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3章 ひみつ

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 ふたりとも、しばらく呆然としていた。
 先に我に返ったのは、達紀。

「ごめんっ。すごい自分勝手な感じになっちゃった。最後、痛くなかった?」
「ううん、平気」

 平気……だけど、ギタリストの握力がすごいことは分かった。

 お互い初めてだし、なんにも余裕なんてなかった。
 けど、普段人のことを気遣ってばかりの達紀が、あんな風に余裕なく求めてきてくれたのは、純粋にうれしかった。

「……童貞丸出しって感じで、かっこわるい。あはは」
「達紀は何しててもかっこいいよ」

 彼の腹筋に散った、どちらのものか分からない精液に、そっと人差し指を這わせる。
 達紀は、慌てたように言った。

「やばいやばい。カピカピになっちゃう。ウェットティッシュ取ってくるね」

 裸のまま、バタバタと階下へ下りていく。
 ぽかんとしたあと、ひとりで笑ってしまった。

 学校での達紀はいつも、さらさらの黒髪を揺らしながら王子さまみたいに微笑んでいて、優しいし、紳士的だし、誰に対しても平等だ。
 でも、そういう行為のときは、普通に普通の男子高校生だった。
 そしてそれは、俺しか知らない。

 戻ってきた達紀に丁寧に体を拭いてもらったあとは、なんとなーくもたれかかって甘えてみたりした。
 達紀はいいこいいことなでてくれて、これはこれで、気持ちいい。
 いや、心地良い、か。

「勉強、する?」

 達紀に聞かれて、俺は、こくっとうなずいた。
 本当にこれだけで帰っちゃったら、後々悔やまれそう。
 解けない問題に震えながら、『なんであのとき、しただけで帰っちゃったんだ』……と。

「それでは、数学からやりましょう」
「たつきせんせいよろしくおねがいしまーす」

 向かい合わせに座ると、ここへ来たときとは違う達紀がいた。
 俺たちは、裸で触れ合ったし、絶対に人には見せない姿も見せ合ったし、特別だ。
 ただ『付き合ってる』って口で言ってるだけじゃない、本当の意味で、恋人同士ですることをした――

「あお? どうしたの?」
「…………思い出し恥ずかし」
「勉強になんない」

 達紀は、おかしそうに眉根を寄せて笑った。



 勉強を終えて帰ったのが、18:30過ぎ。
 家に着けば夕飯があることは分かりきっていたけど、その前に空腹の限界が訪れそうだったので、最寄り駅に着いてすぐ、コンビニに寄った。

 100円のチョコを買って会計を済ませていると、後ろから声をかけられた。

「あれっ、藤下?」

 振り返ると、中学のとき同じクラスだった、竹田たけだくんがいた。
 明るくて、グループ関係なくしゃべるタイプ。
 俺は中学でも目立たないキャラだったけど、竹田くんとはたまに話していた。

「久しぶりじゃん。元気?」
「うん、元気だよ」

 そっちは? ……と尋ねようと思ったところで、ふと思い出した。
 竹田くんは確か、サッカー部だった。

「竹田くんは、今もサッカーやってるの?」
「やってるやってる。今テスト期間で部活なくて、超ひまなんだけどさ。あはは」

 商品を受け取って、コンビニの外へ。

「あのさ。七中の小宮達紀って人と会ったことない?」
「あー、小宮! 懐かしい! 会ったことあるも何も、試合で当たりまくってたし、あいつキャプテンでめちゃめちゃ強かったんだよ」
「えっ? そうなの?」

 全然知らなかった。
 というか、サッカーをやっていたこと自体、さっき部屋で見た色紙で気づいたくらいだし。

「あー、そっか。小宮は帝翔行ったのか。何? 知り合い?」
「うん。部活が一緒で」
「え? 藤下もサッカーやってんの?」
「ううん、軽音部」

 竹田くんは、「えっ?」と言ったきり、目を丸くしていた。
 何か変なことを言っただろうかと思いながら反応を待っていると、竹田くんは、眉間にしわを寄せて言った。

「小宮、サッカーやめたの?」
「たぶん? いつもギター弾いてる」
「うっそ……。マジか」

 竹田くんは、ぼりぼりと頭を掻いたあと、遠くを見ながら言った。

「あいつ、強豪校の推薦蹴って、プロチームのユースに入ったはずなんだけど。なんで軽音部にいんの?」
「え……分かんない」
「いや、ほんとに強くてさ。ユース入ったって噂で聞いて、うちの市からプロ選手誕生かもってちょっと沸いたりしてたんだけど」

 イケメンで女子のファンがエグかったしなー……なんて回想に浸るのを、呆然と眺める。

 いや、付き合ったばっかりだし、知らないことなんていっぱいあって当然だ。
 でも、なんだろう。
 達紀は、何でもできて順風満帆なのだと思っていたから、そんな挫折経験を抱えていたなんて、全然思いもしなかった。

「……ちなみにさ。達紀がうちの高校に入ったのは、何か理由があったのかな?」

「さあ。試合以外で話したことないし、そこまでは分かんないけど。でも帝翔は、スポーツ系のプロチームに入ってて行く人多いよ。試合で休んでも欠席扱いになんないから。小宮もそのために帝翔選んだんだと思うんだけどなあ」

 そのあとは、何だか良く覚えていないけど、ほんのちょこっと会話をして別れた。

「はあ……」

 暮れきらない夕焼けの家路を、とぼとぼと歩く。
 情けない気持ちで。ため息を繰り返しながら。

 多分達紀のことだから、意図して隠していたわけじゃないんだと思う。
 それに、忘れたい過去みたいな感じでもなさそう。
 そうでなかったら、卒業の色紙をあんな風に大事に飾っているはずがない。

 単純に、たまたま中学の話題になったことがまだなくて、たまたまサッカーのことも話題に上らなかっただけだ。
 それだけなんだけど。

 多分俺は、達紀のことを、万能の王子さまだと信じて疑っていなかった。
 だから、要するに――自分の考えの至らなさに、ちょっとばかり、呆れている。
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