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2章 ほんね

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 2分ほど歩いて、カラオケに着いた。
 その間に涙はおさまっていたけど、やっぱりなんだか情けなくて。
 達紀は、何か元気付けたりするわけでももなく、ただ「大丈夫だよ」と言って寄り添ってくれた。

 部屋に入り、荷物を下ろすと、すぐにむぎゅっと抱きしめられた。

「大丈夫? どうして泣いたの?」
「ん、……ごめん」

 達紀は少し体を離すと、俺の両肩に手を置いて、ゆっくりこちらに目を合わせた。

「何か不安?」
「いや……全然、不安とかじゃなくて。ただ、なんか、なんて言ったらいいんだろ」

 本当に、なんて言ったらいいんだ。こんな気持ち。
 全力で俺のことを考えて優しくしてくれている相手に向かって、『前に好きだった人のことが頭によぎってばかりで、申し訳なくなる』なんて。
 死んでも言えない。

 俺は、ズルさを承知で、質問に質問で返した。

「……達紀はね。俺のことどう思ってる? ほんとは」
「え? 本当って?」

「達紀は優しい。なのに俺、自分が軽いみたいで、達紀のこと好きになっちゃいけない感じがしてる。フラれてすぐ達紀に好きって言われて、優しくされたから自分も好きになるとか……前の人の代わりみたいに考えて付き合うみたいで、ダメだって思ってて」

 思わずうつむいて、ぎゅっと拳を握り締める。

「達紀はめちゃくちゃ優しくて、裏表なく本気で俺のことを考えてくれてるし。なのに俺は、自分のことばっかりで、全然達紀に優しくできないし。利用してる、みたいな」

「あお、僕そんな風に思ってない……」

 怖くて顔が見られない。
 けど、その声は、困惑している。

「達紀は、本当はどう思ってるの? 俺のこと。俺、達紀が優しすぎて怖い」

 痛いほどの沈黙が流れる。
 しばらくして、達紀が、ぽつっと口を開いた。

「……最初はね、あおの噂を聞いて、単純に話してみたかっただけ。キスしたいって言ったのも、ずっとしてみたいなって思ってて、話してたら可愛く見えたから深く考えずに言っちゃった」

 ぶらんとしていた俺の手に、達紀がちょこっと触れる。

「でも、目をつぶったあおの表情を見たら、しちゃダメだって思ったんだ」
「どんな顔してた?」
「怖がってた」

 達紀は、俺の手をそっと握った。

「その顔を見たら、まだ前田くんのこと好きなんだろうなって思って。だから、そういう遊びみたいな失礼なことをするのはやめようと思ったんだけど……毎日一緒にご飯食べたり、ギター弾いたりしてたら、前田くんのことがうらやましくなっちゃったんだ」

 驚いて、ぱっと顔を上げる。
 達紀は、困ったような複雑な顔をしていた。

「僕はあおのことなんにも知らないし、あおは、口では『もうなんとも思ってない』って言ってたけど、絶対前田くんのこと忘れてないだろうなって分かったし。前田くんは、僕の知らないあおのこといっぱい知ってるのに嫌ってて、ズルいって思ったら……止まんなかった」

 視聴覚室で達紀が、『前田くんのところに戻らないで』と言ったのを思い出した。
 いま思えば、何度も何度もキスしてきた達紀は、苦しそうな表情をしていた気がした。

「あおのこと、好きって言っていいのか分かんなくて。前田くんに嫉妬してるから欲しくなってるだけかもって思ったら、すごい子供っぽいなって思った」
「でも、達紀は優しいよ」

 結局、俺が白状しなくちゃいけなかったことを、全部言わせてしまっている。
 達紀は、ふいっと目をそらして言った。

「付き合うって、他に何も要らないとか、絶対に揺るぎなく好きとか、そういう感じじゃないとダメなのかな。だとしたら、僕はあおに好きになってもらえる自信がないから、無理なのかも。……なのに」

 達紀は1歩、こちらに近寄った。

「自信はないのにキスしたり触りたくなっちゃうんだから、最低だと思う。ごめんね」

 ちゅ、と口づけられた。
 どうしていいか分からず、そのままフリーズする。

「僕は、あおのことが好き。でも、好きだからって、まだあおの気持ちもちゃんと聞いてないのにキスしたくて、ごめんね」

 泣きそうな声でキスを繰り返す達紀は、言いながら、わざと自分を傷つけているように見えた。

「ん……、たつき、」
「すき、あお。別に、前田くんのこと考えててもいいから」
「……、ん、違う、……んっ」

 ぱくっとくちびるごと食べるみたいにされて、びっくりして少し口を開けたら、ぬうっと舌が入ってきた。

 弾んだ息、唾液の混ざる音。
 どうしていいか分からなくて、背中にぎゅっとしがみついた。

 苦しいし、達紀が必死なのも分かる。
 息切れしながら顔を離して、ちょっと叫ぶみたいに、早口で言った。

「俺だって達紀のことちゃんと好きになりたいっ」

 達紀が大きく目を見開く。
 俺は、勢いのままに続けた。

「達紀のこと好きになって、ドラマみたいに他になんにも要らないってなったりしたい。でもやり方が分かんない。別に祐司と達紀を比べてるわけじゃないのに、悪いことしてる気持ちになって、できない」

 達紀はしばし言葉を失ったあと、眉根を寄せて、泣きそうに微笑んだ。

「……十分だよ。なんかもう、あおの口からそれが聞けただけで、十分。僕のこと好きになりたいと思ってくれてるなんて、考えもしなかったから。うれしい」

 再び、右手同士が触れる。達紀はそっと、その手をとった。
 その温かさを感じながら、俺は、正直な思いを伝えることにした。

「……勘違いしないで欲しいのは、祐司がまだ好きだから付き合えないとか、そういうことじゃなくて。祐司のことが思い浮かんじゃう現状で軽い気持ちで付き合ったら、本当に達紀を利用してるみたいに思っちゃいそうなんだ」

「利用されてるなんて思ったことないよ?」

「いや、なんだろ。罪悪感があるまま付き合ったら、一生達紀のこと純粋に好きになれない気がして。だから、ほんとにただのわがままだけど、もう少しだけ待って欲しい。後ろめたいことなく好きって思えたら、ちゃんと言うから」

 考えていることを吐き出しきると、達紀はほわっと笑った。

「分かった。僕は、あおに、僕のことだけ見てもらえるように努力する」

 まっすぐな目で告げられて、俺は、ぎこちなくうなずくしかできなかった。

 こんな、王子さまみたいにかっこよくて、優しくて人気者の人が、なんで俺みたいなのに必死になるのか。
 自分の自信のなさが、達紀の気持ちをまっすぐに受け取れない原因にもなっていて――それはそれで、申し訳なかったりする。
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