからッ!!」
沈黙が流れる。もはや修羅場の重さであった。
不意に、ドアの開く音がする。
『そうそう、岸和田のとこ』と、冬樹の声が出入り口からした。『頼んどか、皐月ちゃん。──分かった、今度おごらよ』
『先、入ってますよ?』
春平の声がして、浴衣姿の彼が部屋にあがり込んだ。あがり込んですぐ、重苦しい雰囲気を察知したのか、部屋の仕切あたりで立ちどまってしまう。
「どないしたん? 春平君」
彼の後ろから、冬樹が携帯端末を仕舞いながら言った。
「あの…… えっと……」
言い淀んで固まる春平の肩越しに、冬樹が部屋の中を覗いた。
机の上で仁王立ちしている秋恵と、机に両手をついている夏美が、ジッと春平たちを見ている。どこか殺気立っていた。
「なんや、これは…… どうないしたん?」
冬樹の質問は、突然に立ちあがった夏美によって流された。
彼女は早足に春平の方へ迫っていく。
思わず身構えた春平だったが、彼を押し除けるように脇を抜けた夏美が、突っ掛けを履いて、外へと出ていった。
「お、おい!」
「春平君、頼んどか」
冬樹がそう言ってすぐ、夏美のあとを追いかけた。
夏美が恐る恐る、机の上で正座している秋恵に向けて言った。
「これ、もう取ってもいいのかな?」
頭に巻いているタオルを指差しながら言うと、秋恵が「どうぞ」と答える。
人形だから表情の変化が無いから、声音が表情を読みとる唯一の手段なのだが、その声音が低くて素っ気ない。
そうすると、誰でも不機嫌なのではと考える。
夏美もそう考えたらしく、
「まだ怒ってるの?」
と、タオルを取りながら言った。湿り気を帯びた黒い髪があらわとなる。
「あんなことされたら、誰でも怒ります!」
発音がいつも以上に京阪なまりとなっていたから、夏美も、相手が怒っていると察したようだ。
彼女は机の前で膝をつき、人形の方へズイッと顔を近付けた。
「秋恵さんもシュンちゃんみたいに、しつこいタイプなんだね。こんなに謝ってるのに」
「そんな謝り方されたら、誰でも怒ります。夏美さんはもっと人のこと考えてください」
「も~ッ!」
夏美が両腕を机の方へ伸ばし、上体を反らして腰をあげ、ちょうど猫の伸びみたいな格好となった。
眉は寄って、頬は膨らんでいる。
「私、ちゃんと反省して謝ってるんだってば。どうして分かってくれないの?」
「話し方です」
「話し方?」
「夏美さんは…… ちょっと無邪気すぎるんです。もっと抑制とか、そういうメリハリを付けた方がええです。私が夏美さんみたいな人間やって周りに思われるやないですか」
「秋恵さんが大人し過ぎるだけだよ」
「こういう性格なんです」
「ウっソだァ~……!」と、上体を持ちあげる夏美。「シュンちゃんや部長さんの前で大人しくなってるだけよ。私と二人っきりのときは、こんなに話してくれるのに~」
「あなたがたくさん話してくるから、返してるだけです。それに、私は猫かぶりみたいなこと好きちゃうから、こうやってあなたに怒ってるんやないですか」
「猫かぶりとは思わないけど、部長さんやシュンちゃんの前で大人しくなってるのは事実じゃない」
「明るい気分になれやんだけです!」
夏美が目をパチクリさせた。
秋恵はハッとして、うつむきながら「もうええでしょう?」と言う。「そういうことなんです」
「まっ、いいか」
夏美が姿勢を真っすぐ正し、
「そう言われると納得しちゃうけど…… でも、なんか引っ掛かる」
秋恵が黙ったままだから、夏美は続けた。
「だってシュンちゃんの昔話をしたとき、物すごく寂しそうな感じで窓の外、見てたもん。寂しいなら会話に入ってくればいいのにさ」
「おいしそうやなって、そう思うてただけです」
「じゃあ、お腹が減ってないって言うのは嘘だったの?」
「嘘ちゃいます」
「じゃあ…… なんで?」
秋恵が、今度は横を向く。
「分からないなぁ」
夏美が両腕を組み、眉をひそめた。
「どうしてあんな急に…… あれ?」
突然、夏美が自分の胸元を見下ろした、そして、左胸にそっと手をやった。
「なんだろう、これ……」
「どうかしたんですか?」
「なんか、急に強く動きだして……」
「えっ?」
「なんかドキドキしてる、秋恵さんの体……」
秋恵が夏美を見たまま、黙っていた。
「これ、私が何かしたわけじゃないよ? 本当に何もしてないからね?」
「…………」
「ねぇ、これって秋恵さんの体が勝手に反応してるだけなんじゃないの? まだ完全に入れ替わったワケじゃないっぽいし……」
秋恵が夏美を見上げたまま、黙りこんでいる。
夏美が急に、ハッとした。
「寂しいって、そういう……」
彼女の口角が徐々にあがっていく。
秋恵が立ちあがって「ちゃ、ちゃいます!」と否定する。
