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6章 こゆび
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結菜ちゃんは、小宮家の斜向かいに住む小学2年生らしい。
ピンポンダッシュの犯人はこの子だったわけだけど、もちろんいたずら目的ではなく、インターホンを押してはみたものの話すのが怖くなって、逃げ出してしまったのだという。
「お引っ越しは急に決まったの?」
「ぅ……おととい、言われた。来月、わかやまにひっこすって。わかやまってどこ? 知らないところ行くのやだ」
お父さんの仕事の都合だというので、きっと急に決まったのだろう。
「お友達と離れるのが嫌なのかな?」
「うん。やだ」
「結菜ちゃん、お友達いっぱいいたもんね」
達紀は中学生の頃に子供会のボランティアをしていたらしく、近所の子供は大体把握しているのだそうだ。
話を聞くに、結菜ちゃんは、みんなに好かれる人気者だったのだと思う。
「お友達には? 引っ越すって話した?」
「女の子は話した。けど……」
大きな瞳に、じわじわと涙が溜まる。
なるほど。事態が飲み込めた俺は、怖がらせないようにそっと尋ねた。
「間違ってたらごめんだけど、結菜ちゃん、好きな子がいるの?」
「うん」
「言えなくて困ってる?」
「……うん。会えなくなるのもかなしいし、なんて言ったらいいか分かんない。やだ。結菜だけひっこさない」
なぜ達紀を頼ってきたのかは、分からないけど、分かる気もする。
頼れるお兄ちゃんなら、家族のことも、好きな子のことも、どうにかしてくれるかも知れないと思ったのではないだろうか。
もちろん達紀本人も、一肌脱ぐ気満々だ。
「パパやママは? 今、おうちにいる?」
「ママがいる」
「僕たちが一緒にお話ししに行こうか?」
「ひっこさないって言ってくれるなら来て」
黙って顔を見合わせる。
さすがに、高校生がよそ様の家の事情に踏み込むのはどうかと思うし、そんなことを言ったって覆らないことは目に見えている。
そしたら、結菜ちゃんはもっと傷つくのではないだろうか。
お母さんのことを嫌いになってしまうかも知れない。
達紀は、優しく微笑んで言った。
「結菜ちゃん、分かった。ママじゃなくて、好きな子のところに行こう。それで、お引っ越ししてもお手紙交換したいって言おう」
「お手紙じゃ意味ないっ」
達紀は、すねる結菜ちゃんにしっかりと目を合わせる。
「あのね。僕は多分、パパやママも、結菜ちゃんと同じように、お引っ越ししたくないと思うんだ。ママだってお友達がたくさんいて、でも離ればなれになっちゃう。結菜ちゃんと同じ気持ちだよ」
結菜ちゃんは、ぱっと目を見開いた。
「好きな子のところに行こう。新しい住所は分かる?」
「……ママに聞いてくる」
結菜ちゃんは自宅に向かった。
俺たちはホッと胸をなで下ろす。
「達紀、すごいね。子供慣れしてて」
「いやいや。どうしようかと思っちゃったよ、引っ越しを止めるなんて無理だし。でも……」
達紀は目をそらし、恥ずかしそうに言った。
「あおの前だし、ちょっとかっこつけたくなっちゃっただけ」
危うく、外で抱きつくところだった。
しばらく待っていると、結菜ちゃんとお母さんがやってきた。
お母さんは、困ったような顔で頬に手を当てる。
「達紀くん、結菜が迷惑かけたみたいで、ごめんなさいね。お友達も」
「いえいえ。危ない目に遭ったわけじゃなくてよかったです」
達紀がにっこり笑うと、お母さんは結菜ちゃんの頭に軽く手を乗せながらため息をついた。
「結菜の気持ちはよく分かるんだけどね。急だし、遠くに越すのが寂しいっていうのも」
「でもしょうがない事情なんですよね?」
「単身赴任も考えたんだけど、最低5年は帰れないというから、引っ越すことにしたの」
5年後、結菜ちゃんは中学1年生だ。
そこまでお父さんとちょっとしか会えないのは、かわいそうな気がする。
『友達と離れるより、パパに全然会えなくなっちゃう方がもっと寂しいよ』なんて声をかけてあげれば、本人も納得するだろうか?
