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 空がだいだい色とこん色の層とに、ぼんやりと分かれていた。

 だいだい色は太平洋の水平線に近いほど濃く、逆に水平線から遠退くにつれ、薄雲の隙間からこん色の黒い空がハッキリ見えるようになっている。

 その紺色が時計の針と共に、水平線へ徐々に進んで伸びゆくと、だいだい色の層と混ざって、いつしか薄い水色へと変色している。

 夕食時の頃には、辺り一面がもうすっかり暗いのに、空だけは薄水色に明るいという夏の暮れらしい光景となっていた。
 春平はそんな夏の夜の訪れを、ホテルの部屋の窓から眺めていた。

「ハァ……」

 彼の後方にある和室用の長机には、人形──秋恵が正座している。そして、向かいあっているのは春平や冬樹では無く、夏美だった。

「ゴメンなさい」と、頭を下げる夏美。「すり傷を負わせてしまって」
「あの…… お気になさらず……」と、なんとか言った秋恵。
「許してくれてありがとう!」

 笑顔の夏美に、春平が「アホか」と、振りむき様に突っ込んだ。

「いきなり色々なこと言われて混乱しとるだけや。それに秋恵ちゃんも、場の雰囲気ふんいきに流されたらアカンで?」

「は、はい……」
「もう! シュンちゃんは黙っててよ!」
「お前が好き勝手に話、進めていくさけ、黙ってられへんのや」
「どうしていっつも私の邪魔ばかりするの!」

 不意に、扉が開く音がした。

「なんやなんや?」と言って、部屋に入ってくる冬樹。「またけんしとるんか?」
「だって!」
「まぁまぁ、夏美ちゃん。それよりちゃんと謝ったんか?」

「うん、もちろん。──ねぇ?」
「そう、ですね…… 謝ってはくれました」
「まぁ、そういう反応になるわな」

 そう言った冬樹が、買い物袋を置きながら胡座あぐらをかいた。

「とりあえず、夏美ちゃんの目的ってヤツを済ませることが出来たら、体返してくれるらしいから…… もうちょっとだけ辛抱してくれへんかな?」
「それは構いませんけど……」
「けど?」
「変なこと、しやんといて下さいね……?」

「──やってさ、夏美ちゃん」
「わ、分かってるもん…… さっきも謝ったじゃない」
「じゃあ、この件はこれでいにしよか。夏美ちゃんに改めてきたいんよ」

 冬樹が、壁際の薄暗い一角に置いてある巫女みこ人形を見やった。人形の側には荷物も一緒に置いてある。

「あの人形と鏡、見覚えないかな?」
「見覚えも何も、始めて見た」
伊賀いがって書いてあるんやけど…… 聞いたことない?」
「うん、聞いたことない」

「夏美ちゃんは、どこで作られたん? 三重県かな?」
「ミエケンって言うのは知らないけど、夏美おばあちゃんがトウキョウで買ったって話してたのを聞いたことあるから、そこで生まれたんじゃないかな?」
「そうかぁ……」

 冬樹は残念そうに言って一呼吸、置いてから続けた。

「ほな、入れ替わったときの話なんやけど…… 秋恵ちゃん、夏美ちゃんに話しといてくれたか?」
「はい」と秋恵。「あたしの知っている限りのことは話しました」

「ついでやから」と春平が続く。「朝の状況も話しときましたよ」
「シュンちゃんは文句ばっかり言ってたけどね」
うそつくな!」

 冬樹が「ほんなら」と、受け流すように言った。「どうやって体を返すつもりなんか、説明してくれやんかな? そこはかなり重要やさけ」
「簡単、簡単」と夏美が笑った。「私がこの体から出ていけばいいの」

「出ていくって…… そんな簡単に出来るもんなんか?」と、春平がげんそうに言った。
「シュンちゃんたちには出来ないだろうけど、私には出来るの」
「ほな、やって見せてよ」

取引とりひきが無事に済んだらね」
「ホンマは、お前が無理やりに秋恵の体へ入ったんとちゃうんか?」
「入り方は知らないもん。むしろ、どうやって入るのか教えてほしいくらいかも」
「出ていく方法だけ知ってるとか、随分とお前に有利やな」
「まぁ、とりあえず信じら」

 春平を遮るように、冬樹が言った。無論、春平は驚いた顔で彼を見やっている。

「それで…… 夏美ちゃんの言う取引とりひきって何かな? それと、やっておきたいことあるって言うてたけど、それについても聞かせてくれやんかな?」
「あなたに言っても分からないと思うけど…… まぁいいわ」

 湯飲みのお茶に口を付けてから、夏美は続けた。

「マユちゃんに会いたいの」
「マユちゃん?」
「シュンちゃんなら、よく知ってるはずだよ?」

 冬樹と秋恵が、春平を見た。

「この人形の…… えっと、夏美の持ち主だった人です」
「君に人形供養を頼んだ人やっけ?」
「頼んできたんは、その子のお母さんなんです。マユちゃんは無関係やと思うんですけど」

 春平は、最後の言葉を夏美に向けて言った。彼女はしばらく不機嫌そうにしていたが、

「どっちでも一緒よ」と、暗に春平の発言を否定するように言った。「とにかく会いたいの、マユちゃんに」
「夏美ちゃんは、そのマユちゃんと会って何がしたいん?」

 冬樹がそう言うと、夏美がうつむき、

「マユちゃんに会って……」

 と答えたきり、黙りこむ。

「どうしたん?」

 冬樹がき返した。しかし、夏美はうつむいたままである。

「なんや? 頭痛でもぶり返したんか?」

 春平がき返すと不意に、夏美がおなかをさすり始めた。

「おなかが……」
「なんや? 水の飲み過ぎでおなかくだしたんか? それとも生理か?」
「こら」と、冬樹が春平の頭をづいた。「女性に向かってそんなこと言うもんちゃう」
「部長、こいつは人形やから中性みたいなもんですよ」
「体の持ち主がおるやろ……」

 ハッとした春平が、秋恵の方をいちべつする。その視線を感じたのか、彼女は目をそらせていた。

「あ、いや…… ごめん……」
「いえ、別にええんです……」

 春平は冷や汗が出たと思って、のど元を手でぬぐいつつ、

「お、おなかへったんやろう、多分」

 若干うわずった声で、夏美を見つつ言った。

「おなかが減るって?」
「ああ」と、手の平を打つ冬樹。「夏美ちゃん、体の変化に不慣れなんか」
「不慣れって?」首をかしげる夏美。
「足のこの部分、触ったら痛むやろ?」
「うん。押すとズキズキする」

 夏美がふくらはぎを人差し指で差して、言った。

「筋肉痛にしては症状が出るん早すぎるさけ、つってもたんやろう。夏美ちゃんはそこに気付かんと歩き続けて、そのせいで崖へ落ちかけたんとちゃうか?」
「そう言えば、足の自由がきかなかったような……」と、上目になる夏美。

「今はおなかと背中がくっ付く感じちゃうか?」
「う~ん…… なんというか、おなかがギュッとしてるというか…… からっぽな感じというか……」
「文字通り、くうふくやな」

 春平がこう言うと、秋恵が壁に掛かっている時計を見上げていた。

「確か、夜の七時に食事が運ばれてくるはずです」
「おっ、もうじきやん」
「ほな、そのあとにはなししよら」と冬樹。
「この感じ、ちゃんと消えるよね?」

 夏美が心配そうなこわで言うから、春平がニヤと笑った。

「人形も、人の体に入ったら僕らと変わらんみたいやな」
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