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26. 10月27日 コーヒーハウス

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 朝食のあとで兄さんに誘われて、わたしたちは傘をさしながらコーヒーハウスに向かって歩いている。
アスリエル王国は雨が多い。しかも蒸気産業の発展に伴って最近は霧も多く、特に今日みたいに寒い日は雨の冷たさが身に染みる。冬が少しずつ近づいているっていうことだ。だけど今日は雨に感謝している。
昨日のディナーで、晴れた日にペニーパークで会おうと、ジムと約束をした。ジムと向き合うのは気が重い。このままずっと雨が続けばいいのに。

「早く店に入って、熱々の飲み物が飲みたいよ」兄さんは愚痴をこぼした。

「そうね。今日は一段と冷えるもの。コーヒーハウスへ行くのなんて、何年ぶりかしら」

店がようやくみえてきた。ガラス越しに映るわたしたちの鼻は寒さで赤くなっている。
兄さんもわたしも、茶色い髪と目をしているけど、顔は全然似ていない。兄さんは父さんに似て、切れ長な目元に鷲鼻だ。だけどわたしは駆け落ちして家を出ていった母親に似て、丸く垂れた目をしている。わたしが笑うと、まるで間抜けなパグみたいだ。

「やあ、サンディ。私にコーヒーを、この出来のいい妹には紅茶をもらえるかい?」

「これは、これは。ホームズご兄妹!そろって来るとはめずらしい。エディ、近ごろお見えにならないんで、どうしちまったんだろうって心配してたんです」

コーヒーハウスで二十年間給仕をしているサンディは、本人が話すダウンタウン特有の大らかなアクセントからは想像もできないくらい細かく客の好みを把握しているので、このコーヒーハウスは要望が多い紳士からの支持が厚い。

「最近は忙しくしていたんだよ」
きまり悪そうに、兄さんは答えた。うちの商会が潰れそうになって、引退した父さんと一緒に金策に走り回っていたのだ。


 運ばれてきた紅茶に砂糖を二個入れる。温かくて、いい香りだ。

「なあ、アリー。ジムは魔法税理士としてホームズ商会にアドバイスをくれそうだし、気持ちのいい人物のようだ。それに寄宿学校時代の寮が同じだったことがわかったんだ。残念ながら彼が入学する年には私は卒業してしまったがね」

兄さんはコーヒーを一口飲むと続けた。

「ジムと顧問契約を結びたいのだが、アリーはかまわないだろうか。父さんも私も、ジムとの契約に関わらずアリーは結婚相手に誰を選んでもかまわないと考えている。
家の事業は、おじい様のころの勢いは取り戻せないだろうけど、新しい商品を考えてなんとか盛り返すつもりだよ」

「それでかまわないわ。そもそも繋いだのは、わたしよ。兄さんにはホームズ商会を続けてほしいわ。うちのキャンドルを焚くと、いつだって懐かしくて幸せな気分になれるんだもの」

「アリーのお気に入りは《HAPPY》だった。そうだろう?あれは上質な《幸運の薬草》が入っているからね。ピオニーと、満月の夜に摘んだ《ハミングローズ鼻歌を歌う薔薇》の香りだ」

兄さんが言い当てたことで、わたしはにっこりとほほ笑む。

「何か新しい商品が必要だ。アイデアが思いつけばなあ。机に突っ伏して寝てしまって、インクの跡が顔についてしまったんだよ」
兄さんの頬にインクの跡が残っている。

「わたしはインクの匂い、好きだわ。それと、古い紙の匂いも」

「アリーは昔からよく本を読む子どもだった。好んで読んでいたのは大体ファンタジーだったよね。将来は探検家になるってシーツを体に巻き付けたまま屋敷を走り回って、そのたびにメイドや子守に怒られたんだ」

「もう、からかわないでよ」と、兄さんに向かって言いながら、紅茶の匂いを鼻いっぱいに吸い込む。
「紅茶の匂いも好きだわ。もし嗅ぐことができるなら、懐かしい思い出の匂いを嗅いでみたいな」

「どんな匂いだ?」
兄さんは興味を引かれて前に乗り出す。まるで面白いいたずらを思いついたときの子どもように。

「そうね。例えば晴れた日の香り。昔遊んだ洗濯場の匂いよ。お日様で乾いた洗濯物の清潔な香りや、新鮮な木々の香り。風になびくシーツや、かさかさと触れ合う葉の音。スカイブルーの空に浮かぶ白い雲」

「懐かしく、普遍的な香りだな。《幸運の薬草》がなくとも、目をつぶれば幸せな気持ちになる。アリー、新しいキャンドルができるかもしれない」

「本当?」

他にはどうだと、わたしは兄さんにせがまれる。

「そうねえ、雨の日の香りも好きだわ。雨粒が窓に当たる音、暖炉の火がパチパチと爆ぜる音。温かい紅茶の匂いに、甘くてスパイシーなジンジャークッキーの匂い。それから、カシミアのブランケットと古い本の手触り」

わたしたちは目をつぶって想像してみる。幸せな気持ちだ。

「アリー、さっそく君の案を考えてみるよ。君は幸運の天使だな。さあ、ここを出て、一緒に家へ戻ろう。私は午後に工場に行くよ。うちの工場長に意見を聞いてみよう」


 わたしたちは陽気な気持ちでコーヒーハウスを後にした。昔そうしたみたいに互いに腕を取り合い、幸福だった子供時代が蘇ったように。
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