達紀はしゃがんで、結菜ちゃんに目を合わせた。
「パパはきっと、結菜ちゃんと一緒にいたいんだね」
「……結菜だって、パパと会えないのやだ」
達紀は、結菜ちゃんの横にくっつき、俺に向かって手招きした。
3人にだけ聞こえるように、小声で耳打ちする。
「好きな人同士は、見えない赤い糸で結ばれてるんだよ。それは、遠くにいっても繋がってる。結菜ちゃんの赤い糸は、好きな子に繋がってるかも知れない。だから、お引っ越ししても大丈夫。でも、パパの赤い糸はママと繋がってるから、結菜ちゃんはパパを手離しちゃいけないんだ。毎日、ぎゅーってしないと。ね?」
達紀の右手は、結菜ちゃんの耳元にある。
そして左手の小指は、死角のところで、俺の小指と絡んでいる。
赤い糸。
少女チックなおとぎ話なのに、達紀が口にしたら途端、本当の王子さまが言うみたいになるんだから不思議だ。
結菜ちゃんはみるみる顔を赤くして、こくんとうなずいた。
「どうする? 好きな子のところ、行ってみる? 僕たちがついていってもいいし、恥ずかしかったら、結菜ちゃんひとりでも」
「……あした、お手紙書いて自分でわたす」
結菜ちゃんはパッと離れて、お母さんの腰の辺りに抱きついた。
「お引っ越し、パパとママと一緒にする」
「……! よかった。ありがとうね、結菜」
お母さんは俺達に向かって何度も頭を下げて、ありがとうと言ってくれた。
俺は別に何もしていない。
でも、もし達紀が『あおの前でかっこつけるため』に頑張ったのなら、まあ、居ただけだけど、役に立っただろうか。
「たつきお兄ちゃんにもお手紙出すね!」
「うん、待ってるよ。新しいおうちや、お友達の絵を描いてくれたらうれしいな」
手を振り家に入っていく親子を見送った後、達紀は俺の方を見て、眉根を寄せて笑った。
「赤い糸だって。恥ずかしい」
ピンポンダッシュの犯人はこの子だったわけだけど、もちろんいたずら目的ではなく、インターホンを押してはみたものの話すのが怖くなって、逃げ出してしまったのだという。
「お引っ越しは急に決まったの?」
「ぅ……おととい、言われた。来月、わかやまにひっこすって。わかやまってどこ? 知らないところ行くのやだ」
お父さんの仕事の都合だというので、きっと急に決まったのだろう。
「お友達と離れるのが嫌なのかな?」
「うん。やだ」
「結菜ちゃん、お友達いっぱいいたもんね」
達紀は中学生の頃に子供会のボランティアをしていたらしく、近所の子供は大体把握しているのだそうだ。
話を聞くに、結菜ちゃんは、みんなに好かれる人気者だったのだと思う。
「お友達には? 引っ越すって話した?」
「女の子は話した。けど……」
大きな瞳に、じわじわと涙が溜まる。
なるほど。事態が飲み込めた俺は、怖がらせないようにそっと尋ねた。
「間違ってたらごめんだけど、結菜ちゃん、好きな子がいるの?」
「うん」
「言えなくて困ってる?」
「……うん。会えなくなるのもかなしいし、なんて言ったらいいか分かんない。やだ。結菜だけひっこさない」
なぜ達紀を頼ってきたのかは、分からないけど、分かる気もする。
頼れるお兄ちゃんなら、家族のことも、好きな子のことも、どうにかしてくれるかも知れないと思ったのではないだろうか。
もちろん達紀本人も、一肌脱ぐ気満々だ。
「パパやママは? 今、おうちにいる?」
「ママがいる」
「僕たちが一緒にお話ししに行こうか?」
「ひっこさないって言ってくれるなら来て」
黙って顔を見合わせる。
さすがに、高校生がよそ様の家の事情に踏み込むのはどうかと思うし、そんなことを言ったって覆らないことは目に見えている。
そしたら、結菜ちゃんはもっと傷つくのではないだろうか。
お母さんのことを嫌いになってしまうかも知れない。
達紀は、優しく微笑んで言った。
