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ヤンデレルート

ヤンデレ編最終話

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 陽介と別れてからの4年間、胸中は塞がらない穴が空いたままだった。
 あんなに入れ込んでいた仕事も出世も、成功した時に隣で一緒に心から喜んでくれる陽介がいないとなると、とても虚しかった。

 友人や仲間らと飲んだところで、女性と付き合ったところでその穴は埋まらない。
 賑やかな場所から一人で家に帰ると、更に強烈な孤独感に苛まれた。
 いつも笑顔で暖かく出迎えてくれた夫はもういない。今日はこんなことがあった。美味しそうなレシピを見つけたから俺に作ってやりたい。次の休みはあそこへ行きたい。旅行に行けたらはあんなところにいきたい。
 そんなことをいつもニコニコと嬉しそうに話してくれる陽介はもういないのだ。
 俺の身勝手で、行きたいと言っていた旅行すらろくに連れて行ってやれなかった。

 俺はとんでもないものを失ったのだと後悔した。
 それでも陽介のためにあの判断は間違ってはいなかったのだと、無理矢理自分を納得させた。
 そして今まで勤めていた事務所を退職し、友人と新たな事務所を開いた。前の仕事は好きだったが、大切なものを失ってまで身を粉にして働く理由が俺にはもうなかった。
 出世も、周りからの評価もどうでもいい。陽介がそばにいないのなら、今やそれらは得ても虚しいだけだった。

 だからあの店で陽介と再会した時、胸中は複雑だった。再会できたことを単純に嬉しくもあり、身を切られるような思いまでして別れたのに今更、という気持ちもあった。

 陽介は4年前より少しやつれた様子で、彼の性格に似合わない無精髭まで生やしていた。あんなに俺の体調を心配してくれていた陽介の生活の荒み具合が垣間見えた。
 自惚れのようにも聞こえるが彼が俺を見た瞬間、まだ俺を好いていてくれているのだとなんとなく分かった。

 再会して陽介と寝るようになってからしばらくして陽介が俺を「好き」といった時、俺の中に再び愛しさが溢れた。
 だがあんなふうに別れたのに今更俺も好きだ、愛してるなんて言うのはおこがましいと思った。
 それでもまだこんな俺を好きと言ってくれる陽介に何か返してやりたくて、「俺も」という男らしくないなんともダサい返答を絞り出したのだ。
 そうして昨日俺はようやく覚悟を決めてプロポーズに及ぶつもりだった。

 その際に渡すはずだった指輪がしまってあることを思い出し、それを取り出そうとクローゼットに向かった。
 扉を開けて紙袋から取り出した指輪のケースを掴み、ベッドに戻る。

 早く座りたかった。昨日の蛮行で長時間立っていると腰が痛いのだ。
 出来ればベッドに横になりたかったが、ベッドを惨状を見て昨日の記憶を手繰るとそれは戸惑われた。

 ひとまずケースをサイドチェストに置き、色んな染みがついた汚い掛け布団とシーツを丸めて部屋の隅に押しやる。

 どうやらマットレスは無事なようだ。防水シーツにしておいて本当に良かった。
 自分の小便がついたマットレスで寝るなんて絶対に御免だ。危うく買い替えになるところだったと俺は安堵した。

 マットレスだけになったようやくベッドにようやく腰を降ろして一息つく。

 陽介はまだ釈然としない様子でだんまりとしたまま突っ立っていた。

 そんな陽介に俺は「ほら」と指輪のケースを放り投げる。

「やるよ」

 うまいことキャッチして手元に収まったケースを陽介は訝しげに見る。

「いいから開けろって」

 俺の言葉に従って陽介はおずおずとその箱を開ける。

「お前に。本当は昨日、格好良く渡すはずだったのに、お前のせいで台無しだこの馬鹿」

「ぁ……この指輪は……」

「俺が前に着けてたものだよ。お前のサイズに直しておいた。それを渡して昨日プロポーズするはずがひどい目にあった」

 もうプロポーズなんてしてやらないからなと、俺はぶっきらぼうに告げた。

「……何で、こんな……。おれは……っ」

 陽介の目からボロボロと涙が零れ落ちる。大人のくせに涙もろいところも、そういえば好きだったなと思う。

 大切そうにケースを握りしめたまま、一人突っ立っている泣いている陽介がなんだかかわいそうに感じた。

「……ほら、こっちにおいで。お前に泣かれると弱いんだよ、俺は……」

 これからは馬鹿な真似はせず、堂々と正面からぶつかってきてくれ。俺はお前みたいに気が回らないから、ちゃんと言ってくれないとわからない。俺の行いが足りなくて、どんなに陽介を傷つけて不安にさせて悲しませているのか分からないから、これからはちゃんと言え。
 そういったことを、彼を抱きしめながら懇懇と諭してやった。

「これから……これからが、あるの? そばにいていいの。修の信念を捻じ曲げて番にしたのに、一緒にいてくれるの?」

「ああ、一緒いる」

「本当に?」

「本当だよ」

「もう俺を捨てないで」

 俺は陽介を捨てた覚えなんかないが、ここは取り敢えず頷いておいてやる。

「ああ。捨てない」

「俺以外見ないで」

「分かった。見ない」

「女と喋らないで」

「……努力する」

「俺以外の男とも喋らないで」

「おい、調子に乗るな」

 普通に生きていてそんなこと出来るか、と陽介を叱った。
 叱るついでに、そういえばあんなに酷いことをした陽介の口から謝罪を聞いていないのではと思い出す。

「それで、陽介。もう一度聞くぞ。俺に何か言うべきことは?」

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。ごめん、ごめん……」

「よし、それでいい。二度とあんな真似するなよ? お前かなり怖かったぞ」

「しない。ごめん」

「それに殺すなんて言い過ぎだ。あれ、本気だったのか」

「…………ごめん」

「否定してくれ、頼むから」

「ごめんなさい」

「……わかった。もういい」

 頑固にも否定せず謝罪の言葉を繰り返す陽介に俺は大仰に溜め息をついた。
 このどうしようもない男に、俺は心を込めて伝える。ずっと、言いたかったことを。

「よく聞いてくれ、陽介。…………お前を愛してる。番になる前からずっと」

 床に膝を付いた陽介が俺に縋りつき子供のように泣いている。
 陽介は、俺もと言いたいらしいが、お、お、おえ、おえもなんて吃っていて俺には全然聞こえない。

 俺はそんな彼を見て、まるで呪いみたいに俺に執着する陽介をかわいそうで、かわいくて、愛しく思った。

 やっと自由になった両手でその頭を優しく撫でる。

 そうして俺は、ようやく彼を慰めてやることができたと安堵したのだった。


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