「嘘よ、だって分かるもん。秋恵さんの、シュンが好きだって感覚…… 伝わってくるもん」
秋恵の呼吸が明らかに乱れていた。
「どうして隠そうとするの?」
答えない。
「こんなに好きなのに、どうして教えないの?」
やっぱり答えない。
「伝えるのが嫌なんだ…… あんなのだから、やっぱり嫌い? でも違うっぽいね。なんで嫌なの? 好きなのに知られたら嫌だなんて、変なの」
「ええやないですか別に!」
突然、秋恵が両手を握りしめ、足を踏みならして言った。
「そんなん、あたしの勝手やん!」
「じゃあ、私が言ってあげようか?」
夏美が悪い笑顔で言った。秋恵は首を横に振り、
「先輩のこと嫌ってるんでしょ? 嘘つくことになるからやめて!」
「体は一緒なんだから別にいいじゃない」
「全く一緒ちゃうッ!」
「じゃあ、こういうのはどう?」
そう言って、夏美がまたズイッと顔を人形へ近付けた。
「私をマユちゃんのところへ案内して。そうしたら黙っててあげるし、用事が済んだら体をその場で返してあげる。──ね? これでお互いの目的が達成できるでしょ?」
「そのマユちゃんって子に何するつもりなんです……!」
「あなたは私の体の中にいるんだから、そこから何か感じとったらいいじゃない」
「人形やのに、何も感じられるわけないやんッ!」
「じゃ、仕方ないわね。それよりもどうするの? 私の提案を呑む? のまない?」
「卑怯やん、そんなの!」
「知らなーい。
私が訊いてるのは提案に賛成か反対か、それだけだもん。賛成したら、自分で好きって言うか言わないか選択できるから、賛成した方がいいと思うけどね」
秋恵がうつむいた。
握りしめた手に力が入っているせいか、体が震えている。
一方、有利に交渉を進めているはずの夏美は、なぜか表情が硬い。
「どうするの?」
催促するように夏美は尋ねた。
すると、すすり泣く声がし始めた。
「なんで…… こんな……!」
夏美は片眉を釣りあげ、「泣いたって変える気ないからね」と早口で言った。
彼女の言葉を聞いているのか、いないのか、秋恵は変わらずうつむいて、泣くのをこらえているようだった。
夏美が秋恵の顔を覗き見ようと、机に頬をくっ付ける。
当前だが、涙も流れていないし表情も全く変化が無い。だから、彼女はすぐに顔をもたげ、秋恵を見下ろしていた。
「どうするの?」
せかすように夏美が言う。
「──ん」
「もっとハッキリ言ってよ」
「言うたらええやんッ!!」
秋恵が顔を向けて叫ぶから、夏美が驚いてのけぞった。
「あたし、絶対に言うこときかんからッ! 絶対に協力なんかせぇへんもんッ!!」
夏美が口を開いた。しかし、秋恵の声が先に響いた。
「先輩たちと一緒に、絶対に除霊してみせる! こんな体から絶対に抜けだしてみせるッ!」
「こ、こんな体とは何よッ!」夏美が机を打った。
秋恵は衝撃に耐えて、夏美をジッと見上げていた。
「私をこの体に入れたのって、そもそもアナタじゃない!」夏美が怒鳴る。「魂か精神か知らないけど、こんな物をこしらえたのだって、あなたよッ!」
「そうやとしても、こんな卑怯なことされるいわれ、無いもんッ!! なんでマユって人にそこまで執着するん?!
幽霊や無いって言うけど、人の体を乗っ取ってる時点で、ただの悪霊やんかッ!!」
「人形が持ち主に執着して何が悪いのよッ!! 親子みたいなもんじゃないッ!! 好きな人を好きだって素直に思ってるだけでしょッ!! ウジウジ隠してるアナタとは違うんだからッ!!」
沈黙が流れる。もはや修羅場の重さであった。
不意に、ドアの開く音がする。
『そうそう、岸和田のとこ』と、冬樹の声が出入り口からした。『頼んどか、皐月ちゃん。──分かった、今度おごらよ』
『先、入ってますよ?』
春平の声がして、浴衣姿の彼が部屋にあがり込んだ。あがり込んですぐ、重苦しい雰囲気を察知したのか、部屋の仕切あたりで立ちどまってしまう。
「どないしたん? 春平君」
彼の後ろから、冬樹が携帯端末を仕舞いながら言った。
「あの…… えっと……」
言い淀んで固まる春平の肩越しに、冬樹が部屋の中を覗いた。
机の上で仁王立ちしている秋恵と、机に両手をついている夏美が、ジッと春平たちを見ている。どこか殺気立っていた。
「なんや、これは…… どうないしたん?」
冬樹の質問は、突然に立ちあがった夏美によって流された。
彼女は早足に春平の方へ迫っていく。
思わず身構えた春平だったが、彼を押し除けるように脇を抜けた夏美が、突っ掛けを履いて、外へと出ていった。
「お、おい!」
「春平君、頼んどか」
冬樹がそう言ってすぐ、夏美のあとを追いかけた。
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