「結菜ちゃん、分かった。ママじゃなくて、好きな子のところに行こう。それで、お引っ越ししてもお手紙交換したいって言おう」
「お手紙じゃ意味ないっ」
達紀は、すねる結菜ちゃんにしっかりと目を合わせる。
「あのね。僕は多分、パパやママも、結菜ちゃんと同じように、お引っ越ししたくないと思うんだ。ママだってお友達がたくさんいて、でも離ればなれになっちゃう。結菜ちゃんと同じ気持ちだよ」
結菜ちゃんは、ぱっと目を見開いた。
「好きな子のところに行こう。新しい住所は分かる?」
「……ママに聞いてくる」
結菜ちゃんは自宅に向かった。
俺たちはホッと胸をなで下ろす。
「達紀、すごいね。子供慣れしてて」
「いやいや。どうしようかと思っちゃったよ、引っ越しを止めるなんて無理だし。でも……」
達紀は目をそらし、恥ずかしそうに言った。
「あおの前だし、ちょっとかっこつけたくなっちゃっただけ」
危うく、外で抱きつくところだった。
しばらく待っていると、結菜ちゃんとお母さんがやってきた。
お母さんは、困ったような顔で頬に手を当てる。
「達紀くん、結菜が迷惑かけたみたいで、ごめんなさいね。お友達も」
「いえいえ。危ない目に遭ったわけじゃなくてよかったです」
達紀がにっこり笑うと、お母さんは結菜ちゃんの頭に軽く手を乗せながらため息をついた。
「結菜の気持ちはよく分かるんだけどね。急だし、遠くに越すのが寂しいっていうのも」
「でもしょうがない事情なんですよね?」
「単身赴任も考えたんだけど、最低5年は帰れないというから、引っ越すことにしたの」
5年後、結菜ちゃんは中学1年生だ。
そこまでお父さんとちょっとしか会えないのは、かわいそうな気がする。
『友達と離れるより、パパに全然会えなくなっちゃう方がもっと寂しいよ』なんて声をかけてあげれば、本人も納得するだろうか?
達紀はしゃがんで、結菜ちゃんに目を合わせた。
「パパはきっと、結菜ちゃんと一緒にいたいんだね」
「……結菜だって、パパと会えないのやだ」
達紀は、結菜ちゃんの横にくっつき、俺に向かって手招きした。
3人にだけ聞こえるように、小声で耳打ちする。
「好きな人同士は、見えない赤い糸で結ばれてるんだよ。それは、遠くにいっても繋がってる。結菜ちゃんの赤い糸は、好きな子に繋がってるかも知れない。だから、お引っ越ししても大丈夫。でも、パパの赤い糸はママと繋がってるから、結菜ちゃんはパパを手離しちゃいけないんだ。毎日、ぎゅーってしないと。ね?」
達紀の右手は、結菜ちゃんの耳元にある。
そして左手の小指は、死角のところで、俺の小指と絡んでいる。
赤い糸。
少女チックなおとぎ話なのに、達紀が口にしたら途端、本当の王子さまが言うみたいになるんだから不思議だ。
結菜ちゃんはみるみる顔を赤くして、こくんとうなずいた。
「どうする? 好きな子のところ、行ってみる? 僕たちがついていってもいいし、恥ずかしかったら、結菜ちゃんひとりでも」
「……あした、お手紙書いて自分でわたす」
結菜ちゃんはパッと離れて、お母さんの腰の辺りに抱きついた。
「お引っ越し、パパとママと一緒にする」
「……! よかった。ありがとうね、結菜」
お母さんは俺達に向かって何度も頭を下げて、ありがとうと言ってくれた。
俺は別に何もしていない。
でも、もし達紀が『あおの前でかっこつけるため』に頑張ったのなら、まあ、居ただけだけど、役に立っただろうか。
「たつきお兄ちゃんにもお手紙出すね!」
「うん、待ってるよ。新しいおうちや、お友達の絵を描いてくれたらうれしいな」
手を振り家に入っていく親子を見送った後、達紀は俺の方を見て、眉根を寄せて笑った。
「赤い糸だって。恥ずかしい」
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