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ヤンデレルート

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「人間扱いしなくていいなんて……それは、違うだろう……!」

 確かに、医師として医学的な意味を論じているのなら陽介の言い分は合っているだろう。だが今はそんなことを話しているのではない。一人の人間としての良心とか人間性とか、そういった道徳的な意味合いで話しているのだ。いつも優しく感情豊かだったはずの陽介が、そんなことをわからないはずがない。
 耳に入ってくる言葉が信じられなくて、思わず陽介に聞き返す。

「だって、お前はあんなに子供を欲しがってたじゃないか。なんでそんなことを言うんだ」

「正直なところ、修一と番になれた以上、もう子供なんてどうでもいいんだよね。できたならそれでもいいと思うけど、二人の時間が減っちゃうよ? それなら、いなくてもいいんじゃないかな」

 二人の時間のために子供はいらないと、陽介は平然と告げる。

「ねぇ、本当に気にしないでいいんだよ? 修一は自分を責めなくていいんだ。子供なんてどうでもいい。俺は修一が無事なら、後は何も必要ない。子供の代わりはいても修一の代わりはいないんだ。だから、いもしない子供なんかより、自分のことを大切にするべきなんだよ」

 まるで見当違いな慰め方をする陽介に、鈍器で頭を殴られたようなショックを受けた。

 人の命を慈しみ救うことを大切にしてきた陽介が、それを「どうでもいい」だと?
 以前の陽介なら絶対にこんな考え方はしなかったはずだ。一体いつから、彼は変わってしまったのだろう。
 そう思う脳裏には陽介と番になった夜の出来事が浮かんでいた。

 今まで陽介には意に沿わないことも、許し難いこともされたが心のどこかでは許していた。受け入れていた。
 だがこんな、命を軽んじるような真似だけは到底受け入れられない。

 ーー駄目だ。これだけは。

 自分一人で済む問題ならまだしも、子供のことは無理だ。修一自身になら、愛する陽介から何をされようが結局のところは許せる。しかし命を軽んじるような真似だけは許せなかった。
 明らかに以前の陽介とは違うと思った。理由はわからないが、彼は変わってしまった。かつて修一が愛すると、一生そばにいると誓った時の陽介はこんな考え方をする人間ではなかったと断言できる。陽介がが初めからこういう考え方をする人間であったならば、修一は彼のことを愛さなかった。

 ーーなんで。いったい、いつから?

 このまま二人でいることはたぶん、よくない。自分一人が我慢して、受け入れていればいいという問題ではなくなってしまった。
 あの夜から陽介は、二人の関係はどんどんと悪い方へと向かっている。……このまま二人でいれば、陽介を駄目にしてしまう。
 どうすればいい。いったいどうしたら、陽介は以前の彼に戻ってくれるのだろう。
 その方法に見当もつかず、修一は途方にくれた。

 そばでは陽介が何か言っていたがその言葉はほとんど頭には入ってこず、どこか上の空で返事をしていた。
 陽介がまるで違う人間みたいに見える。この男は誰だ、自分が愛した陽介はどこへ行ったのだと、目の前で嬉しそうに自分の世話を焼く男の顔を見た。

 その時ふと、財布の中に二つの名刺を入れたことを思い出す。……そうだ、彼ならば答えを教えてくれるかもしれない。
 言っていたじゃないか。助けを求めても構わない、恥ずかしいことではないと。もしかしたら、彼ならば答えを知っているかもしれない。

 ーー電話をしてもいいだろうか。

 人に頼ったり、甘えたりすることは好きではない。弱さや情けなさを晒すことは極力回避してきた。Ωと侮られようと、どんな逆境だって立ち向かい、いつだって自分の力で道を切り拓いてきた。
 だから、今回のことだってそうしたかった。だが、もはや自分の手には余る。解決方法など何一つ思い浮かばない。
 修一は、いつでも電話をしていいと言っていた、あの親切な医師の顔を思い浮かべた。



 翌日、陽介が仕事に向かうのを見送ると修一は佐伯へ連絡をするタイミングを見計らっていた。
 いつ電話をしてもいいと言っていたが彼も忙しいだろう。せめて他のスタッフから佐伯の手の空いているタイミングを聞こうと思い、ナースステーションを訪ねようとベッドを降りた矢先、ノックとともに佐伯の声がした。ありがたいことに彼の方から病室を訪れてくれたのだ。

「おはようございます。体調はどうですか?」

「おはようございます、先生。ちょうど私も話がしたいと……っ」

 ベッドから降りて立ち上がった瞬間に視界が暗くなり、ぐらりと体が揺れる。すかさず佐伯が伸ばしてくれた手をどうにか取り修一は転倒を免れた。

「……すみません」

「まだ貧血気味なんです。すぐに立ち上がっては駄目ですよ。ゆっくり体を起こして、それから立ち上がってください」

「はい……気をつけます」

 まだ貧血気味と聞いて、輸血だけでは足りなかったのかと思った。そういえば陽介にもそのようなことを注意されていたなと思い出す。
 まだ視界はぐるぐるとしている。脳への血流が一時的に足りていないのだと、佐伯にベッドに横になるよう促された。

 ーー立ち上がったくらいで、情けない。

 こんなことで二週間で退院できるのかと心配になった。
 佐伯はそんな心中を見透かしたように修一を励ます。

「大丈夫ですよ。如月さんはベースが健康体でしたからね。すぐに体力は回復します。だから今は余計な怪我をしないように」

「ありがとう、ございます」

 やはりこの医師は患者をよく見ていて、医師として素晴らしい素質を持っているのだと思った。陽介にもかつては同じことを思っていたはずなのに、と昨日の陽介の発言を思い出し、暗い気分になってしまった。
 そうだ、その陽介の相談をしたいと佐伯に連絡を取ろうとしていたのだ。
 意を決して彼を見上げる。

「佐伯先生、ご相談したいことがあります。お時間はーー」

「ええ、どうぞ」

 修一の言葉を遮り、彼はさっさと覚悟を決めて話せとばかりに促した。やはりせっかちだなのだなと思ったが、そういう一面もこの医師らしくて好ましいと思った。

「先生、私はーーーー」



 この数ヶ月の間に起こったことを出来る限り簡潔に、客観的に佐伯に話した。そしてその上で修一は、自分は今後どうしたいのかを伝える。
 佐伯は修一の話を聞いた後、何か思案するように黙り込んだままだった。そしてしばらくすると「少し電話をして来ます」と言って席を外す。
 何も言ってくれないまま消えてしまったことに少し不安になったが、15分ほどして彼は戻って来てくれた。そしての手には一枚のメモ用紙が握られていて、それを修一に手渡した。
 中を見ると、一つの電話番号か記載されている。それは、初めに修一が佐伯からもらった二枚の名刺の番号ではない。

「先生、これは……」

 電話番号だけが記載された紙を渡された修一が訝しんでいると、佐伯が安心させるようにその電話番号の持ち主の素性を告げる。

「如月さんの話からすると、もしかしたらーー」

 佐伯は修一に、一つの可能性を示唆する。
 その思っていもいなかった内容に、修一は驚愕した。

「そう仮定するとおそらく、あなたの望みにはこれが最も適切でしょう。話は通してあります。時間のとれる時、早めに電話をして下さい。わかっているとは思いますが、井領さんには言ってはいけませんよ」

「わかりました……ありがとうございます」

「いえ、私にできることはこれくらいなので」

 佐伯は、修一が思いもしていなかった道を示すと病室を去っていった。
 まさか、そんな可能性があったとは。そんなことは、全く考えが及ばなかった。もし本当に佐伯が仮定したことが事実ならば、自分たちはーー。

 修一は渡された番号に電話をかけるため、スマートフォンを手に取った。
 
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